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スーシェ・ゴッヘル(A) |
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自分の事で手一杯。 | |||
判っている人間がどうにかしなければならない。 それは使命感でなく、責任だった。 「アントラッドくん。ヘイゼンがなぜ君と会う前にここを出たかったのか、そもそも、魔導師である自分を不満に思っていたのか、君は、判っているんじゃないのかい?」 そう諭すように呟いたスーシェが、不安そうなイルシュにほんのりとした笑顔を向ける。 「ぼくにも経験がある、なんて判ったような事を言ったらヘイゼンに叱られてしまうのかもしれないけれど、ぼくにも似たような覚えがあるよ。 ぼくは、ゴッヘル家で待ち望まれて生まれた魔導師だった。兄には才能がなくて、それこそ電脳技士にもなれなかったし、ゴッヘル系の貴族にもここしばらくは小隊長クラスの魔導師は居なかった。 だからぼくは、気が付いた時にはもう魔導師としてゴッヘル家を継ぐ立場に置かれていたんだ。 ……随分辛かったよ。 学生の頃、友人達はみんな楽しそうに将来の夢を語ったけれど、ぼくにはいつでも決められた「未来」しかなかった。警備軍に入るもの決まっていた。魔導師隊に編成されるのも決まっていた。何も問題なければ、そこそこの年数で小隊長になるだろうとも言われていた…。 おかしな話だよ。自分の人生なのに、ぼくには決定権がなかった。 それが、ナイ・ゴッヘル家に魔導師が生まれたと聞いて、少しだけ変わった。 ぼくはね、正直、イムが生まれたのを誰よりも喜んだよ。これで…ひとりじゃないんだと思った。 たったひとりでゴッヘル系貴族の「魔導師」という看板を背負わなくていいんだと思った。 ………そう思えたのは、ほんの少しの間だったけど」 独り言のように告白するスーシェを、ブルースが見つめる。 「すぐに気付いた。判ってしまった。 もしぼくがこのまま黙って家名を継げば、イムも、そうしなくちゃならないんだって」 抗わず、不平を漏らさず、流されるように、臨界に傅いて、生きるだけ。 「結果はどうあれ、魔導師である前に普通の人生を望む人間なんだと判って貰う必要があったんだよ、ぼくらには。 ぼくら…ぼくやヘイゼンのように、期待されて期待されて、家名なのか無駄な矜持なのかを護れと言われて育った魔導師たちにはね」 そこでスーシェは、アンに色の薄い瞳を向けた。 「ぼくは自分の意志で一度は魔導師で在る事を辞めた。でも、また自分の意志で魔導師に戻った。傍から見たら酷い我侭だけどね、なんと言われようとぼくは、ぼくの通って来た道を「恥だ」なんて思わないよ。 それを見てイムがどう考え、この先どう生きようとも、ぼくは、彼の決めた事を「間違いだ」なんて言わない。ぼくは自由にやったんだからね、イムも自由にすればいいよ。 そしてね、アントラッドくん。 ぼくが自由にやったからイムも自由にしていいんだと教えたつもりでいるよ、ぼくは」 魔導師で在る事を辞め、家を捨てて、一番大切な人を得て、また、魔導師に戻ったスーシェは。 「清々しい気持ちだよ。自分勝手で悪いけどね」 もしイムデ・ナイ・ゴッヘルがスーシェの行いを「間違いだ」と思うなら同じ轍を踏まなければいい。もしも自由が欲しいなら、思い切りよくなんでもやればいい。その時は「スーシェだって好きにしたじゃないか」と言えばいい。 これでもう話す事はなくなった、とでもいうように、スーシェは不安げなイルシュの手をそっと腕から解いてスライドドアに爪先を向けた。後の事は伴侶であるデリラに任せるつもりなのだろう、彼はいつものようにほんのりとデリラに微笑みかけ、タマリに微笑みかけ、佇むアリスに目配せして歩き出す。 そのスーシェを追いかけて、アリスが演習フィールドから出ていく。それでその場に残されたのは、ブルースとイルシュ、アン、マイクス、タマリと、デリラだけになった。 「君の気持ちが判らない訳じゃないですよ、アントラッドくん。同じだとか共感できるとか、そういう風には言いませんけど。 ぼくね…、ルー・ダイ家では数代ぶりに出た魔導師だったんです。しかも、スゥさんみたいに小隊長になるとかならないとかいうレベルじゃなくて、魔導師になれるかなれないか、みたいに、ぎりぎりのところの話で。 だから……………。 あまり見識なかったにしても、魔導師隊にマイクスが居たから、随分安心してました。 まぁ、現実はそう甘くなくて、三流貴族のぼくには…決して楽な場所じゃなかったけど」 何がどう楽ではなかったのか、という部分について、アンは明言を避けた。マイクスはすぐに気付いたのだろう、本当に申し訳なさそうに顔を伏せたが。 「だから、ヘイゼンさんが魔導師を辞めてしまって、不安でしょうがなくて、それを…ガリュー小隊長のせいにしたい気持ちも、なんとなくね、判らない訳でもないです。 ……今はそうじゃないって最初に言っておくけど、マイクス…。 ぼくね、小隊長と副長にこっぴどく叱られた事があるんだよ」 第七小隊に編成されてすぐだっただろうか。 「ちょうどこのフィールドだった。何度目かの訓練で、小隊長と副長に言われたプログラムの動作確認しててさ、そこでぼくね、他の小隊の人に言われたんだよ。 ダイ系魔導師だなんて言っておいて、魔導機の顕現も出来てないくせに。って。 なんだかすごく悔しくてさ、そんなだからプログラムの稼働に失敗して、散々副長に叱られて、黙ってればいいのに、ぼくね」 アンはそこでマイクスに向き直った。 「マイクスが魔導師でなかったら、こんな風に言われる事なかったのに。 って、言ったんだよ」 従兄弟がいなければ。 誰とも比べられたりしなかったのに。 「そしたらいきなり小隊長にひっぱたかれてね。ひっぱたく、なんて生ぬるい状態じゃなくって、殴られた拍子に吹っ飛ばされちゃうくらい力任せで、そういう人なんだって判ってたけど、もう本当に軍なんか辞めてやるって思って…。 でも、そしたら副長が言うんだよ」
「おめーよ。そういう風に言われんのは誰のせいでもなくて、おめーのせいなんだぞ? まぁ、「せい」って言い方もおかしいのかもしんねぇが、とにかくよ、言われて悔しかったら、言わせねぇようにしてやる、くれぇの気概で行けよ。 今はどうだか知らねぇし、そいつぁおめーの問題なんだから俺がとやかく言う事でもねぇ。 だがな、いつか必ず、おめーはマイクスに感謝するよ」
「…小隊長もそう言いたかったのかもしれないって判っても、言うより前に手の出る人で、正直びっくりしちゃったけどね。 でも今は、そこで小隊長に殴られて、副長に説教されて、執務室行って小隊長に謝ってよかったと思うよ。 ぼくらは、魔導師になった瞬間から「ひとり」であって「ひとり」じゃなくて、どんな事があっても何が起こっても、同じ家名を持ってるならいつか必ず関わり合って行かなくちゃならなくて…。 今日マイクスがここに来てくれた時にやっとぼくはそれを理解したし、アントラッドくんが…小隊長にその「不安」をぶつけたい気持ちも、判った」 不安。 「ヘイゼンさんが君に会う前にここを出ていった理由も、ぼくには理解できると思ってる」 ここに居て。 見守って。 比べられて。 卑屈になって。 嫌われたり嫌ったりするくらいなら。 「アンはそれでもわたしを許してくれようとするのに、君は、ガリュー小隊長に全ての責任を押し付けて、ヘイゼン小隊長に本当の事も訊かず、必要としてくれたイルシュくんを傷付けて、頑なに、孤独で身を護ろうとするのか?」 不安。 「今判ったよ、アン。 わたしがアンに感じていたのは、家族が押し付けて来ていた「ルー・ダイ家はダイ系貴族の恥じだ」という根拠のない理由と、お前がちっともわたしに追い付いて来てくれない苛立ちだったんだな」 たった四十人しか居ない狭苦しい「世界」。 貴族階級と言う軋轢。 誰もが自分を護るために、その重圧を半分受け持ってくれる「誰か」を待っている。 「すまなかった、アン。わたしは、愚かだった」 「ぼくもね」 神妙な顔つきで頭を下げたマイクスに笑顔を見せてから、アンは彼と肩を並べてフィールドから消えた。 それを見送る、タマリとデリラ。 「うんうん、アンちゃんいいコじゃん。かわいいねー」 「躾がいいからね。何せ」 黙り込んで床の一点を凝視するブルース。 それぞれが意味もなく身の上話をしているようで、その全てが、ブルースの見て見ぬふりをしている確信をちくちくと突つき回す。 不安と孤独。 助けを求める。 誰に? 「…何が言いたいんだよ…」 俯いたブルースが搾り出すように呟き顔を歪めた刹那、デリラが濃茶色の瞳で少年を見下ろした。 「最終的にはね、ヘイゼン小隊長は大将を責めないのに、なんで無関係なガキがうちの大将に好き勝手言うのか、って事なんだけどね…」 言って、デリラはゆっくりと腕を組んだ。 「それが判らないんなら、おまえさ、魔導師になんのなんて辞めちまいなよ。でないとスゥが迷惑するしね、いい気になって余計な事言ってくれると、タマリも迷惑すんだしね」 「……………」 「おれぁね、おれの家族を一瞬で灰にしちまった事を、タマリに後悔したりして欲しくねぇんだよ」 いかにも飄々としたデリラのセリフに、ブルースはぎくしゃくと顔を上げた。 「タマリが魔導師に「なった」時、おれの家族は…みんな死んだ」
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