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14.機械式曲技団 |
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「…こういう事は、アンくんよりもガリューだとかミラキだとかの方が得意なんじゃないのか?」 王城エリアの一号大路よりも賑やかな大通りをガラス越しに眺めながら、ヒュー・スレイサーはややうんざりしたように小声で囁いた。 「まぁ、そうかもしれないです。けど、逆にですね。ガリュー班長やミラキ副長は目立ち過ぎるんですよ、結局。ひととしてもそうなんでしょうし、「彼ら」が「アイツ」と繋がってたとするなら、当然、お二人の顔は知れてる訳ですよね? それなのに、のこのこ出て行くのは愚かだって班長は言います。って事はですよ? ヒューさん。…多分、ガリュー班長は「判ってる」んだと思います」 空調の利いたカフェの一角。テーブルの端に観葉植物の葉が差しかかって来る、ちょっと狭苦しい印象の座席に収まったアンが、淡いクリーム色のジャケットから袖を抜いて苦笑する。 入店した途端に「電信してきます」と言って一度は離れた少年が、やたら人目を引きまくっていたヒューの元に戻って来たのは、五分ほど経ってからだった。どこに何を電信したのか言わないまま、アンは不機嫌そうなヒューの正面に座り、にこにこと笑顔を振り撒いている。 第十エリア、通称「リゾート」の玄関口、セント・ハイドゥク広場の一望出来るカフェテリアは、いつもそうであるように、着飾った王都民で溢れ返っていた。ここは他のエリアと少々違う規制が敷かれており、居住者全てがなんらかの施設に働く者たちで、細長い扇型のエリアには、ファイラン浮遊都市全て(ただし、この「全て」にはいわゆる刑務所である第ゼロエリアは含まれない)からの直通モノレールがあって、セント・ハイドゥク広場の地下にセントラル・ステーションが置かれているのだ。 モノレールと宿泊施設は完全予約制で、一日にこのエリアに滞在する人数は限られている。他のエリアと違って居住者自体は少ないが、出入りする人数は各段に多い。 セントラル・ステーションに降りるとまず、都民管理局の監査を受けなければならない。居住エリアからリゾートに向かうモノレールの中でも市民コードと入場、宿泊、退場のチェックを受けるのだが、最終的な本人確認はステーションのゲートで行われる。 捜査名目で、なんの予約もなく警備軍用の地下通路を通ってリゾートに入ったアンとヒューも、ステーションのゲートは通った。到着するモノレールの空席に合わせてゲートをくぐり、正式に、第十エリアへ入場した、というログを残すために。 身分だけは詐称している。これは、ハルヴァイトからの命令でもあった。
「正当な方法でゲートを通りなさい。とにかく、「あなたたちふたり」が間違いなくリゾートに入った、というログを残す必要があります」
なぜそうなのか。 当然、ハルヴァイトは説明しない。 既に三年もハルヴァイトの部下をやっているアンはそれになんの質問もしなかったが、ヒューはさすがに「なぜだ?」と食って掛かった。ところが、基本的に口数が少なく必要な事もろくろく話さないハルヴァイトなのだ、ヒューに向かって大真面目に、「重要な要素ではありませんが、必要だからです」と訳の判らない返答をし、ミナミに笑われた。 ヒューが。 ちょっと、ムカつく? 「予想でしかないんですけど、それだって…。でも班長には、何か判ってるんですよ。だからご自分でもミラキ副長でもなくぼくに行けって言ったんでしょうし、ひとりでは行くな、とも言ったし、同行するのは……出来れば、ヒューさんがいいって」 そこだけ言い難そうな顔つきで声をひそめたアンをじっと見つめる、サファイアの瞳。今日は、金属音のしそうな銀髪を頭の真後ろでひとつに括り、薄手のロングコートの中にVネックのプルオーバーと細いスラックス、という…それで中身が全部光沢の強いガンメタ色でコートが黒いのだから、どこからどう見ても一般市民とは思えない出で立ちに派手な男前で、周囲の視線を集めなかったら嘘、ぜってー嘘。とミナミにからかわれていたヒューが、何か言いたそうに目を細めた。 アン少年、注がれる視線が非常に居心地悪い…。 「それは聞いてなかったな。なぜ、俺がいいんだ?」 「あーーーーーーー」 「そういえば、最初からおかしかった…今回は。 アン君がリゾートに行くのを、どうしてハチヤは知ってたんだ?」 ほとんど尋問口調で問われて、アン少年は肩を竦め小さくなった。 「それで、なぜ……ただの「調査」…、ハチヤに詳細さえ説明しなければ同行させても構わないのに、あいつを断ってまで、俺だったんだ?」 本日のデート(目的)は。 アドオル・ウインと関係が深く、違法な魔導師及び超重筒を隠していると予想される「海藍皇帝演舞団(サーカス・オブ・カイザーハイラン)」を、観客として見に行く事。それだけだと、ヒューは聞いた。 「アン君?」 で、ヒュー・スレイサーがそこで、ゆっくりと薄い笑みを口元に刻む。 「あああああああああああああああーーーー!」 思わず悲鳴を上げて頭を抱えたアンが、テーブルに突っ伏してしくしく泣き出す。嘘泣きなのだから、と今日は追撃の手を緩めるつもりもないヒューが無言で少年を見下ろしていると知って、アンはむくりと上半身を起こした。 「…最初にぼくをリゾートに誘ったのは、ハチくんなんです…。執務室でお仕事してて、アリスさんがマーリィさんとお買い物に行くって言うんで、ぼくもどっか遊びに行きたいなーとか言ったら、それをキース部隊長がハチくんに教えちゃって…。それで、ハチくんがわざわざ執務室まで来てぼくを誘ってくれたんですけど……、そこでガリュー班長が、勝手に、勝手にですよ! 勝手にね、ぼくはちーーーーっとも知らなかったし、そんなつもりもなかったし、とにかく、班長がですね!」 それまで俯いてぼそぼそ言っていたアンが、水色の瞳で…なぜか…ヒューを睨んだ。 「アンは次の休暇にデートの約束があるからだめ、って言ったんです!」 ………………。足を組んで椅子に座り、デスクに頬杖を突いてそっぽを向いたまま、まるで関心なさそうになんとなく素っ気無くそんな事を言いやがったのだ、ハルヴァイトは。 「ええっ! って感じですよ、ぼくが! 誰といつ約束したのかさっぱり判りませんっ、とか思ってたら、急に振り向いて、「スレイサー班長」とだけ言ったんですよ! そしたらハチくんが今にも死にそうな顔で執務室から無言で退場しちゃって、ぼくはどうしていいのか判らなくて、しばらくしてからやっとガリュー班長が、リゾートの偵察に行って貰いたいんだけど、ひとりでは行くな。同行はヒューさんがいい。って言い出して」 「相変わらず、何を考えてるのか判らないヤツだな…」 そこで、ヒューはふと気付く。 「偵察? 調査…じゃないのか?」 「……………。ごめんなさい」 ますます首を捻ったヒューに、アンはいきなり謝った。 「偵察というか…あの……、「囮」かもしれないです」 「…………………………」 ヒューが、黙り込む。 「あ…あのですね。班長が言うには、「彼ら」は「アイツ」と密接な関係にあって、だから、ミナミさんの所在もガリュー班長との関係も、ぼくらが第七小隊だった頃の情報は筒抜けだっただろうって…。それで、班長も副長も「目立ち」過ぎるからご自分では行かないで、当時……「アイツ」が「彼ら」に情報を提供してた当時はまだ魔導機の顕現も終わってなかったぼくに行けって、そういう意味なんですよ…、どうやら。それで、事情の判らないハチくんとこっちに来て、万一「彼ら」がなんらかの行動に出た時危険だからって…」 必死に言い募るアンから視線を外さないまま、ヒューの眉がみるみる吊り上がった。 「ただ! 「そうだ」とは絶対ヒューさんに教えちゃだめだって、班長には言い渡されたんです、ぼく。でも…その「万が一」が起こってからじゃ遅いですから正直に言いますけど、これは…つまり」 そこでアン少年は、思わず口篭もった。 ヒューはまだアンを見つめている。 (…………でも…、荷電粒子撒き散らさないだけでも、まだマシかなぁ…) 物凄く不機嫌そうな顔つきで…。 「だからガリューは、「ゆさぶりを掛ける」と言ったのか」 すっかり恐縮したアンに冷たく言い放ってから、ヒューは短く溜め息を吐いた。 「つまり、囮?」 「…はい」 「君に、これが危険任務である認識は?」 「一応…あります」 「クラバインとミナミは?」 「この捜査の詳細は知りませんでした。今頃、言われてるかもしれませんけど」 「………判った。じゃぁ俺に、反撃の許可は下りてると思っていいんだな」 完全に据わった青い瞳が、怪しく光る。 「俺が同伴させられたのは、君を「保護」するためだ。何も起きなければ俺だって何もしないが、リゾート滞在中に君…電脳班の魔導師殿に危険が迫れば、容赦なくやらせて貰う」 呟いて、ゆっくりと持ち上がった唇の端。アンはそれに背筋を凍らせ、「怖いですよ…ヒューさん」と小声で突っ込んだ。
だからと言って無用に周囲を警戒するような態度を見せないのも、ヒュー・スレイサーが王下特務衛視団警護班の班長だからなのだろうか。 カフェで一息ついて、いざ大通りへ出る。混み合ったショッピングモールを避けて早速移動用のシェルターに乗り込み、とりあえず博物館へ向かったのは、そこにリゾートエリアのインフォメーションがあるからだった。 「ガリューが「普通にゲートを通れ」と言ったのは、なぜだと思う?」 リゾートエリア内に点在する施設や庭園全てを繋ぐシェルターは、透明カバーに覆われた筒状通路を使う移動手段で、時速約二十キロ。少し遠くまで行こうとするなら高速通路に入ればいいし(こちらは時速六十キロから八十キロ規制になっている)、クラシカルな町並みを見ながらゆっくり移動するなら、通常通路を使えばいい。透明シェルターの内部を常に卵型のポッドが移動しており、タクシーのようにこれを停め、乗り込んで目的地を入力すれば後は勝手に行き先まで案内してくれるのだ。 「「彼ら」がゲートのログを盗み見ている可能性があるからだと思います。侵入方法がどうであれ、ぼくとヒューさんがリゾートに「来た」というシグナルを出しておく、というのが重要なんじゃないかと」 酷い話だな、とヒューは内心嘆息した。急いで行け、そして見つかれ。とは、なんという横暴な上官だろう。 よくこれでアンが文句を言わないものだ。ヒューなら絶対に食ってかかる。 アンにしてみれば、その程度の無茶苦茶など日常茶飯事だったし、今回はヒューという護衛までつけて貰えたのだから、第七小隊であった頃より各段に扱いが良くなっている、程度の認識でしかなかったが。 言う方も言う方だが、言われる方も慣れ過ぎか? 「にしてはおかしくないか? それだって。身分は詐称してるんだぞ?」 「いかにも怪しい痕跡じゃないですか、それ。だから、ですよ。向こうはぼくらの正体を知っている。でも、名前は一致するのにそれ以外の情報が一致しない。となれば、「アイツ」が「拘束」されてから二ヶ月過ぎて、「知った人物」が身分を詐称して近付いて来てるとなったら、「彼ら」は嫌でも警戒するでしょう?」 警戒させろというのか、ハルヴァイトは。しかも、アンはアンで、そんなのは大した問題じゃないとでも言いたそうに平然と、眼下に広がる赤レンガ造りの町並みをつらつらと見ながら素っ気無く答えるし…。 確かにヒューだって、一般市民に比べれば色んな事を経験して来た。が。あからさまに危険な場所へ明らかに怪しい看板を掲げて乗り込んだ事は、一度もない。 「怪しい痕跡だな、確かに。向こうが気付いてくれれば…」 「ガリュー班長がそうしろって言うんですから、気付いてますよ、もう。 ヒューさん、仕事で報告書作りますよね?」 窓の外に向けていた水色の瞳を正面に座るヒューに戻し、アンが急にそんな事を言い出す。 「ああ。たまにはな」 「誤字とか脱字のチェック、どうやってします?」 それが何に関係あるのか、と内心訝りながらも、ヒューはちょっと難しい顔で小首を傾げ、「機械任せだ」と答えた。 「要は、それと同じですよ。仕込んである「単語」や「文節」と一致しないものがあった場合は、警告を発する。訂正しますか? と端末は訊いてきますよね? まさかリゾートに入って来る全王都民をその方式で監視しようとすれば相当な苦労でしょうけど、「彼ら」が警戒すべきは魔導師隊、もっと極端に、ガリュー班長とその仲間だけでもいいんです。警備兵なんかいくらでも騙せる。監視カメラも、ログも、それが「データ」であるならば、いくらでも書き換えられますから。 でも、魔導師にその手は通用しない。 だから、魔導師だけを警戒し、もしも近づいてくるものがあれば、やり過ごすか…」 アンが、桜色の唇を噤んだ。 だから、ヒュー・スレイサーなのか。魔導師としては「三流」(ではない、とハルヴァイトもドレイクも言うが)、実戦訓練ではまったくアテにならないアンをわざとのように危険に晒すのだと、ハルヴァイトは判っていたのだ。 「…しかも、やつが拘束されている今、向こうには逃げ隠れする理由も…ないか」 ないはずだ。と。 「ミナミもそう言ってたしな」 今度はヒューがアンから視線を逸らす。遥か頭上の天蓋が東からの陽光に輝き、足下に目を向ければ、曲がりくねった煉瓦の道を機械式四頭立ての馬車が行き交っている、古い町並み。物見遊山の王都民は誰も彼も楽しそうで、少しだけ、憂鬱な気分になる。 ミナミや。 イルシュを。 思い出す。
停まった時間。 気だるい昼下がり。 明けないかはたれ。 暮れないたそがれ。 全ては、全て。 全部が。 小さな部屋の中だけだった。
「……………全てのひとよ、うらむなかれ。という一節があります。魔導師訓練校に入学すると最初に渡されるテキストに書いてあるんですよ、それ。意味は、自分で考えるものだそうです。だから、ぼくは考えました。 自分の置かれた境遇を悲観するな、って事なんじゃないのかなって。それからね…」 ふと、俯いた少年が、微笑む。 「所詮、ぼくはぼくで誰でもない。ぼくのものはぼくのものでしかなく、誰のせいでも、誰のものでも、ない」 ヒューはその冷笑に似たアンの表情を、じっと見つめていた。 「ミナミさんね、その言葉、知ってたんですよ。ガリュー班長に聞いたんですかって質問には、答えて貰えませんでしたけど。でも、ミナミさん言ってました」
「…なんだろ。自分の置かれた境遇だとかそういうのにさ、抵抗するな、って意味じゃねぇとは思う。…うらむな、ってのはさ、許せとか受け入れろとか、諦めろとか、そういうんでもねぇよな、多分。よく判んねぇけど」
「だから、ヒューさんもそんな顔しないでください。 何も知らない事は、悪い事じゃないです」 そう言ってアンは顔を上げ、少し大人びた顔で笑った。
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