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11.ホリデー モード      

   
         
(16)

  

 和やかな雰囲気? のまま晩餐は進み、一通りの食事を終えると今度は応接室に案内された。そこには既に焼き菓子やらお茶やらアルコールやらがふんだんに支度されていて、部屋いっぱいに甘い香りが…。

「………………。つうか、誰だよ、こんなモンまで支度しやがったのは!」

 部屋に入るなり口元を手で覆ったドレイクが、忌々しげに叫ぶ。

「うん、ミラキ邸の料理人はよく判ってるな。後で誉めてやろう」

 と、こちらはご機嫌らしいウォルがカウチに座ってテーブルの上に置かれた皿に手を伸ばし、その理由が判らないのだろう一部が首を傾げる中アリスだけがはしたなくも大爆笑する。

「あたしも好きよ、チョコレート。ドレイクは…死ぬほどキライなんでしょうけど」

「知ってる? ドレイクと来たら、僕の部屋におやつが置いてあると絶対に入ってこないんだよ。失礼なヤツだよね」

 笑いながら抗議したウォルがなんの変哲もない楕円形のチョコレートを摘んで口に放り込み、すぐ、それを皿ごと持ってイルシュに手招きした。

「イルくんは好き? チョコレート」

「はい」

「じゃぁ、これを持っておいで。残念だけどミラキ卿はチョコレートを見るだけで微熱を出すような当主だからね、一応、居候のお前は気を遣ってやらないと」

「つうか、先にお前が俺に気を遣ってくれよ…」

 げんなりと呟いて溜め息を吐いたドレイクを、賓客たちが笑う。しかし、ウォルの気軽に言う「チョコレートを見るだけで微熱を出す」理由を計らずも知ってしまったミナミが少し戸惑うように恋人の横顔を見上げると、受け取った恋人は、彼を安心させるよう薄っすらと微笑んで見せた。

「それは、結局ドレイクの問題ですからね」

 ハルヴァイトの呟きを知ってか知らずか、それぞれが思い思いの場所に着く。部屋の中央に位置するカウチにはウォルとドレイクが落ち着き、その近くにマーリィとアリス、後は、点在するソファやカウチ、肱掛椅子などに座った。

「はーい。またまたおれがボーイさんです。みなさん、好きな物をどうぞー」

 などと、さっきからやけにボーイが気に入っているらしいイルシュが、ワゴンを押して室内を巡回し出す。少年の後ろにはあのアスカ・エノーが続いており、手際よくお茶やアルコールを給仕してくれていた。

「ウォルとミナミにシードルでも出してやれよ。ハルにゃ瓶でスピリットな」

 笑いながらちょっと意地悪げにハルヴァイトを見遣る、ドレイク。それに横柄な笑みを向け、似たような衣装のやたら態度の大きい弟が、「お気遣い恐縮です、兄上」と偉そうに言い返すと、それまでどこかしら堅い表情を崩せなかったフランチェスカが、やっと楽しげに笑った。

「えと、マーリィさんには何あげます?」

「ああ、マーリィとスゥにはハーブティーがいいな。アンちゃんは何がいい?」

「…どーしてぼくだけアンちゃんなんですか? ドレイク副長」

 剣呑な視線で睨んで来るアンに朗らかな笑みを叩きつけたドレイクが、「ペットだから」ときっぱり言い切る。

「うわ。なんて酷い上官なんだ! これは、大隊長に直訴です! なんとかしてください、大隊長っ」

「? 親しみ易くていいのではないか? アンちゃん」

 と、クソ真面目な顔つきでグランが言い、実はそういう彼の物言いに慣れているエンデルスやウィドは大爆笑し、ローエンスもくすくす笑いながら肩を竦める。

「ルー卿にあっては、グラン・ガンがわたしの従兄弟だというのをすっかりお忘れのようだ」

「…今学習しました」

 ぴー! と半泣きでソファに沈むアン少年。その頭をにやにや笑いのままで撫でながら、デリラがイルシュに顔を向ける。

「あれだ、おれにゃ瓶ごとバーボンを出すよう、ダンナは昨日あたりから言ってなかったかね?」

「言ってませんよ、デリさん。デリさんて、ホントよく飲むよね」

……イルシュ少年、第七小隊には大慣れのようだ。

「…ぼくちゃんは、それをどーして大将にゃ言わないんだね??」

「? だってこのひとのは燃料だし」

 と。

 そこでミナミは、全く持っていつものように素っ気無く、平然と言ってしまった。

「つか、俺、魔導師ってのはみんながみんなあんたみたいにハイブリッドで動いてるんだと本気で思ってたんだけど? スゥさんはお酒飲まねぇのな」

「それは、普通に個人差ですので」

「じゃぁもしかしてあんた、好きなの? 燃焼系アルコールみてぇなのが」

「………まぁ、そうなるでしょうね」

 と?

 一瞬にして静まり返った室内の雰囲気に気付いたハルヴァイトが、苦笑いを漏らす。

「…何?」

 そこでミナミもやっと、全員が呆然と自分を見つめているのに気付いた。

「俺、なんか可笑しいこと言ったっけ?」

「いや…。言ったつうか、なんつうか…。今までハルの飲み方見てて、でもよ、誰もそれが「燃料」だなんて、思ってなかっただけだつうか…」

「? 思うだろ? あの飲み方見りゃぁ」

 思わないから驚いているんだ、とは、さすがに陛下も突っ込み損ねる。

「給油口とか付いてたりして」

 なんとなくミナミが呟き、ハルヴァイトがついに吹き出した。

 だからつまり、機械仕掛けだのスティールだのと言われているハルヴァイトに、ここまで素っ気無く見事に突っ込める人間はそういないのだ。というか、今までは皆無だった。しかしミナミはあまりにも呆気なく、少しも気にせず、そんな事を言う。

「燃費が悪いよりは、ハイブリッドの方がいいかと思うんですが」

「まぁな。…キッチンで空の酒瓶見た時は、マジでびびったけど」

 思わず数えてしまったほどに。

「つか、だから、俺のどこが可笑しいのか誰か突っ込めよ」

「いや、そりゃ無理」

 先の会話の続きみたいに呟いたミナミに、笑いを堪えたドレイクが答える。

 それは、ミナミだから許される感想なのかもしれない。ハルヴァイトが機械仕掛けでもスティール製でもないと一番よく知っているからこそ言える、贅沢なのか。

「…それで、ヒューさんは何がいいの?」

「何がそれでなのか非常に気にはなるところだが…。出来れば俺も、ガリューと同じも…」

「「だめ!」」

「です」

「……………」

 意外にも、窓に近い肱掛椅子に座って横柄に足を組んでいたヒューのセリフを遮ったのは、クラバインとレジーナ、それから、アン少年だった。

「ヒューさん胃が弱いんでしょう? だったら薄めたバーボンとか、そういうのにしたほうがいいですよ。大体、登城するたび医務支部行って薬処方して貰ってるくせに、ロクにご飯も食べないでお酒飲んでるなんて、うちの小隊長じゃないんですからやめた方がいいですよ。あ、でも、小隊長はミナミさんが来てから随分生活習慣よくなったみたいで、顔色いいですよね。やっぱり恋人ってそういう意味でも居た方がいいんじゃないですか? うん。ぼくはそう思うな」

 アスカからピーチエードを受け取りながら、集まる視線など完全に無視して話し続ける、アン少年。

「という事は、ヒュー。君は、三年も経ったのにまだ胃腸虚弱が治ってないのかい」

「…………」

「と言いますか、それをわたしやレジーでないアンさんに思い切り注意されているのに、わたしはかなり驚いているんですが?」

 尤もだ。

「つうか、いつの間にヒューとそんな仲良くなったんだよ…アンくん」

 思わず唸ったミナミにきょとんとした顔を向け、アンが小首を傾げる。

「? だって、昼食をご一緒する機会、多かったじゃないですか。ぼく、二番目の兄が病弱で、家に居た頃食事には随分気を使ったんで、顔色とか食べるものとか見てると胃腸の弱いひとって判っちゃうんですよね」

 意外な特技だ。

「しかも、気になるんですよ、そういうの。自分で注意すれば多少は改善するのに、大抵そういう人って無頓着でしょ? 食事とかに」

「…ヒュー、アンくんに食事の世話して貰ったら? ついでに付き合ってみるとか」

 必死に笑いを堪えているハルヴァイトの横で、ミナミが唖然と呟く。

「? ああ。午前中に好きだと告白したのに信じて貰えなかったから、それは無理だろう」

「その言い方がいかにも嘘っぽいんですよ、ミナミさん! 聞いてくださいよー」

 そう叫ぶなりアン少年は、ミナミの隣りに座っていたハルヴァイトをソファから追い出して、人ひとりよりは少し狭いが絶対に肩先さえも触れない距離を保った絶妙の位置に、ちょこんと居座ったではないか。これには、思わずハルヴァイトも唖然としてしてしまった。

「…心得てるね…アンちゃんも」

 それを、いつも小隊執務室でそうだからなのか、デリラが一番最初にくすくすと笑う。

「心得てるとかなんとか…そういう問題ではないと思うんですが? デリ」

 座席をアンに占拠されたハルヴァイトがぶつぶつ言いながら別の肱掛椅子に収まると、なぜか、室内を微笑んだまま眺めていたウォルが、ふと傍らのドレイクに視線を据えた。

「…で? 晩餐の目的はなんだったんだ? ドレイク」

「あ? ……あーーー。うーんっとな、まぁ、そりゃぁ…」

 さっぱり判りません、と言えたらどんなに気楽だろう、とドレイクは溜め息を吐く。

 実際にこれだけの人間が間違いなく集まって来ているのだから、晩餐会は「誰かの召集でミラキ邸を使い」行われた事になる。テーブルに並んだ食事や今この部屋に支度されている菓子などを見ても、まさか本当にこの屋敷の者の預かり知らない所で今夜の晩餐が仕組まれた訳でもないだろう。

 そして、リイン・キーツは間違いなく何かを知っている。しかし、あの従順…というか、もしかしたら、先代の頃からこのミラキ家を実質的に「護って」来たのかもしれない執事頭は、主人に問い詰められるのを避けるように、さっきから一回も顔を見せていない。

「? なんだ、その歯切れ悪い言い方は」

 ドレイクの苦しい(?)内情を知らないウォルが、紅い唇に朗らかな笑みを載せて笑う。その、艶めいた黒髪と色の白い横顔、ほっそりした指先が組んだ足の上で組み合わされるのをぼんやり眺めながら、ドレイクは、こういった人の集まる場所でこうしてウォルの隣りに座ったのは、始めてかもしれないと思った。

 貴族院議員でないドレイクが公式の場所で「陛下」にお会いする機会は、年に数回。そこでは大抵、短い挨拶を交わし、跪き、差し出された手に短いくちづけを落とすと、ウォルはまたも議員の只中に戻って行く。それでも必ず陛下がミラキ卿との挨拶を欠かさない理由は、兵役義務で陛下が電脳魔導師隊に所属していたからだ、というのが、一般的な見解らしかった。

 だから、こんな風に微笑むウォルの横顔を間近で見る機会など、今まではなかった。

 人目を憚ってしか逢えない立場である事は重々承知しているつもりだし、まさか、恋人を自慢して歩きたい年頃でもない。

 ただ、時々拗ねてウォルが言う「一度でいいから、普通に…誰にも気付かれないで、不通に、街を歩いてみたいと思う」という意味が、理解出来ない訳でも…ない。

「余計な事なんか忘れて、もう少しこのままで居たらいいのかなー。とか、な…」

 言いながらドレイクは、膝の上で組み合わされていたウォルの手を取り、そっと引き寄せてその指先に唇を寄せた。逸らされない灰色の瞳が微かに笑っていると気付いたウォルが小首を傾げて見せると、彼は浮かせた唇で微かにこう囁いた。

「世の中が今この空間で全部だったらよかったのに、ってよ」

 そうなら、指先に落とすはずのくちづけが行き先を間違えても、誰も彼らを見咎めないだろう。

「……お前がそんな風に言うなんて、珍しいね」

 囁きに囁きで答えたウォルは、少し嬉しそうに…華やかに…笑った。

…………………。にしても。

 果たしてこの晩餐を仕組んだのは誰で、目的がなんなのか…。と悩んで…はいないのだろうが、それなりに気にしていたのは、何もドレイクだけではなかった。実は、さっきからヒュー・スレイサーの横暴っぷっりをアン少年に聞かされているミナミも、いつの間にか近付いて来ていたヒューと、勢い、スピリットを酌み交わすハメになったハルヴァイトもこの晩餐には疑問を抱いていたし、アリスとマーリィも、ミラキ家の主人で今日のホストでなければならないドレイクがまったく晩餐の事など知らなかった、と本人から聞いてしまっていたのだ。

 誰が、

 なんのために、

 この顔ぶれを、

 選んだのか…。

「……気になるわ…」

「? なにがかね、ひめ?」

 長椅子にくつろいでワイングラスに唇を寄せたアリスが溜め息みたいに吐き出したのを、少し離れた位置に落ち着いているデリラが聞き咎める。それに何か言い返そうとして濃茶色の瞳を見つめ返したアリスだったが、何をどう言っていいのか、それよりも先に、なぜデリラがアリスのセリフを聞き逃さなかったのか、と無言で一呼吸の間だけさまざまな思いを巡らせ、結局彼女は「デリと同じ事よ」と不安な笑顔で答えた。

 本当は同じではない。しかしアリスには、デリラの「気になる」がなんなのか、判っていたのだ。

 第七小隊がどうなるのか。

 それだって、正直、気になる。

 そんなデリラとアリスを、マーリィが間近でじっと見つめていた。真紅の瞳から殊更不安げな視線が注がれている、と気付いてアリスが少女に顔を向け直した途端、マーリィは堅い笑みをアリスに送り、意を決して、立ち上がった。

 マリーゴールドで飾られた、真白い少女。可憐だがか弱くはない。それどころか、マーリィという少女の「本当」の姿を知らないエンデルスやウィド、フランチェスカは、毅然と立ち上がり、周囲に華やかな笑みを振り蒔いてから爪先をレジーナに向けて歩き出した少女の背中に、少なからずとも驚いた。

 それは、少女。

 ジュダイス・レルト家で「ないもの」のように扱われ、屋敷の奥に幽閉されていた、少女。輝くような真白い髪と、抜けるように白い肌と、しかし、いっときも輝きを失わない真紅い瞳の、少女。

 少女には「マーリィ」という名があった。

 だから、マーリィは幽霊でもなければ「恥ずべき存在」でもなかった。もしかしてあのまま屋敷に軟禁されていたらどうなっていたかは判らないが、今彼女は、間違いなくファイランという閉鎖空間に生きる、一個のひととしてここに招待されているのだ。

         

 咎めるべきは、生者の繰り返す愚行にある。

         

 一際清しい純白に胸を打たれるような思いの一部を置き去りにして、マーリィはまっすぐレジーナの元に突き進んだ。いつ、どのタイミングで、誰がそれを言い出すのか、と思っていたアリスやドレイク、ハルヴァイトは…いいとして、もしかしてそれは自分の役目なのでは? と本気で思い始めていたヒューやミナミ、そして、レジーナの傍らに座るクラバインの思惑を裏切って、最初に行動を起こしたのは…やはりというべきか、マーリィだったのだ。

 いや。そこでも少女は、自分がすべき事を知っていたのかもしれない。

 ドレイクやクラバインは貴族院の再編などで忙しいし、当然、それには陛下も含まれる。他にもレジーナの事情を知るアリス、ハルヴァイト、ミナミも居るが、彼らには第七小隊の事がある。だとしたら、ここでそれを訊くのは、少女の役目ではないのか?

 と、マーリィは、レジーナがなんと答えても落胆したり責めたりしないでおこうと心に決め、自らに懇願し、穏やかに…少し戸惑ったように微笑むレジーナ・イエイガーの前で停まると、ふか、と…いつもと同じに微笑んだ。

「…レジー。あの…」

「少し見ない間にすっかり素敵な女性になってしまったね、マーリィ。わたしの覚えている君は、庭の木のてっぺんまで登って飽きずに居住区を眺めていたり、庭中を花だらけにしたり、掃除だといって明け方帰って来たばかりのクラバインを寝室から追い出したり、本当に…見事なまでのお転婆だったのに」

 女性的なやさしい顔に穏やかな笑みを浮かべる、レジーナ。それに恥ずかしげな笑みを返してから、マーリィはぷっと頬を膨らませた。

「もう。黙っていてくれれば、誰も判らなかったのに。そんな…レジーとふたりで、クラバインにーさまやアリスが戻って来るのを待っている間の事なんて」

「そう。わたしたちはいつでも、待ってばかりだった…」

 待って。

 ずっと待って。

「……レジー?」

 マーリィは、不意に俯いてしまったレジーナの髪にそっと触れ、微笑んで、彼を抱き寄せた。

「わたしは、もう待つのをやめるの。だから、レジー。クラバインにーさまのために…」

「……………。マーリィ、それは…僕が答えてあげるよ」

 それまで黙ってマーリィとレジーナを見つめていたウォルが、静かだがよく通る声できっぱりと言った。

「それは、クラバインとレジーだけの問題じゃないからね」

 ウォルの宣言をどこか遠くに聞きながらドレイクは、この晩餐の「意味」はなんなのかと、まだ、考え続けていた。

「クラバイン、第七小隊を整列させろ。それから、アイリー…」

 黒瞳が、ミナミを見つめる。

「何?」

「僕の後ろに控えろ」

 そう告げた瞬間、ウォルは、陛下の顔になった。

  

   
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