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最終更新日03/03/16

コラム

コラム31

ファミコン

 正式名がファミリーコンピューターと呼ばれた通称「ファミコン」と言われ知らない人はいないと言えるほど普及したTVゲームです。(今のちっちゃい子は知らないか・・)
これが販売された当時は私は丁度、小学3年生の時でした。
まだ、任天堂以外の会社からもぴゅう太、TVボーイなど、カセットにてゲーム内容を変えられるシステムは同じ様に組み込まれていましたが、ファミコンが一番スペック的に性能が良かった筈です。それでも当時14800円は安い買い物ではなく高いと認識してましたね。

ファミコンが出始めの頃は任天堂だけがゲームソフトを販売しており価格も3900円と5500円の二種類でした。
自分の家には無く、ファミコン持っている友達の家で遊ぶのが普通でした。購入したのは小学6年生になってからで親の目を気にしなくて遊べるようになったのは高校生からです(笑)

ファミコンに、はまり出したのは、ナムコ、コナミなどの大手ゲーム会社が参入し「ゼビウス」「グラディウス」などが販売されてから、はまりました。
元々、ゲームセンターでアーケードゲームを遊んでいたのでファミコンに移植されたゲームには馴染み深かったです。

ファミコンオリジナルソフトで一番感動したのは中学1年にディスクシステムが発表され「ゼルダの伝説」に感動したものもつかの間、その後ROM容量が飛躍的に増えた事もありディスクのメリットが薄れてディスクが廃れてしまったのは残念でした。
高校時代はおもちゃ屋でバイトをしていた事もあり、ゲーム三昧の日々を過ごしていました(笑)。
話が違いますがシャープよりツインファミコンなるものが販売されていたのを知っている人もいると思います。
ディスクシステムとファミコンが一体化していた機種です。何故,任天堂で出したファミコンをシャープが出せたかと言うとファミコンの開発を行ったのはシャープだそうです。その為、ツインファミコンを販売する権利があったそうです。詳しい事は分かりませんが、そんな話を聞いた事があります。

その後、ドラクエ、FFなど長い時間をかけて説くRPGに、はまるようになり何だかんだで高校卒業するまでの約10年ぐらいは遊びました。その間、他にもいろんなゲーム機が登場しましたが、一番思い出深いゲーム機です。
今、初期に販売されたコントローラーのボタンが四角だと高く売れるそうですね。

最後に遊んだファミソフトはメタルスレイダーグローリー(HAL研究所)と言うアドベンチャーゲームでした。その後に新作ソフトをファミコンでする事は無かったです。個人的に画像や音は今のゲーム機と比べてあまりに悪いもののゲームとしての要素は楽しかったなぁと思っています。

今思えば、ディスクシステムの2ichサイズのDISKは珍しいんですよね。
今ではパソコンなども3.5ichだけになってしまったからです。
家にはなぜかファミコンだけは本体、ソフトすべて閉まって取っといてあります。(捨てるに捨てられない)(笑)

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