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14.機械式曲技団

   
         
(15)

  

 一般市民の安全を最優先。それが警備兵の信条であり、陛下の望みでもあり、だから、衛視の尊守すべき事柄でも…ある。

 衛視は、陛下の望む事柄を望む通りの結末に導かなければならない。そうでなければいけない。市民の期待を裏切っても、陛下の期待は裏切れない。

(…聞いた時はどうって事ないやと思ったけど、意外にそれって辛いなぁ…)

 そのために今、ヒューとハチヤは素手で機械式と殴り合っている。

 そのために今アンは…。

 アン少年は、引き攣った笑顔を豪華な花束に半ば以上埋め、円形の丸盆(ステージ)上で真っ白いスポットライトを浴びながら、震える足を必死に前に出し、その中央へと進んでいた。

 物凄い賭けなんじゃないだろうか? と脳裏を掠めたのは、ほんの一瞬。その先は、成るようにしかならない。とか。どうにかなるさ。とか。はんちょーのばかぁ! とか…。とにかく、なんだか訳の判らない事しか考えていない。

 そうしようと思った時は、他の不安など気にもかけていられなかった。一刻も早くここから観客とリリス・ヘイワードを退去させる、という目的しか見えていなかったのだ。

 ところが。

 いざ丸盆(ステージ)に上がってスポットライトを浴び、このハプニングにどう対処していいのかという微かな当惑のリリス・ヘイワードを真っ直ぐに見据えた刹那、アンは猛烈に緊張し、つまり単純に言うなら、初舞台でアガりまくり。といった心境に突き落とされてしまったのだ。

 アンは、観客の避難誘導の指揮を、事もあろうに、リリス本人に執って貰おうと思っていた。

 ここの観客は全てリリスのファンで、リリスの言う事ならば即座に利いてくれるだろう。しかも、行く先はシネマ・エリアの広場。そこでは、新作ムービーを無料公開する準備が整っている。ハズ。

 まさか今アリスが配給会社の取締役と言い争っているなどと微塵も知らず、何をしようというのか、ローエンスが協力を要請されているなどともこれっぽっちも思わず、とにかく、スポットライトを浴びたまま、このステージの上で、かのムービー・スターリリス・ヘイワードに「うん」と言わせなければならないのだと、少年は、必死になって自分に言い聞かせていた。

 一刻も早く。

 市民を追い払い、任務を遂行しなければならない。

…………………。

 本当は。

(…………)

 唐突に、しんと静まり返った天幕に高らかな拍手。

 このイベント終焉の挨拶をしようとマイクスタンドの前に立ち、そのまま呆然としていたリリスの背中を傍らにいたリングマスターがぽんと叩き、アンの抱えた花束を目で示す。

「あ? ああ! え? ぼくにも?」

 当然、そんな演出など知らされていなかった、…というか、なかったのだから仕方ないのだが…、リリスがちょっと愕いたような声を上げる。と、ステージに並んだサーカスの団員たちが大袈裟な身振りで拍手し始め、それに吊られる形で、観客席からも歓声と拍手がふつふつと沸き起こる。

 百パーセントイレギュラーの出来事。それをしかけたアンは緊張しつつも、マイクスタンドから離れて数歩少年に歩みより、慣れた笑みを向けてきたムービースターの前に立った。

 後戻りも、失敗も、するつもりはない。

 アンは、あくまでも笑顔を絶やさなかった。リリスのように華やかでもなければあたり前でもない、でも、自信たっぷりの笑顔。それを受け取るリリスの方は…。

 奇妙に当惑したようなオリーブ色の目で、じっとアンを見つめていた。

 無言で花束を差し出すのは、魔導師。それを笑顔で受け取るのは、ムービースター。

 大袈裟過ぎるくらいに飾り立てられた花束にリリスの手がかかり、アンは咄嗟にその手首を、盛大なリボンの下で掴んだ。

 リリスの目つきが微かに険しくなったが、少年はそれを薄い水色の瞳でじっと見つめ返し、臆さずに囁いた。

「王下特務衛視団衛視、アン・ルー・ダイです。時間がありません。とにかく、リリスさん…、観客を主天幕から避難させるのに協力してください」

「? 衛視団? ……避難って…」

「説明は後です。判りますか? これは命令です」

 アンはその時、ふと妙な事に気付いた。

 リリスが、リボンの下でアンの手を握り返していたのだ。

「…詳細は必ず説明します。今は本当に、時間がありません。少しだけぼくに…」

 アンはそこで、ハルヴァイトの指示を思い出した。

「いえ…。ヒュー・スレイサー衛視…」

 と!

 ざわっ、とい観客席がどよめく。それがすぐに悲鳴に変わる。

「ああああああああ??????!」

 アンも、思わず情けない悲鳴を上げてしまった。

「なんでもする。協力だろうがなんだろうが、すぐにでもやるっ! だから!お願いだから!」

 ヒューの名前を聞いた途端にアンの手首をぐいっと引き寄せたリリスが、なんと、花束ごと小ぶりなアン少年を抱き締めて、捕まえて、真っ赤に上気した耳元に可憐な唇を寄せ、うわずった声で囁いたのだ。

「ヒューに会わせて」

「は?」

 硬直したアンの顔を覗き込んだリリスが、本当に、本当に、ほんとーーーに嬉しそうに、今までの比ではないほど輝くような笑顔をアンだけに向けている。その意味がさっぱり判らないアン少年は、ここがステージの上だというのも、任務中だというのもすっかり忘れ、ぽかんとリリスに見とれてしまっていた。

「大丈夫、ぼくは拒否なんかしないよ。進んで全面協力するし、マネージャーがごちゃごちゃ言っても関係ない。ね? だから、ヒューに会わせて。君が衛視って事は、近くまで来てるんだろ?」

 ざわめく、というか、アン少年に対する罵声(何せ、あのリリスがいきなり抱き付いた上に、しっかり手を握ったまま放そうとしないのだから…)まで混じっていそうな悲鳴の中、リリスは平然とアンを引っ張ってステージ中央まで進んだ。

「えーと。愕かせてごめんね、みんな。実は彼、ぼくのすっごく仲のいい友達で、でもずっと忙しくて会えなくて、今日は、新作公開のお祝いに来てくれたんだけど…」

 マイクに向かって嘘を言いながら、リリスは本物の笑顔でアンに笑いかけ、いたずらっこみたいにかわいらしい仕草でぺろっと舌を出した。

「でっかい花束に埋まっちゃってて、その上ぼく、今日は眼鏡を忘れたモンだから、近くで見るまで気付かなかったんだよ」

 ああ。という安堵の溜め息と、さざめくような笑い。

 それを複雑な笑顔で見回しながらアンは、脳に割り込んで来たドレイクからの滅茶苦茶な指示に泣きたい気持ちになっていた。

             

「指示は以上。外の配置は終わってるぜ、大根役者」

           

 いかにもな風(…何がどういかにもなのか、少年にはさっぱり判らなかったが)に振る舞え。リリスはお前に合わせてくれる。と、ドレイクは言うのだが?

 それでも時間はない。一刻を争うというのに、泣いている暇はない。

 アンは覚悟を決め、リリスの袖をくんと引っ張った。

「それ、ぼくに失礼だよ、リリス。折角内緒で来てやったって言うのに、すぐに気付いてくれないなんて」

 少年が小声で抗議すると、それにわざと耳を傾けていたリリスが、てへ、と困ったように笑う。長い金色の髪とややくすんだオリーブ色の瞳の彼は、スクリーン越しに見るよりもずっとかわいらしく、凛々しい。

「えー。だって本当に気付かなかったんだもん…」

「うわ、酷いなぁ。そういうのを友達甲斐ないって言うんだ。もう、リリスなんか知らないよ」

 ぷい。とそっぽを向いたアンといかにも親しげに腕を組んだリリスが、慌てて、「待って待って」と少年を引っ張る。

「えーと。その。どうしたら君、機嫌が直る?」

「…新しいムービーの上映に招待してくれたら、許す」

 言ってアンはリリスに笑顔を向け、ぱちん、と指を鳴らした。

 誰も操作していないのに、背後のスクリーンにリゾート・エリアの全景図が映し出される。その中で、いま彼らの居るジョイ・エリアが青く、そこから大通りを通って左にラウンドした庭園通路に入り、その先にあるシネマ・エリアが赤く発光し始めた。

「リリスのムービーが成功するかどうかは、ここにいるみんながどれだけ楽しんでくれたかで決まるんだよね? だから、リリス?」

 アンはそこで、リリスに小さく頷いて見せた。

「この天幕(テント)に居る全員を招待してよ、ね?」

「今すぐ? このまま? みーんなで?!」

 さすがにそれにはリリスも愕いたのか、わぁっと沸いた観客席を唖然と眺め、次の言葉に詰まってしまう。

「…大丈夫です。上映準備は終わっています。あとは、外で待機している警備兵の指示に従い、混乱しないまま即座に移動するだけなんです、リリスさん。…それで、もう…その…、ぼくにはどうしていいのか判らないんで…」

「…………。判った。準備、終わってるんだよね。お客さんに怪我させないように、誘導もしてくれるんだよね」

 マイクに入らないようにそれを遠ざけて囁いたリリスに、アンはもう一度頷いて見せた。

「…うん。ぼくに、適当に話合わせてくれる? それで…ヒューは…」

「あ…。今ちょっと任務中で…すぐには会えませんけど…。………。大丈夫です。ここが空けば、…呼べると思います」

 それを聞いて、リリスが少し微笑む。

「アン君? だっけ? ぼくはちゃんと約束守るから、君も守ってよね」

 言ってリリスは、舞台袖に手を挙げて見せた。

「判ったよ、判った、判りました! きっと社長はお怒りかもしれないけど、ぼくは、儲け話しよりもムービーがどれだけ楽しんで貰えるかの方が気になるんだから…。

 だからさ。

 今日こうしてここに集まってくれたみんなのために、特別に、シネマエリアの広場で新作公開しちゃう」

 天幕全体が震えるような歓声。拍手。座席から立ち上がってリリスに声援を送る者、すでに移動の準備をしようというのか、そわそわと周囲を見回す者までいる。

 一瞬、アンは自分の判断が間違いだったのかと、微かな恐怖を抱いた。

「その代わり!」

 落ち付きなく揺らめく観客の群れに、リリスの一喝が突き刺さる。笑顔のムービースター。銀幕で見るよりも小柄で華奢でかわいらしく凛々しいのに、彼は、気迫の篭った一言だけで天幕内に今日一番の静寂を招いた。

 笑顔のムービースター。彼は、アクション・スター。

 でも彼は、武道家になるのが、夢なのだ。

「誘導の警備兵さんたちにきちんと従ってくれなきゃ公開はしないよ。座席はここのチケット番号で決まってるから、早いもの勝ち、なんて事もない。

 ぼくは、スターである前に礼儀と教えを厳守する修行中の拳闘士だから、ファンのみんなにも、きちんとして欲しいと思う。

 だから、どうぞ、リリスからのお願いです。

 誘導の警備兵さんに、迷惑なんかかけないでね」

 ぺこりとリリスが頭を下げる。それと同時に主天幕後方の入場口から灯りが射し込み、見慣れた警備軍の制服が次々に流れ込んで来た。

「指揮官のかたー、誰ですかー」

 わざとのようにリリスが声を張り上げ、ギイルが軽く手を挙げそれに答える。

「ぼくのファンのみんななんだから、丁重にお願いしまーす。よろしくねー。

 それじゃぁ一旦ぼくは退場。続きは、シネマ・エリアで!」

 警備兵に誘導され後方の観客達が順序良く主天幕から外に連れ出されるのを目端に見ながら、アンはリリスに引っ張られるようにして舞台袖に引っ込んだ。

 途端。

「リリス!!!!」

 セツの悲鳴がふたりを出迎えた。

「ああ、はいはい。小言は明後日あたりに殊勝な気持ちが生まれたら聞いてあげるよ、社長。なんでもいいから、早くみんなシネマ・エリアに移動しなってば。お客ほったらかしてここで言い争うなんて、エンタテイメントのブロじゃないだろ」

……。どこかしら記憶にある、ぶっきらぼうな口調で言い捨てたリリス…。

「それともアレなの? はっきり言った方がいい?」

 アンは、なんとなく複雑な気持ちでそのリリスの横顔を眺めていた。

「「さっさと行け、ぐずぐずするな」」

 リリスに合わせたつもりはないが、なんとなく次はこうに違いない、と思った事を口走ってみたところ、それが見事にハマってしまって、アンはがっくりと肩を落とした…。

 似ている。

 唖然とするセツとスタッフをよそに、リリスがやたら嬉しそうに笑う。

「ねぇ、ヒューは? アン君。ヒューは、どこに居るの!」

 そこでアンははっと顔を上げ、疲れかけた気持ちを奮い立たせた。

「リリスさんを含む全員の退去が条件です。速やかに主天幕から移動してください」

 それでどうやってヒューとリリスを会わせようか、と思わずリリスの顔を見てしまってからアンは、しょうがないので、ポケットから取り出した手帳に短く何かを書き付けると、それをリリスの手の中に突っ込んだ。

「…すいませんが、適当な時間にその番号に電信貰えますか? それと出来れば、リリスさんの電信番号も教えて頂けると、嬉しいんですけど…」

 言いながら少年は、まさか勢いであのリリス・ヘイワードに自分の電信番号を教えるハメになるとは、とそこだけ妙に暢気に、思った。

  

   
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