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11.ホリデー モード      

   
         
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「実際ギイルんとこがどう扱われるのかは、電脳班が編成されてみねぇと判らねんだけどよ、とりあえず、おめーらは「王下特務衛視団電脳班直属一般警備部隊」って階級になって、一般警備部とは全く違う命令系統で動いて貰うようになんじゃねぇか?」

「その件については、一般警備部認可委員が既に命令系統の変更申請を許諾し、特務室にその旨通知済みだ、キース。正式に電脳班編成の辞令交付式が行われた時点で、お前たちにも階級変更の辞令が下される」

 単純に上官と階級が変わるだけ、とはいえ、一般警備部でも第三十六連隊の抜けた穴を埋めるために、全連隊の勤務シフト、担当区域、任務などの細々した変更が必要になる。電脳班編成の条件は「二週間以内に」という事だが、その準備は既に始まっていた。

 だから、ここにフランチェスカも呼ばれたのだ。特務室から下ってくる様々な命令変更や許諾申請を審議する委員会でフランチェスカは、この四日の間、渋る委員をなだめ透かし説得し時には叱責して、第三十六連隊の単独任務を認めさせたのだから。

 横暴総司令の名を欲しいままにした。と、エンデルスが笑うほど手際よく。

「さて、これで俺の担当部署は終わった。スゥ、イルシュ、アンちゃんの返事と成果は二週間後に直接俺が出向いて受け取るとして、こっから先は特務室の管轄だからな」

 言いながら肩を竦めたドレイクが、ハルヴァイトの隣りに移って陛下に向き直る。

「じゃぁ、アイリー。お前、ガリューの隣りに行け」

「はい」

 軽くミナミを降り返ったウォルが、手で「行け」と示す。それに会釈して答えた青年がハルヴァイトの隣りに整列しようとすると、ドレイクはわざわざ彼の場所を空けてくれた。

 だからミナミは、無言で腕を組んでいる恋人の左脇に佇む。

 そして、あのダークブルーは観察する。

「では改めて、まずは…だ」

 ウォルは神妙な顔でそう言い、ゆったりと立ち上がった。

「レジーナ・イエイガー。…あの時」

 呼ばれて起立したレジーナが、一旦言葉を切ったウォルに顔を向ける。長かったブルネットの巻き毛を肩までになっていて、見た感じ以前より少し痩せたものの、彼はそこだけ三年前と変わらぬ穏やかな笑顔で、ウォルを見つめていた。

「僕はクラバインに反対すべきだった。お前に衛視を辞めさせても、クラバインから引き離すべきでなかったと思う。マーリィがこの三年寂しい思いをしたのも、全て身勝手な僕の責任だった。

 レジー…。本当に済まなかった。そして、ありがとう」

 言い終えるのと同時に深々と頭を下げたウォルに、レジーナが首を横に降って見せる。

「いいえ、陛下。それは…わたしでなくミナミさんに仰るべきではありませんか?」

 落ち着いた声。それは既に、クラバインと決別したあの日に聞いた固く冷たいものではなく、ただ穏やかで優しい、ミナミの記憶にもあるレジーナの声だった。

「うん。アイリー。お前にも…………ありがとう」

 結局レジーナは、三年前にクラバインが守ろうとした陛下の「秘密」をミナミから聞いたとウォルに明かしたのだ。そうしなければならなかった。もう秘密などないのだと言わなければならなかった…。

 そうでなければレジーナは、緊張した顔つきで彼の手を握ったクラバインに、答えを返せなかったのだから。

「…俺のもある意味身勝手だったんだし、陛下にそんな顔されると…後が怖いんだけど」

 微かに笑って答えたミナミにいつもと同じ少し意地悪な笑みを見せてから、ウォルはマーリィに向き直った。

「マーリィも、ごめんね」

 華やかな笑顔で気安く言ったウォルに、真白い少女がふかふかと笑いかける。

「陛下。それにわたくしが答えますのは、陛下がここで何をなさろうとするのかを見届けてからです」

 その返答に、ミナミを含む一部を除いた大多数が呆気に取られた。

 少女は微笑んでいた。しかし、答えを望んでもいた。…判り易く言うなら、謝れば済む事とそうでない事があって、この問題は後者だ、か?

 結果如何じゃ許しません。かも知れないが…。

「アイリー」

「何?」

「…何か突っ込んでくれないの?」

 マーリィの笑顔からいかにも嬉しそうな顔を背けもせず、ウォルがくすくすと喉の奥で笑う。それに短い溜め息とちょっとの苦笑を向けて、ミナミは「やめとく」と素っ気無く答えた。

「冷たいな、お前…。寂しいじゃないか、それじゃぁ」

「いや…余計なこと言ったらマーリィに叱られそうだから。だってさ、女性のご機嫌は窺うモンなんだろ?」

「一応、僕は陛下なんだけど?」

「でも女性じゃねぇし。見えない事もねぇけど」

「非常に複雑な気持ちだけど、まぁいいか…」

 平然とそんな会話を交わすミナミとウォル。しかし、ふかふか笑い続けるマーリィがまさかこう答えると思っていなかった周囲は、まだぽかんと口を開けたままだった。

 か弱く、可憐で、実は、気の強い少女。

「マーリィが抱きついてキスしてくれると嬉しいな、僕」

「陛下の努力次第です」

「うん、判った。努力するのは僕じゃないけどね」

 わざとのように肩を竦めたウォルはなぜかそこで、クラバインに視線を流した。

「レジーナ・イエイガーが早急に第八エリアを退去して王城エリアに移転出来るよう、市民管理局に指示した。三年前の移送は特務室の手違いだったという証明を付けたから、面倒な審査もない。早ければ来週末までには許可が下りるだろうよ」

「…………………それじゃ…」

 真紅の瞳を見開いたマーリィが、傍らのアリスと陛下、それから、微笑むレジーナとクラバインの顔を順番に見つめる。

「続きは、クラバインが「妹君」に聞かせるべきだと思うけど?」

 にやにやしながら颯爽と長上着の裾を払って、ウォルがまたカウチに戻る。

「レジーには、向こうの家を引き払って戻って来て欲しいと…わたしが…言いました。それから、復職しなくていいとも」

 衛視にならないでいいから、戻って来いと?

「マーリィと一緒に、わたしの帰りを待っていて欲しいと…その…」

 非常に珍しい事に、一部の隙もなく衛視然としたクラバインが、何やら言い難そうに口篭もる。それで、ここは突っ込み所じゃねぇのか? とドレイクはミナミに視線を流したが、なぜかミナミは、黙り込んでじっと…ウォルを見つめていただけだった。

「すみません、ミナミさん…。レジーナには、わたくしの伴侶として戻って来てくれるようにと言いました」

 一瞬歓喜の悲鳴を上げそうになったマーリィが、急に黙り込む。告げて顔を上げたクラバインが、酷く困った顔をミナミに向けていたからだ。

 そこで「レジーナがクラバインの伴侶になる」という意味をすぐに飲み込んだのは、ミナミとヒューだけだった。

「……………アイリー」

 喜ばしい事だとミナミは思った。三年かかって、遠回りして、でも、ちゃんとクラバインの所にレジーナが戻って来たのは、正直嬉しい。

 ミナミにとってふたりは、…ふたりも、か…、彼の命を救ってくれた恩人であり、今は共犯者であり友人だった。だから素直に、レジーナの帰還を喜んでやりたいとも思う。

 ただ、迷った。

「あ…。いや、おめでとう…ございます」

 これでマーリィも寂しい思いをしないで済むだろうし、そうなればアリスも安心だし、何よりクラバインが無茶をする必要がなくなるし…とも。

 でも。

「お前、このまま特務室に残ってくれない?」

 クラバインの仕事が減ることは、ないのだ。

「正直言うとね、卑怯な順番だって判ってるよ、僕にも。お前が特務室に入った理由は、つまりアドオル・ウインの一件だった訳だし、正式に契約していなかったとしても、お前には特務室を辞める権利があるし、お前が…衛視を辞めようと思う理由も…判ってるつもり。ただね、この二ヶ月、お前は本当によくやってくれたよ、クラバインの秘書として、僕の部下として、城の衛視として。それは、ここに居るスレイサーも判ってると思う」

 話を振られたヒューが、戸惑いがちに頷く。

 所詮ヒューは警護班所属の俄か秘書だったのだ。三年間、なんとか秘書代行をやってはいたが、至らないところもあっただろう。しかし、ミナミが専任で次長になってからは、処理すべきデータの滞りも無かったし、室長不在の折りでも命令はきちんと実行されたし、何より、陛下が無駄に特務室を訪れて衛視に迷惑をかける回数が…極端に減ったのだ。

 しかも、クラバインに連絡がつかないときでも、ミナミは部下が指示を仰いで来るとそれに殆ど即答するのだ。後から「別な方法もあったな」なんて恐ろしい事を言っていたりはするが、記憶力がいい上に出される命令や指示の理解力も高いのか、ミナミの判断はおおむね間違っていなかった。

 結果、この二ヶ月間、ミナミ本人の絡んだ騒ぎ(…つまりハルヴァイトが出てくるような、だ)以外、特務室の任務は恐ろしいほどスムーズだった。

 だが。

 ミナミはウォルから視線を逸らし、俯いて、黙り込んでしまったではないか。

 そのあたりでやっと、周囲もなぜミナミがそんな風に戸惑っているのか、判った。

「あの…ねぇ、ミナミ」

 黙っているのが辛くなったのか、アリスが溜め息のように呟く。

「うん…。あたしは、ミナミが好きなようにすればいいと思うわよ。通常シフトで特務室勤務になるって事はつまり…、ハルを迎えに来たり、普通に暮らしたりするのは無理になるかもしれなくて、それをミナミが「イヤ」って思うなら、断ってもいいと思う」

 でも。

「まぁ、ミナミさんが迷うってのも、判らないでもねぇんですけどね、おれの場合。クラバイン室長が今までどんな風に仕事して来たのか、ミナミさんは近くで見てる訳でしょう? それ知っててですね、今から伴侶を迎えよって人の勤務状況じゃねぇって思ってんのに、果たして「イヤ」で済むかって問題スね」

 でも。

「だからって、回りを気遣ってガリュー小隊長とすれ違ってばっかりじゃ、寂しいですよねー」

 でも…。

「で? なんでおめーはいつまでも黙ってんだよ、ハル。何か言ってやればいいだろ、ミナミに。大体だなぁ、今ここでミナミが迷ってんのは、おめーの…」

 でも。

「? ミナミが衛視を続けたいなら続ければいいですし、辞めたいなら辞めればいいんじゃないですか?」

「…やっぱな。そう言うと思ったよ、アンタは」

 恋人は、腹が立つほど動じない。

 がくりと肩を落としたミナミが疲れたように溜め息を吐き、ミナミを含む周囲の反応があまりにも薄かったからなのか、ハルヴァイトは丁寧に…その無責任とも取れる発言の詳細を説明しようと口を開きかけた。

 途端。

「待て! 待って、マジで。お願いだから待て。多分今アンタ俺と同じ事思い出したと思うんだけどさ、だから待ってくださいっ!」

………………。ミナミ、何か悪いものでも食べたのか…。

「それだけはバラすな」

 ダークブルーの双眸に睨まれて、ハルヴァイトが苦笑いする。

「俺はアンタが思ってるより真面目に悩んでる」

「ほー」

「だから余計な事言うな」

「はいはい」

 一体何がどうなっているのか、無表情ながら本気でうろたえているらしいミナミの訴えに、ハルヴァイトは気の抜けた答えを返しただけで、あとはくすくすと笑ってばかりいた。実はそこでミナミとハルヴァイトが同時に思い出したのは、ミナミが始めて衛視の制服を着てハルヴァイトを訪ねた日の事だったのだ。

 そう、あの日ミナミが言ったではないか。ハルヴァイトは城に居る方が多い、と。そしてハルヴァイトも言ったではないか。自宅と城を天秤にかけた自分に抵抗してみよう、と。しかも、電脳班は本丸勤務、特務室詰めの衛視なのだ。下手をすれば執務室は隣り。しかも上官はクラバインで、室長が不在なら、次長に指示を仰ぐ事になるだろう。

 許されるならここで頭を抱えて愚痴ってみたい、とミナミはまたも溜め息を吐きながら思う。

 ハルヴァイトと来たら、場所がどこでもミナミが傍に居れば何も問題ない、とか平気で言いそうなひとなのだから。

「マジ、参考意見にもならねぇって…アンタのは」

「そうですか?」

 そうだよ! と言い返したいのを無表情に諦め、ミナミは傍らでにこにこしている恋人を見上げた。

 自由にすればいい、といいたげな、鉛色の瞳。

 だから余計に…迷うというのに。

「……ほんと、優しくねぇっての」

 誰にも聞えないように呟いたミナミに小首をかしげて見せる、ハルヴァイト。その笑顔から少し拗ねた顔を背けるミナミを微笑ましげに見つめていたウォルが、こほん、とわざとのように咳払いする。

「ま、もう少し考えてくれていいよ、アイリー。それは…」

 その時、カウチに座ったまま何か続けようとしたウォルを抑えるように、重々しい音を響かせて大広間のドアが開け放たれた。

 一瞬、何事かと誰もがドアに顔を向ける。

「? どうした、リイン…。つかおめー、今までどこに行ってやがったんだよ」

 両開きのドアを開け放った状態で背にした初老の執事頭は、完璧な姿勢で主人であるドレイクと居並ぶ来賓に一礼し、「旦那様」と厳かに口を開いた。

「本日の主賓であらせられます、猊下がお見えになられました」

 その唐突な宣言に誰もが唖然とし……。

「だっ! ど………………どーして貴様がここに来ているっ!」

 ドアの傍らに退去したリインの後ろからイヤーなにこにこ顔で現れたのは、ダークブラウンの髪を無造作に遊ばせた軽薄そうな男。派手な光沢のあるグレー系スリーピースという身なりも悪くない、長い睫と印象的なサファイア色の目の彼は、カウチから弾けるように立ち上がって失礼にも指を突き付けて着たウォルをいかにもからかうように笑み、これまたいかにも軽薄そうにひらひらと手を振ったではないか。

「この、クソ親父っ!」

 ウォルの悲鳴に、室内の空気が一気に張り詰めた。

「? おかしいな。僕を探してたって聞いてから、もっと喜んで貰えると思ってたんだけれど、どーしてそんなに怒ってるのかな? ウルくんは」

 猊下、アイシアス・アスシウス・ファイランは、酸欠寸前みたいに口をぱくぱくさせているウォルにそう言ってから、なぜか、その瞳を室内中央に並んだ電脳間導師隊第七小隊に向け……殊更機嫌よさそうに、屈託なく、笑った。

「やぁ、アイリー。久しぶりっ」

 気安く、ミナミの名前を呼びながら。

「……………………………嘘…」

  

   
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