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11.ホリデー モード      

   
         
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「だから! ぼくは行かないって言ってるんだよ! デリ!」

 風景は全て立体映像で、散策路を兼ねた通路には目印のマーカーがあり、小道を繋ぐ辻にはガス灯を見立てた街灯と、何箇所かの大辻中央には噴水を模したオブジェがあり水の代りに光が溢れ返っている、というのがこの庭園の本来の姿だった。実際ここのメンテナンス(上級庭園の管理者は王室だったので)に立ち会った事のあるミナミはここが、今は咲き乱れているコスモスがきれいさっぱり消え去って何もなくだだっ広い空間になってしまったのを目にしている。

 噴水の設置個所は全部で五つ。上級庭園の中央はかなりの広さを誇る公園になっており、そこには「本物の」小鳥や虫が保護されていたりするのだが、あまり大きな生き物はいない。

 その公園を囲む、点在する屋敷たち。基本的にどこを見ても同じようなホログラフの庭園は、どの昇降口から上がって来てもつまり同じ場所に見えるので、慣れていないと目的の屋敷に辿り付けなくなりそうなのだが、五つある噴水は全て違う形をしており、それで現在地が確認出来るようになっているのだ。

 事務的に言うならば、これはつまり「標識」。

 だからミナミには、ここがどこに近いのかすぐに判った。何せ彼は記憶力が桁外れにいい。メンテナンスに立ち会って五箇所の噴水街灯を見回って以降、ミナミは地図無しでも上級居住区を自由に歩き回れるようになった程だ。

「………いわゆる、痴話喧嘩でしょうか?」

「場所が場所だけに、もうちょっと複雑なんじゃねぇの? 事情として」

「? 場所? ですか?」

 こちらは、多分記憶力も頭も悪くないのに使おうとしないハルヴァイトが、さも不思議そうに周囲を見回す。それより噴水の台座に書いてある通路表示でも見ればいいのに、とミナミは思ったが、いかにも無駄そうな突っ込みは控えた。

「ここ、このまま真っ直ぐ行って突き当たり左に折れると…ゴッヘル邸があんだよ」

 ちなみに、少し手前を右に折れて脇道を三本見逃し左に入るとエスト邸があるが、ハルヴァイトはそんな事など知らず、知った所で気にもかけてくれないだろうが、「なるほど」と溜め息みたいに呟いた。

「それで、あそこでデリとスゥが揉めてる訳ですか」

 相変わらずどうでもいいように肩を竦めたハルヴァイトに気付いて、デリラが濃茶色のボウズ頭をがしがしと掻き回す。その横顔は非常に気まずいような、ちょっと安心したような、複雑な表情に見えた。

「あ…」

 デリラに二呼吸ほど遅れてやっとハルヴァイトとミナミの存在に気が付いたらしいスーシェが、慌ててデリラの手を振り払う。どう見てもスーシェが手首を乱暴に掴まれているようにしか思えなかったが、ミナミはそれを黙って見逃す事にした。

 なんとなく、理由が判っていたからなのか…。

「…お散歩ですか?」

 普段より硬い表情で微笑みかけて来たスーシェに、「そんなとこ」と短く答えるミナミ。そのミナミの傍らに佇んだハルヴァイトは、無言でじっとデリラを見つめていた。

 デリラの爪先が、真っ直ぐ暗がりに向いている。銃撃の腕と度胸はズバ抜けていい。とドレイクはデリラにいつも言うが、まったくその通りだとハルヴァイトも思った。

「折角ゆっくり出来るんですから、夜更かしして散歩もいいかと思いまして」

「アンタは夜更かしし過ぎだろ、普段から」

「そうですか?」

「てーか、夜は寝るもんだっての」

「程々に」

 で、穏やかに微笑む、ハルヴァイト。

「噛み合ってねぇ…」

 ミナミは溜め息を吐く。

 それを見ながら、スーシェはくすくすと笑っていた。線の細い面差しに今日の豪華な衣装が似合いで、下手をするとキャレより淑やかにさえ見える。

 豪華な衣装…。

 いかにも貴族らしい衣装。

 着る機会もない、と言いながら、わざわざ自分に合わせてデリラの衣装を作らせたのは、スーシェだった。

 家名放棄で貴族会から除名されるらしいと噂されている、スーシェ・ゴッヘル。

「デリとスゥは、今から帰るんですか?」

「は…」

「ゴッヘル卿に会いに行くんスよ」

 わざとのようなハルヴァイトの質問に答えようとしたスーシェを、不機嫌そうなデリラの声が遮る。しかし、意外とも取れる部下の返答に、うら若い上官は眉ひとつ動かさなかった。

「だから…それは…」

「いっぺん戻っちゃったらまたこの強情をここまで連れてくんのは骨だろうしね、夜遅くて申し訳ないとは思うんスけど、今からちょっと行って謝ってこようと思ってね」

 何かを言い募ろうとしたスーシェを遮って、ハルヴァイトとミナミに一度も顔を向けずに早口で言ってから、デリラはもう一度渋る伴侶の腕を掴んだ。

「行かない! 謝る事もない! ぼくは、もうあの家とは関係ないんだよ!」

「ばかだね、お前は」

 殆ど叫ぶように言ったスーシェに冷めた目を向けて、デリラは彼の腕を放した。

 よろめいて呆然とするスーシェに身体で向き直り、デリラが大きく溜め息を吐く。それは聞き分けのない子供を叱る親のようでもあり、だだをこねる弟をなだめすかす兄のようでもあった。

「家とお前が関係なくても、親は親だろうにね、まったく。お前が今言ってんのはね、ただの自分勝手なワガママだよ。

 お前は、屋敷に行くんだよ。それで、謝んだよ。育てて貰ったんだからね、お前は」

「でもぼくは、もう来るなって言われたんだよ…。それは、君だって知ってるじゃないか」

「ああ、知ってるよ。階級返上して、でも警備軍に残るって大騒ぎになって、おれまで呼ばれたんだからね。騒ぎ多めのおれの人生ん中でも最大の騒ぎだったよ、ありゃぁ」

 溜め息混じりにそう言ったデリラが何を思い出したのか、その当時の事をほとんど知らないミナミは無表情に呆気に取られて言い争うふたりを見つめ、ハルヴァイトは…。

 スラムで生まれ育って、今は家族もない。というだけの理由でデリラがどれだけ口汚く罵られたのか知っているハルヴァイトは、静かに、ゆっくりと口を開いた。

「スゥ。それでもデリは行くんですよ。行くと言っているし、今日だけはあなたが泣いても引かないでしょうね。

…今日が最後の機会だと、デリは…知ってるんですから」

 多分、あの厳格な当代ゴッヘル卿はまたデリラの顔を見ただけで思い付く限りありったけの罵詈雑言を吐くだろうし、大人しくてきれいな弟を誰よりかわいがっていた兄さえも、デリラに対してあからさまな不快を見せるに違いない。

 それでも、デリラは行くだろう。

「だから、あなたもお行きなさい。

 生きているからこそ、喧嘩もするし意見も食い違うけれど、死んだら…許して貰う事も出来ないんですから…。親なんてものはね」

 言い訳してくれないから、許せないように。

「…ドレイクのお節介がうつったかな」

 最後にそう呟いて肩を竦めたハルヴァイトが、小さく会釈して、呆然とするスーシェとじっと無言で見つめてくるデリラの間を通り抜ける。間際、微かに動かした鉛色の瞳でデリラを見据え、そこだけ上官らしく言い置いたのを、後ろを着いて歩き出したミナミが小さく笑った。

「陛下も猊下もおられた席で通達されたんですから、堂々と衛視になるって言ってやれ、デリ。偉そうにするのを忘れるなよ。お前の上官はわたしであってわたしでなく、陛下なんだから」

「アンタほど偉そうには出来そうもねぇけどな」

 仄かに笑って行き過ぎる、ミナミの痩せた背中。立派な衣装に身を包んだ青年は殊更綺麗で、その彼を少しだけ待ち、すぐに肩を並べた上官の後ろ姿は呆れるほど堂々として見えた。

「…………スゥ」

「……」

 コスモスが、咲き乱れている。

「お前は魔導師であるべきだ」

 華やかではないが、密やかに可憐。

「魔導師であってね、ゴッヘル卿って言われてるべきだよ」

 か弱いが、弱々しいのではない。

「………………それは…デリ…」

 コスモスは、咲き乱れている。

「ただしお前はおれの伴侶なんだし、悪いけど、次の魔導師だけは諦めて貰うからね」

 胸を張れ。迷うな。お前達はお似合いだ。とキャレも言った。

「…ばかだね、お前は」

 そう囁いて小さく笑ったデリラが、スーシェの華奢な眼鏡をそっと奪い取る。

「お前を返すつってんじゃねぇでしょ、別にね。

 何そんな…世界の終わりみたいな顔してんだろね、スゥは」

 折りたたんだ眼鏡をスーシェの手に握らせ、そのまま、今にも泣きそうな顔をした彼を引き寄せて、抱き締めて、俯いてしまった淡いベージュの髪から覗いた薄い耳朶に、キスを見舞う。

「愛してるよ、スゥ。お前が魔導師だろうがなんだろうが誰にも渡さないしね、誰にも文句言わせないよ」

 誰にも。

「おれは今から、今度こそね、お前を貰いに行くんだよ。

……………だっておれはね、貴族に文句言われても黙って聞いてなくちゃならない「スラムのごろつき」でも「魔導師隊の下っ端」でもなくてさ、陛下の傍に控える、衛視になんだからね」

 言ってデリラは、腕の中で小さくなったスーシェの頬にキスを浴びせ掛けた。

  

   
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