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最終更新日09/04/27

コラム

コラム279

他人に依存

 昔の話で友達と頻繁に遊んでいたのにいきなり全然遊ばなくなったので、本人に理由を聞いたら「彼女が出来たから」と言う事は私の周りの友人でもよくありました。

そしてその彼女と別れると、またいつもの様に頻繁に遊ぶようになる・・・・これは単純に友人よりも彼女の方が優先したと言う話です。

当時はこの行動は当たり前だと思っていましたがあんまり極端なのは個人的に嫌だったので友達を蔑ろにするような交流はしないように気をつけていました(実際には・・・でしたが)。

しかし、今になってこの交流について思ったのですが、友達で絶好したり嫌いになったかと言って付き合いが切れたと言う場合がありますがいつの間にか元に戻っていたという話があります。

例えば自然と交流が無くなってまた連絡取り合って復活するという場合はお互いの環境や交流の変化によって当たり前に起きる事なので気にすることではありませんが、トラブルや対立があって交流をその時期は切ったのに関わらずもまた交流が復活する場合がある。

これは相手が嫌いになった、トラブルがあって怒って絶交したと言う話の場合、その後に交流が戻ると言うことは中々無いように感じていたのですが考えて見れば再び交流が戻る場合が有ったりもする。

私個人としてもケンカして付き合いが切れた友達と再び仲良くなったと言う事がありますが、それでも昔通りに同じように交流をしたかと言うとどこかで蟠りがあったりはしました。

それでも交流を繋ぐその結果、更に知らない人へと次に繋がっていく。

結局は、その時その時で他人との付き合いが消えても再び交流を持つ事で多少なり人の輪が広がって行く事は経験しました

恐らく人間が他人と知り合えて輪を広げていくと言うことには、ある程度、限界があってほんの一握りしか知り合うことが出来ない、または知り合う切っ掛けが中々難しい場合がある為でしょう。

恐らく金銭的なトラブルによる原因などでは無い場合は比較的交流が場合があるようです。(必ずそうとも言い切れませんけどね。)

友人の交流が無くなったけど復活したと言う話の背景にあるのは恐らく人間の孤独感をぬぐう為だと考えます。

例えば友達と遊んでいる限り寂しく感じないとしてもその友達が結婚すれば同じように結婚を考える、また子供が要らないと言っていた人が子供を作る場合も多少なり孤独を考えた場合の事もあり得るという事。

人間が回りに人が沢山居て孤独を常に忘れられる内は良いけれど人がいない時や人が居ても孤独を感じるような状況ならば更に他人を探すような行動を取る時もある。

ある意味、変な例えかも知れませんが私の知る限り不倫などをする理由のひとつに今回のような影響があるような気もします(個人的解釈ですが・・・ただの女好きの人の場合は当てはまりませんけど(笑))。

そんな話をすると誰とでも仲良くしていれば多くの友人が出来て孤独を感じないで居られるのではないかと言う話も有りますが人間の個性から本質的に気を使わないような交流を望み、考えが理解できるような趣味面だけではなく何らかしらの共通点を持つ人間を求めます。

そうすると中々そのような人は周りに少なくなるので他人との交流が沢山出来ないので結局今までに知り合った人たちと仲良くしていくのが一番ラクなのでは?と考えます。

恐らく昔からの友人との交流が年間数える程度でも会って飲み会を続けているのもそのような関係がそれなりに大切だとそれぞれが思うからでしょう。

私の場合、それらの友人は全員が考え方が違く趣味面の共通点もそれそれです。

しかし、昔の交流が共通点となり未だに交流があるのは単純に趣味や性格の一致だけでは無いものがあるのでしょう。

結局、これらの昔からの知人や友人などは付き合いが長ければ長いほど人間的な面で考えさせられたりトラブルなども多くなりますがその反面、過去を共有する事で共通点を持ち得る事が大きいのでしょうね。

中々理解しあうと言う事は出来ませんが人間関係は難しいものです。

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