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ヒュー・スレイサー(A)

   
         
時と場合に寄る。

  

 演習室から出て非常階段を使い、地上に出る。

「? 何やってんの? こんなとこで」

 間際、重たい鉄扉の前に突っ立ているタマリと、ミナミたちは遭遇した。

「反省してんの、タマリさん。よけーな事しちゃったぁーーー。どーしよ、みーちゃーん。こんじゃぁすーちゃんに顔向け出来ないよー」

 ぴー! とミナミに泣き付こうとしたタマリの首根っこを、ヒューがひっ掴む。

「ウチの次長に抱き付かないでくれ。俺がガリューに殺される」

「うっせ。貴様なんか殺されとけー」

 にゃはははははは。ときんきら声で高笑いするタマリをげんなりと見つめ、ヒューが深い溜め息を吐く。

「反省してるんじゃないのか?」

「もう飽きた」

「…つか、飽きんの速過ぎ。あのひと並」

 ヒューの腕が伸ばされるとの同時に一歩後退していたミナミが、非常階段の手摺りに背中を預けて肩を竦める。

「でもさー、みーちゃんてホント、誰にも触れないの?」

「…。まぁ、…そういう事になってる」

「? おかしいな。俺は先日どこかの魔導師にうやうやしく手を取られてる次長を拝見した記憶があるが?」

「息継ぎくれぇしろよ、ヒュー…」

 そんなヒューとミナミのやり取りを、ヒューにぶら提げられたままのタマリがきょときょとと眺めている。

「って事はぁ、ハルちゃんはいいのかい」

「条件あっけど」

「じょーけん? 何?」

 少女っぽい顔に浮かんだ意味ありげな笑みを、恐々と、無表情に見つめ、ミナミが唸る。

「教えたくねぇ…」

「ケチー。みーちゃんのケチんぼー」

「訊いてどうする気だ? タマリ魔導師」

「タマリでいいよー、ヒューちゃん」

 気安く呼ぶな、と言いたいところを、ヒューは堪えた。

「いざという時ハルちゃんからかうに決まってんでしょ」

「殴られないように気をつけろよ」

 どうもこの外見だけを見ていると、マーリィの事を思い出すのだ、ヒューは。先日ミラキ邸でマーリィとアンにいらない事まで白状させられたのが余程堪えているらしく、思わず目を逸らしてしまう。

「あのひとに限った事じゃねぇのかもしんないけど、俺に理解出来る理由がないと触られるのは怖いよ、今でも」

「ハルちゃんでも?」

「うん…。あのひとでも、やっぱ…ダメなときはダメだった」

 何か思い出したのか、ミナミがちょっと渋い顔でそう呟く。

「ふうん。みーちゃんも大変だよねぇ。でも、ま、そのうちハルちゃんだけでもへーきになんなら、他はどうでもいいじゃん」

 明るい笑顔。

「ね?」

 崩れそうな、笑顔。

「…タマリは、誰に…触れる?」

 ふとミナミがそんな意味不明の質問をタマリに浴びせ掛けた。

「? ヒューちゃんにだって触れるよ? 抱き付いちゃう?」

「そうじゃなくてさ」

「…………あーーー。…みーちゃんて、怖いね」

 見つめてくる静謐な観察者のダークブルー。それに嘘や出任せは通用しないとすぐに諦めたのか、タマリは困ったようににやにや笑いながら顔を背け、目の前にあった鉄扉を押し開けた。

「触って欲しくないよ、タマリは。誰かに触るのもイヤだし。とか言うとデリちゃんが怒るから、内緒にしててね」

 唇の前にぴんと立てた人差し指を翳したタマリが、逃げるように執務室へ向かって行く。それを見送りながらエントランスを突っ切って執務棟から出ると、ヒューがしきりに後ろを振り返りながらミナミに問いただした。

「どういう意味だ?」

「そのうち判るよ、多分」

 薄笑みを浮かべたミナミの曖昧な返事にヒューは一瞬首を傾げたが、それ以上タマリについて何か尋ねる気はないようだった。

 小さなものから大きな物まで、問題は山積。どれを優先するのか、もしくは切り捨てるのか、ヒューはその判断を全てミナミに任せる。

 アイリー次長に、ではなく、ミナミ・アイリーに。

「ブルース・アントラッド・ベリシティの件はどうする? ガリューは大丈夫なのか?」

「うん、それ、今んとこ保留。正直、構ってらんねぇ、ってのが本音だけどな」

 ありきたりの会話口調で言ったヒューに、ミナミも冷たく即答する。ヒューにしてみればそれは予想出来ていた答えだったから、別に驚きはなかった。

「どの道、俺はいつかその「ヘイゼン小隊長」ってのに会いに行くんだと思う。あの事故だって、あのひとの過去と無関係じゃねぇんだしさ。その時までにあのコが判ってくれてればそれでいいし、そうでなかったら…」

 そこでミナミは、ちょっと困ったように言葉を切った。

「告げ口はよくねぇ。とか思いつつ、文句のひとつも言いそうだけど」

「………。」

 それを聞いたヒュー・スレイサーが、吹き出す。

「笑うな…」

「いや。お前…ミナミ」

 くすくすと喉の奥で笑いを噛み殺しながらヒューは、無表情に睨んで(?)来るミナミからさりげなく視線を逃がした。

「さっき、よく我慢したな」

「……。別に」

「俺はお前がいつあの小僧を蹴飛ばすのか、気が気じゃなかったんだが?」

「俺、そんな大人げねぇマネしねぇだろ。ヒューじゃあるまいし」

「ガリューじゃあるまいし、の間違いじゃないのか? それは」

「…アンくんとスゥさんが、ヒューもあのひとと大差ないって…」

 と、そこでなぜかミナミは、いきなりヒューの横顔を見上げた。

「………………………、ヒュー?」

「なんだ?」

「あのさ」

 魔導師隊執務棟から人工庭園を抜けて本丸に向かおうか、という経路の途中、ミナミは急に足を止め、数歩行き過ぎて振り返ったヒュー・スレイサーの顔をあのダークブルーの双眸で見つめて、囁くように、何かを…訊いた。

 問うた。

 答えは、小さく肩を竦め、小さく首を横に振り、本当に小さく笑うだけだったが。

「卑怯だな」

 溜め息混じりにミナミが呟くと、ヒューはそれにも笑ってばかりで、何も答えようとしない。

「明日からイヤガラセで「班長」って呼んでやろう」

「やめてくれ、ミナミ。それじゃぁ俺も、お前をアイリー次長と呼ばなくちゃならないじゃないか。しかも明日からというのが、微妙に中途半波だしな」

 くだらない話にはしっかり乗ってくるくせに、自分の事になると途端に得体の知れない笑みでそれを受け流そうとする。これもなかなか扱い難いヤツだったのか? と内心愚痴ってみるものの、ミナミは諦めてまたすたすたと歩き出した。

 ちょっとくらいいい事あってもいいだろうに、と、思ったのに。

「さすがに俺も疲れてんのか? もしかして」

「?」

 色んな事がありすぎる。

「これならまだ仕事してる方がマシ、とか思う」

 ぶつぶつ言いながら人工庭園を抜けて、本丸正面通用口の衛視に会釈し、城内に入る。他に比べればかなり大きい扉の左右に立っている近衛兵は、黒い制服に真紅の腕章を着けたミナミとその後ろからついてくるヒューに笑みを向けて、重い扉を開いてくれた。

 いつの間にかこれも当然になってしまったな。とミナミは思った。

 最初は戸惑ったのに。

 今は、衛視として振舞うのに慣れている。

「……へんなの」

 呟いてミナミは、大階段の脇にあるくぐり戸から非常用の通路に入った。

  

   
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