|
コラム289
他人と孤独 |
|
大分前の事ですが友人との会話の中で「寂しくない?」と言われた事がありました。
この言葉の意味を私なりに感じたのは、昔は友達が回りに居て色んなグループの交流もあってAグループと遊んだりBグループと遊んだりと忙しく、そして空いた時間は旧友と会って遊んだり、色んな交流がありました。 しかし、その頃に遊んだ人たちもそれぞれの家庭を持つ事などでお互いの距離も遠のき、気楽に会うと言う事が知らないうちに出来なくなっています。 何か共通の用事があったりすれば会ったついでに一緒に飲んだりするけれど、昔みたいに「暇だから遊ぼう」と頻繁に会う事はめっきり減りました。 昔、他人の交流を自ら作ってさまざまな人に会いましたが今となってはそう言う行動もしなくなってきました。 しかし、孤独は昔よりも身近になったような気がします。 今まで人間は死ぬまで孤独と言う事を他のコラムで言っていますが、恐らく若さなど肉体的な要素が強い内は覆い隠している可能性を感じます。 今、私の周りに居た人たちを思い出して見てみると自分自身は独りではないのだけれど、どんな時も孤独であった事実を強く感じます。 私が言う孤独と言うのは回りに人が居れば感じないと言うのではなく、精神的な面で他人と接すれば接するほど自分自身が孤独であると感じるようになったからです。 もちろん、仲の良い友人や家族がいますし、その人たちの会話の中でもこのような話をしたりしますけどやはり答えの出ないものだと思います。 結局、考えても答えの出ない事を考えている。何か答えが分かるかもしれないと思って・・・・・しかし、答えが無い事も分かって考えているのもかもしれませんが。 私が今の時点で思うのは孤独である事実を拭う事が出来るかは本質的には無理だと考えています。 ただ、孤独に対しての考え方も人それぞれの考え方次第と言えます。 人によっては他人に依存する事で孤独を拭えると思う人も多いでしょう。 この理由の一つに死と孤独は直結しており、肉体的な問題(歳を取る体力の低下など)は年取る事で孤独と大きく影響するのだろうなぁ・・・・・思っているので年取るたびにこんな事を考えたりする機会が増えるのだろうと思っています。 結局はそう考える私の性格次第と言えますけどね・・・・。 |
|