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最終更新日10/02/09

コラム

コラム290

僅かな

コラム288で少しだけ話していますが、私は職場で車にしか興味が無い人に見られていたと言う話をしました。

これは私に職場で浮いた話が出なかった事と車のイメージが大きい事から職場の人が勝手に私のイメージ像を作った結果と言えます。

他人から見ている自分が案外違うイメージで見られていると言う事はよくありますが、自分が見ている友人知人ですら勝手にイメージして見ていることが多いです。 

人は他人と接している僅かな情報でその人を判断していると言う事です。

ある接点では良い人だとしてもプライベートでは合わない、知り合い初めた時は良いと思ったら合わない人だった・・・。
初め嫌な奴だと思っていたら付き合ってみたら良い奴だったなど、その時その時の他人と接している情報でその他人を判断している・・・・普通のことですけどね。

 

ただ、付き合いの浅い人で言うのではなく、付き合いの長い家族でも、旧友にも当てはまる事であり逆に付き合いが長い事から今までのイメージで決め付けていて、自分の持っている先入観で人を決めている事があります。

だから本人から自分のイメージに合わない話や経験を聞くと「うそ!!」と思ってしまいます。
たとえ、それが本当の事でもイメージから判断して「似合わないし」「信じられない」と言う。

自分の持っているイメージ像と合わない話だから。。。
だけど、イメージと合わない話を聞くたびに感じるのは人間は案外内面の話を他人としていないのに何かで変った点を知ったり聞いたりすると驚く。

内面の意外性の話があるという事は逆に考えれば、それだけ他人同士で内面的な話や精神面を見せていない場合が多くあります。
その事実も考えずに人間は僅かな情報で判断したがると言うことなのでしょう・・・・。

他人の交流が長く続いている人同士でも内面は見せていない事が多いので知らない部分が見えた時に持っているイメージと違うと言うことがあると言うことです。

他人の一握りの僅かな情報だけで人を判断して、その人はこう言う人格の人間なのだと決め付けている・・・・「この人はこうなんだ!!」と相手を決め付ける事で、恐らく他人を理解したと思って精神的に安心しているのかもしれませんね。
人間が分からないと言う不安を無くす為なのかもしれません・・・・。

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