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13.エンドレス

   
         
(9)

  

 追い返された。とだけ言ったハルヴァイトのふて腐れた横顔に、ドレイクが失礼極まりないけたけた笑いを吐き付ける。

「そんでおめー、しょうがねぇからってここに顔出すようじゃ、行動範囲狭過ぎだな」

「どうせそうやってあなたに笑われるのは判ってたんですから、自宅にでも戻ればよかったんでしょうけどね。適当な時間にひとりで帰るとミナミは言いましたけど、自宅より、あなたに笑われてもここならミナミひとりで戻って来るにも近いですから」

 フェロウ邸はつまり、衛視長用に支度された官邸で、ファイラン家私邸のすぐ近くにあり、本来なら上級居住区に住まう事のない平民のクラバインとその家族が、特別に居住している場所なのだ。

「……ミナミは、相変わらずなのか?」

 私室のカウチにだらしなく座ったまま、ドレイクが灰色の瞳でハルヴァイトを見つめると、見つめられた弟は短く溜め息を吐き、ええ、まぁ、となんだか歯切れの悪い返答をした。

「始めの頃に比べたら、各段によくなっていると言ってもいいでしょうね。登城するようになってからは、特に。ただ……、時折、夜中に隣室で妙な物音がするんですよ…。なんというか、そう、床に……倒れるような」

 ミナミとハルヴァイトの寝室は当然別々で、最近はやっとミナミがハルヴァイトの部屋に入って来たり、ハルヴァイトがミナミを呼びに部屋に行ったりするものの、基本的にはあまりお互いの「空間」を干渉し会わない。別にそういう取り決めをした覚えがないから、なんとなくそうなってしまっただけなのだろう。

「その次の日は、ほとんどの場合、わたしに近寄られるのも嫌がりますよ。本人は無意識なんでしょうけど、さりげなく、避けられます」

 ハルヴァイトは……。

 その本当の理由に、気付いていなかった。

「いっぺんよ、おめー、ミナミ連れて医療院に行ってみろよ。当時の事は睨下の企みだった訳だし、精神科のカウンセリング医…なんつったっけ? あいつ」

「ラオ?」

 珍しく、ハルヴァイトがすぐに答えて、非常に……都合の悪そうな顔をした。それを訝りながらも、ドレイクが小さく頷く。

「そうそう、それがさ、実は五年前にミナミの担当看護師だったらしいしな。だったら、ミナミが逃げ出したのも…って? なんだよ、おめー、その顔は」

 がしがし白髪を掻きながら俯いて話していたドレイクがふと顔を上げると、なぜかハルヴァイトはこめかみを指で押さえて、眉間に皺を寄せていたのだ。

「なんでもありませんよ」

「なんでもねぇ訳あるか」

「なんでもありませんたら」

「…おい、こら、弟。にーさんに隠し事か?」

「わたしもあなたもいい大人なんですから、隠し事のひとつやふたつあって当然でしょう? というか、なかったら気持ち悪い」

 カウチに座り直して覗き込んでくるドレイクの視線をうるさそうに手で払いながら、ハルヴァイトがさりげなく視線を逃がす。その、珍しく困惑気味の横顔が面白かったのか、ドレイクはにやにやしながら立ち上がり、わざとハルヴァイトの隣りに…ぎゅ、と座った。

「まー待て待て。ここはひとつ穏やかに話し合いと行こうや、おとーと」

「狭いんですから寄って来ないでください、ドレイク。それと、やたら弟を連発するのもやめてください」

「やめて欲しかったらなんやら白状しろよ。おめーもしかして、ラオ・ウィナンに会いたくねぇ理由でもあんのか?」

 なんだか性悪な笑みを満面に浮かべたドレイクが、ソファから逃げ去ろうとするハルヴァイトの首に腕を回し、彼をその場に押さえつける。

「ありませんよ」

 肩を組む、というよりも、首を絞められているのに近い格好で引き寄せられたハルヴァイトは、ドレイクの腕を振り解こうともがいた。普段なら、理由はなんにせよ確実に彼の方が優勢なのだが、どうも今日は…立場が逆らしい。

「じゃ、さ。ミナミとラオ医師を会わせたくねぇ理由か? あんのはよ」

「そんなものもない!」

 ハルヴァイトがドレイクに怒鳴り返した、刹那、上空であの荷電粒子が…。

「ああ、嘘だねこりゃ。おめー…ちったぁ学習しろよ、マジで」

 灰色の瞳で天井に舞い散る真白い火花を眺めていたドレイクが、目玉だけを動かし視線をハルヴァイトに戻す。いつもなら迷惑な荷電粒子ではあるが、ドレイクにはその…微細な違いが読み取れるのだ。

 内部の運動速度が違う、というのか。機嫌の悪い時には臨戦体勢で漏れ出す白い火花だが、こういう、極端な内心の変化で突発的に発生する荷電粒子は、電圧が上がり切らず攻撃性が低い。

 まばらな火花が天井近くで旋回するのに照らされつつますますイヤな笑みを浮かべたドレイクが、ハルヴァイトを肘掛へ追い詰める。それに抵抗、というか、殆ど逃げ腰(…本当に珍しく…)で「寄ってくるな!」と言い返すハルヴァイトだったが、何せ、通常の大人ふたりでもそう余裕のない小ぶりなソファなものだから、逃げようにも、それ以上先がない。

 結局ハルヴァイトはドレイクに押し倒される(!)ような格好で、背中から肘掛に倒れ掛かってしまった。

「おとーとよ、何がどう都合悪いのかにーさんに言ってみろ、ほれ」

「だから、何もありません! しつこいぞ、ドレイク!」

 仲睦まじく取っ組み合いの兄弟喧嘩? を始めるドレイクとハルヴァイト。これが十代の少年ならばまだかわいいが、どちらも二十歳をとうに過ぎた背丈も体格も標準以上の大の男ふたりでは、微笑ましいどころか、正直、うざったい。

「ハ・ルちゃーん」

「気色の悪い声を出すな!」

「なんならおめー、ミナミにラオの事訊いてもいいんだぜ、俺はよ。どうせ、後からミナミも来んだろ? こっちに」

「だから! なんでもないって言ってるじゃないですか!」

「にゃろう…、意地でも俺にゃぁ話さねぇつもりだな」

「話す事なんかないですよ! 大体ですね、ドレイク!」

 と、ハルヴァイトがドレイクの額に手を突っ張った、刹那……。

「ぱぱーん! …………て? あらら。なんつかいい感じにラブついてる邪魔っぽいのがふたーり居んですけど? 体積として高密度」

「……」

「いやん。この場合邪魔っぽいのはアタシの方か。てへ」

 などとやたら甲高いきんきら声で自らファンファーレを歌いつつ登場した(ノックもせずに、だ)タマリが、にぱ、と照れ笑いを浮べて、観音開きのドアを後退しながら閉めつつ、登場したのと同じ速度で退場しようとした。

「って事でさー、おっちゃん。レイちゃんとハルちゃんがいちゃついてるから、みーちゃんは今日からタマリさんのモンつうので、どぞよろしく」

「かしこまりました」

「じゃないっ!」

 タマリとリインが平然と恐ろしい会話を交わした途端、ハルヴァイトは呆気に取られているドレイクをひっぱたいて床に振るい落とし、ソファの背凭れに掴まって上半身を起こした。

「!!!!!!! ミナミ!」

 ハルヴァイト、人生二度目の世界の終わりに遭遇…。

 閉まり切らないドアに肘を付いてにやにやするタマリのやや後ろに、相変わらず無表情なミナミが立っていたのだ。ちなみにタマリにおっちゃん呼ばわりされたリインはといえば、いつものように超然と執事然と、ドアの傍らに佇んでいる。

「………でさ。どうアンタとミラキ卿がいちゃついてたのか、俺はリインさんの背中に邪魔されて見てねぇから突っ込みようもねぇんだけど、もしかして今のは、俺に突っ込んで欲しいトコだったのか?」

 ミナミは、惜しいチャンスを逃したな、と……本気で思った。

           

       

「独り寝のさみしいイルちゃんのために、タマリさんがお泊まりに来てあげてたのよー」

 誰もそんな事は訊いてもいないのに、タマリは勝手にドレイクの部屋に入って窓に近い場所に置かれているカウチにクッションを敷き詰め、ちゃんと踏み固めて巣を作ってから、その中にちょこんと座った。

「えー。タマリさんがさみしいからって泊まりに来たんじゃないかー」

「口答えすんな、あほ」

 大人気ない事を言うタマリに苦笑いを向けたハルヴァイトの横には、既にドレイクでなくミナミが座っている。

 なんでもいいがどうしてこう行く先々でタマリが待ち構えているのか、と実はハルヴァイトもミナミも思ったが、あえて口に出そうとは思わなかった。それを言ってしまうと、前回フェロウ邸で彼に会った詳細を説明させられるハメになる。

 その辺りタマリも心得たもので、ミラキ邸に到着してすぐ顔を会わせたミナミにさえ、彼は「また会ったね」などと言わなかった。

 だから彼らは今日、ここで「偶然」居合わせてしまったように振舞う。フェロウ邸でミル=リーとギイルが再会したのは策略のうちだったとしても、タマリの出現は完全なイレギュラーだし。

「ところでミナミ、おめー、アリスんトコに何しに行ったんだ?」

 タマリにカウチを占拠されたドレイクは、仕方がないのでハルヴァイトの横、ソファの肘掛に軽く腰を下ろして腕を組んでいた。場所を応接室にでも移せば問題ないのだろうが、ドレイクは、親しい友人をあの部屋に案内するのを、なぜか、嫌ったのだ。

「うん。実は、ミラキ卿の事でちょっと」

「? 俺?」

 精悍な顔立ちの中で、曇天の瞳が微かに見開かれる。内緒事なら内緒のままにすればいいのに、ミナミはいつも通りの無表情で、いつも通りに素っ気無く、当の本人にそう言ったのだ。

 これも、ヒュー・スレイサーの助言だった。そうだと知ったら、今隣りで涼しい顔をしているハルヴァイトの機嫌がまた少し傾くのかもしれないが…。

       

      

「ギイルをナヴィのところに案内した帰り足、ミナミはミラキの屋敷に寄って適当に何か、出任せでも構わないんだが、とにかく、今回の件の「辻褄」を合わせられるようにした方がいい」

 ギイルとミル=リーをアリスの家で引き合わせる算段に頭を悩ませるミナミを笑いながら、ヒューはまたも新しい問題を彼に提示した。

「? なんで?」

「バレたら謝るためにだよ」

「……………」

 待機中にも関わらず城に顔を出したミナミの深刻そうな口調を笑いながら、ヒューはラフ過ぎる私服(彼も偶然その日は休暇で、何か用事があったらしく、同じく休暇…というか待機中のアンと一緒に特務室にやって来ていた。ミナミに向けた広い背中に流れる銀髪が鈍い光沢を放ち、微かに俯いた頬にも、冷たい光が差しかかっている。

「嘘は、いつかバレる。しかも相手はミラキだ、ガリューか、お前か、それがいつなのか、その時が来るのかどうかも判らないが、今回のこの「嘘」は、いつか…お前たちが自分でタネを明かさなければならないだろう」

 呟くように言って、ヒューはミナミを振り向きもせず彼から離れた。

「その場凌ぎの嘘で取り繕って、正体が明かされないうちに永久に会わないというなら話しは別だがな。

 なぁ、ミナミ。

 お前は今、ミラキに悪い事をしていると思っているか?

 これが、ただミラキ家の将来を邪魔しているんだと、そう思うか?

 ガリューは、そう思っているのか?

 もしもお前たちがそう思っても、多分俺は、思わない」

 普段と変わらぬ口調で答えを求めない質問を繰り返しながら、ヒューはどこか遠くを、見えているのに見えない何かを探すように、遠くを見つめた。つられて彼の視線の先を眺めたミナミの視界に入ったのは、やや薄暗く寒々しい電脳魔導師隊地下演習室のフィールドに立つ、アン少年の屈託ない笑顔。

 ふと、ヒューがそのミナミの視線に気付いて、小さく首を横に振った。

「お前たちは、この「嘘」を笑ってミラキに話せるようになるために、陛下とミラキを騙し続けているんだろう?」

 笑って…。

 ウォルのためにドレイクの隣りを空けておかなくちゃならなかったから、と笑って。

 繰り返して欲しくなかったから、と笑って。

 全てが、上手く行ったなら。

「だから、その時のために綻びを作っておけ、という話だ。もしお前たちの予想よりも早くミラキがその綻びに気付いても、きっとやつは、お前も、ガリューも責めはしないさ」

 きっと。

「ミラキ卿も、自分のしようとしてる事がどっか間違ってるって、そう、判ってるから…」

 バレたら、ごめんなさいと謝る。

 許すきっかけを作っておけ、と言われた気分だった。

「………。衛視ってさ、俺は上がってくる報告捌いてるだけだから、よく判んねぇんだけど、ヒューたちって…、そういう事もすんの?」

「あくどい手だって汚い手だって、今必要と思えばなんでも使う。中には、今回のように…とまでは言わないが、貴族同士の婚礼を破談に追い込むなんて仕事もあるしな。姻戚関係を結んだ結果必要以上の権力を持つだろうが、それは都合が悪い、と室長が判断すれば、衛視はその命令に従う」

 結果的に、それが「ファイラン家」を王族としてこの都市に君臨させる事になり、それが今はこの都市を統べるに必要だからか…。

「ま、正直今回の件にしても、別サイドでミナミやガリューが手を打ったからこっちには仕事が回って来なかっただけだろうしな」

 そこだけ気安く吐き出して、ヒューが苦笑いを零す。

「……………。ミラキ家との姻戚関係でノックス家が急に地位を向上させるのは、好ましくねぇって意味?」

 無表情に見つめてくるダークブルーの中でヒュー・スレイサーは、端正な顔にちょっと意地の悪い笑みを浮かべて肩を竦めた。

「お前には、そういう風に世の中を見て欲しくないと思うがな」

        

         

「だからさ、この前、ミラキ卿んトコにミル=リーさんが、グレース・ノックス嬢と一緒にやって来た、って噂が本物なのかどうか、知りたかったんだよ、俺は」

 素っ気無くいきなりそう言われて、ドレイクはきょとんとミナミを見つめ返してしまった。

「そんなの、俺に訊けよ、俺に」

「最近俺、遠慮って言葉覚えた」

「お! タマリさんも知ってるよ、それ。うん、でも、ハルちゃんは知らなそうだけど」

 にゃはははははははは! とやたら陽気なタマリにげんなりした顔を向けてから、ドレイクは乱れ気味の白髪をがしがし掻き回した。

「まぁ、ありゃぁ世間的なモンだと思うんだけどな…。実際俺と彼女は別になんにも問題なくてよ、アリスんトコで顔合わせても、挨拶したり普通に話ししたりすんだが、ミラキ家とアイゼン家の婚約破談だとか、その後のハルの騒動だとかあったろ? そんでな、どうも、俺とミル=リー嬢ってよりは、アイゼン家の方でいろいろ不都合があったみてーなんだな」

 何がどう不都合だったのかそれはドレイクにも判らないが、一年近く経っているのにアイゼン卿が謝罪に来たのだから、何もない訳がないだろう。

「貴族会でアイゼン卿に会って、それからグレース嬢に会って、ま…ぁ、ちょっと顔見知りになってよ、彼女がここに来るってのを聞き付けたミル=リー嬢が、世間的に、ウチとアイゼン家の関係は良好ってのを印象付けるいい機会だと思ったのは、予想出来る範囲だろうよ。…………ノックス家にとっちゃぁ、少々迷惑だったかもしれねぇけどな」

 苦笑いを漏らしたドレイクの横顔に、今度はハルヴァイトが小さな笑いを吐き付ける。

「そうでもないでしょう? ノックス家はミラキ家ともアイゼン家とも友好に立ち回った事になるんですから」

「結果オーライじゃん、そんなの。貴族連中は噂と対面気にし過ぎなんだよー」

「…タマリさん、その、終わりよければ全てよし! その途中何があっても無視! って感じのコト言うのやめろって、いっつもスゥ小隊長に言われるよね?」

「ふっふっふ。イルくん! 最近ナマイキ! てりゃぁ!」

 と、カウチの隅っこに座っていた(タマリの巣に入り込んでいた?)イルシュに、彼はいきなりボディーアタックをかまし、ふたりがじゃれあうようにして床に転がる。

「おめーらうるせぇぞ…」

「場の雰囲気を砕けたものにする努力!」

「砕け過ぎだろ…こんじゃ」

 悲鳴を上げるイルシュを巻き込んで床を転がるタマリを無視し、ドレイクが空いたカウチに移動する。なんでこう、もっと普通に退場出来ないのかタマリは。

「とにかくよ、これでアイゼン家も一安心。ノックス家は貴族院でグレース嬢の功績を称えられる訳になったってぇ寸法か」

「で、俺としてはその辺り、どちらとも友達だつうアリスにちょっと訊いてみようと思ってさ。城じゃしょっちゅう顔合わせるけど、そんな話する暇も…」

 そこでミナミは、少し離れた場所からドレイクがじっと自分を凝視しているのに気付き、小さく首を傾げた。

「? 何?」

「…なのになんでおめー、ハルを追い返したんだ? ギイルは連れてったつうじゃねぇかよ」

 食い付いて来たな、とミナミは思った。

「レジーナさんがギイルに用事あるって言ったんだよ。ほら、こっち戻って来た時に頼んだ、ガラス器の件でさ。ギイルの方も、あのうちの幾つかが売れたからって、アミさんに代金預かってるからつってたし…」

 ごそごそと口の中で言い、ミナミはわざとドレイクから視線を逸らした。

「それだけか?」

「……。それだけ」

 ぶっきらぼうなミナミの答えを、ハルヴァイトが笑っている。

「ほー」

 ドレイクの方は、それをまるっきり信用していないよう。

「へーーー」

 カウチにふんぞり返ったドレイクのにやにや見つめられているのに耐えられなくなったのか、ついにミナミは口を開いた。

「………………だって…、アリスんトコに…誰か………友達が来るって言ってたからさ…」

 散々考えた結果この理由が一番ドレイクに信じて貰えそうだと思ったものの、ミナミは、まさかこんな話をハルヴァイトの前でするハメになるとは、予想していなかったのだ。

………………。本当に、「それ」もハルヴァイトを追い返した理由のひとつだったから、出来れば、言いたくなかったし。

「友達?」

 こく、と頷いてからミナミは、俯いて目を伏せてしまった。

 さすがにここでミナミが何を言い出すのか知らなかったハルヴァイトが、妙な顔つきで彼の横顔を覗き込む。だからそれやめろ。と言いたいのに顔を上げられないミナミは、ちょっと拗ねた口調で「こっち見んな」と弱々しくハルヴァイトに突っ込んだ。

「別にアリスの友達が来てたからって、ハルを追い返……。あ?」

 そこでドレイクが、急にぽかんと口を開けるなり、ミナミからハルヴァイトに視線を移した。

 ああ! か?

「あああ。あぁ、そういう事か。はははははは!」

「つか笑うな」

「いや…。ああ、うん、悪ぃ悪ぃ」

 それでもまだ喉の奥でさも愉快そうに笑う、ドレイク。一応、無表情に睨んで来るミナミに気を遣っているつもりなのか、彼はすっかり緩んだ口元に大きな手を当て、必死に笑いを堪えているようだった。

 見事に失敗しているが…。

「? なんなんです? ふたりして」

「…なんでもねぇよ……」

 ミナミの不機嫌(といっても、普段通りにしか見えない)とドレイクご機嫌の原因が判らないハルヴァイトが、訝しそうな視線をミナミとドレイクの間で何度も往復させる。ここでそういう些細な事に気付かないからハルヴァイトなのだろうが、どうにも勘の鈍い話だ。

 これでドレイクの追従を逃れる、というよりも、ミナミの都合が悪くなるだけのような気もするが、とにかく、ここはさっさと退場した方がいいだろう、とミナミは、カウチにだらしなく引っかかってくすくす笑うドレイクと、何かまだ言いたそうなハルヴァイトをその場に残し、芝に放水しながらきゃぁきゃぁ騒いでいるタマリたちのところへ向かおうとして、ソファから立ち上がった。

「あ、おい、ミナミ。んで、おめー、ギイルはどこに落として来たんだ?」

「…アリスんトコに置いて帰って来た。……ミル=リーさんがさ…ギイルと知り合いだったんだよ。アミさんの店でレジーナさんのグラス揃いで買ったお客つうのが実はギイルで、ギイルはあのグラスを、ミル=リーさんにプレゼントするために買ったんだってさ」

 つかつかと歩きながら、振り返りもせずに言い放つ、ミナミ。

「…………。あ…あぁ…………。そういう…事か」

 なぜか、その呟きにドレイクは穏やかな笑顔でそう答えたのだ。

 安堵の笑顔で。少し、嬉しそうに。

 ミナミがテラスに出て、しばし。はしゃぐタマリとイルシュの声。時折気のない風に突っ込むミナミの呟き。どこか別世界のようなそれを遠くに、ドレイクはぼんやりと窓の外、天蓋の向こうを見つめていた。

「あのよ、ハル」

 それが彼の常であるように一言もしゃべらず、ただそこに居るだけのハルヴァイトにドレイクが声を掛ける。

「グレース嬢と一緒にミル=リー嬢がここにやって来た時、彼女はなんにも言わなかった。家の事も、俺の事も、グレース嬢の事も…。でも、お前とミナミは今幸せで、もしかしたらその幸せを取り上げようとしてた自分は愚かだったが、あの時…、ミナミが言ってくれた事を今やっと判ったってだけは、言ってたよ」

 ドレイクは溜め息のようにそう呟いて、カウチの背凭れに身体を預けた。

「あの女性は、お前とミナミと知り合ってよかったって、笑ってた。

 あの時ミナミがそう言わなければ、きっと、こんな気持ちにはならなかったそうだ」

 薄笑みの唇。

「名前しか知らない誰かに、恋を…したんだとさ。「かわいい」って言ってよ、その場で贈り物してくれた………黒髪の大男…」

 言って、呆れたように肩を竦めたドレイクが、灰色の瞳でハルヴァイトを見つめる。

「彼女にお会いしたとき、ミナミは、なんと言ったんでしょう」

「……俺も、お前も、彼女も、家を護るための物じゃない」

 ドレイクは…。

「そう判ったから、彼女は…「自分」を誉めてくれたその「誰か」を好きになったんだろうさ」

 膝の上に投げ出した手を握り締め、ハルヴァイトから目を逸らさずに、薄っすらと微笑んだ。

「俺にゃぁ……判らねぇがな…」

 消え入りそうなドレイクの言葉に、ハルヴァイトは答えなかった。

  

   
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