■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

 目が青いのは、議事堂の天使だけだった。

   
   
(5)ミナミ・アイリー

  

 議事堂にも、重苦しい沈黙が降りる。

 それは、誰も彼も周囲の気配を窺っているかのような緊張だった。実際、議員に紛れた「十二人」は、周囲の気配を窺い、共犯者どもの動向を窺い、陛下の様子を窺っていたのだし。

「…嘆かわしいよ、僕は。がっかりだ」

 吐き捨てるように言い置いて、ウォルは背後のクラバインに目配せした。

「――――――――――――――――――――――。速やかに被疑者席へ移動下さいますように」

 告げられた、十二の名前。しかしクラバインの宣告はあまりにも事務的で感情なく、誰もすぐには、それこそが…ミナミ・アイリーという青年を慮辱し尽くした男たちなのだと気付けなかった。

 判らなかった。あまりにも彼らが平然とし過ぎていて。堂々と胸を張って議員席を立ち、陛下の傍らを通り抜けて被疑者席へ移動する。悪びれた風もなく、たかが若造の王に先王時代から貴族院を護って来た議員をどう罰する事が出来るのか? とでも言いたげな不遜な態度で、見つめる陛下…ウォルに会釈しもせず、次々に眼前を通り過ぎる十二名。

 居並んだ男達を目に、議席に残った議員が固唾を飲む。

 どの顔も、二代、三代と議会に名を連ねる由緒正しい貴族だったのだ。外交担当として先王時代は手腕を発揮した者や、司法局の裁判官を勤めた者までいる。

 ウォルは…。

 その、いやに自信有りげな平素と変らぬ薄笑みを見回し、既に使い切った溜め息を来世の分まで前倒しで吐きたいと思った。

 アドオル・ウインの正体が発覚した時点で、ミナミは先王時代の貴族院議員、並びに現在の貴族院構成員の顔写真に目を通し、これだけの名前を報告して来た。その時ミナミは、なぜか少し申し訳ないような声で、連なった名前に愕然とするウォルにこう言う…。

「……一応さ、王様のお膝元まで疑うほど俺は腐ってねぇ、って……そう思ってたんだけど…」

 腐っていたのは、王様のお膝元の方。

「僕が暴君で許されるなら、今すぐ貴様等の首をこの手で刎ねてやりたい」

 ウォルは被疑者席に顔を向け、感情を殺し損ねた震える声で呟いた。

「お言葉ですが、陛下。これは何かの間違いでございます。我らがいつ、そのような……いかがわしい違法地下組織に接触しましたと?」

「…そのすました顔を忘れるなよ、貴様ら。判っているんだ、僕にはね。貴様等は、たかがアイリーの記憶ごときでどうして罪が立証されようか、と思ってるんだろう? そうだろう。僕だってそう思っていた…。今朝、ここに来るまではね。

 クラバイン、証人をここへ」

 腹立たしげに言ったウォルが、被疑者席に全身を向ける。

「証人……アドオル・ウイン」

 衛視長の宣言に、議会がまたもざわめいた。

 クラバインの声を合図に議員席の両脇にある通用口の一方が開き、左右を衛視に固められ手首に手錠を回されたアドオル・ウインが入場して来る。彼はまるで疲れ切った年寄りのように小さくなってとぼとぼと歩き、議事堂中央に位置する証言台の付近で一度足を止め……うっそりと天井を見上げた。

 周囲からの光を乱反射するクリスタルのファイラン。

 それを抱き締めた青い瞳の天使。

 限りなく清らかで美しく、崇高な……天使。

 腕を取った衛視に急き立てられ、被疑者席の先頭まで引きずるように連れて来られても尚、アドオルは天井の天使から目を離そうとしなかった。まるで高熱にでも浮かされているような潤んだ目の中に狂気さえ見えて、ウォルは人知れず背筋を凍らせる。

 あれは、狂っている。

 同じ「天使」に固執した「悪魔」よりも完璧に、狂っている。

「……あぁ、そうだよね。違う。「悪魔」は…狂ってるんじゃなかった…」

 そうだった。と陛下であるウォルは唇を噛み締め、アドオルを睨んだ。

「被疑者、アドオル・ウイン。今お前の後ろに控えさせられた連中に、憶えがあるか?」

 よく通るウォルの声に、アドオルは最初煩そうな顔を向けた。彼は色の薄い金髪を品よく撫で付け、これまた上品な顔立ちに毒々しいほど鮮やかな新緑色の瞳をぎらつかせて、まるでウォルが陛下である事さえ失念してしまったかのように、キッ、と佇むウォルを睨んだではないか。

 一呼吸。

 不意にアドオルが、死んだ瞳でにこにこと、笑った。

「これはこれは陛下。なんでしたかな? 私にここで、洗いざらい証言せよ、と申されましたか? 先ほど。えーとそれは、ビジネスですかな? ―――ワタシ、の、天使、を、お返し頂くため、の、ビジネス」

「……取り引き…かもな」

 取り引きね、取り引き。などと口の中でぶつぶつ言いつつ、アドオルは手錠で繋がったままの腕を上げ、自分の顎に手をやった。

「興味ないな、ビジネスになど。父は確かに商才に恵まれていたようだが、私はどうもそういう駆け引きは苦手で。それで、どちらかといえば芸術に造形が深いのですよ」

 アドオルが、議会だというのも忘れてぺらぺら喋り続ける。

「何度か父に連れられて議会議員控えの間まで来ましたが、城は、それそのものが全て永劫受け継がれるべき芸術作品ですな。特に、回廊や広間の天井に描かれた創世神話のフレスコ画は、他に類を見ない最高の芸術です。歴代王の肖像や、広間側面の天空に浮かぶ都市画も素晴らしいが、しかし、回廊の天井に舞い踊る天使や、広間の天井で勇猛な戦いを繰り広げる天使と悪魔に比べれば、陳腐で拙いとは思いませんか? 陛下」

 そこで言葉を区切り、アドオルは…傍らで唖然としている十二名の議員を振り向き、またもやにっこり微笑んだ。

「しかし、ここの……議事堂の天使は………よくない」

 溜め息のような呟きに、誰もが天井を見上げる。

「良くない。全く持ってよろしくない。…は、は、は、は、は…。そうは思いませんか? お集まりの皆さん。ここの天使がどう良くないのか、お判りになりますかな? 何も知らずに「天使」を抱かされた皆様。おや? 何をそんなに驚かれておいでですか? あぁ。私の言っている意味が、判らないのですね」

 くくく、と喉の奥で笑ってからアドオルは、さも小ばかにしたように鼻を鳴らして、控えた十二人の被疑者たちを見下した。

「あなた方は私の復讐を手助けするために、あの「天使」を買わされたのですよ。綺麗で気高いのに、狭い部屋に押し込められ目茶苦茶にされて、泣きながら、でも足を開いて客を咥え込むしかない…。そういう状況に、あそこにいたコたちがどのくらい耐えられたか、皆さんご存知ですか?」

 アドオルの意外な発言に、議事堂がしんと静まり返る。

「半年も正気ではいられないんですよ」

 い・ひ・ひ・ひ・ひ・ひ。と、アドオルが薄気味悪く笑った。

「なのにあの「天使」は…………三年もあの部屋で正気を保っていたんです、陛下」

 新緑色の瞳に狂気を孕んで、アドオル・ウインはウォルを見つめ、嘲った。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む