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14.機械式曲技団

   
         
(33)

  

 ブルース少年はルードリッヒの片親がローエンスである事を知らなかったから、なぜそこでルードリッヒなのか、さっぱり意味が判らなかった。

「イルくん?」

 壁に貼り付いたまま小首を傾げるルードリッヒに、硬い、緊張気味の笑みを向けたイルシュが、すぐ、琥珀色の大きな瞳で唖然とするブルースを見つめてくる。

「…やります。おれ、…大丈夫…です。だって、おれは、ミナミさんをガリュー班長のトコに帰すんだ…から」

 何事もなく。

「ガリュー班長は、ミナミさんがいないと、本当に…ダメなんだから。それに」

 ごくり、と固唾を飲んだイルシュが、引きつった顔で笑おうとする。

「おれがここに来た理由、思い出したから」

 解放するのだ、この場所を。この場所に捕えられた、イルシュを含むひとたちを。

 小柄な少年を取り巻く赤い文字が回転するのを目に、ブルースも慌てて平面陣を描き出し、ルードリッヒに指示された通りの作業を開始してから、ふと疑問に思う。

「エスコー衛視…。あの、で、…ぼくは……どうすればいいんです?」

「? ああ。ほら、イルくんやきみはまだ連携訓練もあまりやってないし、そもそも、模擬戦闘にも未参加でしょう? だからズルして、ぼくがちょっと手を…」

「いや、ズルとかそういうんじゃなくて、なんでブルースくんにその指示なのかつう事じゃねぇのか? この場合…」

 廊下に突っ立ったままミナミが思わず突っ込むと、クインズが呆れた溜め息を吐いた。

「ああ、それね。うーん、施設構造は操作源の特定するのにマップがあった方いいからだし、操作有効範囲は単純にどこまで逃げれば安全が確保出来るか確かめたいだけだけど?」

 それが何か? と言いそうなルードリッヒの口ぶりに、ミナミも嘆息する。

 立場が逆転してしまったような錯覚に、ブルースは自分が腑抜けに思えてきた。なぜ魔導師の自分が衛視に索敵内容を指示されているのか、非常に複雑な気持ちになる…。

「あっちの「サラマンドラ」にこちらの意思を伝えるんですよ、アントラッド魔導師」

 にこにこと掴み所のない笑みで切り返されたブルースは、自分が物凄い大バカなのではないかとさえ思った。

 出来ることなら。

「さっぱり意味判んないですって…」

 と。言いたいほどに。

「つうか、言ってるし」

 いつも通りにミナミに突っ込まれ、あれ? と首を傾げたブルースの顔を、唖然とイルシュが見上げている。今までのブルースというのは、臆病で、自分の思った事さえ口に出さず不満そうにするばかりだったのに、一体何があったのか。という少年の顔つきに、ルードリッヒが薄笑みを向けている。

「頭とは生きてるうちに使うものだよ、アントラッド…魔導師」

 わざとローエンスを真似て言い置いたルードリッヒが、廊下に突っ立ったまま無表情に呆れているミナミの横顔に視線を流すと、青年は微かに頷いて答えた。

「ルードに任せる。今一番魔導師有効に立ち回らせる事出来んの、ルードなんだろうからさ」

 ルードリッヒは、行く末魔導師隊にやってくるだろうジュリアン・エスト・ガンを万全の体制で向かえるために、攻撃系制御系を問わず、魔導師というものが何をして、何が出来て、何が出来ないのか、徹底的に頭に叩き込んでいたのだ。

「…熱線砲来ます。サーンス」

 悩んでいても仕方がないと思ったのか、ブルースが索敵情報に注意を向けた瞬間、相手「サラマンドラ」の内部機関温度が急上昇。それが熱線砲の待機現象だと読み取った赤銅色の瞳が微かにイルシュに動き、少年は緊張した顔ながら何か得心したように頷く。

「「サラマンドラ」出るな。索敵続行。ミナミさん!」

 表情を引き締めたルードリッヒが鋭く言い放った瞬間、ニ撃目の熱線がミナミの周囲を焼き払い、猛烈な熱風が細長い廊下に渦を巻いた。

 一撃目よりもより近い場所で白煙が上がり、焦げた鉄の臭いが充満する。下手に息を吸っては肺を焼かれかねない状況ながら、ミナミはやっぱり目を閉じなかった。

 見定める、観察者のダークブルー。

「飛び込んで!」

 狭い室内に転がり込んで来る、ミナミ。まさか抱き起こす訳にも行かないクインズは慌てて床に座り込んだ青年を庇うようにドアに向き直って銃を構え、ルードリッヒは、壁に貼り付いたまま記憶にある廊下を頭の中で思い描き、ふたりの少年魔導師を交互に見遣った。

「動体観測値を、取得したマップ上に展開。観測続行。対象の操作源は?」

「取得済み。地下十三メートル後方十五メートル」

 せいぜい一階下のすぐ傍にいるのだろう相手魔導師の位置を割り出したブルースの答えに頷きもせず、ルードリッヒの指示は続く。

「敵対象にこちらに攻撃の意図がない事を通知するための、敵動体観測データに割り込みを開始。サーンス魔導師、重力系のプラグインは?」

「えと、中級…」

「作動待機。「サラマンドラ」出ろ」

 刹那、廊下でカッと真紅の光。こちらは周囲の壁面を破壊することなく顕現したイルシュの「サラマンドラ」は、長い胴体をくねらせて中空に留まり、迫り来る「サラマンドラ」を黒い瞳でキッと睨み据えた。

        

 どうしてお前だけが自由なんだよ!

       

 狂ったように左右の壁に体当りした「サラマンドラ」が、ついに猛然と突進して来る。浮遊する回転球がぱちぱちと瞬いて、熱線の一斉照射準備に入ったのをブルースから報告されるなり、ルードリッヒはしてやったりの笑みを口元に浮べた。

 相手の主砲が無意味だと示す手段。確かに熱線砲は手強い武器かもしれないが、やりかたによっては、無力化出来ないこともないのだ。

「一斉射出! 来ま…」

「平面重重力力場「サラマンドラ」前方に最大範囲で展開。「サラマンドラ」動くな!」

 ゴオオオオン、と廊下を揺るがす低い鳴動、どこかから。炎のような文字列を漂わせたイルシュの「サラマンドラ」は超然とその場に滞空し、閃光となって放たれた熱線を真正面から受け止めた。

 敵「サラマンドラ」よりも一回りは小さいながら各段にモデリングのよくなった「サラマンドラ」の見つめる先で、廊下の光景がぐしゃりと歪む。それはまるで、透明度の高い液体の水面に軽く指先を触れさせると出来る波紋のように見えた。

「熱線消滅…」

「「サラマンドラ」出ろ。相手魔導師との通信は」

 何がどうなっているのか理解出来ずに、それでもルードリッヒの指示に必死になって従うブルースの表情が、曇る。恥じている暇ではない。判っている。でも…。

「…出来る事は出来る限りやれ。出来ない事は、やらなくていい…」

 ふと、ミナミが呟く。

「ってのは、あのひとの口癖? みたいなモンらしい。自分は出来る事もやりたくねぇくせに、なんでそういう時だけ偉そうに言えるのか、俺にはさっぱり判んねぇけどさ」

「でも、アイリー次長」

 床に座り込んだまま乱れた金髪をしきりに掻き回しているミナミに含み笑いを向けたクインズが、軽く肩を竦めた。

「文句を言う前に納得出来てしまうんですから、ガリュー班長はそのままでいいのでは?」

 偉そうに滅茶苦茶な事を言っても。

 諦めるのではなく、やるだけやったと思えるのなら。

「……相手魔導師の陣内へ接触を試みていますが、まだ少し時間がかかります」

 出来ないのではない。何かが…インスピレーションが足りないとでも言えばいいのか、相手にこちらの意思を伝えるための文字通信が、何かに邪魔されて届かない感覚がある。

「「サラマンドラ」相手「サラマンドラ」に「怪我」させないよう、適当に遊んでて」

「熱線砲は? 今のはなんか…上手く躱したみたいだけど…」

 当惑するイルシュを差し置いて、「サラマンドラ」は、遊んでおけと言われたからなのか、勝手に廊下を突き進んで相手「サラマンドラ」に肉迫している。それで、本格的にやる気だと思ったのか、相手「サラマンドラ」も周囲の壁に体当りするのを辞め、真っ直ぐこちらを睨み返した。

「あの熱線砲は光学式ではなく酸素反応式。だから、重重力力場をタイミングよく展開してやれば、「サラマンドラ」に触れてくる事はない」

 ルードリッヒの呟きを耳にするなり、ブルースがイルシュの横顔へ視線を向ける。

「サーンス…。動体観測値に相手「サラマンドラ」を追ってる温度計測値を重ねて表示する。詳細は文字列表示。悪いけど今は……ひとりで時間を稼いでて」

 何をするつもりなのか、ブルースは落ち付いた声音でそう言ってから、微かに、唇を綻ばせた。

「それで、床に穴をひとつ、開けてくれると助かるんだけどな」

        

        

 真っ暗闇の中で、それ、は狂ったように唸っていた。

 床に蹲り、自分の頭を握り拳で殴りながら、陰鬱に軋んだ声で吼える。

 どうしてなんだ。どうしてお前だけなんだ。どうしてお前だけが自由なんだ。どうしてだ。ぼくはこんなに辛い思いをしているのに。どうしてお前だったんだ。

 あの日、それ、は部屋に入って来た男の気配に取り縋り、必死の思いで訴えたはずだ。

 上手くやるからと。逃げたりもしないからと。あなたの望む通りの成果をあげられるのは自分だと。必ず、ここへ、戻って来るから、と。

 その訴えの全てがそもそも男の望みではなく、男はその時、使い捨ての「道具」を求めていたのであって、忠実な下僕を欲していた訳ではなかったのだ。

 だから男は、それ、の縋る手を無碍に振り払い、無言で部屋を出ていく。

 その後、イルシュが選ばれて「外」へ出されたと聞いた。

 またその後、イルシュが捕えられたと聞いた。王に許されて、警備軍に入ったとも。

 それは。

 狂ったように泣いた。

 狂ったように怨んだ。

 イルシュ・サーンスという少年を。

 殺したいほどに、憎んだ。

        

        

 それが、彼らの目的だったのに。

         

         

 突進して来る武骨な「サラマンドラ」を向かえるイルシュの「サラマンドラ」は、とても冷静に見えた。床すれすれをくねりながら進み、尾で左右の壁を叩き正面からのぶつかり合いを望む以前の自分を睥睨し、イルシュの指示を待ちつつも自己の判断で急上昇、左右は狭いが上に高い施設状況を利用し、刹那で相手「サラマンドラ」の背後に回り込む。

 縦回転に捻りを加えて完全に追随する位置を確保したイルシュの「サラマンドラ」が、短く縮めた尾で空気を叩くようにし、ぐんとその速度を増す。基本的に速度の制御はイルシュの仕事だったが、この「サラマンドラ」は……。

 何も知らずに臨界を与えられて戸惑うイルシュを救うために顕現した炎の龍は、魔導機の中でも非常に知能が高く、自我が発達しており、「従順」だったのだ。

 命令受諾系のチップを、臨界内で自律型電脳が強引に書き換え、自己の判断領域を飛躍的に拡大、解放する。それによってこの「サラマンドラ」は、つまり、自分で状況を見極め考えて行動、という一連のプロセス殆どを、イルシュの命令なしでも行うことが出来た。

 だから「サラマンドラ」は、イルシュがなんらかの命令を下して来るまでの間、とりあえず、このごつごつした赤い長いの(それが自分と同型のモノだと思っていない)をイルシュたちのいる部屋に近付けないでいようと……考えた?

 相手「サラマンドラ」の行動制御があまりなっていないというのは、イルシュの「サラマンドラ」にもすぐに判った。幼稚なAIが闇雲に暴れようとしている、とまで思ったかどうか定かでないし知る由もないが、とにかく、一回り小さい「サラマンドラ」は空気を尾で叩き、一直線に身体を伸ばしてぎざぎざに蛇行する「サラマンドラ」に追い縋ると、その胴にくるりと絡みついたのだ。

 不可視に展開している軽重力力場の上を滑る二匹の「サラマンドラ」が、イルシュたちの隠れる部屋直前で急ブレーキをかけ、そのまま床に落下する。間際、イルシュの「サラマンドラ」は器用にも首だけを擡げて垂直に上昇しながら、絡んでいた胴体で大きい方の「サラマンドラ」を悠々と引き上げたではないか。

 魔導機が不測の状態で床に叩き付けられれば、操作する魔導師にも被害が出る。イルシュの「サラマンドラ」は、ルードリッヒの「敵意のない事を通知する」というセリフにイルシュが反意を見せなかったからなのか、その「敵意のない現れ」として、相手「サラマンドラ」に絡んでひっぱり回したり上空に持ち上げたり落っことすフリをしたりと、ふざけているようにしか見えない行動しか取ろうとしなかった。

 しかし。

 相手「サラマンドラ」はその間も断続的に熱線砲での攻撃を仕掛けて来ようと、回転球を忙しく移動させたり間近で熱線を放ったりしたが、それは展開待機状態の重重力力場が急速稼働して防いだ。イルシュ本人は、陣に割り込んだ動体観測データとサーモグラフに食い付いて熱線砲を回避するのがやっと、という状況だったにも関わらず、傍から見れば、実戦に始めて出たにも関わらず善戦しているように見えただろう。

 本当は、「サラマンドラ」が勝手に行動していたのだが…。

 荒れ狂う相手「サラマンドラ」が、イルシュの「サラマンドラ」を壁に叩き付けようとする。しかし、流麗なモデリングを施された「サラマンドラ」は、その背が高速で壁に掠り胴体との間で火花が散っても、決して離れようとはしなかった。

 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギッ!!! ギーーーーーーーーイイイイッ!

 耳を劈くような金属の軋みと橙色の火花を伴って、絡み合う二匹の「サラマンドラ」が開け放たれたドアの外を右から左に通過する。時間で、瞬き一回にも満たない。

「イルくん!」

「サラマンドラ」を逃がせ、と言いかけたルードリッヒを、イルシュは真っ直ぐに見つめた。

「おれらに攻撃の意思はない。ただ、おれは話を聞いて貰いたいだけで、でも、あっちは聞いてくれそうもないけど、だからって、諦めるつもりなくて…」

 攻撃しない。諦めない。傷付けない…。

「「サラマンドラ」、顕現有効範囲から出ます。サーンス」

「リピートするよ、どっちも。何十回でも、何百回でも」

 何かを問い掛けるようなブルースの呟きに、イルシュは固い笑みで答える。

「ブルースは、そう言ってくれたよね?」

 瞬間、壁面に盛大な傷を穿ちながら廊下を滑っていた二匹の真っ赤な龍が、忽然と姿を消した。

  

   
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