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11.ホリデー モード      

   
         
(27)

  

 上級庭園の入り口付近。庭園に点在する屋敷を繋ぐ分岐点が見えたところで、ふとミナミが小首を傾げる。

「……って、あれ、ガラ卿じゃ…ねぇの?」

 ここからエステル邸へ行くにはもっとミラキ邸に近い分岐を通って行くはずで、つまり、ミラキ邸から引き返して来たとすればフランチェスカがこの場所に居るのはおかしい、とミナミは少し不思議そうにしたが、ハルヴァイトは黙って歩みを早め、ひとり佇んでいるフランチェスカに近付いて行った。

「お待たせしました…と言うべきですか?」

「いや、待ってはいなかったよ。ぼんやりしていたらここまで来てしまった…。という事にしてくれないか、ハルヴァイト」

 寂しげに笑って俯いた警備軍総司令の横顔。

「今日まで、長かった…。やっとお前とドレイクと一緒に顔を合わせて終わったと思ったのに、何も終わってくれなかった。それどころか、もっと悪い! 一体わたしたちが何をしたと言うのか。ドレイクの何がいけなかったのか…。なぜ、兄は何も明かさずに逝ってしまったのか! どうして!」

 感情を殺し損ねた搾り出すようなフランチェスカの声に、ミナミが表情を曇らせる。

 もっともだと思う。何が、誰が、どう悪いのかどうかは、よく判らなかったけれど。

「叔父上。誰も悪くないんです。そう信じてください。

 結果的にそれは善悪と言うカタに嵌められてしまうかもしれない。しかし、ひととしてこれは、最良を選んだ結果なんです。…もしそこに間違いがあるのなら、次善ではなかったという事でしょう」

「次善では、なかった?」

 訝しそうに顔を上げたフランチェスカに、ハルヴァイトが笑って見せる。

「大真面目にやり過ぎて「最良」を選んだ。やる気なく「次善」くらいにしておけば、逃げ道もあったのに、というところですよ」

「つうかそれアンタだけだろ」

 ミナミ、息継ぎなし。

「しかしこの「データ」は綻びだらけです。「気持ち」が絡んで来てその綻びの正体はまだ見えていないでしょうが、これは…叔父上」

 ハルヴァイトはゆっくりと腕を組み、静かに頷いた。

「「罠(トラップ)」ですよ、ドレイクが得意なんです。入り組んだ罠を解くと、最後に待ち構えていた「爆弾(ボム)」が破裂してプログラムを崩壊させる性質(たち)の悪い「罠」。でもこの場合の「爆弾」は事態をクリアにするものであって、害を及ぼすものではない」

 さっぱり意味が判らないのか、フランチェスカが助けを求めるようにミナミを見るが、ミナミにハルヴァイトの言いたい事が判る訳もなく、結果、ふたりはきょとんと微笑む鋼色を見上げてしまった。

 天蓋から射し込む月光を不思議な光沢の髪と衣装と瞳で照り返す、そのひとは。

「ドレイクが得意なんですよ。……エルメス・ハーディに教えて貰ったのだと、よく言っていました」

 エルメス・ハーディ。彼も他人ではなかったはずだ、ドレイクにとっては。

「彼をご存知ですよね?」

「ああ。よく知っている、というには、どうも…知っても訳の判らない人間だったがな、エルは。自分の事もろくに喋らないほど口数の少ない男でね。黒髪で背が高いんだが、いつも前髪をこう…長く下ろしていて、写真も嫌ったし、顔はあまり…覚えていないな」

「同じ家に住んでたのに?」

 歯切れの悪いフランチェスカを、観察者のダークブルーでミナミが見つめる。

「ああ。彼は離れに住んでいたんだ。母屋に来るのは稀で、ドレイクは時たま訪ねて行って遊んでいたようだが、なぜだろう………そう…、彼は人目を憚るように暮らしていた」

 おかしな話。

「………魔導機は動かさない。家に戻れば引き篭もり? 俺だってあんまひとの事言えねぇけど、そりゃ、随分変わったひとだな」

「同じ制御系だったよしみでローエンスとは多少付き合いがあったようだから、エルの事を知りたいのなら、あいつに訊くといい」

 何もかもが怪しく思えるのは、気のせいか? と首を捻るミナミからハルヴァイトに視線を移し、フランチェスカが何か言いたそうに眉を寄せる。

「何か?」

「……お前は、本気で…ミラキの家を潰すつもりなのか?」

「それも、必要とあらば、ですね。存続でも問題が解決出来ればそれはそれでいいし、家名が邪魔なら潰すし、ガリュー・ミラキが必要なら、……諦めて立ち上げます」

「………………」

 それに今度は、ミナミが…思わず…黙り込んでしまった。

「あ! あああああああああ。えーーーー。ソレは、問題ないです、ミナミ」

 慌てて恋人を振り向いたハルヴァイトの気配が激変したのに、フランチェスカが吹き出しそうになる。それまでは倣岸と不遜に「ミラキなんてどうでもいい」と言いたそうだったのに、ほんの微かにミナミの様子が変わっただけで、慌てふためき言い訳しようとするのだ、フランチェスカでなくても可笑しいに決まっている。

「いや、ないと思います…。猊下と女王陛下を抱き込んでいるので、…多分…」

 ミナミと目を合わせないように話すハルヴァイトの横顔を、胡乱なダークブルーの双眸で見つめる、ミナミ。それに居心地が悪くなったのか、ついにハルヴァイトはがっくりと肩を落として深く嘆息してしまった。

「だから、そうなるくらいならミラキ家なんて潰してしまえ、とは、まさか叔父上の前で言えないでしょう?」

「つか、言ってるし」

 それを、今度こそフランチェスカが笑う。

「いい、いい。構うものか。そんな家名など潰してしまえ、ハルヴァイト。その時はわたしもガラ・ミラキの名前で、家名剥奪の承認書類にサインするぞ」

 潰す覚悟、というよりも、潰す勢い、のハルヴァイトを見て、フランチェスカは少し気分が軽くなった。

「そんなものなくとも、お前とドレイクがわたしの甥であるのに変わりはない」

 散々振り回された名前だ、いい加減未練もなく、愛想を尽かして何が悪いのか。

「お前に任せる、ハルヴァイト。好きなように…いいや、思う存分やってしまえ。

 それでお前が…全て許してくれると言うのなら…」

 そして願わくば。

「ドレイクが、全て許せると言ってくれるのならばな」

「叔父上にも、許して頂かなければならないでしょう。

 これからわたしは、自分の秘密というよりも、多分、先代ミラキ卿の隠し通そうとした秘密を暴く事になる。それがもしや叔父上にまで及ぶようならば…」

 微かに沈んだハルヴァイトの声。

 しかしフランチェスカは、疎遠だった叔父を気遣う彼の些細な内面の変化を、ドレイクの功績だと心の中で称えた。

 世の中の全てを無関心に睥睨していた少年が青年に成長し、フランチェスカに向けた心遣い。

「失職、権利剥奪? そんな大それた秘密をあの世に持ち込んでこの世を騒がせている兄に、敬意を?

 安心しろ、ハルヴァイト。わたしには、わたしよりも数倍稼ぎもよく地位も名誉もある素晴らしい伴侶がついている」

 殊更力強く頷いて見せたフランチェスカに、ハルヴァイトは「申し訳ありません」と笑いを含んだ声で答え、小さく頭を下げた。

「…ミナミくん」

「? はい…」

 その、不思議な光沢を纏う鋼色の髪から傍らの青年に視線を移したフランチェスカが、神妙な面持ちでミナミに向き直る。

「ハルヴァイトを、頼むよ」

「…………………」

 ミナミは…。

 今日はミナミが始めてここを訪れた時の草原ではなく、咲き乱れる色とりどりのコスモスの庭園。その可憐で清楚な花たちを従えても胸を打つように透明で澄み切った青年は、上空に点在する街灯に仄かに照らされた唇で、微かに、でも本当に嬉しそうに、ふわりと微笑んだ。

「…」

 その時フランチェスカは、十数年前始めてエンデルスに出会った日の事を、まるでこれから起こるデジャヴのように、思い出した…。

             

         

 ミナミはフランチェスカの言葉に明確な答えを返さなかったが、なぜかフランチェスカは満足そうに頷いて、数分前より晴れやかな顔でふたりに「屋敷に遊びにおいで。エンデも喜ぶよ」と言い置き、気さくに手を振って立ち去って行った。

 その背中を見送りながら、ミナミが短い吐息を漏らす。

「…俺にゃよく判んねぇけどさ、ガラ卿、ホントはずっと、ミラキ卿の事心配してたんだよな」

「してたと思いますよ…。さすがのわたしでさえ、これはマズいと思った事もありましたしね」

「? マズいって?」

 頬を撫でる微風に揺れる一面のコスモスを遠くに眺めながら、少しの間庭園を散歩する。天蓋の向こうの月がいつもよりずっと近くで煌いているから、このまま家に帰るは惜しい。などと珍しくハルヴァイトが言い出し、確かに、こう見事なコスモスの庭なら散歩するのもいいだろうという事になったのだ。

 王城エリアの中央に位置する城。その尖塔郡の上空に浮かぶ、庭園と上級居住区。王城エリアの半分近い広さのこの場所は全体が庭園で、散策する小道の所々に大きな屋敷が点在しているのだ。

 辻、とでも言おうか、何本もの小道が交差する場所もある。時間が深夜に近付いたからなのか、貴族院再編でみな忙しいからなのか、密やかにさざめくコスモスの庭には、並んで歩くハルヴァイトとミナミの他に人影はない。

「普通に見えるんですよ、本当に。騒がしくてお節介で、いつも笑ってて…。でも、なんて言ったらいいんでしょう。愚痴のひとつも零せばいいのに。弱音も吐いて見せていいのに。情けないところだってあっていいのに。その頃はわたしもドレイクもまだ子供…それこそ、今のアンよりも子供なんですから、泣きたい時は泣いたっていいのに。

 誰にもそういうところを見せないで、ある日急に、ぷっつり神経の糸が切れてしまったみたいに、出掛ける支度をして、屋敷の大扉の前から一歩も動けなくなるんですよ…。日がな一日ぼんやり扉を見つめてね、どうしたのか訊いても判らないと答えるばかりで」

 理解(わか)らない。かもしれない。

「……それは、アンタも反省しろよ…」

 盛大な溜め息と一緒にそう吐き出したミナミの呆れた横顔から、ハルヴァイトが苦笑いしつつ視線を外す。

「…はい。十二分に反省しました…」

 そこでミナミはふと、小首を傾げて再度ハルヴァイトに顔を向けなおした。

「てか、もしかしてアンタがレジーナさんに頼んで王立図書館に通い詰めたっての…」

「わたしも、どうしていいのか判らなかったんですよね、結局。兄だと言われて、「だからなんだ」としか答えられなかったわたしが悪いというのは判っていたんですが、本当に、それしか思い浮かばなかったんですよ。

 今なら、もっとちゃんと言葉を尽くして判って貰おうとするかもしれませんが、当時のわたしには、それで精一杯でした」

 だからなんだ。という言葉。

 だから、なんだ。という言い方。

 受け取ったドレイクはそれに傷つき…。

「……もしそれが今なら、アンタ、なんて答える」

 咲き乱れるコスモスを不透明な鉛色の瞳にほんのりと移し、ハルヴァイトは困ったように笑った。

「兄弟であろうとなかろうと、そんなのどうでもいいじゃないですか。かな…」

 理解(わか)らないと言われる前に。

 理解(わか)りあう努力を惜しまない。

「……そういえば、それは…ドレイクの常套句でしたね…」

             

 俺は、理解(わか)ろうとする努力を惜しんだ事はねぇ。

               

 呟くように言って、遠くに群れる小さな光の明滅を見つめる、ハルヴァイト。怜悧な横顔に浮かんだ思い出すような微笑を近くに、ミナミは、だからきっとこのひとを「好き」になったのだと思った。

 言葉少なで、肝心な事さえも「面倒」だからと…本当は上手く伝えられないだけなのかもしれないが…片付けてしまっているようにして、でもハルヴァイト・ガリューというひとは。

「…やっぱアンタ、ミラキ卿と兄弟なんだよな…。絶対にさ」

 理解して貰おうとする努力はしなくても、理解しようとする努力だけは、ずっと、多分今も、怠った事はないのだろう。

 だからきっと、理解(わか)って貰えると思った。

「俺さ」

 そこだけいつもよりもはっきりと言ったミナミの視線が、庭園に点在する辻のうちでもひときわ広く公園のようになっている前方で、停まった。

「???? なに?」

「? 誰か……が、言い争ってる風ですが?」

 しかも。

「知ってるひとっぽいけど」

 ミナミとハルヴァイトは顔を見合わせて首を捻り、噴水を模したオブジェからきらきらと吐き出される光に浮かび上がったふたつの人影に、ゆっくりと近付いて行った。

「だから! ぼくは行かないって言ってるんだよ!」

  

   
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