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14.機械式曲技団

   
         
(36)

  

 モビールで滑り込んで来たデリラとタマリ。同時に、リリス・ヘイワードを含むアリスたちも主天幕に到着する。

 スーシェが二機の魔導機と戦闘に入り、その後意識不明になった事を報告されていたアリスが少し不安げにデリラとタマリを亜麻色の瞳で見つめた瞬間、全ての杞憂、全ての憂鬱、全ての苛立ちと全ての当惑を吹き飛ばすように、主天幕全体がびりびりと震え金属を打ち合わせたような轟音がその場に居た彼らの鼓膜を掻き回した。

 言葉も交わさず視線だけで頷いて天幕に転がり込んだ彼らは、見た。

 怯えて身を寄せ合ったサーカスの団員と、青ざめて呆然とする衛視。それから、倣岸に腕を組み、顎を上げて世界中を睥睨するかのように薄笑みを浮かべたふたりの魔導師。天幕内部を縦横に無尽に無限に旋廻する真白い小鳥、真紅の小鳥。

 そして、合計十五の小鳥たちが遊ぶ荒れ果てた楽園…殆ど原型を留めないほどに破壊された鉄屑を踏んで佇む、二機の。

「…「ディアボロ」」

 震える声でそう搾り出したアリスに、アンとタマリは同時に首を横に振った。

 そんな訳などない。あっていい訳がない。例えば同じに見えたとしても、「ディアボロ」は唯一無二でなければならない。

 佇む、鋼色の悪魔、黒の髑髏。全高三メートル、骸骨の頭部には禍禍しくも芸術的な曲線を描く二本の角が突き出し、骨格標本のような胴体に人間よりも長い手足と背骨から続く刺だらけの尾を供えている。

 片や、対峙するもう一方も悪魔? のように見えた。

 見た事もない、純白の二足歩行式魔導機。高さはほぼ「ディアボロ」と同じで、マネキンのようなマスケラの眼の部分になぜか、蒼い臨界式文字を描いた目隠しのようなものを巻きつけている。頭部には角の代わりに柔らかく長い金色の髪を揺らめかせ、バランスのよい完璧な胴体には、文字列を散りばめた純白の鎧を纏っていた。

 明らかに違う外観ながら、無表情に睨み合う白と黒を目にした誰もが、なぜか、ふたつから同じ印象を受ける、摩訶不思議。

「恒常防御圏付きの「天使」かよ…。こりゃ、面白くなってきたな」

 ドレイクが失笑混じりに呟いた「天使」という単語に、ハルヴァイトも笑う。

 アカウント「アンジェラ」だと、ドレイクは断定したのだ。

 恒常防御圏と聞いて、ハルヴァイトはすぐさま「ディアボロ」に打撃系の補助プログラムを挿し込んだ。近距離打撃でのみ威力を発揮するプラグインをあえて選択した理由を察したドレイクが、邪魔する真紅の「フィンチ」を振り切り「ディアボロ」の頭上すれすれに自らの「フィンチ」を誘導する。

 そう、上空を滑るように飛翔する「フィンチ」は全部で十五機。うち八機がドレイクの「スノー・フィンチ」で、残りの七機は「アンジェラ」と同時に出現した、真紅の「スラッシュ・アンダーバー・フィンチ」という略式アカウントの小鳥だった。

「制約解除。自由運動を承認。頼むぜ、「フィンチ」…。俺たちは、「ディアボロ」を勝たせるために居るんだからな」

 空中で旋廻する「フィンチ」に言い聞かせるように呟きながら、ドレイクは電脳陣にとある記号を書き込んだ。

      

<カイジョ ヲ ジュダク.OK>

         

 了承が返った途端、行動制御用のウインドウが終了して消滅。しかし「フィンチ」は未だそこに存在し、一斉に、自由に天幕内部を乱舞し始めたではないか。

 解放されたAIがドレイクの意思に従って自ら考え、行動する。「ディアボロ」を勝たせるためには何をすればいいのか、どう行動すればいいのか、「フィンチ」たちはそれぞれが最も有効に立ち回ろうとするのだ。

 果たしてそれが、先ほど「スペクター」に起こった現象と同じだと誰が気付いただろう。任意の記号で制約を解除し自由行動を取らせるこの「契約」に必要なのは、魔導師のスペックや技術ではなく、魔導機との「信頼関係」にある。

 高速で流れる圧縮暗号の中にその「記号」を見つけたハルヴァイトの口元に、微かな陰影にしか見えない笑みが浮かぶ。「忠誠か悪ふざけ」というぶっきらぼうな弟の通信に、兄はさも不愉快そうに「若気の至りですよすいませんね」と返信してきた。

 その間も真白い「フィンチ」と真紅の「フィンチ」はそこここで激突し、異常電波を吐き付け合っては急落して体勢を立て直し、また急上昇してぶつかり合った。

「シンクロ下がっちまうじゃねぇかよ」「あなたと同じで、短気ですからね、「フィンチ」も」「負けず嫌いと言いやがれ」「プラグインは?」「選択中だ。ただし、向こうもよく躾られてるな。舐めたら危ねぇぞ、こりゃ」「索敵されてます?」「ぎりぎりでまだ奥まで食い込まれてねぇ」「恒常防御圏の突破方法が思い浮かばない」「なら、邪魔な赤い鳥さんにはご退場願うか」

 ひっきりなしの通信。

 無言でにやつくふたりの脳はしかし、人としての処理能力を遥かに凌駕する勢いで臨界にアクセスを繰り返していた。

          

      

「まぁまぁやんじゃん。でも、こっちの防御圏を攻略しあぐねてる」

「………油断するな、アリア。向こうが何をしようとしているのか、解読できない」

「踏み込めねぇの?」

「とんでもない勢いで操作系が書き換えられている、しかも「フィンチ」八機別々にだ。「ディアボロ」は思考中なのか、何の信号も発していない」

           

         

 跳弾する「フィンチ」に気を取られていたアンの肩を、ヒューがそっと叩く。

「ガリューに通信出来るか?」

 何を言い出すのか、と目を剥いた周囲を余所に、瞬間、「ディアボロ」が忽然と掻き消えた。

 黒い直線が嘲るように相手の出方を待っていた「アンジェラ」に突き刺さり、しかし、恒常防御圏のカウンター効果で激突衝撃の殆どを転嫁され、大きく後方に跳ね飛ばされる。空中で体勢を立て直し尖った爪で床を抉って停止した悪魔はまたも瞬間的に突進を開始、再度、佇む「アンジェラ」に水平打撃を繰り出した。

 プラグイン急速稼働。「ディアボロ」の心臓部で、漆黒の球体が高速回転。

 打撃系のリピート命令が「ディアボロ」の上腕を軋ませ、一秒間で三度の衝撃を加えようとする。

『一歩踏み込め。肩で押せ』

 アンから、ではなくどう考えてもヒューからのものらしい偉そうな通信に、ハルヴァイトは反射的に従っていた。

 水平に突き出した右の拳が激烈な打撃を三度繰り出す間に、「ディアボロ」は先より一歩「アンジェラ」の懐に深く踏み込んで、『重心を下げろ』、重心を下げ、爆裂するような勢いで押し戻されそうになった水平衝撃を肩に掛るに任せて、『軸を左に捻って身体で押せ』、悲鳴を上げる骨格を無視して強引に身体を捻りながら、自らの背面で重力系のプラグインを爆発させた。

 膨れ上がった空間の歪みを背負った「ディアボロ」の右腕が振り抜けるのと同時に、恒常防御圏で護られているはずの「アンジェラ」が砲弾を食らったように身体を折り曲げて吹っ飛んだ。

「ほらみろ、上手くいった」

 どうでもいいように付け足し銀色の髪をさらりとかきあげたヒューを、唖然と見つめる数多の瞳。恒常防御圏があるとも、そもそもそれがなんだとも知らないはずのこの色男は実は何物なんだ?! と悲鳴を上げそうな周囲を無視して、ヒューはハルヴァイトに視線を送った。

 さすがのハルヴァイトも苦笑している。まさか、ヒューにアドバイスされるとは思っていなかったのだから、それだけ対応できただけでも上等か?

        

      

「!!!!!!!」

「アリア!」

「防御圏の衝撃緩和上限を超えてきた…。「ディアボロ」の筋力想定誤差が大き過ぎんだよ!」

「骨格強度想定も補正の必要がある。もう一撃食らえば、ボディに響く」

         

         

「ヒューちゃん…何したのさ」

 沈んだ声で叱るように呟いたタマリを軽く振り返ったヒューが、肩を竦める。

「どう見ても、「ディアボロ」の打撃は異常出力だったよ?」

「別に何もしない。最初、水平に打って水平に戻されたから、単純に戻す力を微妙にずらして押し込んでやっただけだ。それが押し込めるかどうかは俺でなくガリューの、というか「ディアボロ」の力量次第だが、やつらはそれを可能にした」

 爆裂する重力で。

「でもなんで…」

 まだ何か言い募ろうとするタマリの言葉を遮って、天幕内部を無音の激震が揺るがした。

 奇妙なフォーメーションを組んだ真紅の「フィンチ」が、小さな身体を激しく震わせて飛び交っている。空気振動が床に散らばる鉄屑を小刻みに移動させ、白い「フィンチ」の動きを制限しようとする。しかし、ドレイクからの命令でなく自由運動で飛行している「フィンチ」はふらつきながらも姿勢を制御し、飛び交う真紅の小鳥の更に上空へと舞い上がってから、小さな光の球を全身から放出したのだ。

 漂う白銀の塵埃が、真紅の「フィンチ」に纏わりつく。

「エンター」

 笑みの消えない唇が呟き、ドレイクの目前に立ち上がった膨大な量のモニターが一斉に「エンター」を表示。何が起こるのか、と息を詰める間もなく、真紅の「フィンチ」がなんと…。

        

      

「! コピー系のワームか!」

      

           

 真紅の身体に落ちた白い光が滲むように広がって、繋がりあって、見る間に純白へと塗り替えられていくではないか。

 それが一時的な操作系への割り込みによるインターセプト(乗っ取り)現象だというのに気付いたタマリが、暗く翳った表情に微かな失笑を浮かべる。

「こっちは後悔ばっかで落ち込んでるつうのに、どいつもこいつも容赦なく人間じゃねぇトコ見せ付けてくれちゃってさ」

 その時点で、全ての事象を納得しているのはハルヴァイトとドレイクだけだっただろう。「アンジェラ」は恒常防御圏に頼り過ぎて反撃を怠り、ヒュー・スレイサーの武道家としての知識と「ディアボロ」、ひいてはハルヴァイト・ガリューの可能性を見誤り、真紅の「フィンチ」は、ドレイクと「フィンチ」の親密さを読み解けなかった。

 殆ど全ての行動を「フィンチ」のAIに任せたドレイクは、空いた容量を上限まで使って幾つものギミックをばら撒き、激闘の水面下で、真紅の「フィンチ」に合わせ元からあったインターセプト系のプラグインを改造、それらの作業と相手索敵陣の侵入を防ぎながら、真紅の「フィンチ」が相互間通信を行うのを待っていた。その矢先、大気干渉系のプラグインで特定空間内の大気に振動を起こそうと七機の「フィンチ」がシンクロする、そのコンマ数秒以下という通信形態の切り替えを狙って七機を一機扱いにする臨時の命令を割り込ませ、その上で、自らの「フィンチ」に吐かせた「コピー系ワーム」を真紅の「フィンチ」命令系統上で展開、七を一に束ねた上で、アカウントを「スノー・フィンチ」に書き換えてしまったのだ。

 莫大な容量を使い、ただでさえ超高速処理している臨界脳にアクセラレータを噛ませて更に処理速度を上げ、八機の「フィンチ」には自由を与え、七機の「フィンチ」を纏めて乗っ取る。

          

         

「グロス!」

「アカウントが完全に書き換えられている。一旦「フィンチ」を臨界に戻し、再接続し直さなければ操作する事も………」

          

      

 アドオル・ウインという「神」に最強を約束された男は、噛み切ってしまうほど強く唇を噛んだ。

       

       

「今は、手も足も出ない」

        

           

 横滑りする文字列の残光が平面に見えるほど高速回転する立体陣の只中で、煌くような白髪に淡い紅色の照り返しを受けながらドレイクが唇を歪める。

「お帰りはあちら」

 さも可笑しげに呟いて、ふん、とドレイクが鼻で笑った途端、薄暗い主天幕天井付近で八つの臨界接触陣が爆裂し、時置かず更にもうひとつ中型の陣が燃え上がった。

 急旋回して上昇し、臨界へと帰還する真白い「フィンチ」たち。ささやかな抵抗を試みているのか、元は真紅だった七機の「フィンチ」はぎくしゃくと身悶えたりしたが、結局、先頭を切った一機が凍り付いた空気を引き裂いて停止している陣を突き破ると、その軌跡を追いかけるようにして他の六機も次々陣に飛び込み、数秒で、優美な小鳥たちは拭ったように消え去ってしまった。

「こんなモンでいいだろ」「嫌味なやり方だと思いますけど?」「? 不可視の重力球に追撃さして、さも「ディアボロ」がやったみてぇに涼しい顔してやがるおめーよか嫌味じゃねぇよ」「咄嗟にあなたが擬装の空間データを撒いてくれなければ、見え見えの手でしたけどね」

 タマリの言う「ディアボロ」異常出力の原因は、つまり、ハルヴァイトが咄嗟に悪魔の背面で展開したダミーの重力系プラグインに隠れて展開されていた、もうひとつの重力系プラグインが吐いた不可視の重力球だったのだ。背後で爆裂した重力弾は実は何の効果も持っておらず、実際「アンジェラ」を吹き飛ばしたのは「ディアボロ」の手元に発生したカウンター系の重力球で、二重の重力系プラグインが稼働していると誰にも悟らせなかったのは、ハルヴァイトの陣を閲覧していたドレイクが反射的に撒いた嘘の空間情報だった。

 そこでは一個の悪魔が、背中を重力に押されただけだよ。という嘘。

 しかしカウンター系の重力球は発生した力場と対象の間で衝撃を数往復させる機能があり、その二つがあまりにも接近していたために、観測する制御系魔導師たちには「ディアボロ」の打撃出力が異常数値を弾き出す結果になってしまった。

 ただし、単純に一回に見えた打撃が実は数回でした。という訳ではない。当然、「ディアボロ」にもそれなりの打撃反動があったし、剥き出しの骨格にも通常では考えられないような衝撃が掛った。それでもあの悪魔が分解せずに済んだのは、そうすると決めて、瞬間、予測出来得る範囲で「ディアボロ」に対策を講じたハルヴァイトの人ならざる神経の成せる技か。

 逃がす、打ち消す、強化する…。

 一秒か二秒、恒常防御圏を突破するたった一撃を繰り出すために、ハルヴァイトは膨大な占有領域の実に六割以上を使用し、「アンジェラ」を…やっと…床に叩き付けたのだ。

 長引けば勝機はない。二度目を出すにも、ハルヴァイトの臨界脳の一部で神経が断裂していて、正常に機能するかどうかも、判らない。

「向こうが怯んでくれて、ついでに退散してくれるといいんですが」という溜め息混じりの通信。しかし当のハルヴァイトは平素と変わりなくにやにやと「アンジェラ」を睥睨していたし、ドレイクも倣岸に世間を見下している。

「一旦崩れた恒常防御圏を再構築するのに手間取ってるな、あちらさんも。どうする? ここでわざと「ディアボロ」引っ込めてよ、敵意ねぇつうのを訴えてみるか?」

 ここでの目的は。

「………ドレイク」

 戸惑うように明滅する高圧縮信号。ハルヴァイトにしては珍しい現象に、ドレイクは微か眉を吊り上げた。

「敵意はない、という「建前」が最後まで持つほど、わたしは冷静じゃないですよ」

「……………ハル?」

「「ディアボロ」も」

 それはどういう事なのか、という問いを発するよりも前に、ドレイクは反射的にハルヴァイトの横顔を振り仰いでいた。

 いつものように腕を組み、いつものように陣からの照り返しを受ける、蔑み切った薄笑みのハルヴァイト。漆黒の長上着を真紅で飾っても尚、その色彩は鋼色に象徴される。

 硬質で、冷え切っていて、何もかも。

              

 姿を見せろ、出来損ないの天使。間違いなくお前は「天使」で、わたしのミナミは。

           

「後にも先にも、たったひとりの恋人。かな?」

 失笑を含んだ呟きがハルヴァイトの唇を滑り出した瞬間、床に叩き付けられたきりぴくりとも動かずにいた「アンジェラ」が、周囲の残骸を吹き上げて上空へ身を躍らせた。

 先ほど堅固でないにせよ、恒常防御圏は復旧している。しかし「ディアボロ」に命令を下すべきハルヴァイトの臨界脳の神経は焼き切れたままで、通常の回避行動は取れても、同時に魔法を発動したり二重三重のギミックを仕掛けたりは出来そうもなかった。

 では逃げ続けるだけが「ディアボロ」とハルヴァイトの目的か? それこそまさかだ。とドレイクは、索敵してくる相手制御系魔導師の動きを牽制しながら、にやにやと笑う弟の顔を見つめていた。

 何をしでかす気なのか…。

 降り注ぐ、パイプイスや床材の破片。悪魔が胡乱な眼窩を向けた先には、憤怒に燃え上がる素晴らしい金髪を鬣のように広げた、純白の天使。

 そうかと思う。誰もが、判る。

 どんなにその姿を模していようとも、あれは天使になり得ない。なぜならあの純白は、鋼の悪魔に訴えたりはしないのだから。

         

 わたくしをひとりになさらないでくださいませと申し上げております。

          

 伝説は既に成った。あの悪魔と同一であるべきハルヴァイト・ガリューに跪いた天使は、天使を棄ててこの閉鎖空間に降り、冷然と動かない無表情に容赦ない突っ込みを纏って(?)、悪魔とハルヴァイトを一緒に虜にしたのだから。

 だから、あの純白は天使になり得ない。ただ綺麗な悪魔であるだけだ。そして創世神話に基づくのなら、悪魔は天使を得て浮遊都市を護り、他の悪魔を…退けた。

 悪魔と悪魔の戦いは、天使の采配で決まっている。

 鎧に刻まれた臨界式文字が煌いたかと思うと、それらが分離し天使の背にプラズマの翼を形作った。いかに「アンジェラ」が小さな魔導機であろうとも、全高よりも遥かに大きい羽根を広げて天幕内部を飛行したとしたら、天幕そのものが崩壊しかねない。

「プラズマ翼の稼働機構に割り込みは?」「………」「ドレイク?」

 問いかけに答えがないのを訝しんだハルヴァイトが、視線だけを傍らのドレイクに流す。

「どうかしましたか?」「……そいつぁ出来ねぇ…ハル。…いいや、あの「アンジェラ」の機能に割り込む事自体、実質、無理だ」「無理?」

 無理だと断言するドレイクは、見ていた。

 流れる。流れ続ける。淀むことさえしない文字列。

「「アンジェラ」のAIコアが、自己防御してやがる。最終形式は「アンジェラ」で間違いねぇだろうが、ありゃぁ、別の何かだ」「………………、ふうん」

 意外にも、ハルヴァイトの反応は素っ気無かった。

「では、あなたに習って強引にお帰り願いましょう。とりあえず、ね。出来ればここで相手魔導師の詳しい情報が欲しかったんですが、今日は諦めます」

 自分で建前は持たないと言っておきながら、ではどうするつもりなのか。

「極力相手に寄っちゃみるけどな。あんまりむ…………」

 無理するなよ、と言いかけたドレイクが全てを告げるよりも早く、「アンジェラ」を見上げていた「ディアボロ」も背面の翼を展開し、床を蹴る。天井を突き破るような勢いで垂直に突進した悪魔の、黒に銀を纏った残像に唖然とする周囲をよそに、「ディアボロ」は両手を広げた天使の、胴体と翼すれすれを躱して天井近くまで上昇してから、急速旋廻して「アンジェラ」の背中に向き直った。

 無理とか無茶とか、するなとかしろとかいう次元の問題ではない。基本的に、何かが逸れている。

 一瞬で背後を取られた「アンジェラ」は、背の羽根を翻して「ディアボロ」を追い立てようとしたらしかった。モデリングのない剥き出しのプラズマ翼は雷のごとく明滅し、その出力が「ディアボロ」を凌ぐというのを誇示しているようにさえ見える。

 こちらも急速旋廻した「アンジェラ」がなぜか、刹那だけ、空中での体勢を崩した。斜め後方上空を見上げるように螺旋を描いた頭部ががくんと落ちた、瞬間、背の羽根を閉じて自由落下した「ディアボロ」が、なんと…、天使の胴体に垂直な膝蹴りを突き刺す。

 未だ、出力不安定な恒常防御圏。しかもプラズマ翼を構築するために神経を裂いているのか、防御圏の構築速度が異様に遅い。

 罠かもしれないと思う。ならば、その罠が動く前に叩き潰してやろうとも、思う。

 所詮、ハルヴァイトと「ディアボロ」などそういうものだった。相手の裏を掻いて賢しく勝ちを収めるのではなく、真正面からぶつかって尚涼しい顔で完勝する。

 そういう、約束。

 契約か。

 だからハルヴァイトは、腹部を護る純白の鎧がひしゃげるほどに打ち据えた膝の直前にカウンター系の力場を展開した。

「ディアボロ」の放った打撃が「アンジェラ」の恒常防御圏に押し返されて、その衝撃をまたカウンター系力場が押し戻す。先とは同じ手でありながら双方ともに出力が低下しているのか、どちらも威力は半減どころか三分の一も出てはいなかった。

 空中で仰向けになった「アンジェラ」が体勢を崩し、微弱に加速して背中から床面を目指す。片や悪魔は天使…これも悪魔か? …との密着が解けた瞬間背の翼を急速展開して瞬き一回ほどの短時間滞空し、落下タイミングをわざとずらしたようだった。

 姿勢制御するほどの高度もない場所で垂直に落ちる、「アンジェラ」。モデリングを施していない羽根は「ディアボロ」のものよりも大きく、だから逆に、下手に動けば自らのボディを吹き飛ばし兼ねない。

 だからだろうか、顕現し純白に煌いていた羽根が霧散するように消え去る。それで自由を得た「アンジェラ」は空中で身体の上下を入れ替え、間一髪、地面に叩き付けられようかという直前に受け身を取って、荒れた客席に転がった。

 回転する白い悪魔。その動きに巻き込まれたパイプイスの残骸や床材が跳ね上がるのを蹴散らして、鋼の悪魔が転がり逃げる「アンジェラ」に追い縋る。

        

         

「ここはひとまず退け、アリア。恒常防御圏の復帰が完全でないお前に、アレは…」

「なんでだよ! オレはまだ戦えるし、あんな悪魔に負ける訳ねぇだろ? オレは」

「そう、我らは最強だが…アレは」

 そこで男、グロスタン・メドホラは機能の停止した真紅の電脳陣を見つめたまま、疲れたように呟いた。

「最悪だと、おれは言ったはずだ」

 何がどう最悪なのか判らないまま、グロスタンは確信する。

 ハルヴァイト・ガリューという「ディアボロ」は、最悪の「悪魔」。観測しても観測しても、その深奥には辿り付けない。

 広大な草原の只中に佇んだグロスタンが、ふと何か思案するような顔で周囲を見回す。膝まである若草色の柔らかい葉が爽やかな微風に押されて波打つ様は幻想のように美しかったが、その草の一本一本が、実はファイラン浮遊都市洛中に解き放たれた彼の「触手」から伝わる情報を示していると知ったなら、あの「悪魔」はどんな風に言うのだろうか、という興味が沸いた。

 驚きはしないだろう。感心もしないだろう。ただあの冷え切った瞳でこの草原を凍らせ、それで終わりだろう。

「…退け、アリア。我らの浅はかな計画は失敗し、我らは自らヤツに手の内を晒してしまった。引き際を誤った事を、おれは認める」

 最初から、全てハルヴァイトの思惑通りだったのか。

 最初。

「どこが最初であったのかさえ、おれには判らん」

 グロスタンはそう呟いて、長く深い溜め息を吐いた。

         

       

 わざとのように胴体すれすれを掠る叩き下ろしから辛くも逃げ続けていた「アンジェラ」が、うつ伏せの姿勢から両腕だけを使って跳ね起きる。それで、やる気なのか? とギャラリーどもは思ったが、佇むハルヴァイトとドレイクは人知れず視線を交わし、頷きあった。

「操作源は?」「特定にゃ至らねぇけどな、範囲くれぇは判ったぜ」「こちらも大体見当は着きましたよ。お終いの方は稼働率が低過ぎて、「ディアボロ」を動かしながら接触方式を閲覧するくらいしか出来ませんでしたけどね」「イルシュと同じか?」「概ね」「? 概ね?」「多少の違いがあります……まぁ、問題はないですけどね」

 意味ありげな通信の後、ハルヴァイトが黙する。それを訝しがる暇もなく、立ち上がった「アンジェラ」が高速で「ディアボロ」に突進したのに気を取られたドレイクが一瞬口元の笑いを凍らせたのに、しかしハルヴァイトは相変わらずの薄笑みで何かを呟いた。

 聞き取れない、言葉にならない呟き。それはまるで、胡乱な双眸で世界を見下す悪魔の呟きのようにも思えた。

 ハルヴァイトがなんと言ったのか、知り得たのは、無表情の下で狂った笑を放ち続ける「ディアボロ」だけなのか。

            

 オマエ ダケ ハ ミトメナイ。

           

 激突した白と黒の間で、眩い光が爆裂する。膨張した光源に押されたふたつはぶつかり合った勢いのまま大きく後退して距離を取り、荒れ果てた天幕を轟音と衝撃が席捲した。

『つぎ、は、かなら、ず、おまえ、を、たおす! おぼえ、て、いろ、あくま!』

 ノイズの走ったスピーカー、懐の形態端末、それらから一斉に吐き出された歪んだ声に、誰もがぎょっと目を剥き、耳をそばだてる。

 ただひとり、ハルヴァイトだけがそれを笑った。

 笑う。無言で笑う。声もたてずに腹を抱えて、げたげたと笑う。何が判ったのか、判っているのか、ハルヴァイトが笑うのに合わせて、「ディアボロ」は…。

 超然と佇んだ「アンジェラ」の目隠しを睨んだ「ディアボロ」の右手が陽炎のように歪み、瞬間で波打ったブレイドが出現。手首から先だけを、ぎゅん! と四十五度回転させて凶悪な刃を水平に構え、瓦礫を吹き上げて滑るように白い悪魔へと肉薄する。刺々しい尾で床を叩き、砲弾のような勢いを殺して「アンジェラ」の目前で踏みとどまった「ディアボロ」の振り抜いた切っ先が、恒常防御圏を強引に突破してその胸部に食らいついた。

 刹那、背後に出現した接触陣へ逃げ去る、純白の影。仄白い残影だけの残る空間を薙ぎ払った低い姿勢のまま動きを停めた鋼の悪魔を見つめる数多の視線に、ハルヴァイトが冷め切った笑みを向ける。

 記録された音声をデータに変換し、ノイズとエフェクトを取り除く。それから、あらかじめ予想していた「とある仮想データ」と照合したところで、ハルヴァイトはゆっくりと口元の笑みを消し去った。

「座興は終わりだ。次は、ない」

 言って緋色のマントを手で払うハルヴァイトと、刃の切っ先を爪先に向け姿勢を正した「ディアボロ」は、寸分違わぬ姿で睨み合い、逃げた純白の悪魔の事など刹那で忘れ、いいや、悪魔と悪魔しかこの世には存在しないのだとでもいうように、無言で言葉を交わす。

         

 マモルモノ

 ハ

 ハジメカラ

 キマッテイル。

            

 はい。

       

 タトエバ

 ソノタメ

 ニ

 ナニカ

 ヲ

 ウラギッテモ。

         

 はい。

 例えばそのために、何かを哀しませても。

         

 スベテ

 ノ

 ヒトヨ

 ウラムナカレ。

          

 言い置いて、「ディアボロ」は忽然と姿を消した。

  

   
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