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14.機械式曲技団

   
         
(5)

  

 博物館は、博物館と案内にも表示されているし一般的にそういう呼称で通ってもいるが、建物ではなかった。

「なんというか、王城エリアの上級居住区を思い出させる区画だな、ここは」

 ヒューが呆れた溜め息混じりにそう呟くと、傍らを歩いていたアンも小さく笑いを漏らす。確かに、各催事区画を造成し、最後に残った「隙間(おかしな形状に取り残された細長い余白、か)」に人工樹木を植え、あちこちに立体式モニターを配置した一風変わった場所なのだ、ぽつぽつと建つ屋敷の間を通路と立体映像の庭園で飾る上級庭園に似た感じはある。

「えーと。「機械式」区画の案内板は…」

 曲がりくねった通路のあちらこちらで、今日の予定を立てているのだろうか、無数の王都民が立ち止まって長方形のモニターを眺めていた。「機械式」区画は催し物の中でも人気だから一番人だかりが多いに違いない、とあたりをつけたヒューとアンは、しかし、通路をそぞろ歩いているうちに、いつの間にか博物館最奥まで来てしまっていた。

「? あれぇ?」

 これは予想外だったのか、アンが水色の目を見開いてヒューを見上げる。

「それらしいものはなかったな」

 細い顎を撫でながらヒューが言い、アンが確かめるように背後を振り返った。

「通り過ぎて来ちゃったんでしょうか…。もういっぺん戻ってみます?」

 モニターの上部には、「ショッピングモール」「ズー」「ミュージアム」「アトラクション」などとそれぞれの区画表示がある。「機械式」はたしか「マシナリファーム」と書かれているはずなのだが、それが、見当たらない。

「……というか、待てよ」

 そこでヒューが、引き返そうとしたアンの肩に手をかけ、少年を引き止めた。

「「ズー」があったな?」

「動物園ですね。ありましたよ、最初の方に」

「そこの動物は、何で動いてるんだ?」

「………あ」

 ふたりが顔を見合わせる。

「もしかして、「マシナリファーム」というのは…」

 事前情報は警備軍のデータ・ベースから取ったのだが、それはあくまで「警備目的に作成されたいわゆるお役所書類」であって、普段は通用しない小難しい正式名称で書かれている場合が多い。

「ああああああああああっ! な…なななななな、なんて事してるんですか! スレイサーえ」

 と。

 覚えたくもないのに覚えてしまった声を耳にするなりヒューは咄嗟に腕を伸ばし、人ごみの向こうから姿を現した…というか、顔を覗かせた…というか、背ばかりひょろひょろと高いのだから当然のように見えてしまった見知った顔を、問答無用で鷲掴みにしたではないか。

 暴挙だ…。と引きつった笑顔で、アンが冷や汗をかく。

「その先を言ったらこの場でシメ落とすぞ、ハチヤ…」

 ふがふがと抗議するハチヤ・オウレッシブの頭を思いきり突き飛ばして遠ざけたヒューが、がっくりと肩を落として深く嘆息する。

「というか、なんでお前がここに居るんだ」

「アンさんとスレイサー………さんをふたりきりにするなんて、許せないからです」

 とりあえず「衛視」というセリフを飲み込んだハチヤを、ヒューがサファイアの瞳でうんざりと睨む。

 背だけは高い。ハルヴァイトやヒューといい勝負か。全体に線が細く痩せぎすなのだが、いつでも眠そうなはれぼったい瞼をしているものだから、どうもどん臭く見える。同じに長身痩躯といえど、ヒューは格闘技の専門家であり身体も鍛えているし、ハルヴァイトは基本的に「恐ろしく偉そうで堂々としていて姿勢がいい」し、どちらも派手な顔立ちの二枚目。となれば、ハチヤが必要以上にぼんやり…というか、うっそりというか…そういう風に見えても仕方ないだろう。

 だから不幸にもハチヤ・オウレッシブというこの青年は、以前よりもさらに「ぼんやりしたヤツ」だと言われてしまっていた。短く刈ったくすんだ金髪だとか、二重だが細くて眠たげな双眸だってそれなりの、優しそうで温和そうな好青年なのだが、どうにも、周囲の環境がよろしくない。

「知ってるか? 他人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んでしまうんだそうだ。丁度このエリアには「馬」も居るから、十分気をつけろよ」

 ヒューはハチヤを見つめたままそう早口でまくし立て、呆然とするアンの腕を掴んでその場から立ち去ろうとした。

「待って下さい! というか、その前にですねっ」

 仲良く腕を組んでいる、というよりも、無抵抗な少年を掻っ攫って行こうとしている悪いやつと被害者、みたいな微妙な絵面のヒューとアンの間にハチヤが割って入る。ご丁寧にヒューの指をアンの腕から一本ずつ引き剥がしながら、唖然とする少年にはおもはゆそうな笑いを向け、ヒューには顔も向けずにぐいぐい遠くへと押し遣った。

「あんまり近づかないでください、スレイサーさん」

「……俺の勝手だろ…、放っておけ」

「さー、アンさん。どこ行きます? オレ、今日のためにリゾートのマップ丸暗記して来たんですよ」

 点在するモニターとわだかまる王都民たち。その間を縫って進むハチヤは、戸惑うように何度も振り返るアンを丁重に丁重に、ヒューから引き離そうとする。

「というか、なんであいつがここに来てるのか、誰か俺に説明しろ…」

 ヒューは、完全に疲れ切った声でそう呟き、金属質な銀髪を掻き揚げて盛大に溜め息を吐いた。

          

           

 ハチヤの登場は予想外だった。

「こっちに到着したら電信しろってガリュー班長に言われてて、それでさっき連絡した時、警備部の第三班が休暇だっていうのは聞いたんですけど…」

 マップを丸暗記した、と自慢そうに言っていたハチヤの案内で「ジョイ・エリア サーカス・ブロック」(巨大な遊園地の内部にある)に向かう道すがら、ヒューの向かいに座らせられたアンが、小声で囁く。それに無言で頷いた渋い顔つきに、少年は思わず…吹き出してしまった。

「笑うな」

「あ、すいません。…でも、ヒューさん、ハチくん苦手ですよね」

「疲れるんだよ。それに、苦手なのは俺だけじゃないだろう? 特に、君が絡んだら誰でも逃げ出すしな」

 途中、わざとのように「喉が乾いた」などと言い出してポッドを停めハチヤを降ろしたアン。とにかく、ハチヤの件は全くのイレギュラーだった事を告げ、うんざり顔のヒューを笑ったりしているうちにうきうきの青年が戻って来て、ポッドの中にも奇妙な空気が戻る。

 以前ギイルも言っていたように、ハチヤは、好きだからといってどうしたい訳でもないように見えた。ただ、アンが誰か特定の人と仲良くしていると突然現れて邪魔したり、用事もないのに執務室に顔を出してはちょっと親しく話をして、それで満足なのか、笑顔で立ち去って行ったりする。ヒューにしてみれば、それの何が楽しいんだ? というのが率直な感想で、日参し機嫌良く帰って行くハチヤを見送りつつその率直な感想を口にしてみたところ、傍らに居たミナミにいつも通りの無表情で「ハチくん、ヒューと違って恋愛つうののキレイなトコに憧れてんだろ」と、思いきり突っ込まれ自分で自分の首を締めて以来、ヒューはハチヤが…苦手になった。

 ミナミに言い返せなかった自分が、ちょっと情けない。

 嘘でもいいから何か言っておけばよかったかと思ったが、それはもう後の祭なのだ。

 事実、ヒュー・スレイサーというこの、派手な外見だけに引き寄せられて来る恋愛慣れした誰とも恋人関係が長続きした事のない男は、「恋愛」というそれそのものに、憧れも夢も希望も何も、抱いてはいないのだから。

 最初の恋愛はいつだったか。

 最後の「恋愛」はいつだったか。

 それさえも、彼は記憶していない。

 ハチヤの緩みきった笑顔からガラスの向こうに視線を逃がし、丁度。シネマ・エリア上空に差し掛かっていたのか、本日公開、と仰々しく飾り立てられた看板が視界に飛び込んで、また少し、機嫌が傾く。

「あ、リリス・ヘイワードの新作公開なんですね。アンさん、リリスのシネマ観た事あります?」

「ありますよ。アクションスターでしょ?」

「そうそう。――――――」

 かなり大きな看板では、リリス・ヘイワードという、映画監督とムービースターに見出されるという、運にも環境にも才能にも恵まれて、まだ若いのにアクションスターとして大成している青年が凛々しいポーズを取っていた。

 金色の柔らかい癖っ毛を逆風になぶらせた、泥まみれの青年。本当の歳は幾つなのか、見た目は二十歳そこそこで、目尻の吊り上がった明るい緑色の瞳が印象的な「青年」。というよりは、まだどこかしら少年臭い若々しさに溢れた、ファイランで人気絶頂のスター。

「今度の新作、監督がジョンソン・ヘイワードじゃないので注目されてんですよ、リリス。ほら、今までは親のなんとか、とか言われてたでしょ? でも、新作の監督が「彼は本物の天才だ」ってコメント出して、ジョンソン監督がアリシア・ブルックの引退作品を…」

「………アリシア・ブルックが引退するのか?」

 それまで、リリス・ヘイワードの話題に口を挟もうともしなかったヒューが、不意にハチヤに顔を向けて少し驚いたように呟く。

「? そうですよ。なんでもアリシアは「わたしの「夢」は華々しく終焉を向かえ、リリスに引き継がれた」って引退を宣言したらしんですけど…、ヒューさん、アリシアのファンなんですか?」

 不思議顔のハチヤに屈託なく問いかけられたヒューが小さく苦笑いし、首を横に振る。

「いや…。アリシア・ブルックのムービーも、リリス・ヘイワードのムービーも観た事さえない。ただ、フォンソル…うちの道楽親父が大ファンで、暇さえあればシネマに通ってる」

「アリシア・ブルックは演技派俳優ですよね。テレビドラマが嫌いで、シネマ専門。スタントにも吹き替えなし。コメディーもこなせるマルチスターなのに、気取ったところがないし、きれいだし、ぼく、結構好きでシネマも観に行きましたよ」

 背後に流れたリリス・ヘイワードの看板。親の七光り、などと言われていた若手俳優がその才を如何なく発揮したという新作映画に、シネマ・エリアは大賑わいらしかった。

「リリスの舞台挨拶が今日だったか明日だったか、シネマ・エリアであるらしんですよ」

 それは、こっちとしては都合が悪いな…。とヒューは、ムービースターの事などすっかり忘れて、これから赴く「サーカス」に意識を向けた。

  

   
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