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11.ホリデー モード |
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「おかえりなさいませ、だんなさま!」 「……つか、何? 貴族の執事ごっこか? イルシュ」 屋敷に戻ったドレイクを一等先に迎えたのはいつもの執事頭、リイン・キーツではなく、なぜか、妙にこざっぱりしたスーツを着せられたイルシュ・サーンス少年だった。 「うー。冗談だってばー。 リインさん、今手が離せないけどもうちょっとでドレイクさんが帰って来るから、来たら、「死んでも衣装室には来るな」って言ってって…」 「ウチの執事は、主人をなんだと思ってんだよ…」 くそー! と整っていた白髪を掻き毟りながら、ドレイクが叫ぶ。その後ろをちょこちょこくっついて歩いていたイルシュ少年が不意に、ネクタイを緩めつつ私室のドアノブに手を掛けようとしたドレイクの先に踊り出し、先んじてドアを開けようとした。 途端、ぴしっ! と後頭部を平手でひっぱたかれ、勢いドアに額から突っ込む。 「ったーーー!」 「……執事ごっこなら付き合ってやってもいいが、そうでないならやめろ。おめーはウチの使用人じゃねぇ」 ドアにぶつけてしまった額を押さえて悲鳴を上げたイルシュにちょっと不機嫌そうな口調で言い放ってから、改めて自分でドアを開ける、ドレイク。 その横顔を見上げたイルシュ少年が、小さく肩を竦める。 イルシュは、ミラキ家の使用人でもなければお客でもなかった。そうドレイクが最初に言ったのだ。彼を屋敷に連れて戻った日、ドレイクは全ての使用人(十名以上いる)を集めて、彼らにこう言い渡した。
「イルシュはお前らに命令しねぇ。だからお前らも、イルシュを大事にする事ぁねぇ。ただし、訊かれた事には答えろ。何かしたいってぇならやらせてやれ。手伝ってくれつうなら、手が空いてるなら手伝ってやれ。そうでないなら断れ。しちゃいけねぇ事しちまったら叱れ。いい事したら誉めてやれ。 お前らの主人は俺で、俺はこの都市を護る警備兵だ。お前らも、イルシュも同じに護らなくちゃなんねぇ。 だから俺は、今までイルシュが知らなかった「普通の生活」ってやつを、今からこいつに目いっぱい与えようと思う。 だからお前たちにも、頼む。 イルシュの、友達になってくれ」
ここはイルシュにとって、始めて接した「外の世界」だった。 「ごっこじゃないよー。リインさんとか、いつもこう、ぴ! てドレイクさんのやる事見ててすぐに何か行動すんのかっこいいから、ちょっと真似してみようと思っただけなのに」 拗ねた顔でぶつぶつ言うイルシュに「そうか? 悪ぃな」と笑いながら答え、ドレイクは脱いだジャケットをベッドに放り出した。 「お帰りなさいませ、旦那様」 「おう。……リインのヤツは、何やっててそんなに忙しいんだ?」 「極秘です」 「…………」 きっぱりと言い切った使用人のアスカをげんなりと振り返り、ドレイクが肩を落とす。 「ウチの使用人は、俺をなんだと思ってる…」 「大変ご立派な主人だと思っておりますが? お疲れでしょうから、こちらまでお茶と、何か摘むものでもお持ちしましょうか」 次の執事頭は絶対この男にしてやれ、とシャツを脱ぎながら眉間に皺を寄せる、ドレイク。その背中を眺めながらアスカとイルシュは、顔を見合わせ、声を殺して笑い合った。 「ああ、頼む。…てか、やっぱりいいや。わざわざ持ってくんのもなんだろうから、俺がキッチンに…」 「それはお断りです、旦那様」 「つか! そりゃなんだ?! ウチの使用人!」 意味判んねぇ! とまたもや白髪を掻き毟るドレイクに、アスカは超然とクソ真面目な顔を向けたまま言った。 「夕食までお部屋でおくつろぎ頂けないようならば、お庭を散策下さるようお願い申し上げる事になりますが? 旦那様」 「脅迫か? それは! アレか? 自分の屋敷を歩き回るなって?!」 「キーツ執事長がそのように申しまして、お聞き入れ頂けない場合には、最終手段として衣装室にお越しになっても構わないそうですが、その時はそれなりの覚悟をなさいますようにと」 「……おい、アスカ・エノー」 「何か」 「それは、どうも屋敷の中がそわそわしてんのと何か関係あんのか?」 丸めたシャツをアスカに放ってよこしながら、ドレイクはじっと彼の顔を灰色の瞳で見つめた。 帰って来た時から、おかしい気はしていたのだ。まずイルシュが妙にきちんとしたスーツを着せられている事や、何はともあれドレイクが戻れば出てくるはずのリインが一向に姿を現さない事。いつもなら廊下だとか庭だとかにいるはずの使用人が、今日は一人も見当たらない事。 「お召し替えを済ませまして衣装室においでくださればお判りになります、旦那様。ハルヴァイト様とミナミ様が、…………………、非常に仲良くお越しになっております」 「はぁ?」 それは別にいい事じゃないか。と内心訝しがりながらも、ドレイクはクロゼットから適当に取り出したシャツを羽織り、すっかり乱れて(自分でやったのだが)しまった白髪を手で撫で付けた。 「イルくんにも何か持って行ってあげようか?」 「ドレイクさんと同じでいいよ。あ。衣装室の方に運ぶなら、ガリュー小隊長とミナミさんの分もだよね? おれ、運ぶの手伝う」 「じゃぁ、厨房の方に寄って貰おうかな」 鏡の中、逆さまのアスカとイルシュが話をしている。慣れないスーツの着心地が悪いのか、しきりに襟元を気にする少年の前にしゃがんだアスカが新品の蝶ネクタイを少し弛め、でも、だらしなくならないようにきちんとあちこち引っ張って、衣服を整えてやる。 ドレイクにも記憶のある光景。自分の前にしゃがんで彼の衣服を整えてくれるのはいつもリインだったが、よく、こうして世話をして貰ったものだ。 広い屋敷で帰らない父親を待ちながら。 アリスとふざけて庭を走り回っていても、いつも、父親が帰って来たのだけはすぐに判った。 尊敬もしているし、立派な軍人であったと思うし、何より、ダイアス・ミラキの息子である事を誇りに…思いたい。 …………………許せそうにないが。 どうしてハルヴァイトを引き取ってやらなかったのか、死んだ父親は、永遠にドレイクに答えてはくれないのだ。 「……ハル…と、ミナミが…来てるんだったな……」 溜め息と一緒にそう呟いて、ドレイクはクロゼットを閉ざした。 「そんじゃ、なんやら覚悟しろつうからそれなりの覚悟を持って、衣装室にでも行ってみっか。暇だし」 だらしなく気崩したシャツの裾をスラックスに突っ込んでから、ドレイクは私室を後にした。
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