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最終更新日04/01/16

コラム

コラム155

人の受け止め方

 私事を話している中で、ちょっと驚いた話を・・・・・。
今まで、人と接している中で私は無意識に人に対してそつなく対応する事に憧れがあり、その接し方を自分なりに勉強しました。
内容としては、人に対して良い付き合いが出来るように会話、接し方などを上手にするという事です・・・。

たまに、人に言われるのですが、「話していて感情が見えない」「初対面で人に接しても緊張しているようには見えない。」「会話馴れがしている」「人の接し方が馴れている」と見られる事が有ります。

これは一般での会話で人とお話する分にはそつなく話せるので良い事だと思っていたのですが人によっては見られた時に違う見方をされた事がありました。
「?」と思う人も居るかも知れませんが、自分でも気付かなかった捉え方で社交事例的に慣れていると見られる・・・・・と言う場合があると言うのです。
馴れていると見られる事は、はっきり言って、この場合人間性という意味ではあまりよくありません。
ここでの慣れていると見られる理由は色んな意味で「遊んでいる」と言う事になるので・・・・・・・・(苦笑)。

自分としては、ここで言うような軽いタイプの人間として他人と接している訳でもないし周りの知り合いからも軽い人間と見られていないつもりだったのですが、初対面など私を良く知らない人から見ると人の接し方で緊張が見られないし、会話からもなれていると言う印象を受ける場合があると言う事があるようです・・・・・。
どちらかと言うと私の接し方からそう言う印象を受ける人は真面目系の人に多いようで・・・・その結果、対人関係に慣れていると見られて異性関係でややこしくなった事が何度かありました。
内容についてはここでは書きませんが(笑)
結局、何がいいたいかと言うと自分の予想としない見られ方をしていた事が在ると言う事です。

そう思った人も、ある程度、親しくなるとそう言うタイプの人ではないと分かって貰えるようですが、僕から見て「別な見方もあるんだなぁ」と少し驚いています。十人十色とはよく言ったものです・・。

私は自分の価値観で人に接していますが、自分が思っている価値観で人は見ていないと言う事例でした。
で、結局、「自分はこうだから他人もこう思うだろう」と言う事は有り得ないと言うことですね。

だからと言って人の目を気にしたり自分の価値観を主体性の無い形で接すると言うのとはまったく違う話で、他人の考えは自分の考え方では、とても理解仕切れないと言う例でした。
これは突き詰めれば難しい話ですけど、日常では当たり前の話とも言えますね。
気にし出したら切りが無いと言う話ですが、私の接し方は自分で考えてしている行動ですが、それが必ずしも「正しい」とは言えない例でした。
結論としては他人の中で自分自身が思っている以上に他人に理解される事が難しいと言う事を認識しただけですが、10人接すれば1人ぐらいは理解してくれる訳で、「それで充分なんだ」とこの頃は思うようになりました。(考えるのが難しくて嫌になったとも言えますけど(笑))

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