STEEL

最終更新日07/01/10

コラム

コラム242

友達の距離変化

 今までに何度か友達の位置付けについて話しています。友達は学校、趣味、近所などの共通点から発生してその後の相性で関係の継続が決まっていきます。

よく独身の頃経験ししましたが、友達で付き合いが悪くなると彼女が出来た所為だったり付き合いが良くなると別れたと言う話があります。極端な人もいましたが優先順位で友達は蔑ろにされます。

先日、結婚している友人と話している時に感じた話ですが恋愛と違い結婚する事でお互いに束縛される、それは仕方のない事だが愚痴と言うか趣味話というか他人と違う話の出来る環境結構が大切と言っていました。

夫婦ゲンカの愚痴を友達に言うのではなくて夫婦間でしないような会話を話が出来る事は大切と言う事です。
たとえば私の場合、嫁さんとは車の話で込み入った話は出来ません。嫁さん車に興味ないし・・・。車の話をするとなれば友達で車好きな人としているのが普通。

夫婦間の付き合いが最優先として大切ですが、それ以外の友達などの付き合いもまた大切と言う事です。

今となっては交流が続いている友人も一握りに過ぎませんがそれぞれの分野の人といろんな会話をしているのは今でも面白いと思います。
若い時に恋愛中心にして友達の交流を蔑ろにした事もありましたが今となっては友人達はたまに会う程度の友達になり昔のように頻繁に連絡を取っていた関係では有りません。
でも会えば昔話や共通の趣味や考え方でワイワイ話している事が楽しいと思います。

独身の頃、遊ぶと言えば友達が中心でしたが、今では友達はたまに会う程度のものです。

昔話で「友達と彼女を天秤にかけたらどうする?」と言われて「比較するものではない」と言ったことを思い出します。

この話を聞いた人がどう思ったかは知りませんが、友達の立場と彼女の立場は存在意義が違う為に比較できないと言っただけです。

実際には優先順位で考えれば彼女の方ですが、立場が違う比較質問だった時点でナンセンスな話だなと思いました。
その意味で今だに交流が続いている友達達がそう立場なのだと思います。

誰かを優先すればその時間に会える人とも限られると言うこと、だけど極端な交流はすべきではないという事です。
「彼女に話せること」「友達になら話せること」「家族になら話せること」それらの言葉にしている相談や悩みや経験などは話せる話せないなど人を選ぶものだと思います。

その話をして「良いのか」「悪いのか」を人がどのように選ぶのかは本人が決めれば良い話ですが、昔話は一緒にその時間を共有した友達でなければ本当の話が出来ません。

しかし、それらの時間もそれぞれが「結婚すること」で「子供が生まれること」で交流時間が減っていきます。でも、これらの友人の関係は僅かな時間でも続けていく必要性があるものだと個人的に思っています。

変わった例でいえば一方的な情報展開ですが私のHPもそう言う意味で少しは役に立っているようです。友人から記事でを読んだと言われればそれは私が経験したことを載せているからですしね。

結局、結婚してからも友達と呼べる人たちは僅かな時間でも継続して交流をしていく事が大切だと言う事ですね。

両立するという意味では今後ますます大変になっていくでしょうけど、年に数回程度しか会わない友人もいますが大切に出来ればと思います。

コラム241へ  ▲コラムトップへ  ▼コラム243へ