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11.ホリデー モード      

   
         
(11)

  

 アスカと数人の使用人が、食前酒だといって林檎の香りのいい発砲酒を運び込んで来て、すぐ。

「にしても、さすがミラキ家は違いますよねー。ぼくん家なんか、この応接室が大広間と同じ大きさですよ」

「やっぱその辺は、格の違いってヤツなのか? ぼうや」

「そうです。ミラキ家と同じ敷地面積の所有を許されているのは、グラン大隊長の所と、ヘイレス卿、ゴッヘル卿…。つまり、ファイラン王家以上に歴史のある家系だけなんです」

 ミラキ、ガン、ヘイレス、ゴッヘルといえば、貴族の大本。今現在ファイランで「貴族」と呼ばれている家系を辿って行くと、その四つのどれかに必ず当る、とまで言われている貴族の本家みたいな家柄だ。

「それだけに、維持するのは大変ですよね。例えばぼくなんか出奔して一般王都民になっても誰も文句言いませんけど、ドレイク副長がそんな事したら貴族院に呼び出されますから」

「家名というのは、それほど大切なものなのか? とも思うがな。まぁ、俺は正真正銘普通の家で育った平民だから、そう思うのかもしれないが」

「…結局あたしたちの暮らせる場所が、この浮遊都市しかないからよ。人口抑制だとかを含めて、ただ都市の行き先を決めるだけでなく、時には…抑え付ける事も必要でしょう? こういう、決まった空間だと、ね」

「その為にゃぁ、行き先を決める貴族院にも「抑え付ける役割」を持った連中が必要、って法則だね。……………だから、ミラキは陛下との関係を明かせない訳か」

 顎の先を手で撫でながら、ギイルがぽつりと付け足す。

「地位も名誉もいらねぇから、ただ、相手が好きって訳に行かねぇのかね…」

「普通は行くわよ。スゥがいい例だわ。ゴッヘル家の長男は魔導師になれなかったのに、スゥはそれなりの年齢で小隊長になる才能があった。けど、性格が追いつかなくて、魔導師の階級まで返上して、結局ゴッヘルの名前を継ぐのを辞めてしまったけれど、彼の兄が貴族院議員として残る事で、ゴッヘル家は消えなかった。あくまでもそれは、スゥの相手がデリだったからね」

「他の誰かが継いでくれて、一般王都民になるなら問題ないのか?」

 本気で不思議そうな顔のヒューが誰ともなしに問う、素朴な疑問。

「ゴッヘル系のナイ卿が魔導師隊の小隊長に居るのも理由ですよ。そうなると、本家であるゴッヘル家にも、暗に発言権があるって事になるんです」

「? じゃぁ、ガリューは?」

 これまた、素朴な、疑問。

「……正式にガリュー・ミラキが立ち上がれば、ドレイクが魔導師階級を返上して貴族院に上がろうがなんだろうが、多少は目こぼしが利くわ。でも、ハルがミラキの名前を入れて貴族に上がるのには、条件があるのよ」

 懐かしい話よね。とアリスが失笑する。

「妻を娶りガリュー・ミラキ第一位嫡子を儲ける事」

「…それって」

 ぶっちゃけた話。奥さんを貰って子供を作れ、と。

「天地が引っくり返っても無理だな」

 無理過ぎ。

「でしょ? 実際ハルは、他の事ならなんでもするけどそれだけは断る、って、五年も前から言ってるしね」

 肩を竦めたものの、落胆でもなんでもない口調でさらりと言ったアリスの横顔に、誰もが苦笑いを向けた。

 ミナミさえ居ればいい男に、そんな条件呑める訳がない。

「ま。それはどうにか…」

「失礼いたします」

 沈鬱になりかけた所へ、またもアスカ・エノー登場。

「ゴッヘル卿スーシェ様、デリラ様がおいででございます」

 告げて、ドアを大きく開け放ち傍らへ退去したアスカの前を、深緑色の古風な背広に煉瓦色のリボンタイ、袖口の折り返しには上等なトパーズのカフス、という………奇蹟のような出で立ちのデリラが通り過ぎ、その後ろから、淡いベージュの長上着の襟元をレースのスカーフで飾り、やはり袖の折り返しにデリラと揃いのカフスという、古風な貴族風衣装を纏ったスーシェが柔らかい笑みで着いて来る。

「? ダンナはいないのかね?」

 アスカが消えて、ぽかんとした室内をぐるりと見回したデリラが、いつもの調子で飄々と呟く。

「よ…よかった…。デリだ…」

 アン少年、驚きのあまり半泣き…。

「誰かと思ったぞ…おい…」

 ギイル連隊長、未だ呆気に取られたまま。

「?? つうかね、とりあえず、正装して来いってぇダンナの言い草に抗議してやろうと…」

 ぶつぶつ言いながらもデリラは、背後のスーシェに腕を差し出した。

 それに、どうやら室内の妙な雰囲気の理由が判っているらしいスーシェがそっと手を掛け、呆気に取られているアリスやマーリィに笑顔で会釈して、デリラと腕を組んだまま前を通り過ぎる。

「一応おれにも色々あって、正装つうとスゥに合わせなくちゃなんないからね、大変なんだよ」

 しきりに愚痴を零しているものの、デリラのエスコートは完璧だった。空いているソファの前までスーシェを連れて移動すると、組んだ腕とは反対の手をさり気なく差し出して、スーシェがそれに手を重ねてから、腕を解く。誘導されたスーシェが着座してから居住まいを正しデリラに微笑み掛けると、彼はそこで…スーシェの頬に軽く短いキスを落して、それからやっと、アリスとマーリィに向き直った。

 普通ならば、女性は優先して挨拶されるべきである。しかしスーシェは、家督を継がないだけで未だ「ゴッヘル卿」であり、デリラの伴侶なのだ。今から女性の手を取り親愛のくちづけを見舞おうかというデリラはまず伴侶を目いっぱい丁重に扱い、御機嫌を伺って、笑顔で送り出されて始めて女性に挨拶する。

 陛下がいれば最優先。それから女性。しかし、伴侶の居る者は伴侶を大切にしなければならないのも、貴族式…特に電脳魔導師式の決まり事なのだ。それが、家を護るために女性に子を生して貰うが、しかし、円満に妻を娶り家庭を築くか、というとそうでもない。という、複雑な事情のせいなのだろう。

「真面目にやりなよ、デリ」

「…判ってるよ…」

 肩を竦めてスーシェから離れたデリラが、まずアリスの手を取る。

「お美しく着飾られたアリス嬢にお会い出来て、光栄です」

「調子狂うわ、デリ…。「ひめ」にしてくれない?」

「…そういう事言うとね、スゥが恐いんだよ、今日は」

 ソファに座ったままのアリスに微笑みかけて手の甲にくちづけを落し、会釈してその手をそっと膝に戻す。それから傍らのマーリィに向き直り、こちらには、自身の左胸に手を置いて身を屈めた。

「こうしてお話しますのは始めてで? マーリィ嬢」

「えぇ。ステーションでお目にはかかりましたけれど」

「では、お近付きのご挨拶を差し上げたいのですが、よろしいですか?」

「喜んで」

 ふか、と微笑んだマーリィが差し出されたデリラの手に華奢な手を重ね、その指先に短いくちづけを受ける。それが済むのを待って少女は、ソファに座ったまま朗らかに微笑んでいるスーシェに目礼し、再度、デリラに視線を戻した。

「伴侶の方でいらっしゃいますの? お優しそうでおきれいな方ですのね」

「スゥ」

 そこで、ようやくスーシェは呼ばれた。

 ギイルやヒューにはさっぱり意味が判らなかったが、アンに言わせるとこれは、かなりタイミングの難しい事なのだそうだ。女性も建てる、伴侶も建てる、という微妙な位置にいる時、仲立ちとしてもこの場合のデリラは、どちらの機嫌もそこねる訳には行かない。

 スーシェが手の届く所まで来て、デリラは一度マーリィに笑顔を向けてから、白い繊手をそっと滑らせるように膝に戻した。丁重に女性を扱う傍ら、マーリィの正面から退去しつつもスーシェの伸ばして来た手を取って、その指先にもキスを落し、スーシェに目配せする。

「スーシェ・ゴッヘルと申します、マーリィ様。お会い出来て光栄です」

 色の薄い瞳を眇めたスーシェに、マーリィは殊更ふかふかしたしあわせそうな笑顔を向けた。

「わたくしも光栄です、スーシェ様。アリスが、デリラ様とスーシェ様は大変仲がよろしくてお幸せなのと言うもので、どんな方なのか、お会い出来る日をとても楽しみにしていましたのよ」

「マーリィ様はアリス様自慢の恋人だとデリが常々申しておりまして、わたくしも、お美しいアリス様が宝石のように大切にされているマーリィ様の可憐なお姿が拝見出来、嬉しく思いますよ」

 スーシェはそう言って胸に手を当て、深々と頭を下げた。

「ジュダイス・レルトの名を頂いておりますが、マーリィは事情があって貴族会には出席いたしません。どうぞ、ゴッヘル卿には親しくお付き合い下さいますように、わたしからもお願いしますわ」

 マーリィの傍らで朗らかに微笑んだアリスの言葉を笑顔で受け取り、デリラとスーシェがソファに退去する。

 で。

「…………そろそろあれだ、この…ひきつった笑顔はもう引っ込めてもいいのかね、スゥ」

「ミラキ卿や陛下お起こしの折りに愛想笑いを使い切られていると困るからね、特別に許してあげようかな」

 言って、スーシェがデリラの頬にくちづけを押し付けた。

「立派な伴侶ぶりだったよ、デリ」

「……有り難いね。ここでスゥの機嫌を損ねると三日は同じディナーを出されかねないから、こっちは心臓が止まりそうだったんだけどね」

 大仰に肩を竦めたデリラのげっそり顔に、にやにやと一連の挨拶を眺めていた室内にどっと笑いが起こる。

「魔導師隊の制服より似合ってるわよ、デリ」

「いつもそれくらいきちんとしてれば、悪人顔なんて言われないで済むのに」

 同僚であるアリスとアンが言うと、デリラが細い目をますます細めて唇を尖らせた。

「悪人顔とか言われてる方が気楽でいいよ、まったく」

「折角作ったのに着る機会なんて滅多にないんだから、たまにはいいじゃないか」

 くすくすと笑いながらスーシェがデリラの脇腹を小突けば、

「おれのスーツも不気味だけどねぇ、デリの衣装が意外に似合ってるのも不気味だよ」

 ギイルが喉の臆で笑いながら言う。

「でもホント、お似合だよ、デリさん」

「ああ。仕立て屋の腕が相当いいと見えるな」

 にこにこと告げたイルシュの脇に立っていたヒューが、しれっと突っ込む。

「言い返したいけど、その通りだから何を言っていいのか分からないね」

 ふーっとデリラが溜め息を吐き、ついにマーリィが笑い出した。

「みなさん仲がよろしいんですのね。アリスはいつもこんな楽しい場所でお仕事出来て、羨ましいわ」

「……………」

「……………………」

「…誰か…」

 笑い続けるマーリィの真白い姿に視線を据えて、アリスが溜め息みたいに呟く。

「…ミナミの代わりに、ここでちょっと突っ込んでくれないの?」

 赤い髪の美女は、可憐な恋人を横目で見ながら本気でそう思った。

  

   
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