■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

名もない故人(@)

   
         
後悔出来ない。

  

<過去ログ>

            

               

 第七エリア制御室は薄暗い。まるで迫ってくるような威圧感の中で、その男はいつも同じ顔つきでにこりともせず、時たま現れる来訪者を快く迎える訳でもなく、瞬きの少ない刃物のような輝きの瞳をちょっとだけ眇めて、彼、タマリ・タマリに無愛想な椅子を勧める。

 ヘイゼン・モロウ・ベリシティ。元・王都警備軍電脳魔導師隊第五小隊小隊長であり、現在は電脳技士としてエリア制御プログラムの監視をたったひとりで行っている。

「いよっ! 元気? 偏屈さん」

「その、面白くもなく毎度変わり映えしない上に頭の悪そうな挨拶はそろそろ辞めたらどうだ? タマリ」

「いーじゃん、別に。それにさ、変えようにも、ここに顔出すの最後だしぃ」

「最後という事は、スーシェが階級復帰を?」

「うん。つーかさ。そこで「お前も魔導師引退か」って言わないところが、ヘイゼンだよね」

「なぜお前が魔導師を辞める必要がある。それに、例え誰かがお前に魔導師など辞めてしまえと言った所で、辞めるつもりもないのだろう?」

「ま、ね」

「お前は死ぬまで魔導師で在り続けなければならないと言った。私はそれを咎めたりしないし、お前の言い分を肯定する。しかし、それに付随するお前の…」

「それはもう百万べん聞いたよー、ヘイゼン」

「聞いただけでは意味がない。お前が私の言葉を理解し行動しなければ、私はもう百万べんでも二百万べんでも同じ言葉を言い続ける、タマリ」

「はいはい。もうそれだって聞く機会ないかもしれないから、今日だけは黙って最後まで聞いちゃおっかな」

 タマリは笑う。ヘイゼンは笑わない。

「その信条を私は肯定する。安易に命を棄てようとする愚かさとは別の愚かさがあろうとも、私はお前の言い分を肯定する。しかし、生きなければならない、という意志は強く明らかであり賞賛にも値するが、穏やかな幸せと救済を望まないのはお前の愚行だ」

「ぐこー結構じゃん」

「その通りだ、タマリ。

 最後まで、お前がその愚行を愚行と知っていても今の信条を貫き通せるというのならな」

「厳しいね、ヘイゼンは。ちょっとくらいタマリにも優しくしなよ。ハルちゃんにしたみたいに」

 タマリは笑う。ハルヴァイトの名前が出て、始めて、ヘイゼンも薄く笑った。

「私はハルヴァイトに優しくした覚えはない」

「そう? でも、ハルちゃんの前から消えてやったじゃん」

「消えたのではない。逃げたのでもなければ、見捨てたのでもないが。強いて言えば、置き去りにしたのか」

「顔合わして、きっと後悔してるだろうハルちゃんに余計な事言っちゃう前にさっさとエリア移動しちゃうのは、やさしくしたのと違うの?」

「やさしくするつもりならばどこへも行かず、傍に居てやるべきだったのだろう。だが私はそうしなかった。だから、やさしくしたのではない」

 意固地め。とタマリは含み笑いし、ヘイゼンは涼しい顔で小さく頷く。

「傍に居て後悔し続けさせる事がハルヴァイトのためだったかもしれないと思わない事もない。それで彼が救われた意味を考え、永久に失われた命を考え、後悔もするだろうが、振り返るだけでなく前進しようとするならばそうしてやるべきだったのかもしれない。だが、あれはそんな殊勝な人間ではない」

「ハルちゃんしゅしょーじゃない? そうかなー」

 さも頭の悪そうなタマリのセリフを、ヘイゼンは黙って受け止める。

「お前がそのいかにもな「バカ」のふりをやめないのと同じで、あれも「世の中など預かり知らぬ」という顔をやめないし、徹底的に…そう、例えば自分が愚かだと知っても、お前と同じで、毛ほども信条を変えないだろうよ」

「信条ですか…。ハルちゃんの信条なんか、タマリは知らないけどさ」

「お前とは正反対なのだしな」

「およ? 正反対?」

「お前は「何があろうと生きさらばえて世間と関わりあってやる」であり、ハルヴァイトは「惜しい命も何も持たず完膚なきまでに世間を遠ざける」だ」

 ヘイゼンはしかし、この予想が既に大外れしている事を知らない。

「学ぶだけでは意味がない。

 タマリ、王城エリアに戻ってハルヴァイトに会い、その上であれが変わっていなかったとしたら、私の代わりにそう言ってやれ」

「あははは。そーんなおっかない事、ヘイゼン以外の誰に出来るってのさ」

 そこでタマリはさもおかしげに笑い、ヘイゼンは笑わなかった。

「…その、ヘイゼンのいかにもな説教聞けなくなるのは、ちょーっと寂しいかな」

「いつも迷惑そうにしていたくせに、今更何を言う」

「いつでもここに来たら偉そうに説教垂れやがると思ってるうちはどうも感じないけど、それが今日で最後、となったら感慨みたいなモンもあんでしょ?」

「私なら、退屈な説教とも今日でおさらばだと思って小躍りするがな」

「自分で退屈とか言うな、ヘイゼン」

「退屈で自分勝手で臆病なくせにさも偉そうに世の中を説き教えていい気になってるこの私の話が、どう面白いというんだ、タマリ」

「面白くはないよ。うん、全然面白くない。でも、ヘイゼンは判ってるんだな、というか、アタシは判られてるんだな、とは思う」

「私は何も判ってなどいない。判っているふりをしているだけだ。いかにもな言葉で相手を黙らせるだけだ。そして、最後の最後で逃げ出す、愚か者だよ」

「………………。どうかした? そういう言い方って、ヘイゼンらしくないじゃん」

 覆い被さって来そうな、機械群。その薄暗く騒がしい静けさの中にあってもヘイゼンは機械どもに飲まれる事無く、いつでも「ヘイゼン」として存在しているはずだったのに。

 どこか朧な、刃物のように冷たい薄水色の瞳。

「らしくないか…。そうかもしれない。私は、タマリ。王城エリアを出るのと同時に魔導師である事を辞めたが、それを悔やんだりはしない。したいとも思わない。

 しかし、私がそうしてしまった事によって出来ただろう確執が、私の知らないところでハルヴァイトを傷付けようとしたならば、私は私をファイランいちの愚か者だと認め、今後一切この狭苦しい部屋から出ずに死ぬまで自分の愚かさを悔やみ続ける事にするよ」

 本当に珍しい、もしかしたら、タマリがヘイゼンと出会ってから始めて聞いたかもしれないあからさまな悔恨の呟きに、少女の外見を持った彼は心底驚いた。

「…アタシじゃなんの役にも立たないけどさ、ヘイゼン? って、ヘイゼンにこんなコト言うの、なんだかおかしいけどね? アタシは…ずっと黙ってて、みんな知ってるのに何も言わなくて、言ってもくれなくて…、気、遣ってくれてるって判ってるけど、だから余計に、こう、ちょっと卑屈になっちゃったりしてさ。それで…あんなコト言ってすーちゃん困らせて、結局逃げるみたいにあっち出て来ちゃったの、少しは…後悔してたんだよ」

 タマリは、笑おうとして、失敗した。

「でもそれ、誰にも言えなくてさー。だってね、すーちゃんはすっごくいいヤツで、デリちゃんだって…本当に…本当に物凄く心の広いいいヤツで、そういう風にしちゃだめなんだってアタシ、判ってたけど」

 泣く代りに、笑わなければならない。タマリは。

「出来なかったんだよ、だからさ…。黙ってられなかった。すーちゃん騙してるみたいで辛かったから、自分で言った。

 でも、やっぱ逃げ出しちゃったからだろうね。ちっともすっきりしなくて、なんだか荒れたまんまでさー、こっち、王城エリアよか暇じゃん? だから…余計な心配ばっかして…。そういう時にヘイゼンがアタシの話聞いてくれて、なんでも判ってる、お前は愚かだーなんて言ってくれて、アタシは、随分楽になったもんだよー」

 泣く事を棄ててしまったタマリは。

「だから、ヘイゼンに説教する勇気はタマリにないけど、なんつかこう、喉に引っかかってるモン人知れず吐き出そうって時、黙って聞いてるくらいなら出来るよ」

 笑う。少女のような可憐な笑顔で。その奥に押し込んだ真実などないもののように、笑う。

 笑う。笑い続ける。永遠に。

 中身のない、疲れ果てた笑顔で。

「何があったのさ、ヘイゼン」

「……………魔導師隊に編成されると知らせて来た」

「誰が?」

「哀れな、私の従兄弟がだ」

 言ってヘイゼンは顔を上げ、笑顔の形を記憶してしまったタマリを見つめた。

「あれは何も知らない、哀れな子供だ」

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む