STEEL

最終更新日05/06/02

コラム

コラム213

気づいたこと

 コラムを書いていく中で、今まで気づかなかった事に気づきました。

精神的な話を聞いていると孤独で在る事にたどり着きます。家族が居ようが楽しい事をしていても結局は孤独でしかないと言う事。
そして、人間は孤独だから孤独を拭う為に色んな行動をしているに過ぎないと言う事です。
具体的に言うと
子供の頃、テストで点数が良かったりで親に誉められると嬉しい。
スポーツなどで人よりも優れていると回りに誉められると嬉しい。
一緒に遊ぶ友達とワイワイすると楽しい。
好きな人と一緒にいる嬉しい。など・・・

逆に
好きな人にふられると辛い
自分の考え方を否定されると頭に来る。
一人ぼっちだと思ってしまう。

これはすべて他人に対して自分の存在を認めて欲しいと言う結果です。
人間は孤独で在る限り、寂しさを拭う事は出来ません。と言うより死ぬまで独りです。

これは回りにどれだけ人が居たとしても自分を理解する事が出来るのは自分だけであるからです。とは言っても「自分で自分を理解している人がいるのか?」と言う疑問もありますが・・・・。そうすると、孤独を拭う為に他人に自分の存在を認めてもらう。
他人に自分が必要とされていれば、孤独を拭えるから・・・。
だから、人よりも優れていると言う事にこだわったりします。それが成績だったり、外観だったり、性格だったりしていると思います。
私が前に友達とワイワイしていても孤独を感じると言うものと根本は共通していると思っています。

孤独が嫌だから他人と共存する。他人に自分の存在を認めてもらう事で自分の価値が生まれるので他人と必要にされていると思い、それが孤独を拭える・・・・・・・・と言う考え方にたどり着きました。
自分が幸せだと思っている深層下層にはプライベートや仕事が充実しているから「楽しい」と言っても、それはすべて自分を他人に認めてもらっている環境が何らかしら在る事が理由になっているような気がしています。
友達と仲がよくなる事だって、相手と自分がお互いに存在を認められて初めて成り立つ筈です。
ようは考え方次第ですが人間が当たり前にしている事って無意識なので、案外、理由なんて知らないし考えない。

今回、偶々掘り下げて考えたら自分の他人に対しての行動は孤独を無ぐうために他人に依存している結果に過ぎないと言う事です。
又、この考え方がすべての人に当てはまるとも思えませんが、私個人はそうだと思っています。

何だか・・・・・こうなると人間って他人に依存する群生の生き物なのに他人と上手く繋がっていく事が難しい生き物と思います。

コラム212へ  ▲コラムトップへ  ▼コラム214へ