最終更新日03/02/11 |
コラム10
情報 |
|
少し社説的ですがちょっと堅い話です。 コラム02で情報社会になって情報が溢れる位に流出が社会的に当り前になっている事への問題を指摘しました。 個人的に本来、情報はオープンで有るべきだと思います。 しかし、その情報の良し悪しの判断は、それを見た人間個人によって左右される為、個人がその情報を見抜く目がなければ情報に翻弄される事が起きます。 特に携帯、インターネットが普及した事により手軽に色んな情報が手に入りますが、何のハードルも無く簡単に手に入る多すぎる情報によって個人がそれを整理し切れないままに、次の情報が与えられ続けている。 そんな今の状況下では、 本来、人が年齢と経験を重ねる事で人として成長していく時間的ゆとりが無いのに入手する多すぎる情報に個々が対処しきれずに困惑していくのでは?と言う個人的な危機感です。 しかも本質的に、その危機感が無い人が多いのも事実でしょう。正しいとは言いませんが人間は年齢に伴い多くの経験と人に出会う事で成長して大人になると考えた場合の話ですが・・・・。 一般的に日本人は周りの風潮に流される民族なので特に情報に左右されやすいそうです。 情報に限らず一個人の周りで見ても友達、友人が多ければ多い程、人と接する中で多くの経験と影響を受けます少なければそれも減ります。当たり前の事ですね。 判断出来る程に自分が成長経験が少ない中で必要以上の与えられる情報が多すぎれば、自分ですべてを判断できず他人の価値観で判断するしかなくなり個々の意志が薄らぐような環境が作られます。 もちろん、それは自分で考え行動するよりも人の意見に人任せにした方が楽だからと言う意味でです。 どこまで自分の意志を正確に把握して行動出来るかと言う意味では厳密には自分を含めて誰も出来ないのかも知れないですが・・・。 「情報を管理する」と言うと、ある意味、子供に対してそれを行なうのは親、学校がそれにあたり子供から大人へ人間が成長した中で判断していくゆとりかも知れませんが管理すると言う意味が本来、どの程度を言うのかあまりに難しいので僕が意見を言う事は出来ませんが・・・ 多すぎる情報が無道さに溢れている為に社会の中での自分が何なのかが曖昧になって(不明確)流されるだけの個性の無い人間が増えていくのでは?と思っています。 |
|
会社もその一つの形ですが、人間社会と言っても、その土台は不安定なものかもしれませんね。 |