大人になって、ちょっぴり分りましたが人間は独りでは生きられないのかも知れません。
この意味の拝借は人によって捕らえ方が様々なのでムズいですが。独りで寂しいと思うから人と接したり遊んだりする。でも、人はどこまで言っても独りである事には変わりありません。
人と接する事でそれを一時的に忘れたり緩和される事で孤独と隣り合わせで生きているのだと思います。
賛否が有ると思いますが個人の1つの考えと思って見てください。
人間1人が持っている環境(生活)は小さいので一生の内に出会える人の数は、たかが知れています。
例え多くの人に出会ってもそれを生かせる環境が無く出会ってもそこから発展していくのは中々難しい話です。(会っただけで終わってしまう)今周りにいる人達にしても、信用、信頼と言う意味になると厳密にその位置にいる人は少ないはずです。
人と人が他人である以上、自分の生き方と違う人に一生変わりありません、それは、恋人、そして結婚した人でも同じです。
よく仲が良くなる事でお互いの距離が縮まりますが親しい中にも相手を思いやる配慮が必要ですね。個人的に「親しき中にも礼儀あり」と言う言葉が好きです。
ただ、人との関係が当り前になった時に他人を傷つけた事が多くあったので自分としても相変らず考えさせられます。
人が人である以上、いい面も悪い面も含めて見ていかないと本当の意味では他人を理解出来ないかも知れないです。人と接する中で相手の見ている面は、その人の一面に過ぎないので人を判断するなど本当は出来ないかも知れません。
現に周りの人は僕が「悩みを持っていない人」「人見知りしない人」「怒らない人」に見える事に対して自分はそうは思っていないことから考えても、人に接する形によって他人の印象が変わる事実を身近に経験していると、人を判断するのは難しいものだと思います。
だからと言って何も他人に対して八方美人で自己の主体性が無い接し方が良いとは思っていませんが。
こう書いてみるとなら、人との距離を程よく保つのが一番よい距離になるのですが、人が弱いから身近な人を必要とするのが恋愛などの感情なんでしょうね。この辺の感情は上手く出来ていて人間が人間たる面だと思います。
理性でコントロールできない難しさも有りますが多分、本当の孤独に人が耐えるれるのなら人は人を必要としないし他人への配慮も思いやりも無くなる筈ですから弱い事も悪い事では無いと思います。
今の人は自分を含めて怖がりなんだと思います。
傷つくのが怖いので人と距離を取るけど本当に身近な人を欲しがってもいます。
これらの問題は各自が自分自身が人と接する中で探していく事なので僕には何もいえない話です。こんな事を考えている所為か、よく人に相談を持ちかけられます。お陰で話すよりも聞く事が多いです(笑)
ただ、自分が今まで人と接してきて色んな人に出会った事で今の自分になったと自負出来るのでこのまま人に出会い続けるように行動していくのが自分としては一番良いと思います。
これで良かった悪かったの判断は本人が決める事なので難しい話ですね。
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