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11.ホリデー モード      

   
         
(21)

  

 じゃぁ、この晩餐の目的はなんなんだろう? と、勢い、全員分の紅茶を支度しながら、ひとり壁に向かっていたミナミは考える。

 ドレイクと陛下が第七小隊の処分に関わる発表をしたのは、レジーナがクラバインの元に戻るため、ミナミに特務室に残って欲しいと言いたかったからだろう。その前に第七小隊の処分、つまり彼らが衛視に昇格すると告げておけば、ハルヴァイトは余計な口出しをしないと思われ、その通り、ハルヴァイトはミナミの好きにすればいい、とだけ言った。

 だったらミナミを医療院から逃がした事を最後の種明かしとして教えるために、アイシアスとキャレがここに顔を出す必要があったからか? と言われたら、それもなんだかおかしい気がした。

 それが目的なら、別にギイルやヒューなどは呼ばれる必要もなかったし、関係者なのだから聞いておけ、というのも考えられるが、ではなぜ、キャレはこう丁寧に「若いもの」たちに声をかけているのか…。

 しかも。

「ゴッヘル。先日ナリスに会う機会があった。……彼女は、お前に会いたいと言っていたぞ」

 なぜ、キャレは「母親」にこだわるのか。

 自分が「母」だから、という理屈はこの女性に通用しない。確かに彼女はアイシアスの「妻」として茶会に出席したりしていたが、今この場所で見る通り、キャレは「母」であり「女性」であり「妻」である前に、「女王陛下」だった。

 だから、目的はなんだろう。とミナミは漠然とした不安を感じる。

「身勝手な振る舞いで母を悲しませた事は今も心残りでございますが、残念ながらわたくしがあの屋敷に出向くことは、二度とないでしょう」

 呼ばれて進み出たスーシェがほんのりと微笑む。沈うつな顔で同じセリフを言ったら蹴飛ばしてやろう、くらい思っていたらしいキャレは、スーシェを見つめたままちょっと…唖然とした。

 全く後悔していない笑顔。それこそスーシェが家を出る直前、ナリス…彼の母親から「痛ましくて見ていられない」と泣き付かれて話しを聞いてやったときなどは、この見目麗しい優しい若様がノイローゼで医療院送りになるのではないかと、さすがのキャレでさえ心配になったほどだったのに。

「では…その、お前を捕まえた伴侶とやらを、わたしに見せてくれ」

 カウチに座ったキャレにもう一度笑みを向けてから、スーシェが立ち上がって振り向く。それに小さな吐息だけで答えたデリラが座席を離れ、まず、差し出されたスーシェの手を取りその甲に口付けを落とし、並んだ。

「デリラ・コルソンと申します、アチェ様」

 こちらも母親が懇意でその呼び名を聞かせられていたのだろうスーシェがそう告げると、デリラは顔を上げキャレを見上げた。

「お初にお目にかかります」

 笑顔ではない。固い顔でもないが。強いて言うなら、考え事をしていて上の空という時に見たことがある顔つき、だとアンは思い、ハルヴァイトとドレイクは、フィールドで後ろから眺めるのと同じ背中だと思った。

 今、その後ろに控えているのは、スーシェひとりだろうが…。

 控えている。否。才能に恵まれているのに性格が追い付かず、結局魔導師である事をやめてしまった伴侶は、デリラの護るべきひとだった。

「いい顔つきだ。…お前、衛視になるんだったな」

「そのようで」

 他人事のような短い返答に、キャレが声を立てて笑う。

「では、胸を張れ。迷うな。

…………それから、お前たちお似合いだぞ」

 何か意味ありげなキャレの言葉と視線に、デリラは…珍しく神妙な面持ちで頭を下げた。

「お似合い? どのへんが?」

「スゥくんはほにゃんとしてて、デリくんは陰影はっきりし過ぎ、ってとこあたり」

「つうか、それ訳判んねぇっての」

 アイシアスの返答に突っ込む、ミナミ。いや、実は……恐ろしくて黙っていられないだけなのだが…。

 ウィドはまだ戻らない。

 ミナミは人数分の紅茶を煎れ、それを手渡して歩きながら、漠然と…本当に漠然と…。

「ごめん、実は切実…」

 物凄く不安だった。

「アイリー」

 スーシェとデリラを下がらせたキャレが、今日一番意地悪そうな顔でにこにことミナミを見つめる。それを恐る恐る見つめ返し、一呼吸だけ黙っている事に成功したミナミは、すぐに息を吐き、最後の紅茶を…ハルヴァイトに手渡した。

「何? つか、先にいっこだけ言っといていい?」

「いいぞ。心置きなく言え」

「俺、ずっとあんたのこと男だと思ってた。だって俺より背ぇ高いしさ、話し方はいかにも偉そうだしさ。身なりいいだけの好事家じゃねぇんだなって、くらいは…。でも、よく考えれば、最初に通りであんたに会ったとき、どうして俺があんたに警戒しなかったのかすっげー不思議だったんだけど、なんとなく…今になってその理由が判った、俺」

「ほう。で? どんな理由だったんだ? アイリー」

 キャレは、あくまでも笑っている。

「だからつまり、性別…判んなかったんだと思う…。ずっと」

「違うよ、アイリー。君がアチェについて来たのは、彼女が…母親だからさ」

 すべての「子供」たち…。

「かもね…」

 アイシアスの言葉に小さく頷いたミナミに晴れやかで美しい笑みを目いっぱいに披露してから、キャレは「では!」とカウチの肘掛を指で弾いた。

「わたしがいいと言うまで後は口を開くな、アイリー。いいか? 突っ込みもなしだぞ」

「……………」

 最悪だな、そりゃ。とミナミは内心突っ込み、不安そうにハルヴァイトを振り向く。

「ガリュー」

 それを狙って、キャレはついにその黒い瞳に物騒な光を湛え、ハルヴァイトを睨んだ。

「わたしの質問に答えろ。考える時間はやらない。

 お前、ダイアスを怨んでいるか?」

「いいえ」

 先にフランチェスカがしたのと同じ質問が厳しい口調で再度室内に響き、しかし、ハルヴァイトは……。

 ハルヴァイト・ガリューは、座っていたソファから立ち上がりもせずに、そう平然と答えたのだ。

 いつ何時でも紛う事なくハルヴァイト・ガリュー然として、横柄に、倣岸に、優しくもなく、戸惑いもなく。

「マーガレッティアを怨んでいるか?」

「いいえ」

「リインを怨んでいるか?」

「いいえ」

「お前がミラキの家名を継ぐ事の出来る地位にあると知っていながらそれを明かさなかったすべての者を怨むことが出来るか?」

「いいえ」

「過去を過去として笑って済ませることが出来るか?」

「必要とあらば」

 真意の掴みかねる意味不明の質問にも、ハルヴァイトはちょっとの思案さえせずにそう答え、ふと……さも可笑しげに、まるで「ディアボロ」とフィールドに立っているかのように、笑ったのだ。

 キャレが、そのハルヴァイトを見つめている。アイシアスも、あの軽薄な笑いを消してじっとハルヴァイトを凝視している。それが可笑しいのか、それとももっと別な理由からなのか、ハルヴァイトは肱掛椅子にゆったりくつろいだまま、声も立てずに笑っていた。

 不透明な鉛色の瞳で全てを見透かす。その「全て」は、ファイランという狂った閉鎖空間であり、データという文字列の氾濫する臨界、なのか……。

「……………アイリーを、大切にな」

 微かな溜め息の後、キャレはそう呟いてカウチの背凭れに身体を預けた。

「ありがとうございます」

 申し訳程度に会釈したハルヴァイトが、これまた平然と笑顔を作り直す。

 そこでキャレはようやく、質問者にも関わらず、ハルヴァイトよりも自分の方ががちがちに緊張していたのだと気付いた。

 まるで重圧の塊相手に不毛な会話を会話として成立させようとしてるかのような、無駄な努力。打てば響くように返って来る答え。それがもし、空っぽで意思のない口からでまかせならばいくらでも糾弾出来ただろうが、ハルヴァイトの答えは違っていた。

 否。確固たる、NO。

 普段はもっと柔らかい(これは多分ハルヴァイトが「人並み」に振る舞おうとする努力なのだろうが)言葉で紡がれているそれを、「考える時間はやらない」と先に言われていたからなのか、ハルヴァイトは本当に、「問いかけ」という文字列に対応して弾き出された「答え」をありのまま返して来たのだ。

 クエスチョンを入力し、エンターし、コンマ一秒で返ってくる、データのように。

 ハルヴァイトからミナミに、それから、ハルヴァイトと近しい間柄にある数名に視線を馳せて、キャレは静かな吐息とともに軽く首を横に振った。ハルヴァイト・ガリューという人間をよく知らない、という言い訳をしないのならば、キャレやアイシアスは明らかに…彼を恐れている。

 なのに、ハルヴァイトに近い者たちはまるで平然としていたのだ。ミナミの真意だけが判らないにしても、そのほかの、例えば部下や「友人」たちは、機械装置のように抑揚なくイエスかノーかしか答えないハルヴァイトに、何の違和感も抱いていない。

 それが、ハルヴァイト・ガリューという「ひと」の当然であり、今更何を恐れるのか? と突きつけられた気分だった。

 そしてミナミだけが、キャレを見つめている。

 これは所詮「悪魔」なのだ。そう思うからそうなのだ。でもそれは悪い事ではないのだ。当たり前に「ひと」としての扱いを受けず、臨界からやって来た「悪魔」にこの世の理を授けられた。

 だからどうした。

 それがなんだ。

 誰も悪くない。

 ただ……。

「ホントの事が、判んねぇだけ」

 溜め息のような囁きに尻を叩かれて、キャレが姿勢を正す。

 ここでくじけてはいられない。

 キャレが知りたいのも、その、本当の事、なのだから。

「当代ミラキ卿」

 覇気を込めた声でキャレがそう言い放つと、ドレイクは黙って立ち上がり女王の前に傅いた。それを微かに不安そうな顔で見つめるウォルと目が合ったが、ドレイクはあえて恋人に、笑顔さえ見せなかった。

「本日の手酷いいたずらを最後まで見届けてくれた事に感謝する。

 執事頭は、わたしと猊下の命により貴殿に事の詳細を明かせない、辛い立場だった」

「この種明かしでそれは重々承知いたしております…女王陛下」

 女王陛下。当たり前のようでどこか刺のある言い方に、アイシアスが苦笑いを漏らす。 キャレを「女王陛下」と呼ぶのは、旧・第一小隊の連中が彼女に振り回されたときに使う、いわゆる「嫌味」みたいなものなのだ。

「いい度胸だな、ミラキ。さすがわたしの息子をたぶらかしただけはある」

 にっと口元を歪めたキャレに清々しい笑みを向け、ドレイクは「ありがとうございます」と答えた。

 が、ウォルの方は今にも悲鳴を上げそうな顔でドレイクを見つめている。頼むから逆らわないでくれ、といった所か? それとも、お願いだから母上の機嫌を損ねるのはやめろ、か。どっちにしても、ウォルがそういう風に誰かに「お願い」する事は非常に稀だったので、やたら暢気な第七小隊の連中は、せいぜい「珍しいものを見た」としか思っていなかったが。

「お前にも尋ねる。

 父を怨んでいるか?」

「…いいえ」

「母を怨んでいるか?」

「…いいえ」

「リインを怨んでいるか?」

「いいえ」

「ガリューの存在を知っていながらそれを明かさなかったすべての者を怨むことが出来るか?」

「…いいえ」

「過去を過去として笑って済ませることが出来るか?」

「いいえ」

………………。

「では、お前は」

 キャレの言葉を受けて、ドレイクが勝手に立ち上がる。

 相手が女王陛下だろうが猊下だろうが、ドレイク・ミラキというハルヴァイト・ガリューの兄は、誰にどう咎められてもこれだけは譲るまいと決めた一言をきっぱりと言い切った。

「許せない」

 多分、人前でドレイクがそうはっきりと父や母や…ハルヴァイトに関わる人について自らの意思を口に上らせたのは、始めてだっただろう。いつもは人好きのする笑顔でのらりくらりと言い逃れ、内面に抱えた数多の悩みと不安をアリスに問いただされて仕方なく冗談めかし白状する事などはあっても、ここまではっきり「許せない」と彼自身が言ったのは、本当に始めてだったのだ。

 だから、そうは知らなかった…薄々感づいてはいたものの認めたくなかった旧・第一小隊の面々は息を飲んでドレイクを凝視し、フランチェスカは愕然と目を見開いて肘掛椅子から腰を浮かせ、ミラキ家に関わる噂を噂でしか知らなかった一部は無言でドレイクからハルヴァイトに視線を移し、アリスやハルヴァイトという、このお家騒動に関わってしまった当事者たちは、ここでもまるでなんの感慨もなくドレイクの背中を見つめているだけだった。

 これだって、今更だ。判っていた事だし。

 そう、判っていたのだ、ハルヴァイトでさえ。

 遺されて途方に暮れ、

 全てを「ミラキ」という名前とともに継承し、

 既に他界し後悔も罪悪も感じてくれない父親と、

 せめて弟に会ってやってくれと懇願しても首を縦に振らなかった母親と、

 何も感じないと無感情に言い放つ弟と、

 そういう飽和状態の中で自らの「形状」さえ見失いそうになっていた、

 十六歳か十七歳のドレイク。

           

 判っていた。

 その時「彼」が居なかったら、ドレイクは今ここにこうして居られなかったのかも知れない事。

           

「……正直者だな」

 溜め息のようなキャレの呟き。今日始めて聞く明らかな落胆の声音に、誰も何も言いはしなかった。

「母上」

 しばしの静寂を破って室内に降りた、凛とした声。緊張した視線の集まる中でも神々しくきらびやかなウォルは、手にしていた茶器を控えるリインに手渡し、毅然と立ち上がってから、紅い唇に柔らかな笑みを浮かべた。

「お話がございます…」

「ああ、そう来ると思っていたよ、ウル。だが、お前にはまだ発言を許さない」

「いいえ、聞いていただきます、母上」

 細い眉を吊り上げささやかな怒りを押し殺した声でウォルがキャレに抗議すると、なぜか、アイシアスが少し驚いたようにウォルを見つめた。不肖の息子が母親にこうも食ってかかるのを見たのは、始めてだったのだ。

 ファイラン家では、母親は絶対だった。君主だった。命令に逆らうことなど許されなかった。口答えなどもっての他で、甘える事さえ自由ではなかった。

 なぜなのか?

「後で聞いてやるとも、ウル。その前にわたしの話を最後まで聞け」

 最後まで。

「じゃぁ…まだなんかあんのか? もういい加減終わってもいいんじゃねぇ?」

 ミナミのげんなりした呟きに、アイシアスが失笑ともなんとも言えない奇妙な笑いを漏らす。

 そのアイシアスのサファイヤ色した瞳が、ミナミとハルヴァイトを見た。

「アイリー。本題は、これからだよ」

「ルニ、入っておいで」

 幾分柔らかさを滲ませたキャレの呼びかけに、再三あの不吉なドアが開かれる。

 しかも今度は、リインが手をかけ引き開けるのも待ち切れなかったのか、勝手に、勢いよく、ぱあん! と…。

「いつかお会い出来る日を心待ちにしてました!」

 開け放たれたドアからはしたなくも飛び込んで来てキャレの前に居たウォルにそう言いながら抱き付いたのは、黒髪に黒い瞳の…いや、もういい加減説明するのも面倒なほどウォルによく似た、イルシュくらいの年齢の……。

「おにーさまっ!」

 女の子。

「……帰りてぇ…」

 唖然としたウォルと、そのウォルにしがみついてこれ以上ないくらい上機嫌な笑みを振り撒く少女を見つめたまま無表情にミナミが呟き、その場にいた誰もが瞳孔の開ききった表情で、かくかくと顎を引く。

「僕も…帰りたいよ…」

 血の気の失せた顔でその少女を見下ろすウォルも、例外ではなかった。

  

   
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