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11.ホリデー モード      

   
         
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「単純な話なんですよ。何度も奥様は仰られたでしょう? 猊下も奥様も、ウォルに幸せになって貰いたいだけなんです」

 居ないものとして考えろ、とキャレが告げ、アイシアスとルニを連れて部屋の片隅に移動した途端、唖然とする仲間たちを振り返ったハルヴァイトが、ちょっと面倒そうに言う。

「…それと、君が今からしようとしてる事と、どう関係あるのか判らないって言ってるのよ、あたしは…」

 いつだったかドレイクの言っていた「その時」がこんな形だったなどと予想もしていなかったアリスが、相変わらず涼しい顔で腕を組んでいるハルヴァイトに溜め息を吐きかける。今この場に居るのがドレイクならばなんの質問などしなくても事細かに状況と目的を説明してくれるだろうが、ハルヴァイトにそれは期待出来そうもない。

「いつドレイクが戻って来るのか判らないので詳しい事は後日改めてお話しますが、とにかく、わたしは…つまり、わたしが「どこから来た何者なのか」調べ、なぜ先代ミラキ卿と母がわたしをスラムに置き、養わせていたのか、それを付き止めるつもりです」

 ミナミには予想出来ていた答えだった。

 いや、本当は、ミナミがそう言い出すつもりだったのだ。先手を打たれて、言う事がなくなってしまったが。

「とにかく、奇しくも…というか、こうなるように集められていたんでしょうが…同席してしまったあなた方にも身を粉にして働いて貰いますので、覚悟しておいてください」

 普段はろくな指示も出さない怠け者の上官ではあるが、ハルヴァイトもドレイク同様「上に立つ者」でもあった。堂々とした姿と、今日は華麗な衣装、鉛色の瞳に鋼色の髪という硬質な印象と、高圧的ではないが有無を言わせぬ命令口調。いつもはのほほんとすっとぼけているが、一度「やる」と言い出したら絶対手を抜けない性格といい、彼もまた、グランとは違う意味で呆れるような王者だった。。

 部屋の中央に進み出て腕を組んだきりのハルヴァイトの顔つきをしばし見つめていたギイルが、短い溜め息の後で、にっとその分厚い唇を歪める。

「ああ、いいともさ、なんでもやってやるぜ、上官殿。

 ただし、今からオマエのやろうとしてる事がおれさまの「正義」に合致すんならだけどな」

 どことなく挑戦的なギイルの言い方に、ハルヴァイトは笑みを返した。

「兄の幸せを願う弟のワガママでは?」

「悪かねぇ。納得出来ねぇけどな」

「では。陛下がミラキ家に入るという事は、ミラキ家は貴族を飛び出して「王室」の一個になってしまうという事。しかし当然、それでは都合の悪い貴族も出てくるだろうし、それを認めないと言い出すヤツもいる。ミラキ系の貴族はいまガラ卿の入ったエステル卿だけなのでそちらは問題ないにしても、今後王室と同等に扱われるだろうミラキ家に対して、なんらかの工作をしかけてくるあくどい連中も出るだろう。

 それらが陛下ないしドレイクの足下を掬おうとする時、わたしの存在が曖昧なままでは都合が悪い」

「…だから、他人なら他人って言っとけってのか?」

「ギイル。そんな平和的な話を、誰がした?」

 一瞬表情を険しくしたギイルに、ハルヴァイトが失笑を吐き付ける。

「わたしは、ミラキの家を潰しても構わない、と言ったはずだ」

「…………………アンタもしかして…」

 まさか。というか、そこまではやらないだろう、というミナミの予想は、外れた。

「陛下を伴侶に迎えようというんです、それくらい堂々とやりましょうよ。

 先祖代々お家正しい「ミラキ」なんてなかった事にして、真新しい「新設ミラキ卿」でも立ち上げて、初代当主のドレイク・ミラキに陛下を迎えて貰います」

「てか、そんな事出来るのか」

 呆気に取られる周囲に朗らかな笑みを向け、ハルヴァイトは小首を傾げた。

「それは判りません。

 でも、先代ミラキ卿がわたしを「隠匿」していたのには、何か理由があるんです。母が生涯ひとりしか子を儲けなかったと言ったなら、それは間違いなくドレイクの事でしょう。ではなぜ母が産み捨てたのでもない「魔導師」のわたしを、先代ミラキ卿はスラムに置いていたのか。これはあくまでも仮定なんですが、わたしは…最初から「魔導師」だと判っていて、スラムに送られたのではないかと…」

 そこでミナミが、ふと妙な顔でアン少年に問い掛ける。

「魔導師って、生まれた時から臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)で判るモンだよな?」

「あ。いえ、違う場合もありますよ、ミナミさん。最初は判らないものなんです。だからほら、突然変異でスラムとか居住区に無認可魔導師が出たりするんですよ」

「そっか。そういやぁそうだな。でねぇとそんな「事故」起こりっこねぇし」

「明らかに魔導師の子供だって判ってる場合は検査を受けますから、生まれて一年くらいでとりあえず臨界面に占有があるかないかくらいは判明しますけどね。普通は十歳くらいまでの間に「発現」ってのがあって、それでやっと占有率が計れるんです」

 アンとミナミの会話を聞いてから、ハルヴァイトがちょっと面倒そうな溜め息を吐く。この男の事だから、すでに「説明」するのに飽きて来たのか?

「わたしとドレイクだってただ暮らしてた訳ではないんです。時たまそんな話しもしましたし、それぞれ…いろいろね、考えたりもしたんですよ。

 お互い、それを言う事はなかったんですが」

 なぜ、言わなかったのか。

「わたしは、まぁご想像の通り面倒だったからなんですが、ドレイクは…言いたくなかったんだと思います」

 もしかしたら。

「もしかしたら、ミラキの家に魔導師はふたり要らない、という理由でわたしがスラムに追い遣られたのかもしれないと、ドレイクは思ってたみたいなんですよ」

 判らないでもない。というのが、ありきたりの感想だろう。しかも「発現」してみれば、ハルヴァイトはそれこそ桁外れに強力な魔導師だったのだから。

「でも、それだっておかしいわ。マルガルおばさまはひとりしか男の子を生んでないって仰ったんでしょう?」

「だから調べるんですよ、アリス。

 始めはどうあれ、もしも先代がわたしを魔導師だと知っていてスラムに預けたのだとすれば、それはつまり」

「………魔導師の「隠匿」は反逆罪扱いだ」

 ハルヴァイトの確かめるような視線に頷いて呟いたのは、ヒューだった。

「と、そうなってくれるとですね、被疑者死亡のままお家は取り潰し、ドレイクは「ミラキ」の名前を返上して、何か…適当な姓でもいただく事になるんでしょうが、名前なんかどうでもいいでしょう?」

 そこでハルヴァイトがまた小さく笑う。そう、名前がなんでも貴族でもそうでなくても、この「兄弟」は正真証明の天才なのだ。

「その辺りは寛大尚且つ温情に厚い猊下と女王陛下が上手い事やってくれると期待して、そこに至る問題を解決するのが先決です。

 いいですか? 先に言っておきますが、この事は、ドレイクとウォルにだけは死んでも悟られないでください。知られたら、ドレイクもああ見えて意地っ張りですからね、絶対やめろと言って来るに違いまりません」

 多分、そうだろう。

 ミナミにはなんとなく判った。きっとドレイクは「兄」である事を喜んでいるし、「弟」にお節介を焼くのが死ぬほど好きに違いないのだ。

「ギイルの言葉を借りるなら、しかし、これが「正義」かどうかわたしには判らない。でも、他界した先代と母に、今生きて幸せになる権利のあるドレイクが縛り付けられているのは、そうだな…これは、「許してはいけない」」

 必要とあらば、許す。でもまだ、許してはいけない。

 許そうと思う。

 黙って受け入れるのではないけれど。

「死者に敬意を。黙して語らぬ「秘密」を暴き立てるのは「正義」ではないが、生ける者に生く慶びを手向けるのは「正義」であると信じろ」

 だから。

「わたしは、迷わない」

「……。珍しくよく喋るな、アンタ。それで、この後二日は黙って過ごすのか?」

「前回の騒ぎで、意志の疎通がいかに大切なのか身に染みましたので」

 相変わらず無表情に突っ込んだミナミに、ハルヴァイトがにこにこと言い返す。

「参った。一本取られた」

「というか、一本取られてる場合じゃないでしょう? ミナミ」

 アリスの溜め息を含んだセリフに、室内がほっと息を吐く。判っていても、あの自信たっぷりの薄笑みと倣岸な物言いのハルヴァイトを前にすると、知らず、誰もが緊張してしまうのだ。

「先ほど陛下とドレイクの出した条件を、全員二週間でクリアしろ。詳細は追って指示する。

 大変申し訳ありませんが、貴族院執行部幹部議員の皆様にも、特務室詰めの衛視の方にもご協力願う事になります。もちろん、猊下や女王陛下にも」

 身体全体でアイシアスとキャレを振り返ったハルヴァイトが小さく会釈すると、ふたりは満足そうに頷き返して来ただけだった。それでミナミはやっと、アイシアスとキャレがずっと青年を見つめていた理由を知る。

 幸せになって欲しいんだよ、とアイシアスは笑う。

 本当に好きなヒトのところに行かせてやりたいんだ、とキャレは微笑む。

 だから、お前たちでなければだめなのだ。と。

「ね、ルニは! ルニは何かしなくていいの? おにーさまのためなんでしょ? だったらルニも手伝いたい!」

「もちろん、ルニ様にも手伝っていただきます。何せわたしはおかーさまの仰る「赤色」で、大人も子供も関係なく同じに横柄に接するのを信条にしていますので」

「……それはおれが証明します…」

 にこにこ顔でルニに答えたハルヴァイトの背中に、イルシュがイヤそうな声を吐き付けた。

 それで室内にささやかな苦笑いが起こる。あの「noise」騒ぎの時、イルシュはイヤというほどハルヴァイトの『怖さ』を見せつけられたのだ。

 大人にも子供にも容赦ない。そしてハルヴァイトは、自分にも容赦がない。

「本当にどういった役割をこなして貰うようになるかはまだはっきりはしないが、とにかく、まず、マーリィは猊下と奥様の申し出を受けて登城、アンとイルシュは二週間でドレイクの指示に従い、それぞれの条件をクリア。電脳魔導師隊第七小隊は、正式に特務衛視団電脳班として昇格、第三十六連隊は電脳班直属部隊として一般警備部の命令系統から離れます。いいですね?」

「……待って、ハル。マーリィは…」

 難しい顔で何かを言い募ろうとしたアリスの手をそっと握り、マーリィが首を横に振る。

「ねぇ、アリス。あたしなら大丈夫。うん、大丈夫だから…」

 真紅の瞳が、アリスを見つめた。

「大丈夫」

「そう、大丈夫ですよ、アリス。なんのためにレジーナは衛視にならず家に居ると思うんですか? どうせ暇なんでしょうから、マーリィの送り迎えくらいさせてやりなさい」

 平然と言ってレジーナに笑いかける、ハルヴァイト…。

「暇ってね…ハル。君じゃないんだから、家に居ればそれなりに仕事があるんだよ? でもまぁ、いいよ。大事なマーリィだし、暇じゃなくても送り迎えくらいします。忙しい合間を縫って二ヶ月もそれをやってきたミナミくんの前で、出来ない、なんて言えないしね」

 レジーナが茶目っ気たっぷりにウインクし、マーリィが、ね? とアリスに小首を傾げて見せる。

 完全に安心した訳でもないだろうが、アリスはそれになんとか固い笑みで頷き返した。ごねても仕方がない。マーリィも、やるといったら絶対にやる強情なのだ。

「スゥ…」

 それから、またもや全身でスーシェに向き直ったハルヴァイトを、デリラが軽く手を挙げて停める。

 こちらの問題は、ハルヴァイトではなくデリラの受け持ちだ、と言いたいらしい。

「やっぱお前ね、魔導師に戻るべきなんだよ、結局さ」

 呟くようなデリラの言葉に、スーシェが階級を返上した理由を知る誰もが息を詰める。

 スーシェ・ゴッヘルという、あの不可視の魔導機を操る魔導師がその「スペクター」を封印した原因は、デリラなのだ。

「やれんだからやんなよ。お前も大丈夫なんだしさ」

 俯いたきりのスーシェ。その、膝に上に置かれた細い手を引き寄せて握り締め、デリラはいつものように、ちょっと人悪く笑った。

「優しいのと臆病なのは別だよ。…いんじゃねぇかね。今度はさ、とどめさせなくて文句言うような上官いねぇんだし。

 それにね。もしお前が自分を怖いって言っても、おれは怖かねぇしね」

 大丈夫だよ、とデリラは、ハルヴァイトを見つめたまま付け足すように囁いた。

「死ぬまでおれが傍にいてやるよ」

 ゆっくりと顔を上げたスーシェに視線を移したデリラが、引き寄せていた彼の手にくちづけを落とす。

「ね? おれぁ正式にお前の伴侶な訳だしさ、こういう恥ずかしい事言っても、誰も文句言わねぇからね」

 珍しく朗らかに笑ったデリラに、耳まで真っ赤になったスーシェが、「ばか」と囁きかかける。

「で? 残りは大将だけっスけど?」

 にやにや笑いのデリラに言われて、ハルヴァイトは小さく頷きミナミに向き直った。

「ミナミは、特務室に戻りなさい」

「……」

「あなたには、知って貰わなくちゃならないんです。わたしよりも、わたしの事を」

 どこから来たのか判らない、ハルヴァイト・ガリューというひと。

「ひとつだけ、質問してもいいですか?」

 複雑そうな顔でじっと見つめてくるミナミにほんのりと笑いかけ、ハルヴァイトが呟く。

「もしわたしがドレイクの弟でなく…」

 ミナミは…それにゆっくり頷いた。

「心臓の代りにハイブリッド燃料で動く駆動装置が出て来ても、愕きません?」

「いや、さすがにそれは愕くと思う、俺でも。つうか、この状況でそんな面白ぇ事言ってんじゃねぇって」

「? わたし、かなり本気なんですが」

「アンタやっぱどっか間違ってるって…」

 ミナミは、今日ばかりはわざととぼけた事を言うハルヴァイトに付き合って、思いきり普段通りに突っ込んで溜め息を吐いた。

「つうか、誰かこのひとを叱れ…、頼むから」

  

   
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