STEEL

最終更新日09/01/17

コラム

コラム276

呼ぶ呼ばない

  昔の事ですが大きなグループがあった場合、全体で飲み会のようなイベントを開く場合と言えば全体でまとまりが無いと上手く行きません。
これは会社でも同じ事ですが数十人程度のグループ(部署)があったとして飲み会などのイベントをしても全員が参加すると言う事は中々難しい。

断る人の理由は普通は用事が合って出れない場合、または個人的に出たくないから出ない場合などがあります。
出たくない理由の一つに飲み会に集まる人の中に嫌いな人が居る、あの人が居るから出ないと言う単純に人の好き嫌いで参加が決まってしまう事もよくあります。

人の好き嫌いは人が集まれば必ず発生するしょうがない事なので好きな人だけが集まって好きな事をすれば良いとなります。

しかし仕事上の場合はこれら個人的感情以外に仕事上の立場などが影響してくるので色々な要因があるといえます。
本音と建前は違うと言う事になります。

その点個人の集まりはプライベートなので普通は好きな人同士で自然にあつまります。

そうすると友達などのグループ全体で行動するのが面倒な場合もあるので個人的に仲良い人だけでイベント(飲む)をすると言う事があります。

個人的に数人で飲むと言う行為は当たり前によくある事ですが、この集まると言う事で問題が起きる事があります。

呼ばれた呼ばれないでもめる事がある。

人間はあまり仲の良くない人達の飲み会に呼ばれなければ「別に・・・」となるりますが比較的仲が良いと思っている人たちがいる飲み会に誘われないと「何で俺は呼ばれない?」となります。
また、仲が良くなかろうと呼ばれない事に不快感を持ったりすることもあります。

私も飲み幹事をしたり呼ばれたりした中でこう言う事例をそれぞれに経験していますが中々難しい話です。

例えば合コンに既婚者を呼ばないなどの呼ぶ目的がはっきりしている場合はともかく(笑)友達と集まって飲むとなると声かける人が面倒になってあまり声をかけない時がありました。

 

人間の集まりは人それぞれに共通が有ったり無かったりしています。ある話題にはこの人は合うがこの人とは合わない・・・だからと言って仲が悪いわけでもないと言うような繋がりが人それぞれに様々であり中々難しいときがあります。

例えば少数で飲む場合の会話は共通の話題をネタにすると考えれば人が増えると言う事は共通の話題はそれぞれに違うので共通点が減り話題が減っていくと言う事。

その為、人が集まったときに昔話が多くなるのはお互いに一緒に遊んだ話が今となっては過去と言う共通点として大きな話題(ネタ)となるからです。

そうすると共通点と言う話題が一体一の時と5人ぐらいで飲んだ時では話題も内容も違う事になります。
これは普通の会話ではなく愚痴や考え方の話になれば話す人を選ぶし会話も選んで話す様になります

その上でお酒の場だとある程度本音で話す事が出来るという人も多いので飲み会のような人が集まる場と言うのは影響が大きいと言えます。

実際に話す場が無いと本音で話せない、話づらいと言う人が居るのも本当ですから。

その為、同席している人によっては本音で話せない話しづらいと言う意味もあり少数で話す場合と多数の人数で話す場合では本音と言う意味での会話は違うものです。
(そこまで考えて話している人がどれだけいるのかと言う疑問もありますが・・・・)

その為、呼ぶ人呼ばない人と言うのも飲み会の目的によって変わる物なのですが人間はそれを孤立した(無視された)と受け止める場合もあるので他人の考え方を配慮しきれませんのでそれが難しいと言えます。

ある人が面白い事を言っていましたが私は昔酒を飲む事を殆どしていませんでした。
その為、当時は酒を飲む方から見ると飲み会に誘っても面白くないだろうと言う気の使い方をされた事があります。

理由は酒を飲む立場からみると同じようにお酒を飲んだ方が気を使わないようです(金銭的支払いにおいても)。

たしかに片方が飲んで片方が飲まないとなると何となく雰囲気的に気を使っているような事は経験しています。
恐らくこれも先ほど話したお酒を飲むと言う共通点の例と言えるでしょう。

これらの考え方と言うよりも人間一人一人は感じ方が違う為、今回は誘わなくても良いだろうと思っても相手がそうは思わなかったと言う話が実際にあります。
私自身の経験ですが合コンに誘われた時にすでに別の飲み会で約束が有った日にバッテングした為に断ったら後日、合コンに参加した違う友達から合コン断って別の飲み会に行ってたと指摘され、先に予約していた方の飲み会に行っただけとわざわざ説明した記憶があります(この飲み会に出て欲しい理由が有った為のようでしたが・・・・・)。

これは約束してから約束を破ったと言うわけではなく先の予約を優先して断ったと言う普通の事であっても説明しないと他人に誤解を招く場合もあり変な所で気を使った記憶があります。

人の受け止め方次第で色々と見方が変わる上に例え説明しても誤解を招く事もあり難しいと言えます。

しかし、誘われた話もその友達と仲が良かったので余計な問題にもならず理由を話して納得してもらったと言えますが交流の距離(仲良さ)によってそれで済まず腹を立てたり色々発生する事もあります。
仲が良くなる、仲が悪いと言うそれぞれの交流に差がありそれを完全に把握していれば人間関係も予測しやすいのでしょうがそう言う上手い話は無いわけです。

後は他人との結びつきである共通点を上手く利用できるぐらいであれば良いのですがそんな事も中々出来ませんし交流関係はその都度変化してしまう事の為、とても難しい面があります。

仲良かったのに仲が悪くなったり・・・・人間関係はこれらの共通点を踏まえること自体が私は未だに出来ませんのでどうしようもない話と言えます。

建前や本音は必ずありますが、それでも友人の集まりに声をかけてもらえるような交流が出来れば良い事は間違いないでしょうね。

コラム275へ  ▲コラムトップへ  ▼コラム277へ