■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

マイクス・ダイ

   
         
僥倖ではなく強運だ。

  

 マイクスが演習室のスライドドアを引き開けた時、まさにそれは始まった。

 上空。それまで待機していた「フィンチ」八機が、一斉に「キューブ」群に飛び込んで行く。接触すれば百六十の礫(つぶて)に晒されるハメになるのだろうが、「ドレイク・ミラキのフィンチ」は操作している人間が特別製なのだ、そんな無様でいられる訳もなく、だから真白い小鳥は危なげなく正方形の間を掻い潜った。

 その間も、「アン・ルー・ダイのキューブ」は移動し続ける。ドレイクからユニット内のどれかひとつを指定位置に置くように、と指示が出ていた。しかし、「キューブ」は全部がばらばらに動けるものではなかったから、操作に不慣れなアンには、指令を受け取る「ホスト・キューブ」を動かして「エンド・キューブ」のひとつを指定位置に据えるのさえ一苦労だった。

<気合でやれ>とドレイクから通信。

「無茶言わないでくださいよぉ」

 泣きたい気持ちで愚痴ってみるものの、アンはそれでも必死に「キューブ」を動かし、ついに、全ての指定位置に「エンド・キューブ」を置き終えた。

「キューブ」は「三十二機五ユニット」。つまり、アンからの指令を受けて動くものは「五機」しかなく、残りの、その「ホスト」に付随する三十一機は、「ホスト」との位置を保とうとする機能しかなく、「ホスト・キューブ」は移動端末である「エンド・キューブ」の中心に存在しているが、「ホスト」同士の距離と位置、端末の「ホスト」との距離とフォーメーションという自由数値をちょっと書き換え「エンド・キューブ」の重なりを変えてやれば、どれが「ホスト」なのか判らなくする事は可能だった。

 だから、動き回る「キューブ」と「フィンチ」を観測しているタマリやブルースにも、どれが「ホスト・キューブ」なのかよく判らない。

「というか、「フィンチ」が異常電波で邪魔してくれてんじゃない…」

 思わず唸ったタマリ。「キューブ」自体も通信しているから多少観測に誤差が出る上に、その只中を飛び回る「フィンチ」も微弱電波で索敵し難くして来る。しかもひとりはあのドレイク・ミラキなのだ、しつこいようだが、抜かりあるはずもない。

 これが実戦なら、タマリにもブルースにも「ホスト・キューブ」を短時間で見つけて攻撃するのは、至難の業だろう。

 観測する制御系魔導師。その観測結果を見ているその他大勢にも、つまり、今からフィールドで何が起こり、何をしようとしているのか、さっぱり判らないのだ。

<端末の正常設置を確認。アカウント「ブランク・キューブ」ジャンパー撤去完了>

 末端のプラグインジャックを意図的に解放したアンが、ドレイクに<グッド・ラック>を通知する。

 その、気の利いたサインをドレイクは朗らかに受け取った。

「いい度胸だな、アン」

「このくらいじゃないと、お二人の「おまけ」は勤まらないでしょ?」

 肩越しに軽く振り返ったアンが緊張気味の笑みを見せたのにハルヴァイトが頷いて、なのに、すぐ首を横に振る。

「あなたはおまけなんかじゃありません、アン。わたしとドレイクの…一部ですよ」

 完全補助系魔導師アン・ルー・ダイの臨界脳に異変が起きたのは、ハルヴァイトがそう呟いた直後だった。

「キューブ」の間を飛び回る「フィンチ」が一斉に囀る。異常電波の放出によって通信状況が悪化し、制御を失った「キューブ」が一瞬そのフォーメーションを崩しそうになった途端、待機していたドレイクの「ハッキングプログラム」が急速稼働し、事もあろうに、アンの臨界脳に割り込んだのだ。

 判っていた事だった。何せドレイクは、「キューブ」顕現直後からアンの脳に割り込みすると宣告して来ていたし、その後何をするのか、アンには通知済みだった。

 だからアンは慌てず騒がず、保護した動作系プログラムの観測だけを行い、その他の…つまり「動かす事以外の命令系統を全て」ドレイクに引き渡した。

 自分の脳が他人に操作されている、奇妙な違和感。しかしそれは一部だけであって、アンはアンとして存在し、「キューブ」はアンに手を貸している。

 刹那でフォーメーションを立て直した「キューブ」。旋回する「フィンチ」。上空を埋める小鳥と正方形を見上げる、悪魔…。

「ここはひとつ、派手なショーでも見せようか」

 ドレイクが呟いて、一拍。「キューブ」と「フィンチ」が同時に細かな火花を纏うなり、ドレイクとアンの周囲に大量のモニターが立ち上がった。

 プログラムの読み込みと実行を繰り返すモニター。アン本人さえ驚いてしまうような速度で全てのプログラムにエンターが書き込まれる。

「「キューブ」を適当に動かしてみろよ、アンちゃん。こっちの動作は正常だぜ」

 ドレイクに言われた通り、アンが恐る恐る「ホスト・キューブ」に移動命令を出してみると、「キューブ」群は中空をばらばらと移動し、佇む「ディアボロ」の上空で回ったり、縦になったり、広がったりした。

「こっちも正常です。防衛プログラムへの抵触…は、情けないですけど、皆無ですね」

 割り込まれている状態で「なんでもない」というのもおかしな話しだと思ったのか、アンが苦笑いでそう告げると、ドレイクは「当たり前だろうが、おめー。相手は俺だぞ?」とふざけて答えた。

 その間も、アンの脳はドレイクの「フィルター」として何かを実行している。というよりも、実行しているのはドレイクであって、アンはそれを「キューブ」に伝えるための変換機的な役割をきっちりこなしている、という感じだった。

 ややこしい。

「相互間通信しかしねぇ「キューブ」に出来んのがただ上空を飛び回ってちょっとちゃちゃ入れるだけかつったら、そうだとしか想像しねぇ連中にはそうでしかなく、それ以上の想像するヤツらに取っちゃこれ以上に完璧な「補助系魔導機」はねぇ。本当にただ相互間通信するだけなんだったらよ、徹底的に通信して貰おうじゃねぇか、ってのが、俺とハルの出した結果だ」

 だから、なんだ?

「「キューブ」は相互間で通信する。ベクトルは横。なら…他から縦のベクトルを付け足してやれば、無茶が利く。でもそれがアンに出来ねぇんなら…」

 ドレイクは独白するように呟き、にっと口元を歪めた。

「出来るヤツがやりゃぁいいんだよ」

 前触れは、何もなかった。

 唐突だった。

 音も光もなかった。

 しかし、衝撃的ではあった。

「なんで…「ディアボロ」が四機もいるのよ…」

 忽然と、瞬きの隙間を縫って出現した四機の「ディアボロ」。上空に「キューブ」と「フィンチ」地面には悪魔が四匹。身じろがない空洞の眼窩で驚愕する人間どもを睥睨し、つまらなそうに、つまらなそうに…。

「……さっきのと似た原理? あれ、あの「ディアボロ」の中で尻尾揺らしてんのが、本物なんだよな?」

 ふらふらと尾を揺らめかせているのは、一機だけだった。

 正直、ミナミだって驚いてはいた。しかしデフォルトで無表情なのだ。しかも彼は「ディアボロ」と懇意(?)だし。だから、なのかミナミは、突然現れた四匹の悪魔のうち一匹だけが尾を揺らしており、そのほかは彫像のように動いていない、というのにすぐ気付いた。

「さっきのとって…、みーちゃんは、あれが幻影だっていうの?」

 索敵陣には間違いなく四つの機影がある。だからタマリは悲鳴を上げそうな顔でミナミを振り向き、しかしミナミは事も無げにこくんと頷いて見せた。

「質量計測している。実態を持ったヤツは、幻影とは呼ばない」

 無知な一般人が何を言うのか、とでも言いたげなブルースの呟きに、なぜかスーシェが眉を寄せた。

「アントラッド君…、君が思っているより、ミナミさんは「ぼくら」を理解しているよ」

 魔導師を。

 ハルヴァイト・ガリューを。

 ファイランという世界の全てを。

「立体映像でないならはりぼて。ミラキ卿が索敵陣に「嘘吐いて」ねぇつうなら、あの「ディアボロ」は」

 言って、ミナミはあのダークブルーの瞳で四匹の悪魔を眺め、それから微かに視線を移して、恋人の微かに歪んだ口元を見つめた。

「……アンタなんだろ?」

「データです。全てはデータ、それが臨界の理ですから」

 実際、ドレイクはタマリとブルースの索敵陣に割り込んでいない。しかし現実に「ディアボロ」は四機「ある」と計測されている。

「わたしがそこに置いているのは「ディアボロ」と同じ形状と質量を現す「データ」で、視覚情報はドレイクの描いた立体映像。それらを含む空間自体はアンの「キューブ」が制圧し、外部からの観測値を微細に修正するようになっています。

 ややこしい詳細を省くならば、まぁ、おおむねミナミの見立て通りと思って貰って差し支えありませんね」

 ハルヴァイトが横柄に言い放って笑顔を見せると、タマリはぽかんとし、スーシェは嘆息し、イルシュは訳が判らずきょときょとして、ブルースは愕然とした。

 それから。

「………。は……。はははははははは!」

 大隊長グラン・ガンが、ハラを抱えて笑い出した。

「どこにこんな大バカがいる? 三人で五人分の事をして退けようというバカどもがどこにいる? 誰かの領域で物を考え、誰かがそれを実行し、出来た綻びをまた誰かが繕おうなどと誰が考える? 誰がそんなバカな事をする? そんな非常識がどこにいる? 

 残念だよ、諸君。非常に残念だ。

 わたしの部下にはそんなバカも非常識もいない」

 ひとしきり笑い、楽しそうにまくしたててからグランはなぜか、ミナミとヒューにウインクして見せた。

「アイリー次長の部下には、どうやら、いるようだが」

 つまり。

「じゃぁ、アンは…」

 アリスが、亜麻色の目を見開いてフィールドを…顕現していた「フィンチ」と「ディアボロ」に続き、上空に浮かんだ臨界接触陣に吸い込まれていく「キューブ」を見つめながら溜め息のように呟くと、微かに目を眇めたデリラが小首を傾げて口元を引き上げた。

「こんで、晴れてボウヤも一人前、って事かね」

 衛視の黒い制服を身に纏い、一人前。

「もしかして、纏めて追い払われたんじゃないのか? お前ら」

 奇しくも同僚になってしまうのだろうヒューが、ハルヴァイトとドレイク、少し遅れて追い付いて来たアンにわざとそう声を掛ける。

「うわ。そんな酷い事言わないでくださいよぉ、スレイサー衛視」

 いつもと同じ情けない声で抗議したアンを、両脇に佇むハルヴァイトとドレイクが見下ろした。

「アン」

「アンちゃん」

 絶妙のタイミングで名を呼ばれ、頭ひとつ以上背の低いアンがきょとんとふたりの上官を仰ぎ見る。と。

「「一生友達で」」

「いような」

「いましょうね」

 振り降りる朗らかな声と、久しぶりに見る上官どもの不敵な笑顔。ハルヴァイトの忘れていなかった最初の「約束」通り、アンは、グランとローエンス除隊後ファイラン最強になるだろうハルヴァイトとドレイクに「必要」とされたのか。

「………………」

 戸惑うように周囲を見回し、ミナミに視線を据えるアン。

「うん。明日からアンくんは、そのひとたちに迷惑掛けられたら叱っていいと思う、俺」

 上官でなく、部下でなく。

「同じに衛視なんだしさ」

 素っ気無く言って肩を竦めたミナミが、ふと、開け放たれたままのスライドドアに気付いてそちらに顔を向けた。

 そこには、呆然佇む、マイクス・ダイの姿が。

「マイクス…」

 溜め息のように呟いたアンの不安げな表情。しかし、マイクスがここに来た理由を悟ったスーシェが、戸惑うアンを安心させるようにほんのりと微笑んで、痩せた背中を軽く押し遣る。

「…あの…」

「アン」

 ふらふらと歩み寄って来たマイクスは、瞬きもしないでアンを見つめていた。

「衛視になるのかい?」

「…なる、みたい」

 まだ確信がないからなのか、実感が持てないからなのか、アンが困ったように苦笑いしながらしきりに頭を掻く。

「顔を上げて胸を張れ、アン。お前は…」

 マイクスは言って両手を広げ、ぽかんとするアンに抱き付いた。

「本当によくがんばったよ。おめでとう」

 本当は、謝ったり許して貰ったりしなければならないのだと判っている。なのに他の言葉が思い浮かばず、マイアスは華奢でちいさな従兄弟を抱き締めて、何度も何度も「おめでとう」とくり返す。

「うん。ありがとう…」

 何を言うでもなくただそう恥ずかしそうに答えて、アンはマイクスを抱き締め返した。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む