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14.機械式曲技団

   
         
(14)

  

 薄闇に似た灯りが、巨大なドーム天井からほんのりと降り注ぐ、ジョイ・エリア。異様な光景。天蓋の外は眩しい晴天でありながら、ネオンのきらめくゲートを入ると、そこは、永遠の。

 黄昏。

           

『一斉通信。状況を再確認します。

 現在海藍皇帝演舞団主天幕内に滞在している王都民は、リリス・ヘイワードを含むスタッフ数十名及び、観客三百名。サーカス・オブ・カイザーハイランの職員三十二名。

 繰り返します。

 現在海藍皇帝演舞団主天幕内に滞在している王都民は、リリス・ヘイワードを含むスタッフ数十名及び、観客三百名。サーカス・オブ・カイザーハイランの職員三十二名。

 尚、サーカス関係者には市民避難後簡単な事情聴取を行う旨を通達。退場及び逃走は阻止してください。

 繰り返します…』

           

          

 丸盆(ステージ)袖に佇むアンの元に駆け込んで来たスーツ姿の男は、額に汗をびっしょりと掻きしきりに瞬きを繰り返しながら、目の前に居るラフな格好の少年を凝視した。

「…王下特務衛視団の…方というのは…」

 その、告げられた肩書きにはあまりにも不似合いな、淡い色の金髪に水色の目の少年。しかし、私設警備員に身分証明の提示を求められてアンが懐から出したのは、間違いなく、ファイランW世の印章が刻まれた通信端末だった。

「アン・ルー・ダイ魔導師です。至急主天幕内の観客及び、リリス・ヘイワードを含むスタッフの退去を求めます。時間がありません。今すぐ実行してください」

 きりっとした声でそう告げるアンに当惑気味の表情を向けた男、イベントの主催者であるハイ・カンパニーの代表で、稼ぎ頭のリリスのマネージャーでもあるセツ・ハノアは、ポケットから取り出したくしゃくしゃのハンカチで額の汗を拭いながら、しかし、とアンに食い下がった。

「さ、三百人の観客を安全に誘導するには…その、警備員の数が足りない訳でして。観客に怪我でもあったら、会社だけでなくリリスの名誉にも…」

「ですから一刻も早く命令を実行してください。あなたプロでしょう?」

 冷たく言い放ったアンが、暗がりを見回す。

「じきに誘導の警備兵が到着します。彼らの指示に従うようアナウンスを流して貰えれば…」

 頭痛。眼の奥に鈍い痛み。機械式の展示天幕に入った時から張りっぱなしの傍受陣が、新しい臨界式通信を察知する。

「………って、モメてる時間もないんですよ、今は!」

 薄幕一枚向こうで機械式が暴走している、と知られる訳には行かない。なのになぜか、セツは行動を起こそうとしない。確かに、イベントそのものはもう終わりかけていて、あと数分待てば観客は自主的に退場し始めるのだろうが。

「リリスのイベントをこういう形で終わらせる訳には行かないじゃないですか。彼はスターなんですよ。今回のムービーで名実ともにトップスターになる才能があるんだ」

「才能は恵まれるもの。でもその才能をどう使うかも、才能のうちだと思うんですけどね」

 言ってアンは、斜幕の足下に放り出されていた花束に爪先を向けた。

「デリ、今どこ」

『おう、元気そうだね、ぼうや。もう天幕の表に到着するよ、展開終了まであと数分かからねぇね』

「了解。警備兵を主天幕正面ゲートの左右に適当数配置して、待機。ぼくが正面ゲートの解放指示するまでそのまま待ってて。それと、デリはどこか、人目に付かないとこに隠れててくれる? 衛視の登場はイベントの予定にないから」

『おれぁ邪魔もんかね? ま、いいさ。命令はそれだけかね?』

 デリにはね。と固い笑顔で答えてからアンは、豪勢な花束を拾い上げ、「アリスさん」と呼びかけた。

『手短にどうぞ』

 デリラとの音声通信を傍受していたのか、アリスがすぐに答える。

「リリスの新作ムービー配給会社に交渉して、シネマ・エリアの中央広場に至急大型モニターを用意させてください。こっちの観客を全員そこに移動させます。

 リリスの新作ムービー初回は、屋外の大型モニターで無料公開して貰ってください」

 その宣言に、セツは青くなって悲鳴を上げた。

「営業妨害だ!」

「市民の安全を確保するためです」

「一回の興行で、それだけの収入があるのか知って言ってるのか、あんたは!」

 ぶるぶる震える指を突き付けられて、アンは溜め息混じりにセツを振り返った。

「知りません。知らないから、こういう無茶が言えるんです」

「職権濫用だ! この命令の趣旨を書面で提出して貰おうじゃないか! ああ、こんなガキでなく、ちゃんとした責任者に…」

「ガキじゃないですよ、ぼくは。ちゃんとした衛視で、魔導師です」

 アンは、殊更冷たくそう言い放つなり、幾重にも折り重なって丸盆(ステージ)を照らし出すスポットライトへと、一歩踏み出した。

          

          

「確かに、無茶といえば無茶ね…」

 苦笑いと短い溜め息でアン「魔導師」からの命令に従う覚悟を決めたアリスは、幾つも立ち上がったモニターのうち、魔導師隊第七小隊と電脳班の動きを追っている一個に視線を据えたまま、赤い唇を閉ざした。

(ドレイクは使えない。ハルじゃ到底無理…。スゥとイルくんだって攻撃系だし、となったらタマリしか残ってないけど、ここでタマリに余計な仕事を押し付けるのは得策じゃないわ)

 有能な制御系がもうひとりいてくれればいいのに。と内心嘆息しつつ、リリス・ヘイワードの新作ムービー配給会社に特務室電脳班名義で電信を入れる。「王下特務室」という名前にどれほどの効力があったのか…まぁ、陛下の命令並にはあったんでしょうけど、と苦笑を漏らしてしまうようなスピードで電信に応答したのは、配給会社の取締役だった。

「こちらは王下特務衛視団電脳班、アリス・ナヴィです。

 至急シネマ・エリア中央広場に大型のスクリーンを配置、映写機材の設置を求めます。

 これは協力要請ではありません、命令です」

 毅然と言い放ったアリスの顔を、配給会社の取締役は目を白黒しながら見つめていた。その後アリスが、リリス・ヘイワードの新作ムービーを無料で公開しろ、と言った際には顔色が青くなり、事情は一切説明出来ない、と偉そうに言い足した時には、赤く変わったが。

「繰り返す。これは協力要請ではなく、命令です」

『命令といってもですな、衛視の方! 大型のモニターを三十分で支度しろってのは、無理ですよ!』

 そんなの判ってるわよ。とアリスは、溜め息を吐きそうになった。

『いいでしょう、リリスのムービーを無料公開しろってぇ命令には従いましょう。でも、モニターが支度出来ないんじゃぁ、公開も出来ませんよねぇ』

「……………」

 嫌なにやにや笑いの中年を亜麻色の瞳で睨んだアリスが、口を閉ざす。

 彼の言い分は間違っていない。公開はしてやるが、モニターが支度出来ない。モニターがなければ、無料公開は…出来ない。

 ここでもしアンが少し早くその旨知らせてくれさえすれば、モニターの一台や二台運んで来られただろう。しかしこれは完全に、「臨機応変」に立ち回ろうとした結果であって、予想出来ていた事態ではない。

 それでもやる。やらなければならない。

「では、こちらでモニターを支度出来れば、公開しても構わないんですね?」

 イチかバチか、という気持ちだった。

 わざとのように余裕の笑みを浮かべ重ねて言ったアリスの頭の中で、ファイラン全域の地図が高速で回転する。

(城、他のエリア、電脳技師、魔導師…。誰が近い? どこが近い? 三十分でムービーを公開しようとするなら…誰が………)

 アリスが、電信モニターに映らない、コンソールの上に置いていた拳をぎゅっと握り締める。

「構わないんですね!」

 殆ど怒鳴り付けるような勢いで再三確認を取るアリスの気迫に負けたのか、配給会社の取締役は蒼白ながらも薄笑みを消さず、「あ、ああああ、ああ! 出来るものならな!」と弱々しく言い返した。

「一分待って。ああ、その一分のうちにフィルムをトランクに詰めておいてよ? 約束なんだからね」

 半分以上喧嘩腰に言い放つ、アリス。それに「おうよ!」と勢いで言い返す、中年の小男。情けなく引け腰で半泣きながらもアリスにこれだけ言い返していると知れたら、きっと、電脳班は全員彼の応援に回ってくれるだろう。

…ここに居ればの話だが。

 空けた一分でアリスがする事はひとつだけだった。ない知恵を絞っても知恵があっても結果はどうせこうなるのだ、と自分を納得させてから、神様と天使と悪魔とジャネットリンとフロイラインに「どーぞお願いっ!」と悲鳴混じりに懇願して覚悟を決め、暗記しているローエンスの電信番号を、コンソールが壊れそうになるほど力いっぱい叩く。

『やぁ、アリス。何か用かい?』

「ローエンスおじさま! 今、どこ」

『? どこって…』

 なぜか音声だけの通信。映像が出ない辺りフロイラインのところにでも行っているのか、と半分以上泣きたい気持ちになったアリスを気遣うでもなく、ローエンスはいつものように『それは重要な事かい? アリス』などと…。

「重要よ、すごく重要! そこがフラウのところなら二週間はローエンスおじさまと口を利きたくなくなるかもしれないくらい、重要!」

『ああ、それは残念だ。ちなみに、どこだったら喜んでくれるんだい? ひめさま?』

 フロイラインの家は王城エリアの一般居住区。上級居住区なら非常通路があるので第十エリアに大至急来てくれ、という無茶も利くが、一般居住区からでは一旦城なりに戻って地下通路を使うか、上級居住区に向かって非常通路を使うか、どちらにしても、三十分で来てもらうのは到底無理なのだ。

「今すぐあたしの傍に来てくれるなら、ジャニおばさまとフラウに内緒でキスしてあげてもいいわ…」

 落胆の隠せないアリスの声に、ローエンスは…うきうきと通信端末を閉じた。

「じゃぁ、早速キスして貰いたいな、アリス? 何せわたしときたら、今すぐ君の傍に…」

 突如切れた通信。でも、ローエンスの声は…する。

 は? といった感じか?

「というか、さっきからここに居たんだが?」

 キャリアーの司令ブースと運転席を隔てる小窓を開けたローエンスは、相変わらず掴み所のない笑顔を振り撒き、そう言って笑った。

「で? アリス。キスは?」

「……………おじさま…」

「? ああ。これかい? これね、ちょっと事情があってね。うーん。これ、ちょっとみんなには黙っててくれないかい? アリス」

 肩越しにローエンスを振り向き、座席から腰を浮かせて呆然としているアリスに笑顔を向けていたローエンスが、ふと、彼女の亜麻色が注がれている先に目だけを向けて、いかにも楽しそうに、愉快そうに、掴み所なくにやにやする…。

「黙っててあげてもよろしくてよ、おじさま? でも、その暴挙を見逃してあげるんだから、キスはなしでいい?」

 溜め息みたいにそう言ってアリスは、安心していいのかどうか判らない複雑な内情を黙殺した。

  

   
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