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11.ホリデー モード      

   
         
(3)

  

 その、奇妙な命令、というよりもおかしな招待を受け取った時、それまでリビングのソファにやる気なく寝そべっていたデリラは、無意識のうちに居住まいを正し、この男にしては真摯な顔つきで携帯端末のモニターに向き直っていた。

 発信者は「ドレイク・ミラキ」。番号も、ミラキ邸からで間違いない。

       

 ようやく落ち着いた。

 あれ以来数日、音沙汰のない当事者を労おうかという事になって、本日、陛下列席の晩餐会をミラキ邸で開催する次第。

 スーシェ・ゴッヘル卿を伴い、夕刻十八時まで、当屋敷に来られたい。

 尚、卿には下城の命令が下っている。

      

 素っ気無い通信文だけの電信。

「……微妙だね。こいつぁ、どう解釈すりゃいいのかね」

 何度かそれを見直して、何度見ても同じだろけどね、と無言で自分に突っ込み、デリラはモニターもそのままに携帯端末をテーブルの上に転がした。

 リインという執事頭が代信してきた可能性は高い。確かに。あの騒動の「当事者」といったら、陛下に始まって、クラバイン衛視長、スレイサー衛視、元衛視だという「レジーナ」と呼ばれていた男、ギイル連隊長、デリラ、スーシェ、アリス、アン、イルシュ、ガン卿、エスト卿…も入るだろうし、当然、ハルヴァイトとミナミもだ。

 これら全員に自ら電信を入れる、とすれば、用件だけ話すにしても相当な手間に違いない。だから、忙しい主人が執事にその手間を預けて、なんの問題があろう。

 だがしかし。

「ダンナがだよ? あのダンナがホストだってそう言うならだね、晩餐を開催してお客を招待しようって時にだ、その第一報を他人に任せるか、つったら、おれぁ「何かの間違いじゃねぇのか?」と思うんだけどね」

 良くも悪くも、ドレイク・ミラキである。お節介で人懐こく、実はとんでもなく身分が高いのにそれを鼻にも掛けず、他人に任せればいい事さえ黙っていられなくて自分で手を出すような男が、果たして、地獄のように溺愛している(とはデリラが勝手に思っているのだが)ハルヴァイトの関わったこの騒動の顛末、その最初を、いかに信頼しているといえども、執事頭に委ねられるのか…。

 ただの晩餐ではない。というのは、すぐに判る。

 謹慎処分だけでなんの沙汰もないまま既に四日。貴族院議会解散だとかのおまけまでついて、しかも、自分で自分の階級をバラしてしまった以上黙って屋敷に引っ込んでもいられない、と笑って言いながら、お忙しい陛下のお傍に居る程度だけどな、と付け足して「城」に残ったドレイクが、今後の処分を通達しようと言うのか、はたまた違うのか、どちらにしても、あの場に居合わせた関係者全てが呼ばれたのだ、ただで済むとは思っていない。

 それにしても、妙。というのが、熟考した挙句にデリラの出した答えだった。

 短い溜め息で気分をやる気なく戻し、もう一度ソファに横になって寝ようか、などと暇なデリラが本気で考え始めた頃、リビングと玄関を隔てるガラス戸が微かに軋んだ。

「おかえり。早かったね」

「…帰れと特務室から命令が来たんだよ。事情は、君が知ってるって」

 すりガラスに人工木で格子を飾り付けたドアが開き、ちょっと不思議そうな顔のスーシェがリビングに入って来る。デリラはそれを微かな笑みで迎え、スーシェは彼の隣に腰を下ろしながら伴侶の肩に手を置いて、軽く、頬にキスを見舞った。

「………………いい加減髭を剃ってくれないかな…。知ってる? こういうのを明らかに「不精髭」と言うんだよ」

 謹慎に入ってから四日。デリラは、面倒だからと言って一度も髭を剃っていなかったのだ。

「不精髭の個人記録に挑戦しようと思ったら、ダメだったね。夕方までに支度して、ダンナの屋敷に来いとさ」

 くくく、と喉の奥で笑いながら自分の頬を片手で撫でつつ、デリラはテーブルの上に放り出していた携帯端末に視線を送った。

「晩餐会に招待? ぼくまで?」

「……………………」

 髭を剃れ、と言われたので渋々立ち上がったデリラが、スーシェの漏らした呟きに何か考え直して、もう一度ソファに身体を預け直す。万が一そこでなんらかの通達があった時、場合によっては…、とあってないような杞憂を思い浮かべ、デリラは傍らの伴侶に顔だけを向けた。

 だらしなくソファに引っかかり、膝の上に両手を投げ出し、じっと、濃茶色の細い目で色の薄いビジンの伴侶を見つめる。

「………………大将とダンナが魔導師隊を除名させられるような事になったら、おれも警備軍を辞めようと思うんだけどね、スゥ」

 デリラのきっぱりした言い方に、スーシェは驚いた風もなく小さく笑った。

「言うと思ったよ。判ってた。君は結局、ガリューとミラキが好きだからね」

「手の掛かる上官で大変だけどね。大将は恋人のために陛下をぶん殴っても平然としてるし、ダンナはその陛下の恋人と来てる。でも、なんだろね、あのふたりはややこしく愛されてこそ「最強の警備兵」であって、だからね、大将風に解釈するならさ、スゥの居るこの場所が平和であって欲しいと思う時、大将とダンナの後ろに控えてるのが一番賢い選択だと思うんだよね」

 だから。

「ガリューとミラキが除隊するような事になったら、警備軍に残る必要もない? って」

「偉そうなコト言っといて、スゥには悪ぃんだけどね」

 微かに小首を傾げるようにして口元に苦笑を浮かべたデリラにようやく顔を向けたスーシェが、にっこりと微笑む。

「ぼくが、ちゃんと君を養ってあげるよ」

「んじゃ次は、ゴッヘル卿の伴侶は仕事もしない、って言われんのかね」

「? もしかして、気になるのかい?」

「なったらだめかね?」

 本気で驚いた風のスーシェにますます渋い顔を向ける、デリラ。

「だめじゃないけど…。仕事もしないで家に居て貰えるのがぼくにとってどれほど幸せか、君も判ってないんだ」

 ふん。とわざとのように拗ねてそっぽを向いて見せるスーシェの横顔。

「それは、アレだ」

 含み笑いで呟いて、デリラはそっとその頬にキスを押し付けてから、彼をぎゅっと抱き締めた。

「おれぁ幸せモンだね」

 スラムで生まれて、スラムで育ち、ろくに学校へも通わず家族の面倒を見て来たのも、ある日突然その家族をいっぺんに無くし荒れた生活をしていたのも、何もかも、過去だと言って片付けられる事ではないが、それがあって今に至っているのを、少しは許せてしまうほどに…。

「…………そういう事なのかね…」

 ハルヴァイトや、ミナミと同じ。というには、高低差の低い人生だけどね。とデリラは心の中でだけ、呟いた。

         

         

 その部屋のドアを開け放ったアリスは、呆れた溜め息を盛大に吐き出し、ぺし、と額に掌をぶつけた。

「こんなに散らかしちゃってどうする気なの? マーリィ」

「そんな心配は帰って来てからするものでしょ、アリス。ドレイクにーさまが晩餐に招待してくださって、しかもウォル様もハルにーさまもミナミさんもいらっしゃるんだから、おめかししなくちゃ失礼だわ!」

 真っ白な髪をルーズな感じの三つ編みにし、明るく配色されたチェックのワンピースに白いエプロンドレスという姿でベリーのケーキを焼いていたはずのマーリィが、エッセンスの香りを振り撒きながら自室に飛び込んだのは、他でもない、晩餐に招待するからマーリィを連れて屋敷に来い、という電信がアリス宛に届いたせいなのだ。

「ケーキは? マーリィ…」

「大丈夫! ウチのオーブンには焼き加減監視装置がついてます!」

 でもそれは焦げそうになったらアラームを鳴らしてくれる程度で、上手に焼いてくれる装置ではない。

 と言って聞かせても無駄そうなので、アリスは諦めてマーリィの部屋に入り、床に散らかされた衣装を踏まないように気を付けながら、窓際に置かれている肱掛椅子まで移動し座る。

「他には誰がいらっしゃるのかしら? ドレイクにーさまに訊いたら、教えてくださる?」

「それ、問い合わせたらリインが返信してくれたわ。ハルとミナミとウォルの他にも、デリとスゥ、アン、スレイサー衛視、ギイル連隊長、クラバインにーさま、それから、グランおじさまとローエンスおじさまもいらっしゃるそうよ」

 肘掛に頬杖を突いて、クロゼットの中から次々に衣装を引っ張り出しては床やらベッドやらに並べるマーリィを微笑ましく見つめつつも、アリスは憂鬱な気分の溜め息を吐いていた。

 もしかしたら、来る時が来たのかもしれない。と思う。

 ドレイクは、それが一部であったにせよ、警備兵の前で自ら階級を明かしてしまったのだ。第七小隊の処分が決まっていないのも、もしかしたら、このまま小隊を解散しドレイクが警備軍の最高議決機関に移動するからかもしれない。

 そうなれば、電脳魔導師隊そのものにも大幅な再編成が必要になる。

 ハルヴァイトにドレイク以外の制御系魔導師を付けるためには、全ての制御系魔導師と一度組ませてみる必要があるからだ。

「…もしもそれで誰もハルに追いつけないようなら、正直…ハルは「警備軍」を除隊するしかないわね。元々、余程の理由がなければ「ディアボロ」は出さないで済むようにしてるんだから、それは別に構わないんでしょうけど」

 そうなったら、城詰めの技師にでもなるのかしら? となんとなく思って、アリスは吹き出しそうになった。

「似合わないわぁ」

「え! うそぉ…。これ、気に入ってるのよ? 薄紫のノースリーブに、レースのカーディガンが…」

「あ? やだ……。マーリィじゃなくて」

 丁度、お気に入りだという衣装を広げていたマーリィが、アリスの漏らした呟きにちょっと落胆した顔を見せて俯き、アリスが慌てて首を横に振る。

「ハルの話」

「? ハルにーさま?」

「……もしもハルが城詰めの電脳技師に転職したら、あの白い長上着を着るのかしら? と思ったのよ。それでちょっと想像してみたらね、意外に似合わなそうだったから」

 ちなみに、電脳技師の制服は、クリーム色で丈の長い詰襟の上着に同色のスラックスである。

「ホテルのボーイさんみたいね」

「だったら態度デカ過ぎよ…。サービス業向きじゃないもの、ハル」

 嘆息混じりのアリスのセリフに、今度はマーリィが吹き出した。

 明るい声で笑いながら広げた衣装の真ん中に座り込み、少女はまだあれこれとお出かけの洋服を選んでいる。それをぼんやりと見つめ、無意識に赤い髪の毛先を指で弄びながらアリスは、晩餐に呼び出された顔ぶれに思いを馳せる。

 レジーナの姿は、あれから見ていない。

 城で別れる時、絶対マーリィに顔を見せてあげて、とあれほど言ったのに。確かにレジーナは、ちょっと困ったような嬉しいような顔をしただけで詰め寄るアリスにもドレイクにも答えてくれなかったし、まず、傍にいたクラバインも何も……言おうとしなかったけれど。

 どこへ行ってしまったのか。

 もう帰って来ないのか。

 秘密など、なくなったのに。

(どうしてクラバインにーさまは、レジーに何も言わないのかしら)

 ずっと待っていたはずなのに。

 待ち続けていたはずなのに。

 レジーナを遠ざけなければならなかった自分に、過分な仕事を押し付けてまで。

 なのに。

「ミナミとハルがようやく落ち着いたのに…イヤね…」

 でも結局、みんな何かしらの犠牲を払わなければならないのだ。きっと、ウォルはそう言うだろうし、言うからには、もしかしたらドレイクの下す判断に反対しないだろう。

 ドレイクは、正式にミラキの家督を継ぐ宣言をする。

 だから陛下との…遊びは…おしまいだよという。

 ミナミとハルヴァイトをこれ以上騒がせないために、ドレイクは全てを、甘受するのだ。

 卑怯にも。

「ねぇ、マーリィ」

「なぁに?」

 これにしようかな。と衣装に埋もれた少女が持ち上げたのは、マリーゴールド色の飾り気ないワンピースだった。柔らかい生地には不思議な光沢があり、ウエストはベルトではなく縫い込みの切り返しで、少々大人っぽい印象。

「これにこっちのカーディガンはどう? アリス」

「…ラズベリーのショールがいいわ。髪は下ろしたままにして、パールの飾りをつけたハイヒールを履いて、少しだけ、お化粧してあげる」

 そう言うアリスをきょとんと振り向いたマーリィが、小首を傾げる。

「? それって少し、大人すぎ?」

「いいのよ。マーリィだっていつまでも「女の子」じゃないんだもの」

「…………………アリス?」

 組んだ自分の膝の上に頬杖を付いてマーリィをにこにこと見つめ返す、アリス。しかしその笑みはどこか寂しげで、少しだけ、マーリィを不安にさせた。

「ねぇ、マーリィ…。ミナミの話しは、判ったわよね?」

 あの日、アリスが城から戻ってきた時、マーリィは自宅にいなかった。朝、アリスが出掛けてすぐリインが現れ、ミラキ邸で、その日城に居た人間が見せられたのと同じ議会中継を見せられていた、とアリスに少し遅れて帰ってきた少女は言った。

 誰が、何のために、そんな事をしたのか。

 とにかく、マーリィはあの日の…「関係者」だった。

「? うん。あの…」

「……………ごめんね、マーリィ。

 結局あたしもダメよね。小さい頃からドレイクは遊び友達で、兄弟みたいに育って。…お前は陛下の子供を産むんだ、って言われたのに反発してみたりしたけど、結果的には、ドレイクと同じ理由で……」

 溜め息みたいに囁いたアリスが何を言おうとしているのか判って、マーリィは手にしていたマリーゴールドのワンピースを膝の上に広げ、じっと、真紅の瞳で赤い髪の恋人を見つめた。

「この都市で女性は子孫を残す道具。それは今でも気に食わないし、あたしはそうじゃなく…自分でそれを選択したんだって、許してくれる? マーリィ」

 マーリィという真白い儚い少女。真紅の瞳だけが晧晧と燃える。

 その赤も、全てを……見透かす。

「ウォル様の次に、アリスの赤ちゃんを抱っこさせてくれる?」

「……え?」

「その子が、あたしの髪を見ても目を見ても、「マーリィ」ってみんなと同じに呼びかけてくれるように、育ててくれる?」

 少女は、広げたマリーゴールドの上に真っ白な繊手を軽く組み、内側から蒼白く輝く長い髪をふわりと揺らして、アリスに微笑みかけた。

「最初に出会った時の、アリスみたいに」

 薄暗い部屋で怯えて暮らしていた少女を、救ってくれた時のように。

「大丈夫、アリス。みんな判ってる。

 あたしも、ハルにーさまとミナミさんが大好きなの」

 そう言ってもう一度微笑んだ少女がベッドの上で両腕を広げると、アリスは肱掛椅子から立ち上がった。

「ありがとう、マーリィ。

 愛してるわ…」

 真っ白な髪に指先を滑り込ませたアリスが、マーリィの耳元で囁く。

「…それも、判ってる」

 くす。と形の良い唇にはにかんだ笑みを載せて、マーリィは細い腕を伸ばしアリスを抱き締めた。

  

   
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