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 なぜ、ここまでして僕はこの腐った都市を護ろうとしているのか、と考えた。

 答えはあったよ。簡単過ぎて泣けたけれど、笑えもした。

 結局僕は、陛下でしかなかった。この浮遊都市を永続的に空の迷い児として維持するしか脳のない、はりぼての王様だ。

 でも僕は、数人の友達と秘密の恋人を守るために、いつかの王都民全てを地表に叩き付けて平然としていられるほど愚かな王にはなれなかった。残念だけどね。

 どうせ僕など死んだ後の事なんだから、放っておけばいいのに…。

 しかし、記録は永久に残る。

 僕はただの「王様」でしかないけれど、アイリーはアイリーとして、ガリューはガリューとして…。

 僕は、全ての王都民を誇りに思う。

 王として。

 思いたい。

 王なのだから…。

   
   
(2)ウォラート・ウィルステイン・ファイランW世

  

 水を打ったように静まり返っていた議事堂の中が、俄に正気を取り戻しざわめき立った。

「お言葉ですが、陛下」

 挙手して立ち上がり、議事堂上空に展開された帯状モニターに顔の投影された貴族がなんという名前だったのか、ウォルは知っていたがあえて知らないふりをした。

「アドオル・ウイン卿の犯罪と申されましたが、それは…確かな物的証拠により明白にされたのでありましょうか?」

「ミナミ・アイリーが証明してくれる。彼は今、生きてこの場に来ているぞ」

「それは…そのミナミ・アイリーというのがウイン卿を陥れようとする輩の手の者でないと、陛下にはお判りになりますので?」

 口髭を生やした貴族の顔を漆黒の瞳で冷然と見つめていたウォルが、赤い唇で弧を描く。

「グリーク・エスキニー卿…証言台の前に出ろ」

 もう食いついてきた大馬鹿め。と内心失笑しながら、ウォルは玉座を離れながら漆黒のマントを肩から外し、傍らに控えたクラバインに手渡した。

 邪魔だった。

 しかもそれは、非常に珍しい光景だっただろう。ウォル自らが玉座を降り、階段を下って円形議事堂の中央にある証言台まで来るなどと、今まで一度も無かった事だ。

 大股で階段を降りたウォルは、訝しそうなグリーク・エスキニーから目を離さずに証言台の前まで来ると、威厳に満ちた動作で左手を差し出した。

「今この場で僕に忠誠を見せろ。お前の言葉に誠意と本心を、このファイラン王国の安寧と平和を保つためならば、終世を尽くすとな」

「国王陛下の意のままに」

 ウォルの差し出した白い繊手をうやうやしく取り、グリーク・エスキニーが跪いて頭を垂れた。

「よし。では、衛視!」

 議事堂のいたる所に展開していた衛視のうち、一番近くにいた二名が呼ばれて即座にウォルの背後に控える。それに顔さえ向けず、にこにこと笑みを崩さないグリーク・エスキニーを冷ややかに見下ろしたまま、国王陛下は、衛視に軽く手を振って見せた。

「グリーク・エスキニーを被疑者席に連れて行け。…お前、もしかして僕とアイリーを見くびっているのか? もう五年以上前で、正気かどうかも判らなくなるほどさんざんいたぶり尽くした子供が、まさか自分の顔を憶えている訳がないとでも? お前、本当は気が小さいだろう。黙っていれば、最初の被告としてあのがらんどうの席に連れ込まれる事もなかったのにな」

「そ…………待って! それは、なんの冗談でごさいましょうか、陛下!」

 あたふたと左右を見回すグリーク・エスキニーの両脇を、衛視が抑え付ける。

「冗談? こんな笑えない冗談を臨時議会でするほど、僕の性格は歪んでない。さぁ、あの空白に置かれた座席を数えて見せろ、グリーク・エスキニー。今日の議会閉会までに僕は、あの席を貴様のように薄汚れた異常性欲者でいっぱいにして見せるからな!」

 ウォルは細い眉を吊り上げて一列に並んだ空席を指差し、見下ろしてくる貴族院議員を睨み付けた。

 議事堂の最底辺で、昨日の罪などなかったもののように冷淡な造り笑顔で見下ろして来る貴族院議員どもを睨め上げ、王は……最早、議会執行部が暗に取り決めた「当たり障りのない議事」に微笑んで見せるばかりという「うら若く美しいだけ」の仮面をかなぐり捨てた若王は、憤懣一色に塗り潰された漆黒の瞳に人知れぬ決意を漲らせ、よく通る冷え切った声音で言い放った。

「さぁ、数え終えたか? 貴様等。あそこには、十三の空席があるだろう? 手前の一つはアドオル・ウインのための物だよ…。では残りの十二は? などとくだらない問いを微塵でも思い浮べた、勘も頭も悪いくせに世襲だけという幸運でここに座っている三流貴族どもは、今すぐ卓上の名札を床に捨てるといい。

 それから。

 アドオル・ウイン、ミナミ・アイリー……、ヘイルハム・ロッソーという名に憶えのある…自らの罪を潔く認める奴は、黙ってあの空席に移動して来い。特別に、その身の抱えた不貞を城中に振れて回るような真似はしないでやろう。

 どうだ? 僕は寛大だろう?

 どうせ横に並んだ人でなしどもと同じに見られるのに代りはないのだから、知るか? 今、何人がそう思った? いいだろう。では、最後までその…何の意味もない偽の黒椅子にしがみついているといい。

 その浅はかさ、あと数時間もしたら地獄のように後悔させてやる!」

 殆ど引きずられるようにして空席まで連れて行かれ、無理矢理押し込まれたグリーク・エスキニーが、何度も「陛下、お話を!」と悲痛に叫ぶ。しかしウォルはそれに顔さえ向けず、さも不快そうに眉を寄せて、玉段から降りた彼のすぐ背後に控えたクラバインに軽く手を振った。

 それで、クラバイン・フェロウという現・王下特務衛視団衛視長が、一歩後退。

「衛視」

 一喝するような堅い声を合図に、陛下通用扉から数名の衛視が姿を見せる。その手にはなぜか手錠ではなく、目にも眩しい真白い布が載せられていた。

「……どうしてそんな驚いた顔をする? グリーク・エスキニー。お前には馴染みの小道具じゃないか、それは。僕の衛視たちは優秀だろう? そう思わないか? 何せ、五年前の押収品からそれを特定し、まったく同じものを探し出して支度するのに、半日しかかからなかったんだから」

 五年前の……押収品。

「安心するといい。あぁ、それの事は、僕らより貴様の方が詳しいのかな? 多少強く締め上げても、身体に痣なんか残らないんだったよね、それは…」

「へい…………っ…!」

 粗末な椅子に座らせられたグリーク・エスキニーの手足を、衛視たちはてきぱきと…ある意味目を背けたくなるような非道さで…椅子の足と肘掛けに真白い布で縛り付け、最後に、蒼くなって悲鳴を上げようとした口に猿轡を噛ませると、後頭部に出来た結び目を椅子の背凭れに結んだ。

 それは。

 その姿は。

 無表情に衛視たちが離れて、議員に晒されたグリーク・エスキニーの姿は。

 出来の悪い嗜虐趣味のオブジェのように見えた。

 両目を怒りか羞恥に充血させて見開いたグリーク・エスキニーを冷酷に見据え、ウォルは議会に響き渡る静謐な声で…懺悔する。

「見るに耐えない。しかしそれは、お前の行為の一端でしかないんだよ。お前はそれから何をした? どうして彼を逃がしてやろうとしなかった? 貴族院に名を連ね、ファイランの安寧と平和を継続するために奔走していたのは、体裁を繕うためなのか? 敬われるためなのか? 大多数の王都民に尊敬されるためなら………彼に何をしても許されたのか? では彼は、王の統べる民ではなかったとでも言うの?

 先王は、「彼ら」に気付けなかった。

 僕は、幸運にも「彼」と出会った。

…僕はここで、先王と僕の犯した罪を告白する。

 僕たちは、都市を維持する事にばかり囚われていて、王都民にささやかな幸福を平等に分け与えようとばかりしていて、本当の事など何ひとつ見えていなかった。何も判っていなかった。だからいつの間にか、彼のように、誰も知らない場所で生み出され、この「フイラン」という手狭な世界さえ知らずに死んで行く者たちが…存在するに至った」

 一度そこで言葉を切ったウォルは、深い溜め息と共に頭を垂れた。

「都市は漂う。だが、その中で人が生きる以上、漂うだけではだめなんだよ。僕はそれに…やっと気付いた。気付くのと一緒に、思い知った。

 僕は、僕の護るべき全ての王都民を愛してる。

 その安寧を護るために、僕は王で在り続けようと思う。

 しかし王都民は、そんな僕の気持ちなど判ってくれはしない。

 だから僕はいつか疲れ果て、この都市を愛せなくなる恐怖に、脅える。

……………彼が僕にこう言わなければ、僕は、この都市が地面に墜落しても、それを受け入れてしまえたのかもしれない…。

「あのひとの居るファイランを、愛してる」…と、この都市に冷たくあしらわれ続けているのに彼は、僕を真っ直ぐ見て言った…」

 自分のためでなく誰かのために、ミナミ・アイリーは、全てを赦した。

「僕が糾弾されるのは最後だ。アドオル・ウインにとの関係を認める者は、今すぐここまで降りて来い。五分待つ。その後は……容赦しないからな!」

 言ってウォルは、議事堂中央に浮かんだ中継用のカメラを……睨んだ。

  

   
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