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11.ホリデー モード      

   
         
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 そういう訳で、ホスト(らしい)ドレイクが一時退場してしまった応接室。

「ごきげんよう、ギイル・キース連隊長」

 アリスたちの次に現われたのは、巨体を意外に似合のスーツで固めたギイルだった。

「いやいや、ミラキのにやにや笑いに出迎えられんのかと思いきや、嬉しいイレギュラーだね、こりゃ。やっぱ出迎えはこう、美人でなくちゃな」

 ソファから立ち上がったアリスの手を取り、その甲に短いくちづけを落したギイルが、その傍ら、ふかふかの笑顔を振り撒いているマーリィに視線を向けるなり、思い切り! といった勢いで驚いて見せる。

「ははぁ!」

「…キース連隊長、余計な事言ったら、ドレイクに無断でも叩き出すからね」

 相変わらずふかふか笑うマーリィとは対照的に、アリスは殊更剣呑に眉をつり上げてギイルを睨んだ。

「余計ねぇ。どのへんが「余計」って言われんのか知らないけどさー、とにかく、こちらのお可愛らしいお嬢さんの手に接吻する光栄くれぇはあんだろな」

「……」

 普通、マーリィにあからさまな嫌悪や悪態を吐きつけて来る人間は、「手を取って接吻」しようとしない。

「はじめまして、ギイル・キース連隊長。わたし、マーリィ・ジュダイス・レルトと言います」

 立ち上がり、スカートの裾を摘まんで膝を折ったマーリィに手を差し伸べたギイルは、薄気味悪いくらいに朗らかな笑顔を少女に向けた。

「こりゃぁこりゃぁご丁寧に、マーリィ嬢。どうぞよろしく」

 自分の半分しかないような細い手に、慎重、且つ丁寧に親愛のくちづけを落してから、少女をソファに戻るよう誘導するギイル。その全てをアリスは最後の最後まで難しい顔のまま眺めていたが、マーリィを着座させたギイルににっと笑いかけられて、ついには、口元に笑みが零れた。

「姫様は、おれを余程の礼儀知らずだと思ってんのね」

「大抵の人間に対してそう思ってるわよ、あたし。全員スタートラインは「最低」なの」

「加点方式か」

「加減方式よ。マイナス評価あり」

 で、ウインク。

「今日はすてきね、キース連隊長」

「そりゃぁどうも」

 などと、笑顔で話すギイルとアリスの元に、またも、アスカ・エノーが登場。

「ルー卿アン様、ヒュー・スレイサー様がお着きでございます」

「…遅いわね、ドレイク…。とはいっても、エントランスで待たせる訳には行かないから…、いいわ、こっちに通して」

 そのアリスの姿を感心したように見つめつつギイルは、勝手に手近な肱掛椅子に座った。

「さすが、陛下の奥様になろうかって家柄ぁダテじゃねぇなぁ、姫様」

「偉そうにする方法なら、ミラキ家で叩き込まれたもの」

 艶やかな笑顔で斬り返されて、ギイルが苦笑いする。

「……なんか調子出ない風だね、キース連隊長」

「ばっかやろう…、上級居住区の屋敷なんて始めて見たんだよ、おれぁ。調子どうこうよりも先に、居心地悪くていけねぇな。この衣装も込みで」

 てけてけ近付いて来たイルシュ少年の含み笑いに疲れた溜め息を吐きつけたギイルが、仄かな光沢のある農茶色のベーシックなスーツの肩を、わざとのように揺らして竦めて見せる。今時、古風な貴族風衣装を持っているのはそれこそ貴族の中でもかなり家柄のいい上級中の上級のみで、大抵はギイルのようなスーツか、少しよくて燕尾服、というのが相場だった。

 とはいえギイルにしてみれば、こんなスーツを着て出掛けるよりも警備軍の制服で事足りる方が多かったから、なんとか「相場」に引っかかってみたものの、着心地が悪いわ場所はミラキ邸だわで、いつもの調子、という訳には行かないようなのだ。

 針金みたいに硬そうであちこち跳ねた短い髪に、太い眉に、チョコレート色の大きな目。二メートル近い巨体ながら威圧感はなく、どこか気の抜けた感じのする大男…。

「お似合ですよ、キース連隊長」

 そのギイルを真紅の瞳で見つめていたマーリィが小首を傾げ、ふか、と微笑む。

「………」

「……」

「…なんつかね。おれぁマーリィちゃんとお知り合いになれたってだけで、今日ここまで来た用事終わった気がするのよ」

「でも、マーリィさん口説くと、アリスさんにひっぱたかれるらしいよ」

「………そりゃぁ命懸けだな。姫様の強ぇのつったら、あのスカしたスレイサーよっか上らしいからね」

 で。

「………………不愉快な噂話をしてるんじゃない、キース…」

「わぁお。来てたのん?」

 アスカに案内されて到着したばかりのヒューに、怒られた。

「挨拶はドレイクが来たらにしてくれない? 今、お召し変えの真っ最中なのよ」

 赤紫色のイブニングを着たアリスにそう言われて、薄い水色の光沢で飾った質素なスタンドカラーのジャケットに、レースのポケットチーフ、チーフと揃いのスカーフを喉元から少し覗かせたアン少年と、こちらは艶のない真っ黒な燕尾服に白いシャツ、それをまた真っ黒なリボンタイで飾り、珍しく、背中の中途まである長い銀髪を捩じって纏めて前に垂らしその毛先だけを真っ赤なリボンで止めたヒューが、それぞれ恭しく女性たちの手を取り親愛のキスを、それから、イルシュとギイルに軽く手を挙げて挨拶した。

「アンちゃん、かわいいわねー」

「う…。頭撫でないでくださいよ、アリス事務官!」

「? なんで今日は来るなり拗ねてるのかしら?」

 アンより背が高く、しかもハイヒールを履いているアリスに見下ろされた少年が、嘘泣きしながらソファに崩れる。…それを見てギイルは、内心「ぼうやもやっぱ貴族だな…」と思った。

 意外にも、堂々としているのだ。

「だってさぁ…」

 しくしく泣くフリをするアンを困ったような顔で見るとも無しに見ていたヒューが、ついに、盛大な溜め息と一緒にがっくりうなだれる。

「…上級庭園に入る時、警護の門兵にルー・ダイ家の………使用人? と間違えられたんだよ…」

「? 誰が?」

「アンくんが」

「………でも、エレベーターに乗る前に名乗るでしょう?」

「そう。で、そこで「ルー・ダイ家の」と言った途端に、門兵は俺を見たんだ」

「……」

「いや…」

「確かに…」

 並べてみたら、黒い燕尾服姿のヒューの方が、貴族っぽい…かも…しれない。

「つうか、なんでお前はそんな派手な衣装持ってんの?」

 それが原因じゃないのか?! とでも言いたげな非難がましいギイルの台詞を受けたヒューが、腕を組んで苦笑いを零した。

「俺の仕事は「陛下の警護」だぞ? 大抵は衛視の制服で事足りるが、中には、「私的な招待」もあり、その時は陛下も正装なさらない。となると、まさか衛視の制服という訳にも行かないから…」

「だからって、単色無地が「地味」って法則はないのよ? 特に、君みたいに顔立ちのはっきりした人の場合…」

「…………………それは陛下に言ってくれ…。ご自分の警護で後ろをくっついて歩くのに、似合わないグレーのスーツなんか着たら近寄らせない、と脅されて、結局、この衣装を「押し付けられた」んだからな、俺は」

 陛下、細かく暴君である。

「でもまぁ、似合ってるんでいいんですけどね。居住区の通り歩いてる時なんか、すごい気分いいんですよ。何せ、みーーーんなヒューさんを振り返って行きますから」

 突然むくりと起き上がったアン少年が、乱れてしまったポケットチーフを直しながら素っ気無く付け足した。

「どっちにしても、ぼくがそれなりに見えれば問題なかったんでしょうけど」

 とはいえ、先に目に付くのがヒューの方なのだから、仕方ない、と言いそうな拗ねっぷりだったが…。

 基本的にヒュー・スレイサーというのもどちらかと言えばハルヴァイトタイプの二枚目で、しかも衛視という職業も手伝って、なのか、適当に態度の大きい、偉そうな外観なのだ。小粒で愛らしい(とは、陛下がふざけて言った)アン少年と並んで歩いて、先に貴族だと思われても、頷けない事もない。

「でも、いつもアリスが話してくれる通りなら、アンくんはそのままのほうがいいと思いますけれど? 今日のお召し物もとてもよくお似合いですよ」

「ありがとうございます、マーリィさん。マーリィさんもいつお会いしてもお可愛らしくて、…今日みたいに、ちょっと大人っぽいのもステキですよ」

 先刻まで拗ねて泣き崩れていたのが嘘のような(嘘だったのだが)笑顔でアンが答えると、なぜか、アリスが自慢げに「でしょ?」と赤い唇で微笑んだ。

「…………」

 その様子を、壁際に移動したヒューがサファイア色の瞳で見つめている、と気付いて、アリスとマーリィが一緒に彼に視線を移し、小首を傾げる。

「ナヴィの恋人だと聞いていたのでどんなお嬢さんかと思ったら、大変可愛らしい上に可憐でおありだ。少し意外で、大いに羨ましいな」

 ふたりの視線に曝されても臆する風ないヒューが完璧な涼しい笑顔でそう告げると、マーリィはちょっと頬を赤らめて会釈し、アリスが…苦笑めいた弧を唇で描いた。

「どこがどう意外なの? スレイサー衛視」

「それはご想像にお任せしますよ、アリス嬢」

 で。

 薄ら寒い意地悪笑いに切り替える、ふたり…。

「あれなの? まさか、床に転がされたのをまだ根に持ってる?」

「とんでもない。どうせなら本気を出して落してくれた方が、俺の危ういプライドもこうは傷付かなかっただろうに、なんて思ってないぞ」

「…うわ、おっかねー…」

「どっちが恐いんです? ギイル連隊長…」

「言わすな、ぼうや。おれぁ命惜しいから」

 うんうん、と頷き合うアンとギイルをじろりと睨む、アリス。

「スレイサー衛視こそ、本気を出して相手してくださるなら、あたしも出すけど?」

「それはご遠慮願いたいな。これ以上俺のプライドが跡形なく粉砕されるのも恐いが、誰かの時みたいに、一週間も余分な仕事を増やされるのも問題だからな」

 苦笑いのヒューに、全員の視線が集まる。

「誰かって…」

「あぁ!」

 あはははは。と何か思い出したらしいアリスが笑い出し、ヒューは困ったように肩を竦めた。

「ガリューに全治四日の打撲、って騒ぎがあったろう。あの時、ミナミの機嫌を取るのが大変だったんだ、俺は」

 だから、思う。

「今になってみれば、ミナミが特務室に入ったのも、結局…」

「…………いつからなのかしらね…。ミナミがあんなに…、最初はハルにさえ脅えてたらしいミナミが、あんな風にハルを「好き」になったのは」

 傍らに座るマーリィの手を握り、薄笑みのアリスが囁く。

「それは、ねぇ? キース連隊長?」

「あ? あぁ…そうそう」

 きょと、と今まで室内を眺めていたイルシュが、ギイルの座った肱掛椅子に寄りかかって、にっと笑う。

「創世神話の時代から、だよ、みなさん」

 創世神話の時代から。

「天使は悪魔のもんだって、決まってたじゃねぇか。なぁ?」

 言ってギイルは、不器用にウインクして見せた。

  

   
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