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最終更新日03/03/16

コラム

コラム36

自分への自信

 この頃、自分への評価と他人による評価に差が見られる為、ちょっと考える機会が有ったので自分の事をちょっと・・。僕の中では、あんまり人への印象が良いとは考えておらずどちらかと言うと卑屈になる面を持っていました。よっぽどの人じゃない限り自信を持っている人は少なく、僕なんかは昔は前見て歩けず下向きながら歩いていた程、自信が無かった事を記憶しています。

僕にとっての自信は恐らく姿、形から来る外観的なもの、人とのコミニケーション不足などからの物を自分自身が自分に対して肌で感じていた為、どうしても自分に対して自信が持てなかったと言う精神面から来ています。

もちろん、
そんな自分が嫌だったので変えようと努力はしましたが、根本が変わる訳も無いと勝手に判断していましたので目に見えるような変化が起きているとは思いませんでした。
ましてや考え込む性格と言う事はどちらかと言うとマイナス思考が強く、プラス思考の考え方が出来ないので、尚更、自信が無くなって行ったのも事実です。

所が、ここ数年間、回りの人達の話を聞いてみると「?」となりました。それは自分が思うよりも回りの評価が悪くないのです。
今まで人に幾ら誉められようと自分自身の評価は低く見ていたので(少し自分に厳しすぎるといわれた事がありました)謙遜に対応していたら、どうやら、それが人に対して嫌味になっている場合がある事に気付きました。(僕が言っている事を相手がそう見えないと言う場合が在ったので・・・)
恐らく自分を替えようとした事が、人に与える印象にプラスに働いたのでしょう。

今と少し昔の自分のが「違う」と言われる始末です。しかも性格的な事だけじゃなく印象などすべてに置いて・・・・・。

今まで、自分が望んでいる自分には程遠く、落胆や後悔など自己険悪の繰り返しなのに「そう見ない」「そうは思えない」と言う人達がいた事を知った時、自分に取って、今までして来た事、今まで考えてきた事は無駄では無いのかもしれない・・・・・と少し思えました。
恐らく、僕の中に自信過剰になるような土台は無いですが卑屈になる必要性が無いかも知れない、今の自分のままで成長すれば、それでいいのかも知れない・・・と思えた事は自分に取って大切な事でした。

人間はあくまで人の中で存在が成り立つものですが、人の渦の中で自分を考え直す事は大変ですが無駄じゃないと思います。
ただ、自分は自分だからと人の意見も聞かずに頑固に言い切るのではなく、人の意見を取り込む形で変えようと思う事は直ぐに結果に繋がらなくても後々考えて見ると大切な事かなぁと思いました。

ただ、自分を「探求する」「追及する」と言うのは答えが出ないとても難しい事ですが・・・・。

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