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11.ホリデー モード |
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アイシアス・アスシウス・ファイランという先王は、貴族院では手のつけられない我が侭暴君として名を馳せた人物だった。しかしほとんどの国民はそれを知らず、議会も、暴君だからといって王を糾弾するような真似もしなかった。 それは、なぜか。 浮遊都市という閉鎖空間を平穏に運行しようとする時、運行を監視する貴族院にはいつも、全く正反対でありながら無視出来ない問題が付きまとっていたのだ。 運行だけに重きを置くか。 王都民の生活に重きを置くか。 アスシウスは後者を採用した。表向き…というと印象は悪いが…、とにかく、先王は表向き王都民の立場に立って、ファイランの平穏に努め、目的を果たすためには手段も選ばず、容赦もなかった。 貴族と王家は国民に敬われなければならない。そのためには、自らの利権など捨てる覚悟をしろ。と平気で言い、身を粉にして働け。と命令し、例えば利己主義な理由であろうともそれが広く国民のためになると判断すれば、議会を押さえ付けてでもなんでもやった。 しかし。 そのために先王は、ウォル…現王の数百倍暗躍していたのも事実だ。 きっぱりと筋の通った正義。と、一息つこうという事になってお茶を振舞われたとき、先王をよく知る者たちは口々に言った。 では、若く美しい現王はどうか。 「陛下が評価されるのはまだまだ先のことでありましょうな。 善いものは善い、悪いものは悪い。自己の犠牲を省みるな。 貴族は国民の上にのさばり、国民は貴族を踏みつけて平穏を手に入れているとは知らない。 そう仰られた陛下のお姿は、お父上に似ていらっしゃいましたがね」 壁際の肱掛椅子に収まっていたウィド・ハスマが独白するように呟き、応接室に微かな緊張が降りたのを見計らって、「じゃぁ、次に行こうか」と、相変わらず軽薄な笑顔でアイシアスが宣言する。 「つか、まだ何かあんのかよ…」 なんとなく溜め息を吐いたミナミに、グランが笑って見せた。 「うむ、同感だよ、ミナミくん。なので、出来れば最後の最後まで、君には痛烈な突っ込みでこの部屋が圧殺されるのを防いで欲しいものだ…」 「………僕も同感だね、グラン。 さぁ、覚悟は出来たか? 僕の従順な下僕ども。アレを知るお前達には最大級の賞賛をもってアレを迎える事を強要する。 そして、 今からここで何が起こるのか判らぬ若人どもは、階級、信条、信念に関わらずありったけの礼儀を持って跪くがいい」 横柄にアイシアスが言った途端、ウィド・ハスマ、エンデルス・エステル、グラン・ガン、ローエンス・エスト・ガン、フランチェスカ・ガラ・エステルは素晴らしく機敏な動きで座席を離れ、カウチに座ったアイシアスの背後にずらりと並んで、床に跪いたではないか。 「…………まさか…」 それを恐ろしげに振り返ったウォルが溜め息のように呟くと、傍らのアイシアスは殊更華麗な笑みを息子に向け、黒髪をそっと撫でてその頬に口付けした。 「!!!!!!!! お前らっ! 動くなよっ!」 「うん、動くなよ。何があっても驚くな。口を開いていいのは、名前を呼ばれてからだぞ」 本当に一瞬で青ざめたウォルの言葉を掻っ攫って、アイシアスがそう言い終えた、刹那、応接室のドアがまたも大きく開かれ、いつもより緊張した面持ちのリイン・キーツが姿を現す。 「猊下…」 「下がれ、リイン。後は僕の仕事だからね」 言われて廊下の暗がりに消えた、リイン。 笑顔のまま肘掛け椅子を離れ、口を開けた暗がりをやさしく見つめる、アイシアス。 「傅け、全ての「子供」たち。浮遊しさ迷う都市を惜しみない愛情で見守る我が妻に」 微笑んで囁いたアスシウスが暗がりに手を伸ばすと、それがゆっくりと分離して人の形を作り…………艶やかに、本当に艶やかに、笑った。 キャレ・アリチェリ・ファイランV世。 「は……母上!」 暗がりから抜け出した白皙を目にするなり、ウォルはそう叫んで椅子から転がり出た。飾り気のない漆黒の長上着の裾を派手に閃かせて室内に入って来た…母上だとウォルが言うので女性なのだろう…は、濡れたような艶を纏う黒髪と煌く黒瞳と切れ長の双眸に真紅の唇、というウォルにそっくりの美人だった。 ………髪が短いのと、背丈がハルヴァイト並に高いのを見逃せば、だが…。 「元気そうだな、ウル。? なんだ、お前。まだ髪を伸ばしているのか?」 「あ、…いえ…、これは、その…」 「まぁいい。好きにすればいい。わたしから見ればお前は死んでもわたしの子供だが、お前としてはもう立派な大人なのだしな」 キャレは性別不明のハスキー・ヴォイスに笑いを含ませて、腰まで長い髪をしきりに気にしているウォルに笑いかけた。その笑顔は、機嫌いい時のウォルそっくりに華やかで神々しい。 「…はい、母上」 俯いて困ったように瞬きを繰り返すウォルの額に、身を屈めたキャレが短い口付けを落とす。 先にも述べたが、キャレはハルヴァイト並に長身で手足のバランスがよく、美しく、性別不明だった。しかも今彼女は、漆黒の長上着に黒いスラックス、シルクの黒いスカーフを上着の襟元から覗かせる、という、明らかに男物と思われる衣装を身に纏っているのだ。最初にアイシアスが「妻」と、それからウォルが「母上」と言わなかったら、正直、穏やかで女性的な印象のスーシェやレジーナと並べて「男性」と言われても、誰も疑わなかっただろう。 ………………。疑えというほうが無理だ。何せ、ファイランにはキャレより女性的な男性が、いくらでも居る。 「アイリー」 アイシアスにエスコートされて室内の見渡せる位置に置かれたカウチに移動しながら、キャレは…ミナミのよく知る横柄さで青年の名前を呼んだ。それになぜか反射的に立ち上がってしまったミナミが「あ。」と気の抜けた声を上げると、ついにキャレがくすくすと笑い出したではないか。 「習性とは恐ろしいな」 「……わざとだろ」 「ああ、もちろん。一年以上もほったらかされて拗ねているんだぞ、わたしは。さぁ、アイリー。これで本当に最後だ。わたしのためにだけ、目いっぱい美味しい紅茶を煎れてくれないか」 艶やかな笑みをミナミに向け、キャレはこう付け足した。 「それだけがお前の「仕事」だった時間は、これで終わりだ」 名前を呼ばれたら紅茶を煎れる。 何時間も黙って過ごす。 考えて考えて、またあの部屋を出る。 悩んで悩んで、またあの部屋に戻る。 もう、そんな生活は終わった。 手際よくも茶葉の載せられたワゴンが室内に入って来るのを目にして、ミナミは一旦傍らのハルヴァイトに顔だけを向けた。別に、何も言うな、と言われたからではなく、何か言うつもりもない恋人の瞳を刹那見つめたミナミが、誰にも聞えないように何かを囁く。 それに、ハルヴァイトが微かに笑って頷いた。と、ミナミは…。 伸ばした指先でハルヴァイトの耳を軽く摘み、ふわりと微笑んだのだ。 それは、暗号。 それから何も無かったかのような無表情に戻ってハルヴァイトから離れていくミナミを目で追いながら、キャレとアイシアスは無言で目配せしあった。 何も間違っていなかったし、間違っては…いないのだ。この先も。 「おい、お前たち」 ふと、キャレが背後を振り返った。 「年寄りがいつまでものさばってる場合じゃないぞ。お前たちがそこでにやついてると若いものがやり難いだろう。さっさとどこかに行け」 「…相変わらずだな、アチェ…。せめて、そこから退け、くらいにして欲しいものだ…」 どこかへ行け。と思いきり命令口調で斬り捨てられた事に、ローエンスが苦笑いで抗議する。 「ここでお前たちに無け無しの気を使ったら、最後まで持ちそうにない」 『ああ、そうだろうともさ、女王陛下殿』 見事なまでに一致した、旧・第一小隊四名とフランチェスカのセリフ。言ったほうは平然としたものでばらばらと元の座席に戻って行くし、言われたキャレと傍らのアイシアスは腹を抱えて大爆笑だしで、ウォルや「若いもの」はどうしていいのかさっぱり判らず目を白黒させてばかりだった。 「つか、持つとかそういう問題じゃねぇだろ」 おまけに、ミナミはいつもと同じに突っ込む。 陛下。実は先ほどから完全にプチ・パニック。今にも倒れそうな顔で、キャレとアイシアスの収まっているカウチの後ろに立っている。 「で、そういうウォルが結構新鮮だったりな」 「…僕に話しかけるな、アイリー。いっぱいいっぱいなんだから」 部屋の片隅に置かれたワゴンで手際よく紅茶を煎れるミナミの背中をいっとき見遣り、すぐに視線をはずす、キャレ。その漆黒の瞳が室内を睥睨し、ふと、停まった。 「久しいね、アリス。その節はウルの我が侭に付き合って不名誉な噂まで立てられ、申し訳なかったな。さ、わたしにお前の恋人とやらを紹介してくれないか?」 それに笑顔で頷いた赤色の美女が、真白い少女を伴ってキャレとアイシアスの前に進み出る。どうやらキャレと面識あるらしいアリスでもやや緊張した面持ちなのに、マーリィは本当に先と変わらぬふかふかした笑顔のままスカートの裾を摘んで一礼し、「マーリィ・ジュダイス・レルト」と申します、と可憐な声で名乗った。 いっとき、静寂。 キャレが、アイシアスに目配せし頷いた。 「ウルくん。おとーさんのところにおいで」 「……」 なぜかそれでぎくりと背筋を凍らせたウォルがすごすごとアイシアスの前に移動すると、彼はいきなり満面の笑顔を息子に向け、その頬を両手で掴んで引き寄せたではないか。 「本当にお前はかわいいねー。アチェそっくりだし。だからおとーさん、最愛の息子にキスしちゃおう」 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 言うなり、アイシアスはウォルの紅い唇に熱烈なキスを押しつけた。 声にならない悲鳴を上げてあたふたと暴れるウォル。それを唖然と見つめる周囲をよそに、ミナミだけが平然と煎れたばかりの紅茶をキャレに差し出す。 「っ! なっ…なんて恥ずかしいコトをするんだ、このクソ親父!」 「自分の父親になんて口を利くんだ、ウル」 やっとアイシアスを突き放して叫んだウォルの後頭部を、今度はキャレがひっぱたく。 ばしっ! と…。それに思わず、ウォルは前につんのめりそうになってアリスに抱きとめられた。 「……。ありがとう…アリス」 「……。どういたしまして、陛下」 泣きたい。とでも言いたそうなウォルの後ろを通りながら、ミナミが笑いを噛み殺して呟く。 「ウォルも紅茶飲む?」 「…ああ…、ありがとう…アイリー」 疲れた溜め息混じりの返答に薄笑みで答え、ミナミはさっさとワゴンまで逃げ帰った。 「腑抜けな息子の代わりにわたしが許す、マーリィ。お前はもう、ジュダイス・レルトの名を名乗らなくてもよい。……いや。 そんなもの、捨ててしまえ」 言ったのはキャレ。頷いたのは、アイシアス。それにウォルは、何もかも判っていたような顔を伏せ、自分の対応のマズさを反省する。 現王は、まだ、暴君になりきれないひよっこなのだ。この強烈に自分勝手で偉そうなのに誰にも足下を掬われない夫婦から見たら、ウォルの我が侭と横暴さなどかわいい事この上ない…。 「クラバイン。マーリィを引き取って面倒を見ているのは、お前だったな」 「その通りでございます、キャレ様」 「では、本日この時よりマーリィは「マーリィ・フェロウ」と名乗るがいいよ」 鷹揚な笑顔でマーリィに顔を向けたキャレの言葉が終わるのと同時に、アイシアスが小さく手を挙げる。 「ウィド。今すぐジュダイス・レルト家に行って、マーリィちゃんの親権を放棄しクラバイン・フェロウに引き渡す書類にサインさせて来い。その時お前、なんて説明するか判る?」 肱掛椅子から立ち上がってアイシアスに身体ごと向き直ったウィドは、気障っぽく片眼鏡を指で押し上げ、にっと薄い唇で笑った。 「レルト家の恥だと言って幽閉などしていたくせに、衛視長と関係が出来た途端にまるで自分らの子供みたいに所有権を主張するな。あの聡明で愛らしい娘は自らフェロウ家に居場所を手に入れ、それはお前らとは何の関係もない。と、猊下は仰られた。というのでいかがでしょうかな? 因みに、「聡明で愛らしい」部分はわたしの脚色ですが」 「うん。いいね、八十点。向こうがサインを渋ったら、ここに連れて来い。その時は忘れずに、アチェも居ると言うんだぞ」 「ふむ。それでレルト家の主人がサインを渋る確率は、ほとんどゼロですな」 にやにやするアイシアスがスーツの懐から取り出した「何か」を受け取り、そのまま退室して行くウィド。レルト家はそう遠くない場所にあったから、彼は早ければ数十分後に、マーリィが正式にフェロウ家の養子になった書類を持って戻るだろう。 思わず唖然とする、マーリィとアリス。 「勝手な事をして済まないな、マーリィ。しかし、これは見逃してはいけないのだ。もしそれでもお前が両親を「両親」として思うなら、後で顔を見せておやり。大丈夫、アイシアスとわたしの名前でウィドがレルト家を訪ねるんだ、お前の意見などこれっぽっちも聞いて貰えなかっただろうと、誰でも判っているよ」 幽閉されてないもののように扱われ、しかし、土壇場で「レルト」の名前を捨てさせられなかったマーリィ。クラバインの家で生活し、現在レルト家は全く介入していないのに、親権の放棄が得られずフェロウの名を名乗れなかった経緯を、果たして、先王夫婦は知っていたのか…。 知っていたのだろうとミナミは思った。だから、ウォルは叱られたし、今すぐ名前など捨てろ、とキャレは言ったのだ。 陛下側近の衛視長。その家に住まう娘。例えば実際は何の関わりがなくても、レルト家が「衛視長の家に娘が世話になっている」といえば、遠からず陛下とも関わりがある、と取られるだろう。 「そうでないなら、許せよ、マーリィ。お前には辛い過去もあるだろうが、希望に満ちた未来もあり、それはこれから先、我が不肖の息子が護ってくれる」 「ありがとうございます、キャレ様」 ふか、と微笑んで再度お辞儀したマーリィに優しげな笑みを向けていたキャレが、傍らに寄り添うアリスに視線を移す。 「アリス、お前は見る目あるな。うちの府抜けた息子より数段素晴らしい恋人を選んだ」 いたずらっぽいウインクに、アリスが紅い唇で微笑んだ。 「陛下は、恋人とというよりも仲良しのお友達の方がよろしいと思いまして」 「うん。アリスちゃんよりウルくんの方がか弱いもんね。護って貰うより護ってあげた方が気分いいよ、きっと」 「つか、それってアリスに失礼なんじゃねぇのか? 微妙に」 ウォルに紅茶を差し出しながらやっぱりミナミはそう突っ込んだが、アリスはちょっと困ったように笑っただけで、言い返してくれなかった。 「……もしかして、あんたはすごく怖いひとなのか?」 と、思わずキャレを振り向いて呟く、ミナミ。 「そうだよ、アイリー。母親というのはね、優しいけれど怖いものであるべきなんだ」 それにキャレは華やかな笑顔で答えた。 「ミリエッタのところの三番目はどいつだ?」 すぐ正面に顔を向け直したキャレがそう言うと、アリスとマーリィが連れ立って退去し、代わりに、意外にも堂々とアン少年が進み出て来る。横柄なキャレの前に跪き頭を垂れた少年を好ましげに見下ろし「お前がアンか?」と彼女が言い放つと、少年は顔を上げて真っ直ぐにキャレを見つめ返した。 「はい。お初にお目にかかります、アチェ様」 「ミリーは元気かい? 最近顔を見に行く暇もなくてな」 「……残念ですが、わたくしも…魔導師隊に編成されました二年前、正式な魔導師になるまで母上にもお会いしない覚悟で屋敷を出、それ以降、兄上とも連絡を絶って折ります故、存知かねます」 「…そうか」 なぜか、キャレもアンも顔見知りのような口ぶりだった。 「お前にこうして会うのは初めてだが、よく茶会の席でミリーが言っていたよ。三番目の息子はか弱く見えてなかなか強情。上の二人が人目ばかり気にして小さくなっているのに、一番小さいのがおおらかで頼もしいとな。なるほど、その通りだ。しかも志が高い。 ………その志は、遂げられそうか?」 本物の母親のような穏やかな笑顔で問われ、アン少年は頬を赤らめた。 「とりあえず、近々母にお会いできそうです。兄達も…少しは胸を張って貴族会に出られるようになるでしょう」 二週間で魔導機を動かせれば…。と、少年は言わなかった。 王城エリアに住まい貴族の妻となった女性達はみな、「茶会」と呼ばれる月一回の集まりに出席するのが慣わしになっていた。当然キャレもそこに顔を出す訳だが、亭主の地位向上のために近寄ってくる貴族院議員の妻たちとはおおむね話が…この性格なのだ、合う訳もなく、彼女はもっぱら亭主の地位などどうでもいいような相手を選んで話し込んだものだった。 そこでキャレのお気に入りだったのが、実は、ミリエッタ・ルー・ダイ。アン少年の母親だ。しかし、ミリエッタは女王陛下と懇意なのを自慢する事はなかったのだが。 「しかし、アンちゃんはミリーに似て愛らしいね。小粒なところといい、顔かたちも、おとーさんよりおかーさんに似てる?」 「…。で…ですので、兄達は…あまりわたしが好きではなかったようです」 ここでも無意識にアンちゃん呼ばわりされた少年が引きつった笑顔でアイシアスに答え、ウォルが紅茶を吹き出しそうになる。 「才能なんて、かーさんの努力で決まるものではないのにね」 顔が一番母親に似ているのに、兄弟の中で唯一魔導師になれたアン。兄弟だからこそ、この確執は奥が深い。 「…にしても、本当にお前はかわいいな、アンくん。見た目を裏切って悪いが、わたしはこう見えて可愛いものとか綺麗なものが大好きなんだ」 「すごいぞ、快挙だ、ルー。男性の身でありながら我らの女王陛下に「くん」付けでファーストネームを呼んで貰えるなんて、ファイランもお終いだな」 「…ローエンス。フラウとジャニを一緒にここに呼ばれたいのか?」 何がどう快挙なのかおどおどとウォルに顔を向けるアン少年に、手で、下がれ、と示しながら、キャレは落とし込んだ声で物騒な事を言いつつローエンスを睨んだ。 「ルードの就職祝いを一緒に屋敷でやっているらしいですぞ、あのふたり。実はそれから逃げてこられて、エスト卿は内心ミラキに感謝していたくらいでしてな」 「フラウとジャニって…誰?」 苦虫を噛み潰したようなローエンスが珍しくグランに言い負かされているのを見ながら、ミナミが思い切りキャレに訊ねる。 で。 ドレイクは必死に笑いを堪えるハメに、ローエンスは声にならない悲鳴を上げて椅子から逃げ去り、ハルヴァイトに泣きつくハメになった…。 「本妻と愛人だ」 「……………………あっそ」 あえて、どっちが本妻でどっちが愛人だかは訊かないであげよう、とミナミはひとの好いところを発揮してみた。 「エスト卿…余計な事言わなきゃバラされねぇで済んだのにな」 「ミナミくん…」 もう言葉もない、と言いたげに肩を落としたローエンスを笑っていたキャレが、一瞬だけハルヴァイトに視線を据える。その黒瞳が鉛色を睨み、しかし不透明な鉛色は穏やかに微笑んだだけで、なんの感情も現そうとはしなかった。 「……手強いな」 キャレの微かな囁きに、アイシアスも微かに頷く…。 「さすがは、マーガレッティアの………」
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