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11.ホリデー モード      

   
         
(9)

  

「つまり、ハルの姿が見えてりゃどうにかなるってのか?」

「どうにかってより、とりあえず、逃げ出すような真似はしなくて平気、って感じ」

 イルシュでなくリインの煎れてくれた紅茶を前に、ミナミが素っ気無く答える。妙に関心したようなドレイクの正面にハルヴァイト、その隣りにミナミ、イルシュはミナミとドレイクの間にちょんと座り、ふかふかとした湯気を立ち上らせるマグカップを両手で包んでいた。

「………………つうかよ…イルくん…」

 ふかふかと、甘い香りを振りまく、マグカップ…。

 ドレイクはついに口元を手で押えて、浅黒い肌に映える真白い眉をひそめた。

「悪ぃんだけどね、ぼうや。俺から少し離れてくれねぇか?」

「…ドレイクさん、おれの事嫌いなの!」

 み! と泣きそうな顔で悲鳴を上げたイルシュから顔を背け、思わず苦笑いを漏らすドレイク。

「嫌いじゃねぇ。理由もねぇしな。ただし…その……………おめーが嬉しそうに抱えているマグカップの中身が、死ぬほど嫌いなんだよ」

 子供は大好き、チョコホット。

「? 甘いものダメだった?」

「いいや。「チョコレート」がダメなんだ」

 あっち向け、と手で示されて、渋々ながらハルヴァイトの向こうまでカップを持って移動する、イルシュ。チョコレートというのは殊更よく匂うものであり、ちょっとやそっと離れてくれても、どうしようもないのだが。

 それでもイルシュの努力を買うべきだと思ったのか、ドレイクは苦笑いしつつもハルヴァイトとミナミに顔を向け直して、平然と話を続ける。

「んで、ハルが「側にいる」ってのさえ判れば、他のヤツに触られても大丈夫って?」

「それは、正直自信ねぇ」

「自信ねぇ?」

「わたしだって、いつでも無条件にミナミの手を握れる訳ではないですから」

「…………多分さ、触られるってのに俺が理解出来る理由がないと、だめなんだとおもう」

 正当な理由。

 髪を切る、という理由。

 ハルヴァイトが、リインに切って貰ったらどうか、と言ったと聞く。

 だからつまり、リインに髪を切って貰う間そこから逃げ出さずに居るのは、きっと、言い出したハルヴァイトのためでもある。

 ミナミがそれに気付いているかどうか、判らないが。

 ドレイクは、そこでまた少し笑った。

「ま、ハルだけ「別枠」扱いでも問題ねぇだろ、おめーらの場合。つうかよ、誰もそれ以上ミナミに何かして欲しいなんて思ってねぇだろうしな。…ウチの執事は…置いといて」

 ハルヴァイトの次にミナミに「触る栄誉を受けた」執事頭は、事もあろうに、それを主人に…先刻まで自慢していたのだ。

 わざとだ、ぜってー…。とミナミは、拗ねた顔のドレイクを無表情に見つめたまま、思った。

「ドレイクさんてチョコ嫌いなの?」

 一瞬の静寂を突いて、ハルヴァイトの向こう側でチョコホットのマグカップを傾けていたイルシュがドレイクに問い掛ける。

「……。ガキんときは普通に好きだったよ。ある日を境に…………なんだろね…、「失望」したんじゃねぇか」

「?」

 チョコレートに…、失望?

 その答えがイルシュに向けられたものではないと、ミナミは感じた。

「甘くねぇんだよ、チョコレートって、実はな。もう何年も食ってねぇから忘れちまったけどよ、匂いと味と一緒に思い出すのは、甘いモンだと誤魔化されて騙されてたんだって、そんな感じだけだな」

 子供の頃は大好きだった、チョコレート。それをくれるひとと一緒に、大好きになった、チョコレート。

 そして…。

「……………でも陛下は、同じ理由で今でもチョコ好きだよな」

 ドレイクは「裏切られた」と頑なに思い、ウォルは今でもそれに、励まされているのか。

「らしいな。俺ぁ…………親父たちとあいつが面識あったなんて、知らなかったけどよ」

 せめて、いつもドレイクに手渡されていた残りの半分が、ハルヴァイトに渡っていたら、と思わなくもない。

「そういう微妙に強情なトコ、やっぱ似てるよ、ミラキ卿とアンタ」

「……ミナミに強情だと言われるなんて、思ってもいませんでした」

「……………………」

 ハルヴァイトに言い返されて、ミナミはティーカップを唇に載せたまま、微かに苦笑いしたらしかった。

「つうかよ、リインはどこに消えたんだ? なんだか今日は屋敷の中が落着かねぇんだが、それってまさか、ハルとミナミが来てるからじゃねぇよな?」

「そういえば、わたしたちが訪ねた時、リインがちょっと気になる事を…」

 とハルヴァイトがドレイクに何かを話そうとした、刹那、さっきまでいた衣装室の方ではなく、玄関に近い応接室の窓が内側から開かれ、アスカ・エノーが顔を出した。

 アスカ・エノー。年齢ならミナミとそう変わりはないのだが、それこそ十歳からミラキ家の下働きとして住み込み、今ではリイン不在の折りには屋敷を守る執事頭代行を仰せつかっている青年で、長い亜麻色の髪を頭の後ろで一つに括り、額を晒した利発そうな凛々しい顔に、玉虫色に似た不思議な光沢の目をしており、リインやクラバインの次に礼儀正しい。

 タキシードにボウタイ、白手袋。という装束も決まったアスカが、静かに「旦那様」と声を掛けて来る。

「アリス様とマーリィ様がお見えになっております」

「? そろそろ謹慎も四日目で、みんな暇なのか?」

 急だな。と思いながらも、ドレイクが席を立った。

「おめーらも行くか? きっと、マーリィが喜ぶぜ」

「そういえば、俺、城詰めになってからマーリィと逢ってねぇ…」

 ここまで来ていて顔を出さないのもなんだし、という事になって、ドレイクに続き、ハルヴァイトとミナミ、イルシュも揃って、応接室に向かった。

 まさか……一騒動起こるなどとは、夢にも思わず…。

      

      

「今日はお招きありがとうございます、ドレイクにーさま。ハルにーさまもミナミさんも…いろいろおありでしたけれど、またお二人に揃ってお会い出来た事を、嬉しく思います」

 マリーゴールド色の清楚ながら華やかなワンピースにラズベリー色の半透明なショールを巻き、真珠色に輝く白い髪を背中に流したマーリィは、テラスから現われたドレイク一行を目にするなりソファから立ち上がって、スカートの裾を摘まみ膝を折って丁寧にお辞儀した。

 それを見て唖然としたのは、話だけなら「マーリィ」というアリスの恋人を知っているが会うのは始めて、というイルシュ少年…。

「?」

「!」

 伏せていた長い睫を持ち上げたマーリィが小首を傾げながら真紅の瞳でイルシュを見つめるなり、少年はそれこそ剥き出しの手首まで真っ赤になって、なぜか、慌ててハルヴァイトの背中に隠れてしまった。

「何?」

 ハルヴァイトのシャツを掴んで俯いたきりのイルシュを横から覗き込み、ミナミが短く問い掛ける。

「え…いや……あの………。その、いっつも…アリスさんが「かわいいかわいい」って言うんで、どんな人なのかと…思ってて…。でもまさかそんな…………えと…、そんなに可愛いひとだなんて………おれには想像出来てなかったんですっ!」

「………可愛いって、マーリィ」

 肩を竦めて言い直したミナミの顔をきょとんと見つめてから、マーリィは「うふふ」と口元に嬉しそうな笑みを浮べた。

「ありがとう、イルシュくん」

 可憐な声で名前を囁かれ、少年が、完全に硬直する。

「かわいいって言って貰ったから特別許すけど、イルくん…。あたしのマーリィに変な気起こすのやめてよね」

「それはないよ! 絶対ない! だって、アリスさんに逆らったらひっぱたかれるよって!」

…イルシュ少年、悲鳴…。

「誰よ、そんな失礼な事言ったのは」

 アリスがひきつった笑いで煉瓦色の眉をつり上げるなり、ドレイクとハルヴァイトが同時にお互いを指差した。

「つか、アンタら大人げねぇ…」

 げんなりと呟いたミナミに弾けるような笑みを向けたマーリィ。それにつられてイルシュが笑い、大人げない、と言われたドレイクとハルヴァイトは、顔を見合わせて苦笑いした。

「…平和ね、いい事じゃない」

 それで、来客用のソファに座っていたアリスが最後に微笑む。

 「あー、ところでよ、アリス」

 応接室は、それなりに広く豪華だった。ミナミも何度か通された事のある場所だが、よく考えれば、アリスとマーリィがここに通されたのは少しおかしい。

 ドレイクを訊ねる時、彼が在宅であれば、ハルヴァイトやアリスなどの特に近しいひとは十中八九私室リビングに通される。もしもそうでなくこの応接室に案内される場合は、…ドレイクより先にクラバインが出て来るような…、秘密のお客が訪ねて来ている時だけと決まっていた。

 そう思うと、確かにテラスでお茶を楽しんでいたドレイクたちからは私室より応接室の方が近いかもしれないが、ここの執事たちは、ドレイクが「そうしろ」と言った事には関心するほど絶対で、まずドレイク自体が、あからさまに来客用の部屋にハルヴァイトたちを案内させるのを嫌っているのだ。「近いからこちらにしました」というのが、果たして理由になるのか…。

「なんでおめーそんな格好してんだ? マーリィは可愛いからいいとして」

「………君、本当にひっぱたくわよ」

 やーん、ドレイクにーさまに褒められたー。とうきうきのマーリィを傍らに置いたアリスが、剣呑な笑顔でドレイクを睨む。

 真っ赤な長い髪に煉瓦色の睫と眉で飾った亜麻色の瞳。それだけでも十二分に派手な美人のアリスが、飾り気のない濃い赤紫色のイブニングドレスに漆黒のショールを巻き、金色のミュールで彩った美しい足をスリットのないドレスの裾から微かに覗かせているのだ。このファイランで「女性」というものに慣れていない一般王都民が見たら、卒倒しかねない色っぽさである。

「晩餐に招待するから着飾って来い、ってドレイクらしくない通信で呼び付けておいて、そんな格好って何よ…」

「は?」

「…あぁ……」

「やっぱな。おかしいつったろ?」

 身に憶えのないアリスの発言に目を白黒させたドレイクの後ろで、腕を組んだハルヴァイトが妙に気の抜けた声を漏らし、ミナミが無表情に小首を傾げる。

「何がおかしいって?」

 そんな招待などする暇もなかったドレイクが、華やかな女性たちに視線を据えたままミナミに問い掛けた。

「うん、だからさ。俺たちが屋敷に来た時、迎えに出て来たリインさんが「手ぶら」なのか? っていきなり訊いて来たんだよ。それで、俺たちは髪を切って貰いに来たんだって話したんだけど、そこでさ」

「旦那様からの電信を受け取らなかったのか、とも訊かれまして」

「? まさか、ハルとミナミは受け取ってないの?」

「…いや」

「………………来てました。どうせ、暇だから顔を見せろとか、そういう内容だと思って、中を見ないで家を出たんです」

 つまり。

「てーかよ、身に憶えがないにしても、俺からの電信無視して来んなよ、おめーら」

 見てやれ、せめて…。といった風か。

 おかげで何やら怪しげな食い違いにアリスたちがミラキ邸を訪れるまで気付かなかった訳だが、それについて内容を知っているらしいリインは一言も言わず、あまつさえ、また姿を消してしまったのである。

「…さーて。こりゃ一体どういう事なんだ? …おい、誰かいるか!」

 とりあえず、ハルヴァイトとミナミ、イルシュにも、座れ、と手で示したドレイクが、応接セットの上座に着いて声を掛けるなり、これまた、あの食えないアスカ・エノーが隣室から姿を現した。

「ご用でございましょうか、旦那様」

「アリスとマーリィにハーブティーを。それから…リインはどこ行った?」

「お茶はただいまお持ちいたします。執事長は上級庭園搭乗口まで、ご来賓をお迎えに上がっておりますが?」

「呼び戻せ」

 有無を言わせぬ口調で言い放ち、不機嫌そうな顔で肘掛けに頬杖を突いた、ドレイク。思わずイルシュが震え上がりそうになったその視線と声音にも、アスカは顔色一つ変えなかった。

「旦那様」

 それどころか、職務にさえ、忠実…。

「電脳魔導師隊の皆様ご到着は十八時になっております。ハルヴァイト様、ミナミ様とご一緒に、お召し替えをお願いいたしたいのですが」

「…………………誰が来る」

「アリス様、マーリィ様の他に、ゴッヘル卿スーシェ様並びにコルソン様、ルー卿アン様、ギイル・キース様、ヒュー・スレイサー様、フェロウ様並びにイエイガー様、と…」

「陛下か」

「ガン卿グラン様、エスト卿ローエンス様。その他にもご来賓がおいでになるそうですが、執事長よりわたくしが賜っておりますのは、以上でございます」

 その顔ぶれに、ドレイクとハルヴァイト、ミナミが顔を見合わせた。

「ふうん…。黒幕がどいつだか知らねぇがよ、勝手にウチで晩餐開こうってんだから、そっちの支度は大丈夫なんだろうな」

「はい。旦那様の名に恥じませんよう、料理人が腕を奮っております」

「解った。んじゃぁ、こっちもそれなりに支度してやろうじゃねぇか。アスカ、エルナスに電信だ。今すぐ店中の商品担いで、ありったけの針子連れて屋敷に来させろ。二時間で、ハルとミナミの着替え済ませてやんねぇとな」

 言って、ドレイクはにやにやしながら立ち上がった。

「いいね…。ついでに言っとくならよ、俺ぁこの四日で頭使い過ぎて、いい加減疲れ果ててんだけどな?」

「……もしかしてミラキ卿、疲れてっと横暴?」

「お人好しの化けの皮が剥がれるんですよ」

 そういえば。とミナミは、なんとなくハルヴァイトを見上げ、それからドレイクに視線を戻して、苦笑いした。

「アンタとミラキ卿って、兄弟だったよな」

 それで片付けられるハルヴァイトとドレイクもどうかしら? とアリスは、アスカに続いて応接室を出て行くミナミの背中に微笑みかけた。

「いってらっしゃい。うーんと素敵にして貰ってね、ミナミ」

  

   
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