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14.機械式曲技団

   
         
(13)

  

 全高二メートル五十センチ、総重量百キロを下らないピエロ相手に、どうすればいいのか。

「しかも、頭まで使いやがる!」

 忌々しく吐き出しつつヒューは、布の壁に手をかけてそれを引き倒そうとしているピエロの足下に滑り込んだ。

 スライディングして飛び込み、旋回させた片足でピエロの踝を真横に蹴り払う。身体を支える一点を掬われたピエロが悲鳴も上げず上半身をぐらつかせた刹那でヒューは身を捻り、両手で床を掴んで爪先で軽く地面を蹴り付け、跳ね上げた踵をピエロの伸ばした腕に叩き付けた。

 逆立ちから背中の方に倒れる要領で器用にも体勢を立て直し、握った拳を身体に引き寄せる。ちょっとでも休んだらどれか一体が今のピエロと同じように壁を引き倒してヒューの視界を奪い、その隙に主天幕へなだれ込もうとしているのが、機械式の放つ「気配」で判った。

 アンとハチヤが消えてどれいくらい経ったのか。正直、ものの数十秒かもしれないが、その短時間にヒューは、自分の倍はありそうなピエロの何体かに何度も攻撃を当て、動きを鈍らせ、辛くもそれらを逃がさずにいた。

 しかし、相手は機械仕掛けの人形。衣装のせいで見た目は普通の人間のようだが、「内部機関」は人間の比にならないほど、硬い。

 握り締めた両の拳が小刻みに震え出す。手足の関節も肩も背中も悲鳴を上げている。痛いと思わないから既に感覚が麻痺しているのか、組み手の相手が金属の塊なのだから、それも当たり前かと失笑さえ洩れた。

 無茶苦茶だと自分で思う。

 それでも、やめるつもりはさらさらないが。

「…ナヴィでも居たら………」

 よかったろうに、と呟きかけて、ヒューははっとした。

            

「あたし、関節技の方が得意なの」

         

 記憶の中で、真っ赤な美女が華やかに笑む。対峙したら本気で恐ろしいあの笑顔が、今は女神のように思われた。

「最後まで手足がくっついてたら、是非キスして差し上げたい気分だ」

 人間にせよ何にせよ、接合部というのは他より強度が低い。しかも機械式は重い。となれば、この二足歩行どもは…。

 ヒューが先に狙っていたのは、ピエロを転ばせる事だった。でっぷり太った作りのせいか、ピエロどもは一旦転ぶと起き上がるまでにかなりの時間を要する。じたばたし、転がって、うつ伏せになって、短い腕を床に突っ張って、なんとかかんとか重い身体を持ち上げ、よたよたと立ち上がる。

 ピエロをここから逃がさない、という目的で攻撃し続けるのだからそれも悪くはないのだろうが、長引けば長引くほど、ヒューのダメージも大きくなる。相手は機械の塊で、固くて重いのだから。

 だったら、動けないようにしてしまえばいい。

 アリスが以前、ヒューにしたように…。

 動きの遅いピエロたちがヒューににじり寄る姿は、ホラー映画の不死者が襲いかかって来るのに似ていた。

 失笑。

「お前らを扱っているのがガリューじゃなくて、本当によかった」

 相手がハルヴァイトなら、不恰好なピエロさえ悪魔に見えたかもしれない。

 呟いて、一呼吸。ヒューは低い体勢のままピエロの群れに突進した。

           

         

 機械式の展示天幕壁面をぶち破ったアンが現れたのは、奈落から丸盆(ステージ)に上がる通路の途中だった。おおよそこの辺りに出るだろうと予想していた少年は全く周囲に注意も払わず、傾斜した通路を上へ向かって駆け上がる。

 拍手と悲鳴が聞えた。歓声か。リリスらしい若い男が、何か叫んでいる。ありがとうとか、続きは映画で、とか、そういう言葉のような気がする。

 平和だなと思った。

 暢気過ぎだよとも思った。

 天幕一枚隔てた向こうでは、ハチヤとヒューが機械式相手に必死だというのに。

 通路から袖に飛び出したアンを最初に見咎めたのは、リリス付きの私設警備員だった。鮮やかなスカイブルーの腕章をつけたスーツの男が素早く移動するなり、通路から丸盆(ステージ)に向かっていたアンの目前に立ち塞がる。

「関係者以外は立ち入り禁止です。身分証明の…」

「王下特務衛視団電脳班アン・ルー・ダイ魔導師です。至急、このイベントの責任者を呼んでください。これは」

 アンは、見上げるような警備員を水色の瞳で睨んだ。

「命令だ」

           

          

 待機時間はそう長くなかった。

「上が動いたね。キャリアー、地上に出せ。…ひめ」

 通信機と直結しているインカムに、指令卓に着いたままでデリラが呼びかける。

『連隊の指揮者に市民の誘導経路を指示、完了。こっちも準備終了よ。第一から第三キャリアーはデリの指示通り展開。アンは、もう主天幕に移動したわ。…………。

 第七小隊』

 きびきびしたアリスの声に、スーシェが「はい」と短く答える。

「キャリアー地上に展開後、周囲を警戒し、待機。

 ちなみに、機械式の展示天幕ではハチヤくんとスレイサー班長が素手で機械式と交戦中。向こうは、どっちもやる気満々よ?」

 今にも笑い出しそうなオペレーターの声に、タマリは呆れて盛大な溜め息とともに答えた。

「ヒューちゃん…あれで意外と無鉄砲だわぁ」

           

              

「アリス、移動管制室の方をお願いします」

「了解、班長。ミナミはどうするの?」

 アンが攻撃を受けた、とドレイクが呟くのと同時に臨界式通信でアンと連絡を取ったハルヴァイトが地下通路待機室から地上に出るハッチを開けると、こちらは反対側、統括移動管制室を備えた四号キャリアーの待つ地下通路本道に抜けるドアを背中で押しながらインカムを装着しつつ、アリスが、彼女と同じようにインカムを掴んだミナミに亜麻色の瞳を向けた。

「うん、俺はみんなと別行動。ルードとクインズと三人で、公開されてるサーカス内部と実際が同じかどうか確認すんの」

「気をつけてね、ミナミ。上に行ってみなくちゃ判らないけど、サーカスの「機械式」は、全部が全部機械式じゃないみたいよ」

 言って固い微笑をミナミとハルヴァイト、ドレイクに向けたアリスが、すぐ彼らに背を向け走り出す。

「管制室! リゾートのサーカスエリアを監視してるカメラの映像をサブモニターのチャンネルに振り分けて。いい? 全部よ!」

 何をしようというのか、アリスは、サーカス周辺の映像を全て表示させろと命令したのだ。

「モニターの設置状況は?」

『二百メートルごとよ。通路の状況にもよるけど、全部で二十基はあるわ』

「楽勝だな。そのくれぇでビビるほど、俺ぁか弱くねぇよ」

 夕暮れに似た光の溢れる、リゾートエリア。こんな時でなければもっと浮ついた気持ちになれたものを、その薄暗い斜陽の風景に、ミナミは不安さえ感じた。

 逢魔が刻、黄昏…。

 ミナミとルードリッヒ、クインズが動くのはサーカスの天幕に犇いている一般市民が避難し終えてからと言う事になっている。だからミナミは、ハルヴァイトに続いて地上に出たものの、一般警備部の派出所内に留まった。

「では、また後ほど」

 ハルヴァイトはいつもと変わらぬ口調でミナミに微笑みかけ、最後に上がってきたドレイクも軽く手を挙げて彼の前を通り過ぎた。

『ドレイク、キャリアー配備完了まであと百二十秒』

『了解。んじゃ、こっちもやるかな』

 ミナミがインカムを装着するとすぐ、アリスとドレイクの会話が聞こえた。どこで何をしようというのか。しかしミナミは相変わらずの無表情で派出所内に置かれたパイプ椅子に座り、その背後にルードリッヒとクインズが、まるで陛下を護衛する警護班のように姿勢正しく直立した。

 衛視が来る。という連絡しか受けていなかった派出所の警備兵は、これでますます困惑し顔を見合わせたりしたが、監視用のモニターを無表情に見つめる漆黒の衣装も眩しい綺麗な青年に、何かを問いかけようという気は起こらなかった。何せ、しつこいくらい「衛視だ」と言われていたのに、現れたのはあのハルヴァイト・ガリューとドレイク・ミラキで、もうひとりの衛視は、他の衛視にがっちり護衛されている。元々、何をしているのか、組織がどうなっているのかさえ一般の警備兵には通達されていない特務室のやる事を疑問に思っていたら、不眠症になりそうだ。

 それでも、目の前でじっと小型モニターを見つめる青年が気にならない訳ではない。左腕の腕章に黒いラインが入っているのだから、特務室でも上官扱いなのだろうか?

「ああ、そっか。判った…」

 それから二言三言、アリスとドレイクの交信に聞き入っていたミナミの見つめる、監視用のモニター。別に珍しいものを写している訳でもないのだが、ミナミはそれから目を逸らさなかった。

 彼は、見ている。観察している。パイプ椅子に浅く腰を下ろし、スチール机に片肘を突いて、細い指先で自分の唇に触れたまま、じっと。

 彼は、いつでも静謐な観察者。

「何が判ったんですか? アイリー次長」

 別に不思議でもなんでもないけれど訊いてみた。というニュアンスさえ受けそうになるくらいいつもと同じ口調で、ルードリッヒがミナミに問いかける。きっと若い頃のローエンスに似ているのだろう食えない笑顔で、彼はミナミに軽く首を傾げて見せた。

「陣張ったら動けねぇようになんだろ? ミラキ卿。だからさ、監視カメラのシステムに索敵かなんかの簡単なプラグイン差し込んで、自由に動ける状態のままサーカス周辺を「見張ろう」ってハラ。……だったら、アリス」

 ミナミはまだモニターを見つめていた。しかし、組んでいた足を解き、制服のポケットから携帯端末を取り出して回線をオープンに入れ、何かを始めようとしている。

「モニター情報で動体レーダーは?」

『取ってるわよ。そっち送る?』

「うん。警備兵と電脳班にマーカーで頼む」

『了解。三十秒で通信解放して。それと、デリたちがサーカスの表に着いたわ。アンとの接触報告は?』

「それ、ルードに知らせてやってくんねぇ?」

『? いいけど?』

 ちょっと不思議そうなアリスの声音と、こちらはかなり不思議そうな顔のルードに苦笑いを向けてから、ミナミは、漆黒の長上着を翻して警備軍派出所を出た。

「いや、まさか俺でもさ、そんないっぺんにいろいろ言われたって訳判んねぇって」

 分業だろ? 分業。と気楽にいいつつもミナミは、あの深いダークブルーの双眸で、無表情にサーカスの天幕を……睨んだ。

  

   
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