先日、天体で有名な百武彗星の発見者の百武さんが急死なされました。51歳と聞くと若すぎる歳だと思います。叔父が亡くなったのも、この前後の歳だったのを覚えています。
「死」と言うとすごく重いテーマと受け止められますね。それはしょうがない事ですが、ちょっと違った視点で話します。
正直、学生の頃、死は自分に無縁の存在であって、完全に人事でした。
それでも祖父、祖母が亡くなった時に悲しかったし辛かったのは覚えていますが、年老いていた所為か。逆に死への実感が無かったのも事実です。
それは人が居なくなった事への寂しさで悲しかったのは覚えていますが、「死」そのものの考えを理解しては居ませんでした。何故かと言うとあくまで歳を取った人だけのもの(死が)であり若い自分には実感が無かったからです。
所が死を現実で考え出したのは叔父の相次ぐ死でした。
学生、社会人になってからも世話になった叔父が病死で亡くなった時、立場的に自分との距離と年齢が近い人たちだったので初めて死が身近なものである事を感じました。
叔父の死を悲しみながら「死」と言うのが、けして遠い存在ではなく身近な自分にも起こりいえる事実として分かった時は恐怖しました。
子供の頃、軽はずみに、「死ねたらいい」とか思った事がありましたが、痛いの嫌なので出来ません(笑)
自殺する状況と言うのは今の僕には理解出来ない心境なのでしょうね・・・・・。
でも、景気が停滞している今はかなり多いと聞いています。やるせない話です・・・。
たま〜に、自分が死んだらどうなるんだろう?と考えてみると変な話、こんな僕でも悲しむ人がいる事に気付きます。
親、兄弟、友達など・・その時に悲しむ人の存在が分ります。
そう考えると自分の存在は否定されていないと分ります。
死に対しての価値観も今、独身である立場と家庭を持っている人の立場では比較にならないでしょう、でも、その立場を僕自身が理解していないのでよく分かりません・・・・・。
死の恐怖は死ぬ苦しみだと、昔は思いましたが今は少し違います。
苦しむのも怖いですが、人に自分の存在が忘れられるのが、この世界から無くなるのが恐ろしいんだと思います。
現に、亡くなった人の記憶が年々薄れていくのが分りますから・・・。
別に話している「孤独」に多少なり影響しているのかもしれませんね。
とりあえず、今の自分には無縁な事と信じて、今は自分に出来る事をしているのが一番よいと思っています。(逃げていますが)
余談ですが、自分は幽霊は信じますが(笑)死んだらどうなるのか、さっぱり見当がつきません
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