STEEL

最終更新日03/02/03

コラム

コラム78

優しさの形

 人間は弱い生き物と思う事がよくあります。

みんな孤独が故に、寂しさに押しつぶされていく人も又います。いや居ました・・・・。
その人達を僕は身近で見てきました。
僕は自分がよく分からないまま、他人との接し方をずっと続けています。
でも、
その接する事も「寂しさ」を拭おうとしている行動に過ぎません、半分ジレンマ的な所もありましたが、人に裏切られても人を信じたいし、周りに人が居るから次に進めるとも思いました。
自分がここまでこれた中で、出会って別れた人達が居たから、今の自分に成ったと自負出来ますが、その分、失ったものがあるから、これが良かったのか?正直僕には分かりません、何が正しいのかなんて僕には分からないから、でも・・・・それでも人を必要としてきたと思います。

何の取り得も無く生きてきたのに、こんな自分を必要としてくれた、信頼してくれた人は、たとえ自分が望んでいなかった人だとしても必ず居たような気がします。
所がその居ると言う事実を当たり前に見てしまい、その居てくれた人たちを軽率してしまった事を今になって後悔しています。(失って気づく事ばかりですが・・・・)

人間は、孤独、寂しさを拭う為に、仕事に没頭したり、趣味をしたり、色んな事をしてその瞬間瞬間だけでも忘れようとします。
人間は都合よく出来ていて、時間の経過と共に記憶を忘れる事が出来ます。それが人間のいい所でもあるのかもしれません・・・・・。
忘れる(ある意味逃げる)事によって次に進む、逆に考えれば、それだけ人間は弱いのでしょうね。

そう言う経験を踏まえて僕は自分が他人に自分がして欲しい事をしてくれない!!と他人を怒るのではなく他人に対して、自分がして欲しい事をしてあげようと思うようになりました、行動としては中々出来ませんが(笑)。
そうする事で、何も相手から帰ってこない事も多かったですが、僅かですが、それに答えてくれた人が居ました。
そして、
相手を思いやる、配慮する事が今になって人に対する優しさの一つである事に気づきだしました。
笑えますよね、この歳になってやっとその事に気づきだしたんですもの(苦笑)
優しさの定義は沢山在りますが、自分の中で今まで話してきたような接し方が優しさの一つとは昔は思いませんでしたね。それを「優しさ」と人に言われて初めて気づいたのですから(笑)

コラム77へ  ▲コラムトップへ  ▼コラム79へ