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 ぼくは警備軍に入ってから、ずっと、三流貴族だって言われて来ました。

 ふたりの兄たちは才能に恵まれなくて、魔導師にさえなれなくて、ダイ家の執事をやったりしてて、兄たちはそれを「屈辱」だと言います。

 本当にそうなのかな?

 本当の屈辱って…そうじゃないと思うけど…。

 訓練校時代から、ルー家の名前には悩まされました。官舎に行けば他の貴族たちに「出来損ない」だとか「三流」だとか言われたし、取り巻きの一般兵にまで苛められたし、確かに、成績も悪かったから仕方がないや、と…最初はちょっと卑屈になってみたりもしたけど、志願して第七小隊に編成されてからのぼくは、つまり、そういう風に「卑屈」になってしまう事の方が自分に対する「屈辱」なんじゃないかと思うようになりました。

 ガリュー小隊長やドレイク副長を見ているうちに、そう思うようになったんです。

 おふたりはなんでも出来るかもしれないけど、よく、「それがなんの役に立つのか判らない」みたいに言います。

 それでも、出来る事をやるべき時にやらないでどうするのか? と小隊長に訊かれた時、ぼくは決めました。

 出来ると思う事をやらなければならない時にしようとしないような人間には、ならないでおこうって。

 それだけです。

 今日も…。

   
   
(9)アン・ルー・ダイ

  

 電脳魔導師隊執務棟を飛び出して警備軍一般警備部執務棟を躱し、その向こう、本丸から一番遠い位置にある拘置棟に爪先を向ける。

「…こっちにも軍規違反がいるわよ…。アクスが、極秘回線で警備部と電脳魔導師隊の配備状況を知らせて来てるわ、ドレイク」

「お節介は俺の十八番だって返信しとけ。ついでに、感謝するって付け足してな」

 了解しました、副長。と笑いながら答えるアリス。それを見つめていたスーシェが、なぜか小さく吹き出した。

「なにかね? スゥ」

「…きみの上官は、実は人気者なんじゃないかと思って」

「あれ? 知らなかったんですか、スーシェさん」

「そうよ、スゥ。本当にハルを「嫌って」るひとなんていないわ。ただ…」

 アリスの亜麻色の瞳が、何かを期待するようにドレイクに向けられる。

「理解出来ねぇからおっかねぇだけだろ。それがよ、ミナミって恋人が現われて、ようやく地面に降りて来たってのにウインなんかに邪魔されて、みんな実は、頭に来てんじゃねぇのか?」

 嫌ってはいけないのだ、誰も。ハリヴァイト・ガリューという「悪魔」を。

 創世神話の時代から。

 畏れ敬わなければならない。

「一般警備部はどこにどう展開中だ、アリス」

「はい。現在第二十一連隊と第十三連隊が警備部執務棟から拘置棟に向かう開放通路付近で待機中。当方の動向は、電脳魔導師隊執務棟を出た時点で監視モニターみより報告されているものと思われます。…ただし、魔導師隊第九、第十二小隊から待機中の警備部へは、「お茶の時間を邪魔するな」という…意味不明の伝達のみです」

「……………イルフィに「愛してるよ」って電信してくれ」

「本気?」

「本気」

 ドレイクのにやにや笑いを受けて、アリスがくそ真面目な顔で携帯端末に「愛してるよ」と甘く囁き、…。

「副長。イルフィ・ヘイズ小隊長より返信」

「なんだ?」

「「殺すぞ」だそうです」

 それで、逃亡中の第七小隊は…大爆笑した。

 なんとも緊張感のない逃亡者である。

 しかし、アリスの内心は複雑だった。アリスにしてもドレイクにしても、自分勝手をやっている自覚はある。デリラやアンの軍規違反は「不問」に出来る立場にあるドレイクが今最も気にしているのは、多分、第七小隊の身勝手で矜持を踏みにじられるだろう、他の隊なのだ。それにドレイクは、笑ってみせる。本当に済まない、と、騒ぎの最中に胡散臭いしかつめらしい顔つきで言うのではなく、まるで緊張をほぐすように、笑って見せる。

 きっとドレイクは、この責任を取って第七小隊を出て行くだろうと、アリスは思った。

「…ドレイク。君、隠居して屋敷に閉じ篭もるんじゃなかったの?」

 溜め息のようなアリスの問い掛けに、苦笑いのドレイクがゆっくり首を横に振る。

「そろそろごねんのも限界だろうよ。この騒ぎを収めるにゃ、俺も犠牲を払わなくちゃな」

 秘匿されている「階級」を公言したら、ドレイクは第七小隊に所属出来なくなるのだ。

「俺も、適当に歳食っちまったしなぁ」

 ドレイクの独白のような台詞に、アリスは短く息を吐いてから小さく頷いた。

「君は、間違ってないわ」

 ミラキの家督として。

 兄として。

 陛下の…恋人としても。

「好きよ、ドレイク。一生友達でいましょうね」

「かー。こんな時に思いっきりフラれたよ」

 笑いながら文句を言いつつ警備部執務棟の林立する区画を抜け、解放通路と呼ばれる、左右に倉庫や訓練施設の建ち並ぶ区画に入る。

「あら、カイン君じゃないの。何してるの? こんな所で」

 通路を左に折れた途端、一般警備部第二十一連隊と第十三連隊複合部隊総勢七十六名が第七小隊を待ち構えていた。

「…アリス……、恥ずかしいからカイン君て言うのやめなさい!」

 が、屈強な男どもの先頭に立っていた…真っ赤な髪を肩まで伸ばした華奢な青年が、薄い亜麻色の双眸でよく似た顔のアリスを睨み、すぐ泣きそうな顔で突っ込んだではないか。

 一般警備部第二十一連隊連隊長カイン・ナヴィが、ひとつ違いの妹から顔を背けてしくしく泣き出す。

「もう嫌だ…ぼくは。どうしてこんなお転婆がぼくの妹なんだろう。しかも、ここで拘束させてくれるか、大人しく執務室に帰ってくれるかしないと、ぼくだって司令に叱られるのに…」

 えーん。と後ろに控えていた副長に泣き付いたカインを、ドレイクがさも「かわいそうな人」を見るような顔付きで眺める…。

「だからアリスちゃん! 一回くらいにーさんの言う事利いて、執務室に帰って!」

「…相変わらずめちゃめちゃシスコンだな、おめーの兄貴…」

「実は、あたしが陛下との婚約解消したのを一番喜んだのは、カイン君だったらしいし」

「…………………あれが…アリス事務官のおにーさんですか?」

「どっかの兄貴とは大違いスね。まぁ…こっちの兄貴は地獄のようなブラコンですけ…」

 そこまで言ったデリラの額に、ガツッ! とドレイクの裏拳が炸裂し…。

「…ミラキ…、本当の事を言われたからってデリを殴るな!」

 額を押さえてしゃがみ込んだデリラを抱き締め、スーシェがドレイクに噛み付く。

「というか君たちはもうちょっと真面目にぼくの話を聞け!」

 半泣きで悲鳴を上げたカインをちょっとの間見つめてからアリスは、ふーーーーっと力一杯溜め息を吐き、ドレイクたちの前に進み出た。

「あのねーカイン君」

 上目遣いにちらちらとカインの顔を窺いつつ、アリスがカインに近付く。

「…色仕掛けか?」

「色仕掛けなんですか?」

「色仕掛けなんスかねぇ」

「…いいのかい? それで…。だって兄妹だろ?」

 暢気な第七小隊を尻目に、ぱちぱちと瞬きしながらどんどんカインに歩み寄る、アリス。

「アリス、ちょーっと急いでるの」

「あああ、あう…………ああああああああああああ」

「だから、そこ空けてくれない? カイン君」

「だめ! いくらアリスちゃんの頼みでも! 君が軍法会議にかけられるって判ってるのに黙って行かせるほど、ぼくは馬鹿じゃない!」

「うーん。ざ・ん・ね・ん」

 で、ウインク&投げキッス…。

「じゃ、どいて貰うからねっ! カイン君!」

 言うなりアリスは大きく一歩踏み込み、固めた握り拳をカインの横っ面に叩き込んだ。

「つか、やっぱ実力行使か…」

 アリスに殴られて後ろに吹っ飛んだカインが何人かの警備兵を巻き込んで地面を転がると、ドレイクとデリラが乾いた笑いを漏らしながら手近な若い兵士の首根っこを掴んで、力任せに兵士の塊に投げ込む。

「………デリラ! お前は…オレの部下じゃなくなってもオレに迷惑掛けるつもりかっ!」

「こりゃネロ連隊長。久しぶりっスね」

 何が久しぶりだ! と第十三連隊のネロ・イオス連隊長が叫べば、同じ連隊のタジマ・マイル軍曹が「よう」と気安くデリラに手を挙げる。

「相変わらずいいカンジに巻き込まれてんの? お前」

「まぁね。騒ぎのど真ん中じゃねぇのに、なんとなく無関係でもいられねぇてのかね」

 口調は和やかながら、タジマの繰り出した握り拳がデリラの頬を掠め、デリラは引き戻されるそれを上空に叩き払って、空いたタジマのボディに膝蹴りを見舞おうとした。

「楽しそうでいいなぁ、おい!」

「おかげさんでね」

 タジマがデリラの膝を掌で受け止める。

……それを視界の端に収めながら、ドレイクはどうすべきか迷っていた。

 組み手で使えるのはデリラとアリスとドレイクで、アン少年とスーシェに荒事の期待はしていない。確かにアリスはひとり以上に使えるし、デリラもドレイクも喧嘩慣れしてはいるが、七十人も居る一般兵を黙らせるのに三人では手薄過ぎる。

(まいったな…)

「黙らせる」手は…不本意ながらある。単純に、「命令」すればいい。ただ、ドレイクは最後の最後でそれを迷い、その迷いが…………。

「お。やってんね、逃亡兵士ども」

 ギイル到着を間に合わせた。

「てめー…、後から追いついて来て俺の悩み増やすんじゃねぇ! 三十六連隊なんかさっさと執務室に帰っちまえ…………? て?」

 背後から駆け込んで来て、小人数ながら善戦の第七小隊を囲んだギイル・キ―ス率いる第三十六連隊に、一般警備部の同僚どもは安堵の溜め息を漏らそうと息を吸い、しかしそれは、吐き出される前に悲鳴に変わっていた。

「てワケでさー、警備兵はこっちで引き受けてやっから、お前らはとっとと拘置棟まで行きなさいよ」

 ドレイクたちを追い越して乱闘の最中に飛び込んだ第三十六連隊の連中が、困惑する同僚を次々地面に這わせる。その光景にきょとんとするアン少年とスーシェ、乱闘から丁重に追い出されて戻って来たドレイクとデリラとアリスの前には、イルシュ少年を肩車したままのギイルがにやにやしているではないか。

「イルくん!」

「…ぼくちゃんは、留守番じゃなかったのかね」

 よいしょ。と地面に降ろされてすぐ、アンの手をぎゅっと握ったイルシュが、いかにも緊張した面持ちでドレイクを見上げる。

「ガリュー小隊長の所に、連れてってください」

 イルシュに何か問い掛けようとしたのか、一瞬口を開きかけたものの、ドレイクはすぐにそれをやめてしまった。

「ま、いいだろ。おめーも第七小隊(うち)のモンだしな。ところで、ギイル…」

「? あぁ。おれぁいいのよ、いいの」

 ちょっと照れくさそうに顔の前で手を振りながら、ギイルがそっぽを向く。

「ひとつだけよー、言っといていいか? ミラキ」

 いっしょくたになってどれが敵でどれが味方か判らない乱闘を微笑ましげに見つめ、ギイルは誰とも無しに呟いた。

「…こーんなミナミちゃんの顔見てさ、司令の命令に「断る」つう捨て台詞吐いて執務室飛び出して来るような部下四十人も持って、おれぁ幸せだね」

 ドレイクの手に、ぽんと放り込まれた携帯端末。小さなモニターの中でミナミは俯き、しかしじっと目を見開いて、震えながら、何かを必死に話している。

「みーんなミナミちゃんを助けてぇのよ。でもどうしようもねぇのよ。だから……ガリューに黙ってて欲しくねぇんだよな」

 はは。とさも呆れたように笑ってからギイルは、袖を捲りながら乱闘の最中に爪先を向けた。

「行け。警備部は、こっから一歩も進ませねぇ」

 な? と不器用なウインクを投げ、ギイルが駆け出す。

 ドレイクはその背中に目礼し、アリスたちを伴なってまた走り出した。

「ギイル! おめーら全員、クビになったらうちで面倒見てやるぜ!」

「おー! 頼む、ミラキ卿!」

「アリスちゃんはお家に帰って来ていいよぉぉ! おにーちゃんが全部許すからぁ!」

「あら。ありがと、カイン君」

 走り抜ける自分たちを誰も彼もにやにやしながら「見逃して」くれているような気がして、アン少年とイルシュ少年は顔を見合わせて、笑った。

  

   
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