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最終更新日06/12/19

コラム

コラム241

書き込み

 タイトルは私のHPでの掲示板への書き込みと言う範囲ではなく私がネットサーフィンで掲示板やチャットを見て感じた事です。

昔・・・今から20年ぐらい前に本当に一部の人だけが数Kバイトの転送速度の環境でチャットをしていた時代に顔も知らない人達に家庭的事情を相談していた人がいて、その事実を知った家族が激怒した・・・・と言う話がありました。
その当時は「会ったこともない知らない人に内面的な相談をする行為がおかしい」と言われてコンピューターの特異性を怒られた(恐れられた?)わけですが、ネットが当たり前になった現在ではそれが当り前に存在しています。

何でこんなことを言い出したのかと言うとこれらの(相談の)書き込みの内容は本当に色々な分野であり内容について一々とやかく言うわけでは在りませんが、これらの相談をする環境が当り前ではないと言う事です。

前にも同じような事をコラムで既に書いていますが他人に相談しても変わるわけではない、ただ話す事で救われたような気がするだけと言う事です。

ただ人間は誰かに共感してほしい例えばパソコンで書き込みして返事が来ないと寂しい、書き込みがあるとうれしいと言うような精神的な面があります。
人間は一人で悩んでいる事が他人に話すことで緩和されるのは本当の事ですし聞いてくれた人がうれしく思ったりするものです。

ただそれが昔は他人と目と目を合わせる距離で直接会話していた事がパソコンで他人の姿形、そして表情も知らずにキーボードを叩いているように代わっただけなのかも知れません。

現在のプログや書き込みを見ている限り、書き込んだ内容に対して読んだ第三者の感想を「望む」「望まない」に対する内容でも誰かに言われる事で「ほっ」としたり「はっ」として考え直したりすると言う行為は自分が良く知っている友人ではなく誰だか分からない第三者に言われた方が客観的である為に「ぐっ」(本心を捕らえているので頭にくる)とくる場合があるような気もします。

パソコン上では直接接しない分だけ人とのコミニケーション不足になる事は否定できませんが使い方次第で便利な方法であることは変わりません。

結局、パソコンとインターネットの普及はメールなどと一緒に他人への接し方の手段として携帯電話レベルに普及してきていると言う事なのかもしれませんが。

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