精神面について「人の距離」と言うコラムで述べましたが「人はどこまで行っても独りでしかない」と言いました。
正直、この言葉の意味を理解したのは、ほんの2、3年前の話で、それまではピンと来ませんでした。
小さい頃は全然、孤独を感じたりしなかったので、その時が楽しければいいと言う考えでした。
回りに同級生が沢山いたので友達に困ると言う事も起きなかったですから。
初めて孤独を感じ出したのは高校生の時に友達と一緒に遊んでいる最中に自分自身をもう1人の自分が冷静に見ていると言う客観的な視点で物事を見れるようになってからです。恐らくみんな経験している感覚だと思います。
それからは、ある意味、冷静に物事を捉えられるようになって行きました。
それから何となく回りに人がいる時も孤独を感じるようになりました。年々、歳と共にその孤独感は増していきましたが・・・。
何かに、夢中になっている一瞬一瞬は「孤独」を忘れるのですが、その後に「孤独」と「寂しい」と言う感情を持つようになりました。
自分の場合、その感情に影響を与えたのは恋愛など異性間のコミニケーションが一番大きかったように思います。
その歳その歳で自分の周りに異性はいましたが、その人達と接した事で逆に孤独や人と自分自身の弱さを相手と自分の中で教わった気がします。
今のところ、自分の中では孤独を感じるのは人間の本質的な精神がそう感じると思いますので孤独を拭う事は恐らく出来ないでしょう(よっぽど精神的に強い人を抜かして)そんな中で、独りが辛いから人と接して寂しさを拭おうとする筈です。
それは何も恋人とかに限定するのではなく友人や友達などもその一つであり、趣味などの形も、「孤独」にすべてが繋がるような気がします。
孤独は何も自分の周りに「恋人がいる」「家庭がある」で解決、解消出来るものではないと思います。
(恋人はともかく結婚していないので言えた義理では在りませんが・・・)(笑)
人は他人同士が寄り添っているので、当たり前に考えれば身近な人も「他人」である限り本当には理解は出来ないし、自分自身の事は自分以外には・・・無理。だから、どこまで生きていても最後まで「独り」である事には変わりないのです。
その中でそれでも他人を理解しようとする気持ちがあって、お互いに歩み寄る事が出来れば、他人の距離を縮める事が出来ます。
現実社会で、見た目は楽しそうに見えても孤独に苦悩している孤独を背負って生きている人をあまりに多く見ました。(それらの人達に今まで相談される機会が多かった(苦笑))
自分の今までの経験で言える事は自分は相手(異性)を分ったつもりで、本当は何も分っていなかったと言う事が多々有りました。
人間1人1人がちゃんと自分の寂しさをしっているのなら相手を思いやって考えて接する事が本当は出来る筈です。
でも、他人同士が歩み寄る事の出来る精神面のキャパは非常に狭いので、ある程度、同じ属性の人を選んでいる筈です。
これも人の弱さから来ているのかも知れないです。(そうじゃない場合もありますが・・・)
問題なのはその時その時にある孤独と寂しさの辛さに流されて、安易な行動で後悔しない生き方を見つけていかないといけないと思います。自分を大切にしていかなければならない。でも、それが出来るほどの強さを自分を含めて今まで知り合った人達は、その強さを持ち合わせていなかった人が多かった気がします・・・これが人の弱さなのでしょうね。
まあ・・・・難しい話です。この課題は自分自身が死ぬまで背負う事だと思います。(笑)
ただ、孤独を知ることは無駄では無い筈です。考える事に精神的に疲れる事も有りますが、考える事が人間が人間である意義だと僕は思っていますが・・。
尚、ここで書かれている事は、あくまで一個人の考えである事を補足しておきます。最後に、このコラムちゃんと読む人いるのかなぁ(笑)
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