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    1.ファイラン浮遊都市    
       
(7)

  

 ドレイクが入って来たのに気付かなかったのはあからさまにハルヴァイトの落ち度だったし、着いてくるな、というのをきかなかったのはドレイクの落ち度だと言えるだろうか。

 とにかく、良くも悪くもお節介なドレイクは一切の事情を知らず、だから、ミナミから少し離れた床に膝を突いたままのハルヴァイトを躱わし、汗だくでソファに寄りかかっていた病人(ミナミ)を助け起こそうと、いきなり彼に向けて手を伸ばした。

「………………!」

   

 それは、消えない記憶。忘れては、イケナイ、記憶。

 小綺麗な仮面を被った人間ほど、内側は腐りきっている。

 にやにやとイヤラシイ笑いを湛えて近寄ってくる。

 鮮明に憶えているのは、全ての「顔」と、生暖かい体液と、汗ばんだ掌。

   

「俺…に、………。俺に触るなぁっ!」

 伸びてきた指先がシャツの袖に触れる直前金切り声を上げたミナミが、くるまっていたブランケットを振り回して丸め、ドレイクに投げつける。それに、一瞬何が起こったのか理解出来なかったのだろう白髪が当惑に揺れ、何か答えを求めるようにハルヴァイトを顧みた刹那、その横っ面に手加減なしのストレートが食い込んでドレイクの身体はソファの向こう側まで吹っ飛ばされた。

 ソファと、後ろに置かれている観葉植物の鉢を巻き込んだドレイクが床に叩きつけられる衝撃音が、狭くないリビングに響き渡り、ミナミは…。

「!」

 悲鳴。声にすらならないそれを上げ、部屋の一番奥に置かれた大きなテレビの前まで這うように逃げ去る。

「いや…だ……。いや! 誰も俺に触るな…。触らないでくれ。もう、イヤだ!」

 悲鳴。そのとき、あの物憂いダークブルーの瞳は恐怖に見開かれ、食いしばった歯は、かちかちと小刻みに打ち鳴らされていた。青ざめた顔。自分の頭に爪を立て、手足を縮めて目一杯小さくなり、ミナミは、嘘か冗談のようにがくがく全身を震わせて……、ハルヴァイトを見ていたのだ。

   

 限界の恐怖。

   

「てめー! いきなり何しやがんだ!」

 勢い、というよりも訳が判らず、ドレイクは赤く腫れた頬を押さえて、ひっくり返ったソファを支えにそう怒鳴りながらようやく立ち上がった。

 と今度は、ミナミが目玉だけをぎょろりと動かして、ドレイクを窺う。

 観察している…のだろうか?

「なぜ、着いてきた」

 完全にトーンの下がった冷たい声と一緒に、ドレイクの眼前であの荷電粒子が爆裂する。それに煽られて背後のガラスに背中から突っ込んだドレイクは、ガラス片と一緒に飛び石のある前庭に転がり落ちた。

 索敵と敵対象のプログラム制圧が専門のドレイクと違って、ハルヴァイトは完全攻撃系の電脳魔導師だった。つまり彼の纏う荷電粒子自体が初期攻撃型で、それらを無秩序に飛ばし敵に接触させるだけでも、魔導機起動までの短い時間を稼ぎ出すだけの威力がある。

 屋外に放り出されて地面を転がったドレイクの全身からは、白煙が立ち上っていた。普段は「漏れ出す程度」の粒子が戦闘時並に過密高速運動していたのか、人体に接触した途端高熱を発したのだ。

「どうしてわたしの邪魔をする!」

 ハルヴァイトが叫ぶなり、チカッ! と虚空で白い光が瞬き、反射的に跳ね起きたドレイクは、その光が破裂した時には既に、家屋を取り囲む壁近くまで飛び退いていた。

「ちっ!」

 袖口からイヤな匂いのする白煙を立ち上らせつつ顔の前に腕を翳したドレイクの、顰めた顔の中にある灰色の瞳が、怒りでなのかやけにギラついている。

「あの時もそう。わたしは、黙ってただ周りの言いなりになっていればいいのか? だったら自由にさせてくれるのか? お前に責任はないと言いながら、誰も彼もわたしを化け物扱いするじゃないか! でも、それがどうだと思ったことは一度もない。そう、一度もないんだ…。確かにわたしはわたしを化け物だと思ったし、それで構わなかったんだから。どうでもよかったんだから! なんとなく生きて、なんとなく死んで…、…わたしはそれでよかった…。それまでは…………」

 ハルヴァイトは荒れたリビングの真ん中に突っ立ったまま、額に手を当て俯いた。

「何かをしようと思ったのは、あれが最初だった。王下医療院の医師に、今すぐここから出せと詰め寄った。………軍からの退院許可を取るからと言われて、わたしは待ったんだ。待った…十日も!」

 断続的に炸裂を繰り返す荷電粒子の塊から逃げながら、ドレイクが表情を強ばらせる。王下医療院と言えば、ディアボロが暴走を起こして電脳魔導師二名の命を奪い、ハルヴァイト本人も、破裂した電脳陣の残骸である高密度の荷電粒子を腹部に喰らって生死の境を彷徨った時にしか、世話になった事がないはずだ。

 実はその時、ハルヴァイトが聴聞委員会への出頭を命じられていた事を、本人は知らない。…そう、彼が退院を待たされた十日は、その出頭を取り消させるためにドレイクが必要とした日数だった。

「一日だったのか、二日だったのか…、とにかく、わたしは間に合わなかった。退院を許可されて、改めてわたしは…ミナミを引き取るために、教えられた病室へ向かった。彼が医療院に運び込まれた事情も聞いた。その上で、わたしはミナミを迎えに行ったのに…」

 名前を呼ばれたからか、恐怖に彩られたダークブルーの瞳が佇むハルヴァイトを捉える。

   

 なぜ、そのひとはそんなにも打ちひしがれているのだろうか。

  

   
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