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11.ホリデー モード      

   
         
(12)

  

 それから少しの間、未だ現れないドレイクを待ちながら、ギイルはしきりにマーリィに話し掛け、アン少年は上級庭園の季節の花の話を、久しぶりにここまで来た、というスーシェとアリスを交えて話し込んだり、デリラとヒューがやたら詳しくバーボンの銘柄で頷き合っているのに突っ込んだりしながら、ゆったりした時間を過ごした。

 その間、アルコール度の低い食前酒の他にウイスキーだとかワインだとかを載せたワゴンを押して、イルシュが室内を巡回する。

「使用人のみなさんは今日とても忙しいので、おれ、お手伝い」などと屈託のない笑顔で言う少年が、実は随分ミラキ邸に慣れているのでは? などと話し合ううち時間はいつの間にか、予定の十八時になろうかとしていた。

「それにしても遅いわね、ミラキ卿は。ハルとミナミの支度に手間取ってるのかしら?」

「? あれ? 小隊長とミナミさん…もう来てるんですか?」

「? あたし、言わなかった?」

 言ってねぇし。と突っ込んでくれるミナミが居ないのを、誰もが苦笑いで肯定する。

 ハルヴァイトではないが、誰も彼もミナミのあの痛烈な突っ込みにすっかり慣らされている気がした。だから、彼が「居る」より前はこんな時、誰がどういう風に振る舞っていたのか、思い出せないのだ。

「着替えも持たないで、普段着のまま来てたんだよ、ガリュー小隊長とミナミさん。それで、ドレイクさんが仕立て屋を呼んで、着替えさせるって出てったきり」

 デリラにウイスキーのショットグラスを手渡しながら、イルシュが誰とも無しに言う。

「というより、あのふたり、あたしとマーリィが来るまで晩餐に招待されてるのさえ知らなかったのよ」

 そこでアリスは、「実はドレイクも晩餐の事を知らなかった」とは、言わなかった。

 裏はある。しかも、誰かに仕掛けられた裏。きっとドレイクはそれも調べている筈で、もしかしたらここに戻って来たとき彼は、この晩餐はミラキ家主催だ、という顔をするかもしれない。

 黒幕がウォルならば。

「電信を受け取らなかったのか?」

「来てたそうですよ。見なかった、ってハルにーさまはおっしゃってましたけど」

「見ねぇで来たのか…ガリューのやつぁ」

「…ミナミさんも最近大将に慣らされてるっつんですかね。見ないまま一緒に来るなんて…ねぇ」

「……………ドレイク副長、報われてないですねー。とか思ってみたり…」

 あはは。とアン少年が乾いた笑いを漏らした、刹那。

「言うな。俺だってそう思い始めてんだからよ…」

 ばたん、と大きくドアが開け放たれ、ようやく、ドレイク・ミラキ卿が姿を現した。

「…お待たせして申し訳ない。本日は、当家の晩餐にようこそ」

 扉を左右に開いたアスカが退去すると、それまで普段のようなにやにや笑いを浮べていたドレイクが、背筋を伸ばし、鷹揚に微笑み室内の全員に会釈した。その姿はミラキ家の当主にふさわしく堂々としており、古風ながらやぼったくない立派な衣装と合間って、判っているのに、誰もが思わず居住まいを正してしまう。

 ドレイク・ミラキは、上品な光沢のある濃い煉瓦色の古風な長上着を身に付けていた。白ではなく薄いグレーのシャツに、深緑色のボウタイを巻き、合わせ部分は金色のピンで目立たないように留めてある。袖の折り返しはそう幅広でなく、カフスはミラキの紋章入り。上着と同色のベストには金鎖の懐中時計を吊っていて、それがワンポイント的に見え隠れするのが嫌味でない飾りに思える。

 その長上着は、スーシェと同じにデザインは古めかしい。しかしそれこそが貴族の中でも最上級のミラキ家に許された装束であり、浅黒い肌に映える白髪と灰色の双眸、精悍な顔立ちを一層引き立てていた。

「陛下御到着は十八時三十分。まだ少々こちらでお待ち願う間に、皆様にはわたくしより簡単な挨拶を差し上げましょう。陛下列席の晩餐とはいえ、堅苦しい決まり事はこちらの応接室にて早々に済ませ、気兼ねなく楽しまれるがいい」

 ウエストからの縫い込みでタックを取った、膝まである上着。前面は取り立てて派手ではないが、背面のつまみは左右の腰部に二本ずつにあり歩くたび裾が盛大に翻って、後ろ姿は非常に華やかだった。

 一分の隙もなく整えられた艶のない白髪に、光沢を押えた衣装の全てがよく似合う。

「…ドレイク副長…かっこいいですねー」

 会釈して前を通り過ぎかけたドレイクを、アン少年がぼーっと見つめている。魔導師隊の制服か、だらしなくシャツを着崩しているのしか見た事がなかった大半は、こんなに貴族然としたドレイクを見るのが始めてなのだ。

「おう、今のうちに言っといてくれ。どうせおめーら、一瞬で俺なんて忘れるんだろうからな」

「???」

 笑いを含んだドレイクの物言いに、誰もが顔を見合わせた。

「えと、ドレイクにーさま? あの…ハルにーさまとミナミさんは…」

「今来る。…ミナミがよー、ごねて大変だったんだぜー」

 にしししし。といやーな笑いで肩を震わせる、ドレイク。

「……やっとここまで連れて来たんですから、からかうのはやめなさい、ドレイク…」

 溜め息交じりの声に、はっと誰もがドアに視線を向けた。

 そこには。

 室内より押えた照明を鋼色の髪で柔らかく照り返すハルヴァイトが、相変わらず横柄に腕を組んで佇んでいたのだ。

「………うわー」

 思わず溜め息だかなんだか判らない吐息を漏らしたのは、やっぱりアン少年だった。

 身に付けている衣装のデザインはドレイクと全く同じ。しかし、長上着の色は押えた光沢の鋼色、シャツの色も薄い灰色で、ネクタイは上着と同色。いつもはぞんざいに括っているか降ろしっぱなしの髪を後頭部の真ん中できちんと結い、銀色の皮紐で纏めているハルヴァイトは、ミラキの紋章を入れたカフスと銀の懐中時計で飾られていた。

 完璧に。

 非の打ち所なく。

 貴族のように。

「実はよ、あれも俺のモンなんだが、どーしてだか俺よっかハルの方がお似合なんだよな…。にーさんかなしいよ、まったく」

「…顔が違うんだから文句言わないの」

「つかそれ、俺に失礼じゃねぇのか! アリス!」

 悲痛なドレイクの叫びにも、惚けた一同は答えない。

 ドレイクは「自分の持ち物」だと言ったが、多分それは嘘だろう。背丈は大差ないが、どう見てもあの衣装はハルヴァイトに似合い過ぎていたから、おおよそ、なんだかんだと弟の世話を焼くのを生き甲斐にしているドレイクがこっそり作らせていたに違いない。

 ミラキの紋章を入れた色違いの懐中時計だとか、贅沢なカフスだとか、どうしてドレイクがひとりで二つも持っている必要があるのか…。

「今日はいつもより数倍素敵ですね、ハルにーさま。ご同席出来た幸運を、ドレイクにーさまにも感謝しますわ」

 ふか、と微笑んだマーリィに穏やかな笑みを向け、ハルヴァイトは「ありがとう」と小さく呟いた。

 色違いの同じ衣装を身につけたドレイクとハルヴァイトは、どこから見てもミラキの名に恥じない立派な貴族に見えた。それを内心複雑な思いで眺めるアリスの亜麻色の瞳に視線を馳せたハルヴァイトが、静かに微笑んで頷く。

「二時間でこれだけ支度してくれたドレイクに、感謝してますよ」

「黙ってそいつを着たおめーにも、感謝してるよ」

 恨んでも貰えない、ミラキの紋章。

「もちろん、ドアの外にいるミナミにもな」

「………だそうなので、諦めて出ていらっしゃい、ミナミ。そのままそこに居て後ろからウォルがやって来るのと、今のうちに姿を見せておくのではどちらの被害が少ないか、あなたでも判るでしょう?」

「つか、被害ってなんだよ」

 ミナミ、ごねているらしいが突っ込みは忘れない。

「てか、一番の加害者はアンタだろ…」

「…それは言えるな。スレイサー衛視、俺が許すから、ハル捕まえとけ」

 一体着替えの間に何があったのか、くすくす笑うハルヴァイトを、ドレイクがうんざりと睨む。

「俺ぁ、俺の弟がこうまで恥ずかしいヤツだったなんて、始めて知ったぞ…、マジでよ」

「エルナスさんが停めなかったら、マジ蹴飛ばしてやりてぇ気分だった…」

 仕立て屋の頭領に、衣装を汚すな、と懇願されて、さすがのミナミもそれは思いとどまったらしい。

「判りました。では、とりあえずいきなりキスするのはやめましょう」

 真顔で、しかも神妙に言ったハルヴァイト。

「……誰か突っ込め、このひとに…」

「おめーが突っ込んでやれ、ミナミ…」

「……………この空気で、俺にどう突っ込めんだよ…」

 と。

 ミナミは…。

 ようやく何か諦めてドアの向こうから姿を見せた青年は…。

 窒息寸前、みたいな顔で唖然とした来賓を見回し、大仰な溜め息を吐いた。

 乳白色の肌に、長い睫で飾ったダークブルーの双眸と、細い眉。毛先の盛大に跳ね上がった金髪はいつもよりきちんと整っており、無表情ながらも穏やかな感じがする。そしてその、掛け値なしに綺麗な青年を尚更華やかに飾っているのは、艶のない鉄紺色の長上着と、襟の高いシルクのドレスシャツ。スカーフではなく、かっちりした印象の幅広の短いネクタイを中央で留めた玉虫色のブローチ。襟と袖口の折り返しは全て見事なレースで装飾され、カフスも金と新緑にくるくる輝く楕円形…。

「てか、誰か俺に突っ込めよ」

 溜め息みたいに吐き出してミナミが一歩踏み出すと、長上着の裾から覗いたドレスシャツのレースがひらひらと翻り、青年の動きを真白い残映のように彩った。

「……………アリスっ!」

 夢のように綺麗に着飾ったミナミがちゃんと現実なのだと最初に判ったマーリィが、いきなり、もの凄い勢いで立ち上がり傍らのアリスを振り向く。

「どいてっ!」

「はぁ?」

「ミナミさんっ!」

「……何?」

 猛烈な勢いでアリスの腕を掴みソファの横に立っていたドレイクに押し付けるなり、マーリィは頬を紅潮させて目を輝かせ、ミナミに向き直った。

 アリス、ミナミ、ドレイク、マーリィの勢いに成す統べなく、唖然…。

「こちらにお座りになって下さいまし!」

 というか、マーリィ以外の全員が、唖然。

「ハルにーさまっ!」

「……はい?」

 いきなり矛先を向けられて、さすがのハルヴァイトも、唖然…。

「何をぼんやりしてらっしゃいますの? ここでミナミさんをエスコートなさるのが、ハルにーさまのお役目です!」

「はい………」

 というか、敗北。

 うきうきのマーリィに命令(……)されて、ハルヴァイトがミナミに顔を向ける。それで、弱り切った青年がじっとハルヴァイトの鉛色の瞳を見つめると、彼は微かに口元をほころばせ、「では」と……ミナミに手を差し伸べた。

「女性のお召しに、逆らってはいけないみたいなので」

「…そんな決まりあんのか?」

「後でドレイクかアンに訊いてください」

「………………とりあえず……、触っていい?」

 ミナミの薄い唇が囁いて誰もがぎょっとした刹那、ハルヴァイトは朗らかに微笑み、「どうぞ」と答えた。

 息を詰めて硬直した周囲をよそに、ミナミがそっと、ハルヴァイトの手に自分の手を重ねる。

 しっかり、握り締めるように…。

 短い溜め息がミナミの唇から洩れる。それでこの場は大丈夫だと思ったのか、ハルヴァイトは平然とミナミの手を握ったまま、胸の前で手を組み合わせてミナミの到着を待っているマーリィの側まで移動し、彼にソファを勧めた。

 その姿に、誰もが一瞬イルシュの言葉を思い出す。

      

「誰かの手を握っていないと、不安」

      

 ミナミの「誰か」は限定されているようだが…。

 ソファに落ち着いてからミナミは、突っ立ったままのマーリィに、ふわりと笑って見せた。

 それで、誰も彼も思う。

 軍規違反も降格も失職も、例えばこれから何を言い渡されても後悔はしないし、全てを笑って受け止められるだろう。ファイランを護ろうとかいう大義名分なしでも、今ここでミナミがこうして穏やかに微笑みその傍らにハルヴァイトが居る、というそれだけのために何かしでかした、と思っても、十分過ぎるのだから。

「……………贅沢ね、あたしたち」

「? ……あぁ、そうだな」

 並んだアリスとドレイクが、短く囁き合う。

 ミナミの隣りに座ったマーリィは、さっきよりも数倍上機嫌に見えた。きらきらと目を潤ませてミナミに話し掛け、ふかふかと笑い、ワゴンを押して近寄って来たイルシュにも微笑みを向けて、ハルヴァイトに笑われては頬を膨らませている。

 ハルヴァイトは、ソファに座ったミナミの傍ら、肘掛けに軽く腰を下ろして腕を組んでいた。いつもと変わらない横柄な態度、口数が少ないながらも、時折ミナミに何か言い返されて、困ったように苦笑いする。

 幸せな気分。

 穏やかな気持ち。

 そういうものが空気感染して、どの顔もしあわせそうに見えた……。

「…ねぇ、ドレイク」

「なんだ?」

「もう、やめましょうよ。もっと早くハルがこの屋敷に来ててあたしたちと一緒に育っていれば、彼には違う生き方があった、なんて勝手に思うの」

「……」

「そうでなかったからハルはミナミを手に入れたんだもの。もう……君はお父様を許すべきだわ」

「………そう、かもな」

 呟いてアリスから視線を逸らしたドレイクの横顔を見上げ、アリスは付け足した。

「君も本当は判ってるんでしょう? せめて、生きているグランおじさまたちだけでも…許すべきだって」

 判っていない訳がない。

 ドレイクは、判っているから、ミラキの家を潰せないのだ。

「好きよ、ドレイク。だから……全部ひとりで片付けようなんて………」

「旦那様」

 懇願するアリスの声を、再三、あのアスカ・エノーが遮った。

「ガン卿グラン様、エスト卿ローエンス様、並びに、エステル卿エンデルス様、同じくエステル卿フランチェスカ様、ハスマ卿ウィド様がお見えになりました」

 アスカの声は無情にも、アリスの懇願を一蹴するような、冷たい響きだった。

  

   
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