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名もない故人(A)

   
         
顔向け出来ないような真似をしないで欲しい。

  

 演習フィールドに重く冷え切った空気が降りる。

 スライドドアに手をかけたままのミナミは、しかしフィールドから出て行こうとせずタマリの話に聞き入っていた。

「ヘイゼンの言った通りだったよ。一部の間違いもなかった。遠く離れてて、今ここがどうなってるのかなんて知らないはずなのに、ヘイゼンは全部お見通しだった。

 ヘイゼンは言ったんだもの。

 彼は哀れであり、無知であり、何を知るよりも先に植え付けられた知識と思い込みだけでハルヴァイトを糾弾するだろうし、ハルヴァイトの周囲に居るだろう全てのひとに偏見を持ったまま接するだろうってさ。

 ヘイゼンはそれを愚かだって言ったし、哀れだっても言ったよ」

 タマリにしては冷淡な口調。それが、笑っていなければならないと自分に言い聞かせる彼が時たま見せる怒りだと知っているスーシェは、おろおろと不安げに周囲を見回しているイルシュにそっと手を差し伸べた。

 それに気付いた少年が、無意識に、スーシェの腕に縋り付く。

「…僕のどこが哀れなんだよ…。

 僕のどこが愚かなんだよ!

 なんで僕が、何も知らないお前らにそんな事言われなくちゃならないんだ!」

「はっ! あんたみたいなガキの戯言なんかに構ってられっかっての。ヘイゼンに見捨てられたって勝手に卑屈になって、ホントになーんにも知らないイルくんに八つ当りするような、周りの連中の「何も」知ろうとしないあんたなんか、さっさとどっか行っちまえよ」

 赤銅色の瞳にあからさまな怒りを漲らせたブルースに、タマリが冷たく言い放つ。

「あんたみたいなバカが部下だなんて、考えただけでもぞっとする」

 出来あがる前だというのに、新編成の第七小隊崩壊の危機。しかし、ここでタマリが…多分この話題に一番触れたくないだろうタマリが最初に口を挟んだ理由を、そうさせるべきでなかったデリラは理解していた。

 デリラとタマリの。ハルヴァイトとヘイゼンとブルース、アリスとドレイクの。スーシェの。イルシュの。アンの。マイクスの。ミナミの。

 重なり合わない「何もかも」を知ってしまったそれぞれが、タマリの勇気に感謝する。

 誰かのために。

 これは、黙って見過ごせないのだ。

 現在に繋がる過去。ここでこの些細な出来事を解決出来ない彼らに、これから直面するだろう本当の問題は、解決出来ない。

 だから。

「うちの大将は言い訳なんて面倒な事しねぇんだろうから、代りに誰かがやらなくちゃなんないだろうね。ねぇ? ひめ」

 剣呑なブルースの視線を涼しい横顔で受け流すタマリに代わって口を開いたのは、デリラだった。

「…そうね。その通りだわ、デリ。しかも、そうしろって命令してるのは誰でもないヘイゼン小隊長なんでしょう? 別にはっきりそう言う訳でもないくせにけしかけといて、もしここであたしたちが何もしなかったって聞いたら、きっと、ヘイゼン小隊長はこの先一生でもこの不手際を責めてくれるわね」

 ヘイゼンとは、そういう上官なのだ。

「それに、アントラッドくん。君も、二度とヘイゼン小隊長に会えなくなるでしょうし」

 赤い髪の美女が冷え切った顔つきで囁く。ヘイゼンを知る人間にとってそれは、嘘や偽りでなかった。

「ヘイゼン小隊長が魔導師を辞めて電脳技士になったとき、ハルはまだ医療院にいて処分保留中だったわ。だからハルは、なんで小隊長が退役したのか知らない」

 一度言葉を切ったアリスが、短い溜め息を吐く。言いたくない事というよりは聞かせたくない事であり、しかし、それを第三者として話すべき人間は自分しかいないのだと諦めて、彼女は、亜麻色の双眸でブルースを見つめ、淡々と続けた。

「大抵のひとはヘイゼン小隊長が事故の責任を取って魔導師隊を辞めたと思ってるし、ヘイゼン小隊長自身、そんな日和見的な興味本位の噂を訂正して歩くような人間じゃなかった。ただし小隊長は退役する日、執務棟のエントランスまで見送りに出た魔導師隊の隊員に、こう言い残して行ったわ」

           

「自らの意志を持って栄誉在る死を受けた私の部下たちを愚弄するような流言蜚語など爪の先ほども立ててみろ、私はすぐにでも戻って来るからな」

         

「あの事故に居合せた隊員は、その言葉の意味をとうに知ってた。

 だってね、あの時、フィールドには十名近い人間がいたのよ。ドレイクも、あたしも居た。

 なのになぜあのふたりだけが…死んだのか。

 簡単だわ」

 死んだのは、たったふたり。

「クリスとエイニーは、ハルの忠告を聞かなかったのよ」

 だからなんだ、というブルースの顔を、イルシュが見上げている。

「ハルは「動くな」って言ったわ。「動かなければ「ディアボロ」は、「他の人」に何もしない」ってね。確かに、その時もう「ディアボロ」は手が付けられないくらいに暴れてて、フィールドの床に幾つも穴が開いてたし、息をするたび喉が焼け付きそうになるくらい空気だって高温になってた。なのに、あたしたちの誰も「ディアボロ」に攻撃されたり、怪我したりしなかった。

 最初は、ハルがなんとか「ディアボロ」を抑えてるんだと思ってた。だからきっと、ハルと「ディアボロ」なんだから、大丈夫だってね。

 でも、それは違ってたのよ。

 最初から「ディアボロ」には…………ハル以外の人間を傷付けるつもりなんかなかったの」

 その言葉の意味が脳に浸透するまで、少し時間が掛かる。

 しかし、理解しようとする人間たちは知らないままでよかったその意味を知り、愕然とハルヴァイトを振り返ってしまった。

 それでも、ハルヴァイトは無感情にブルースを眺めているだけだったが。

「本当に酷い有様だったわ、あのときの「ディアボロ」は。壊れかけのおもちゃみたいにぎくしゃくとしか動けないし、モデリングも今よりずっと大雑把で、プラズマ翼さえ正常に稼働出来てなかった。

 だから「ディアボロ」は怒ったの。

 無様な姿を晒し続けるくらいなら消えてしまった方がマシ。とでも思ったのかしらね。

 だから「ディアボロ」は、

 暴れて暴れて他の人間どもを黙らせ、怯えさせて遠ざけ、ハルヴァイトを殺そうとしたのよ」

         

 荒れ狂う、真白い荷電粒子と、触れれば鉄さえも溶かすだろう高温を作り出すうねった文字列。一歩も動けない悪意に満ちた暴風の中に、鋼色のそのひとは、ただ静かに佇んでいる。

 望んだ「死」は、もう目前。疲れ切った世界に別れを告げるのも、もう目の前。

 それにハルヴァイトが安堵の吐息を漏らした、刹那。

          

「クリスとエイニーがハルの前に飛び出したのは、ブロック・システムの制御を振り切った「ディアボロ」のモデリングが一瞬で変わった直後だった。出来の悪いおかしな人形がまたあの「悪魔」に戻ったのを目にして、ふたりは「ディアボロ」の意図を感じたのね、きっと。あたしやドレイクが停める間もなく、ふたりはハルを突き飛ばした」

 その時の光景を、ハルヴァイトはあまりよく覚えていない。自分自身、ふたりの同僚が危険だと悟った瞬間に臨界との強制切断を実行し、逆流するエネルギーに耐えきれず胴体の一部をふっ飛ばす目にあっているのだ。

「判る? あのふたりは、ハルヴァイトを庇って死んだのよ。何もしなければ死んだのはハルヴァイトだけで、他の誰も死んだりしなかったのよ。なのにふたりはハルの忠告さえ聞かずに飛び出したの。そして、最後に言ったわ…」

 最後に。

 報せを聞いて駆け付けたヘイゼンに、言い残す。

         

「ヤツは生きているか? それなら…いいや」

          

「後悔してる人間の顔じゃなかったわ。ハルが生きてる事を本当に喜んでる顔だった。だから、ヘイゼン小隊長はあたしたちに言ったの。ハルヴァイトを責めるのは、勇敢にも彼を救った同僚を悪し様にするのと同じだ、ってね」

 言い終えて、アリスはもう一度だけ短い溜め息を付いた。

「…それが……だから…なんだっていうんだよ…」

「ヘイゼン小隊長が退役したのはハルのせいじゃねぇ」

 それまで黙り込んでいたドレイクが、驚くような酷薄さで呟く。

「確かに、小隊長の「オロチ」は制御系にとっちゃ組み難い魔導機で、ずっと一緒にやって来たクリスの「モスキート」でなくちゃ、イチどころかゼロから調整する必要があっただろうよ。でもな、ヘイゼン小隊長はそんな不器用じゃねぇよ。いざとなったら制御系に合わせる事だって出来ただろう。なのに小隊長は退役した。

 ずっと………魔導師なんか辞めてぇつってたひとだ、どんな理由にせよその機会が来たとしたら、それを見過ごせるようなひとじゃなかった」

「辞めたがってた…?」

 ドレイクの言葉を耳に、ブルースが愕然と呟く。

「ああ。小隊長はずっと、魔導師としてしか生きられない、生まれた時からそう決められてた自分に、嫌気が差してたのさ」

「………嘘だ!」

「嘘じゃねぇよ。事故をきっかけに第五小隊は解体が決まった。「オロチ」は「モスキート」を永久に無くした。だからもう、自分が魔導師で居る理由もなくなったって、そう言ったよ。

 俺ぁその身勝手な言い分に食って掛かったさ。こんな事故があって、それであんたが魔導師を辞めて王城エリアから出てったら、残されたハルヴァイトはどうすんだってな。

 でも、小隊長は辞めた。

「ディアボロ」には八機の「フィンチ」が居る。ハルヴァイトには俺やアリスや、この先必ず現れるだろうハルヴァイトを理解しようとしてくれる人が居る、つってよ。

…………………」

 ドレイクはそこで短く言葉を切り、あの、飄々として人好きのする笑顔、ではなく、あからさまな不愉快を張り付けた冷たい表情で、ブルースを見つめた。

「従兄弟がひとり行く末魔導師になるだろうが、そいつとここで…顔を会わせたくねぇからってな」

 イルシュがブルースと組む事を決めた日、ドレイクはフィールドを覗かずに監視ブースから直接施設を出た。迂闊にも、か…。

 だからドレイクがブルース・アントラッド・ベリシティの名前を聞いたのは今朝が始めてで、流言蜚語でないにせよ放置されていたヘイゼン退役の噂を知っていたグランが、この訓練よりも一足先にスーシェを呼び、ドレイクとハルヴァイトにはブルースの名前を電信したのだ。

 手を打つのが遅かった。

 無性に腹が立った。

「何も知らねぇか…。そうだな。俺もハルもおめーもよ、なーんにも知らねぇんだよ、ホントの事なんか。なんで「ディアボロ」がハルの命令を蹴って暴れたのか、なんでクリスとエイニーがハルの前に飛び出したのか、なんでヘイゼンがおめーと会いたくなかったのか、なんで…」

 なぜ。そう。だったのか。

         

 なぜ。

           

 ドレイクは言いかけた何かを飲み込むように口を閉ざし、きちんと整っていた白髪を苛々と掻き回してから、ふと、傍らのハルヴァイトに顔を向けた。

 ハルヴァイトが、ブルースでなくドレイクを見つめていたから。

「な…んで? 会いたくなかった…って…………、そんな事ヘイゼンは一回も!」

「ばかか、おめー。会いたくねぇから顔合わす前に出てこうってヤツが、その会いたくねぇ相手に「おめーが来るから出てく」なんて言うか」

 さすがにこれは衝撃的だったらしく、ブルースが目を見開いて搾り出すように呟く。それを受けてなのか、ハルヴァイトの視線に居たたまれなくなったのか、ドレイクは溜め息混じりにそう、本当に冷たく吐き捨てた。

 大人としてはこの態度を咎めるべきだろう。しかし誰もそれが…出来ない。

 出来ない。ドレイク・ミラキという兄は、陛下よりも王都民よりも、弟が…大切なのだから。

 もうそれしか、残っていないのだから――――――。

「おめーがハルをどう思ってようが関係ねぇがな、いいか? 二度と俺の前でその話すんなよ。次は、警告無しでぶん殴るからな」

 言い置いて、曇天の暗い瞳がブルースを射竦める。

 大人気無いな、とドレイクは自分に対して思い、失笑する気力もなく、すぐにブルースから視線を逃がしてハルヴァイトの腕を掴むと、ミナミの佇んでいるスライドドアに向かって歩き出した。

 当然、ハルヴァイトをいつまでもブルースの前に晒しておくのは嫌だった。しかも、タマリが居る。ならばここで当事者である自分たちが退場し、後はデリラに任せるのがベストだろう、とドレイクは思ったのだ。

 ここで何かを説く権利があるのは、きっと、デリラだけだ。

 突き進んでくるドレイクとハルヴァイトのためにスライドドアの前から退去する、ミナミとヒュー。相変らずの無表情に何を思ったのか、一瞬、ドレイクが何か言いたそうにミナミを見つめる。

「…ミラキ卿…」

「なんだ…」

「…………後でスゥさんに謝った方いいと思うよ」

「…そうだな」

 ここで新編成の第七小隊に問題が起きて一番苦労するのは、小隊長であるスーシェだからだろうか。

「それから…あんたさ」

「はい」

 ミナミがハルヴァイトに声をかける。

 見上げる、ダークブルーの双眸。

「先帰って通信端末直しとけよ…」

「…はい」

 今朝ハルヴァイトが壊したリビングの通信端末は、忙しいから、という理由でそのまま放置されたままだった。

 それだけ言って、ハルヴァイトからブルースの背中に視線を戻す、ミナミ。答えたハルヴァイトもドレイクを促し、スライドドアの外へと消える。

 それでフィールドには、一見無関係な人間だけが取り残された。

  

   
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