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11.ホリデー モード      

   
         
(13)

  

 多分、既に鬼籍に入ってしまったエルメス・ハーディを含む、ダイアス・ミラキ大隊長時代の第一小隊に、感謝する事はあっても恨みがましい小言を言っていい理由はない、とドレイクは思う。

 責められるのは父、ダイアス・ミラキだけであり、それはミラキ家の問題であり、だから、どんなに当時懇意にしていたとしても、今の大隊長グランやローエンス、ウィド、エンデルスと叔父であるフランチェスカに、こういう顔をして見せるべきではないとも判っている。

 それなのに、実際はどうだろう。

 まるで聞き分けのない子供のように、あからさまな作り笑いで他人行儀な挨拶を交わす事しか出来ない自分が、腹立たしい。

 アリスの言う通り、もう、許す……というよりも、こだわってはいけないのだ。

 ドレイクに異父兄弟が居る、と告げたのは、リイン・キーツだった。そして彼は、こうも言う。

       

「ハルヴァイト様が…ミラキの血を引いておりながら「なかったもの」としてスラムに預けられていた事は、旦那様、奥様と、わたくし、それお、ハルヴァイト様をお預かり願った、コウエ・エウロンだけの秘密だったのでございます」

      

 だから。

「お招きありがとう、ミラキ」

「正装だというので何事なのか心配したが、もしやそれは、お美しいお嬢様方に着飾る機会を与えたつもりなのか?」

 鷹揚に笑み、会釈して、ソファから退去したミナミとハルヴァイトに殊更優しげな表情を向けたグラン・ガンや、相変わらず掴み所のない笑みを満面に緑色の瞳で室内を見回し、目礼する第七小隊の関係者に軽く手を挙げて見せるローエンスを、非難してはいけない。

「一度くらいはこういった晩餐もよろしいかと思いまして。堅苦しいが、気持ちが引き締まる。何より、我らの姫様方はお美しくあらせられますので」

「…ふむ。よく「我が弟君の恋人は何を着せても似合うのもだから」と言わなかったな、ミラキ。感心だ」

「つか、結局ガン卿が言ったら元も子もねぇんじゃねぇのか…」

 貴族院の執行幹部、電脳魔導師隊の幹部の登場で、それまでソファに着いていたミナミとハルヴァイト、スーシェとデリラがその場を離れる。主賓が誰なのかは今一つはっきりしないが、とりあえず、アリスとマーリィの傍に着座するのは、身分の高い順番だ。

 げんなりと肩を落として呟いたミナミの背中を見つめ、グランが忍び笑いを漏らす。

「うむ。ミナミくんのその物言いが変わっていないようで、安心した」

「………今日は二度と突っ込まねぇ…」

「それでは寂しいじゃないか」などとかなり本気で抗議するグランと、「いい歳をしてはしゃぐな、ばか」などとその背中を肘で突ついているローエンスは、ドレイクやハルヴァイト、スーシェよりも重厚な印象の長上着に、派手なレースの縫い取りをしたガン家の紋章入りスカーフを巻いていた。こちらは年齢に合わせてなのか、袖の折り返しはシャツのカフスを見せるタイプでなく、上着の一部だ。

 グランは濃茶色。

 ローエンスは濃い紫。

 古式ゆかしい貴族のように髪を撫で付けたふたりの後ろから現れて、やや固い笑みでドレイクに会釈した残りの三人を目にし、当代ミラキ卿は……。

 毅然とした表情で胸に手を当て、当惑する来賓の顔を見回してから、深々と頭を下げた。

「ハスマ卿、エステル卿には、亡き父葬儀以来のご無沙汰にも関わらず本日の招待を快くお受けくださった事、ミラキ家当主として深く感謝いたします」

「忙しさにかまけて故人を懐かしむべき時節にさえ屋敷を訪れられぬ非礼、我らもこの場を借りて当代ミラキ卿に謝罪いたしましょう」

 先に答えたのは、派手な紺色の長上着の襟元と袖からにこれまた派手なレースのドレスシャツを覗かせた、小柄な男。艶のないブラウンの髪をオールバックに、光沢を抑えた金鎖で吊った片眼鏡(モノクル)を左目に当てた聡明そうで目つきの鋭い壮年は、深く輝く琥珀色の瞳で頭を下げたきりのドレイクを凝視した後、何か、ひどく複雑そうな表情で傍らのふたりに視線を流した。

「滅相もございません、ハスマ卿。そのお言葉だけで十分でございます」

 答える、ドレイク。しかし彼は、顔を上げようとしなかった。

「…ダイアス亡き後、最も近しくミラキ家との交流を持つべきでありながら、公職に追われて、ミラキ卿らの血縁であるフランツさえ親しくさせてやれなかったわたしが、今日こうしてこの場に参じてよいものかと大層考えましたよ、ドレイク」

 ウィド・ハスマの傍ら、三人の中央に佇んでいたエンデルス・エステルの一言に、室内の空気が変わった。

 血縁? の、フランツ?

 フランチェスカ・ガラ・ミラキがミラキの名を返上したのは、まだドレイクが十歳にも満たない子供の頃だったのだ。そうなれば当然、アリスやグランなどの一部を除いては、フランチェスカが先代ミラキ卿の弟であり、つまりドレイク…とハルヴァイトの「叔父」である、とは知らない。

 ミラキ家は、ことごとく魔導師隊大隊長や陛下重鎮などを排出してきた名家でありながら、当主が極端に…………短命でもあった。若くから魔導師としての才能を発揮し、「着陸調査」などの危険任務に赴く事が多かったからなのか、または、今よりずっと政権が不安定だった頃、陛下の警護にあたる衛視であったりしたからなのか、世継を残さずに命を落とした者が大勢いたと言われる。

 結果、現在ミラキ系貴族は遙か遠縁の血族、しかも、回り回ってようやくミラキに到達出来るかどうか、という、他人と言っても過言でないいくつかの血筋が残っているのみで、万に一つの偶然でハルヴァイトが電脳魔導師としてスラムから呼び寄せられ、唯一の直系となるガリュー・ミラキが新興されるのではないか、と密かに噂されている程度なのだ。

 いつだったか、まだドレイクがミラキを継ぐよりも前、誰かが冗談で「次代ミラキ卿には派手に嫡子を設けて欲しいものだ」などと言ったりした事もあったし、何もなければそれでもいいか、などと当のドレイクも笑っていたが、最早その可能性も皆無になってしまった。

 だから大抵の、ミラキの実情を知る軍関係者は、ミラキ家には当代当主と父親の違う弟だけしか残されていないと信じて疑わなかったのだ。

 ただし、貴族院ではその限りでない。

 ダイアス健在の折からフランチェスカとエンデルスは仲睦まじく、フランチェスカがガラ・ミラキを立ち上げた時から既に、エンデルス家に伴侶として入りミラキの名前を返上するのだと言われ、時過たずその通りになったのだから。

「叔父上も私も陛下重鎮として城に詰めているのですから、そのような杞憂はまさに杞憂でしょう、エステル卿。最早わたしも叔父上の思われるほど子供ではなく、それだけ叔父上もお歳を召されました」

 歳を取った。誰も彼も。

 あの頃と変わらない思い出なのは、ダイアスとエルメスだけだ。

 軍人然として堂々と威風を纏う父と、その父の後ろに控えた、黒髪の無口な男。未だ誰の記憶にも若々しく鮮明なふたりは、当時のままだからこそ、今ここにいるドレイクを苦しめ、残された者たちを縛り付けているのか。

 真実を語らないまま。

 恨み言さえ、聞いてはくれない。

「にしても、いたずらが過ぎるな、我が甥ご殿は。

 城から帰還命令で屋敷に戻ろうかという途中に顔を合わせて、久しぶりに言葉を交わした際には一言も晩餐などと口に上らせず、戻ってみたらエンデにミラキ邸へお召しだと言われて、大層驚かされた」

 本気でそう思っているのだろうフランチェスカが、どこか拗ねた時のドレイクに似た口調で溜め息混じりに言うと、室内に密やかな笑いが起こる。

 それに薄く笑み、顔を上げて、ドレイクは平然と、まるでこの招待が自分の名で行われたとでも言うように、軽く小首を傾げて見せた。

「いたずらとは驚いてもらうためにするんですよ、叔父上」

 かなり複雑な内情をおくびにも出さず、居並ぶ第七小隊の面々がくすくすと笑う。それを見て、微かに笑んだきりのハルヴァイトに視線を移し、ウィドとエンデルス、フランチェスカ…始めてドレイクを取り巻く状況にを目にした三人は、無言で感心した。

 ここに居る彼らは、ドレイクが貴族であるだとか、彼の父がハルヴァイトを見捨てただとか、そういう……つまり、ドレイク自身ではどうしようもなかった事に、いちいちとやかく言わないのだ。しかし、無関心なのではない、という事を、フランチェスカを始めとするダイアスの腹心たちは知っている。

 彼らは「ミラキ卿とその弟」ではなく、純然たる「ドレイク」と「ハルヴァイト」の友人であり、仲間であり……………共犯者だ。

「………………………ハルヴァイト」

 室内のひそやかな笑いが収まるのを待って、ドレイクがハルヴァイトを振り返る。ドレイクの硬い表情を見てしまったアリスは一瞬不安そうな視線をハルヴァイトに送ったが、当のハルヴァイトはなぜか、そのアリスに、無言のグランとローエンスに、それから、無表情に見つめてくるミナミに仄かな笑みを向け、長上着の裾を盛大に捌いて歩き出した。

 その姿は、佇んで静謐に待つドレイクと同じ。もしかしたらそれ以上に気負いも何もなく、普段、あの緋色のマントをなびかせて城内を闊歩している時と同じに見えた。

 堂々と倣岸。

 他の誰にも従わない魔導師ハルヴァイト・ガリューらしく、静まり返った応接室に鋼の硬質さを振り撒きながら真っ直ぐドレイクの傍まで進み、立ち止まって、ゆったり微笑む。

「兄上」

 と言われて、ドレイクは息を詰め、ミナミは……………笑いそうになった。

(突っ込みてぇ…)

 無表情に笑いを堪えるミナミに、電脳魔導師隊の連中が思わず視線を向ける。

…どの顔も、「よく我慢してるな」と言ったところか。

 そんな愉快な一部の思惑など知らず、いや、ドレイクは知っていたがなんとか自制心を総動員して「笑うな、おめーら!」と言いたいのを堪え、引きつった笑顔でフランチェスカに視線を戻した。

「叔父上には近しく言葉を交わす機会が訪れず、こうして直接お話になるのは始めてでございましょうが、これが、不肖の弟、ハルヴァイトでございます。警備軍一般警備部最高総司令という公職にあってその名を知らぬ訳ではないでしょう」

「折々様々な噂は耳に入る。しかしながら、その才能たるや過去、現在、未来に類を見ない、と囁かされるに値する、立派な魔導師であると存じている」

 そう言ってからフランチェスカがハルヴァイトに視線を据えると、鋼色の魔導師は、口元の笑みを消さないままそっと会釈した。

 前代未聞レベルの快挙だ。と、誰かが悲鳴を上げそうな…。

「兄上より常々お話はお伺いしておりましたが、何分忙しい身の上ながら、叔父上殿への会見を先送り先送りと今日まで来てしまいました失礼を陳謝いたすものです。事に」

 ハルヴァイトが、一度言葉を切った。

「おおよそ子供の頃から家族親戚などこの地におらぬと言い渡され、礼儀作法もままならないわたしめは、兄の名に恥じぬ振る舞いの出来るかどうかという身の上でありましたが、委細今日まで兄の尽力によりまして、どうにか兄上、叔父上殿の身内の恥と言われませんよう暮らすのが精一杯でであったとご理解願いたい」

(いや、身内の恥つうか、アンタそれ以前の問題だろ…)と、ミナミはむずむずしながら無言で突っ込んだ。

「………………ひとつ、良いかな? ハルヴァイト」

「なんなりと」

 顔を上げて見つめ返されたフランチェスカが、緊張した面持ちで問いかける。

「我が兄、ダイアスを怨んでおいでか?」

「いいえ」

「では…義姉上を………」

「それも、否でございます、叔父上殿」

 その答えに、ドレイクは……………落胆する。

「死して思い出となりました先代ミラキ卿、同じく死して最早語らぬ母に、今更ながらなんの怨みがありましょうか。それどころか、スラムでわたしが生きて来られたのは、ミラキ卿の無言の助力があってこそだと………先ほど兄上も申しましたが、年を重ねて、感謝さえ致しております」

 続いた答えに、ドレイクは思わずハルヴァイトの横顔を凝視してしまった。

「では…我が亡き兄の愚かな振る舞いを、許してくれるのだろうか…」

 フランチェスカの問いに、なぜかハルヴァイトは、笑った。

 穏やかに、ではない。

 室内で息を潜める全てのひとに、挑戦的に。

「死者の愚行は咎められない。咎めるべきは、生者の繰り返す愚行にある」

 だから…。

「いい加減、そんなうっとうしい顔で緊張するのはやめていただきたいですね。叔父上も、ドレイクも。わたしは何も気にしない、と言っているじゃないですか。でもそれは、ドレイクの思う…あの頃のわたしの言う「気にならない」とは少し違うんですよ?」

 どこで生まれてどこから来て、どこに居ても、そのひとは、ハルヴァイト・ガリューであるように。

「残念ながら、わたしは今死ぬほど幸せな気分なんです。今日ここまで来て「幸せだ」というのには、母にも、先代ミラキ卿にも感謝しなくてはならないでしょう? もちろん、毎度毎度わたしが騒ぎを起すたびに走り回っているドレイクにも」

 だから。

「勝手にわたしをエサにしてそんな顔をしているようなら、本気でひっぱたきますよ?」

…………………。

「ミナミくん」

「何? ガン卿……」

「言いたい事はあるかね?」

 にやにやと口元に笑みを載せたグランに言われて、ミナミはこくんと頷いた。

「つかアンタ、もうちょっとなんとか言いようねぇのかよ…」

「? ダメですか?」

 くる、と踵を返したハルヴァイトが、唖然とする周囲の視線に晒されても尚、平然とミナミに言い返す。

「………結局、緊張感ねぇひと………」

  

   
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