最終更新日04/04/07 |
コラム169
奇麗事 |
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子供の頃とか若い時は理想論的な考え方があります。 現実と夢との違いよりも自分の可能性を追求したりがんばろうとする、いい意味で適えようとする若さがあります。 それらは社会で現実を知るに従って、自分の言っている事が「理想である」と言う事を感じる事が経験と共に多くなります。 すでにコラムで話した夢などはその典型的な物です。 子供の頃、自分で「したい事」とか「憧れ」とか「夢」とか言っても、それを追い駆ける事を周りの人達も認めてくれたのに大人になるに連れて自分の夢や理想を言うと周りに馬鹿にされる・・・「出来るわけ無い」「何言ってんだか」・・・と周りの人が笑う。 これは人それぞれが生きて来た中で、現実的に無理である事を判断しているからです。 自分も「出来たらいいなぁ・・・・・」と思っていても行動に移さないでそのままになってしまっている事がいっぱいありますから・・・。 それを周りの人に奇麗事としてみられてもしょうがないですが、そう思う事、憧れや夢があることは、「いいんじゃない」と思っています。 人が人として生きて来て現実社会の問題の中で、何だか自分がよく分からなくなります・・・分からないまま社会に流されて生きてはいるけど、自分の望んでいる自分らしくは生きていけない・・・・・。 だから、この歳になっても、コラムの中で奇麗事を言い続けるでしょうし憧れや夢を言いつづけていると思います。 物事の基準を変える事で感考え方や印象が変わると言う事は簡単に切り替えできなくても、必要だと思うし、又、適えたい夢や願いを年齢に関係なく思いつづける事は「大切」と感じています。 |
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