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14.機械式曲技団

   
         
(38)

  

「アンタさ、普通にしてても物壊せる特技かなんか、あんの?」

 というのが、主天幕内部を目にしたミナミの第一声だった。

「ないとは言いませんけどね…。今回のは、必要に応じて振る舞った結果、床板が剥がれたり椅子が粉砕されたりしただけです」

 それまでのどこか人間離れした冷たい気配を拭ったように消し去ったハルヴァイトが平然とそう答えると、クインズとルードリッヒを伴って現れたミナミが無表情に肩を竦める。

「俺に報告する事、なんかある?」

「あります。一応、任務中ですし、ついでに言わせていただければ、あなたはわたしの上官ですからね」

「へー。それ、初耳だな」

 などと、ミナミはまるでなんの感慨もなさそうに荒れ果てた天幕の中を見回しながら答え、控えたふたりの衛視が…。

「うわ! どうしたんですか、班長。死にそうじゃないですか」

「うわーー。まさか数百人単位の相手と喧嘩でも? だったら納得しますけど、そうでなければ油断し過ぎじゃありません?」

 天幕内の惨状よりも、血塗れのヒューをからかうのに忙しい。

「…つうか、他に何か言う事ねぇの? クインズとルードは。てーか、俺、ヒューがそんなに怪我してんの始めて見た。結構感動モンだな」

「お前も他に言う事はないのか? ミナミ…」

 切れた唇を歪めて苦笑いしたヒューが、わざと溜め息を吐く。その疲れた様子と天幕内部の慌しさや、タマリの元に集められているサーカスの団員、それから、なぜかアンに抱き付いたままのセイルなどをぐるりと見渡したミナミの視線が、佇むハルヴァイトの上で停まる。

「とりあえずさ、アンタ、俺に何か言っとく?」

「別に」

「……、んじゃぁ、リゾート・エリアの派出所に場所移して報告。なんつうか、あっちこっちで色んな事起こり過ぎ、って感じじゃねぇ?」

 言って小首を傾げたミナミが、無表情に、アンにくっついたままのセイルを見つめる。

「ちなみに、俺が今一番気になってるのは、なんでアンくんにヒューのおとうとが抱き付いてるかって事なんだけど?」

         

         

 リゾート・エリア地下にある警備軍の派出機関統括部に戻ったミナミは、まず、城で待機しているクラバインと、同じく、王城地下で数名の魔導師を指示し、ハルヴァイト・ガリュー他電脳班等が「城にいる」という偽の存在情報を展開していたグランに任務の完了を通知した。

「スゥさんが、こっちの魔導師との戦闘で負傷…つうか、なんか、意識不明になって、デリさんが医療院に運んでったのと、ヒューが機械式と組み手してぼろぼろになったの以外には、特別問題ねぇと思う」

 いや、それだけ負傷者が出れば十分問題だろう。とクラバインは思ったが、とりたててミナミを咎めるような真似や、彼の監督責任を問うような質問はしなかった。正直、今回の指揮官がハルヴァイトとミナミでなければやっていたのかもしれないが、彼には、そうしなくてもよい理由があったのだ。

 成果が上がったからか?

 いいや。

 まだ、終わっていないからかもしれない。

「スゥさんの件については、ちょっと気になる事聞いたから、そっち戻って対応する。それで、室長」

 そこだけ上官に進言する部下のような口調で呟いたミナミは、慌しい隣室を気にしながら、モニターの中のクラバインを見つめた。

「ガン卿に、魔導師隊第七小隊の無期限任務凍結と、特務室への一時派遣命令、掛け合って貰えねぇ?」

 その奇妙な内容に小首を傾げたクラバインの地味な顔つきから視線を逸らさず頷いたミナミは、更に声を潜めて付け足した。

「今回の一件で、先に報告したジュメール・ハウナスを第七小隊に預けてぇと思う。それから、スゥさんの件でどうも、タマリがさ…」

 言い淀んだミナミの、無表情。

「デリさんがこっそり通信して来たんだけど、どうも、よくねぇ状態らしいんだよ」

 タマリの何がどうよくない状態なのか、実の所ミナミにもよく判らなかった。しかし、タマリの「最初」と「経過」と「現在」を知っているデリラがそうだと言ったし、おまけに…。

「ルードがさ、出来れば、タマリを暫くそっとしてやれつうんだよ」

 ルードリッヒがそんな奇妙な事を言い出したのは、サーカス主天幕からこの地下施設へ来る途中だった。ミナミの護衛から外れたクインズがサーカス団員の事情聴取に向かった直後、ルードリッヒは神妙な顔つきでミナミに言った。

         

         

「周囲が思っているほど、タマリは無神経じゃありません。そうしなければ自分を保てないから、わざとそういう風に振る舞って、何かに固執するのも、固執されるのも拒否しているだけです。

 タマリはずっと、三十ニ人の人生を一瞬で灰にし、その三十ニ人に繋がる大勢の人生に空白を与えてしまった事を、自分のせいなんかじゃないのに、後悔し続けています」

       

         

 少女のような風貌が撒き散らす、枯れた笑顔。その笑顔の下には、何が隠れているのか。

 その件は直接グランに伝えた方がいいだろうとクラバインに言われたミナミは、接続を切り換えてグランを呼び出した。その頃にはすでにスーシェについて報告がなされていたのか、モニターに映った魔導師隊大隊長は難しい顔でミナミの言葉に耳を傾け、最後に小さく頷いてからこう答えた。

『ルードがそうまで言うのならば、全てアイリー次長の判断にお任せする。

 ミナミくん。タマリが私の屋敷に預けられた日、彼は妻に言ったそうだ。「ボクに近付かないでくれ」とね。そのタマリの頑なさを解いたのは、他でもない、ルードだったよ』

 それが何を意味するのか、ミナミにはすぐに判った。

 誰にも触りたくないのだと疲れ果てた笑顔で言った、タマリ。しかしルードリッヒは、あの好青年然とした薄笑みの奥に「エスト・ガン家」の矜持を押し込んだ青年は、ローエンスのように、全てを愛す。

 か弱い華を愛でるように、ではなく。

 第七小隊への指示は王城エリアに戻ってから、という事にして、ミナミは通信を切断した。

「………でー、俺は何すんだ?」

 呟いたミナミが、口元に仄かな笑みを浮かべる。

 ふわり、と。

「じゃねぇって、俺。俺は、何を、したいんだ」

 書き込まれている答えに辿り付く有効な方法を思案しながら、ミナミは隣室のドアに爪先を向けた。

           

            

 ミナミが戻った室内には、ハルヴァイト、ドレイク、アン、アリスと、ヒュー、ギイルが待ち構えており、居るはずのルードリッヒの姿はなかった。しかしそれを疑問にも思わなかったのか、ハルヴァイトの隣りに用意されていたパイプイスに腰を下ろしたミナミが軽く頷いて、報告の開始を促す。

「では、報告します。本日イチゼロマルマル、王城エリアよりリゾート・エリアに到着したアン・ルー・ダイとヒュー・スレイサーは、同日イチゼロサンマル近似値にハチヤ・オウレッシブと合流、その後、ジョイ・エリアサーカス・ブロックに、同日イチイチマルイチ近似値到着。違法魔導師に臨界式で操作される機械式と遭遇、戦闘に突入しました」

 笑みはなく、きりっとした表情で報告を開始したアンがそこで言葉を切り、何かを確かめるようにヒューの横顔を窺うと、銀色の髪を頭の後ろでひとつに括ったヒューが、無言で右手を挙げ報告に相違ない事を確認する。

「隣接した主天幕において「リリス・ヘイワード」の新作ムービー公開イベント開催中のため、企画会社代表セツ・アニアス及びリリス・ヘイワード、改め、セイル・スレイサーの協力を得て、一般市民をシネマ・エリアに移動」

「市民の移動に関しては、デリラ・コルソン衛視並びに電脳班直属警備部隊が、セイル・スレイサーと協力し、市民に被害、且つ、任務情報の漏洩なく完了」

 そこで、不在のデリラに変わって補足したギイルに、ミナミが頷きかける。

「尚、付加事項として、市民の避難に関しルー・ダイ魔導師並びにセイル・スレイサーより「リリス・ヘイワード」新作ムービーの無料公開の指示がありました。それを受け、配給会社と交渉の末、ローエンス・エスト・ガン魔導師の協力を得、シネマ・エリアにおいてムービーの無料公開を敢行。現在は市民も解散し、エスト・ガン卿も待機室に来られておいでです」

 イルシュのところに現れたブルースがローエンスに連れて来られたというのを知っていれば、ここでのローエンスの登場は不思議でもなんでもないのだが、今現在室内でブルースが待機室に居ると知っているのはミナミだけだったので、ドレイクとハルヴァイトがちょっと不思議そうに顔を見合わせた。ゴタゴタ続きで、アリスからの報告がふたりには上がっていなかったのだ。

 その内容にも特に質問はないのか、ミナミはそこでも軽く頷いただけだった。

「その後、サーカス主天幕において団員の事情聴取を開始。その時、一部の記憶操作が確認され、聴取を一旦停止。セイル・スレイサーに協力を仰ぎ、丸盆(ステージ)から消滅した「団長」の身元を確認すべく、現在待機しています」

 その辺りになると、あちこちでごちゃごちゃと色々な事が持ち上がり始め、さすがのミナミでさえ「覚えきれねぇって」と呆れたように呟かざるを得なかった。本当に覚え切れない訳ではなかったが、どれがどう関係あるのかないのか、時間的経過がどうなのか、混乱しそうになる。

 一通りの報告を聞いたあと、ミナミはなぜか傍らのハルヴァイトに顔を向けた。今日この場所で何が起こり、どういう結果になったのか、確認しようというのか。

「つまり、さ。サーカス・オブ・カイザーハイランが、アンタの探す目的地だった。ってのが、唯一の結果でいいんだよな?」

 途中で何があり、何が起こり、何が継続しようとも、結果は唯一。

「…臨機応変に行きましょうよ、というのが、わたしの感想ですね。現在は経過であって到達点ではなく、開始点からほんの少しだけ前進した程度です」

 ハルヴァイトに見えているのは、始まりと、答え。方程式。その間にどんな数式がはいるのかは、誰にも判らない。だから彼は全てイレギュラーであっても驚かないし、全てが予想通りであっても奢ったりしない。

 プラスとマイナス。イコールを含む、不等式。ゆ、え、に、と三つの点を打ち、見えている数式を繋ぐ要素を嵌め込む。

 作業。

「時間経過と所見を含む詳細な報告は王城エリアに戻ってから、という事でどうです? アイリー次長。記憶操作されたサーカス団員の件や施設そのものの調査など、今日ここで片付けるべき項目は大量に残されてます」

 気安くとも取れるようなゆったりした姿勢で椅子の背凭れに片腕を預けたままのハルヴァイトは、少しの笑みもなく、いまこの室内に在る全員に告げるように続けた。

「必要な情報を出来る限り採取して撤収後、サーカス・オブ・カイザーハイランは電脳班の監視下に置き、一時閉鎖します。尚、一時閉鎖期間中は、わたしの許可ない立ち入りを完全禁止」

「待てよ、ハル」

 そこで、彼ら電脳班が第七小隊の時からそうだったように、ドレイクが異議を唱えようとする。結果的には何がどうあってもハルヴァイトの命令は実行されるが、ここで彼の真意を質しておかなければ、後々面倒な事になりかねない。

「こっちだってよ、城に戻れば、情報の分析だとか今後の行動計画だとか、やるこたぁ山ほどあんだぜ? いくらおめーの処理能力が桁外れでも、ここで何かしようって時いちいち許可取ってたら…」

「問題ありませんよ。どうせ、閉鎖中は誰もここに入れないつもりですし」

 あいも変わらず平然と、さらりと、しれっと言ってのけたハルヴァイトの横顔を見上げたミナミが、「じゃぁ最初からそう言えよ…」と力なく突っ込む。

「でもそれじゃぁ、サーカスに潜んでる魔導師にも回復の時間を与える事になるわ」

 確かに、こちらの準備が整うまで放置、では、相手にも充分な余裕を与えてしまうだろう。それよりも、疲弊している今こそ拘束に踏み切った方がいいのでは? と言いたそうなアリス以下の当惑した顔をひとりひとり見回したミナミは、その最後をハルヴァイトに据えて、内心また、ひとつ溜め息を吐く。

 慣れているから文句を言うつもりもないが…。

「それを与えるための閉鎖ですから、問題ないんです」

「やっぱな…。そう言い出すんじゃねぇかって、ちょっと思った俺も相当アンタの非常識に慣らされて来たなとか、今本気で暗い気持ちなんだけど?」

 無表情に咎めるミナミに穏やかな笑顔を向けたハルヴァイトが、小首を傾げる。

「でも、わたしがそう言い出すだろうというのは、判ったんですね」

「……………判ったよ」

 判った。判っている。今朝から? もっと前から? ハルヴァイトは言っていたのだから。

 揺さぶりをかけるのだと。

 容赦なく。

 わざとのようにアンをひとりでよこそうとしたのも。

 それなのに、電脳班は城にいるという嘘のデータを、魔導師隊まで動員して貼らせたのも。

 自分が姿を見せたのも。

 ああも派手に「ディアボロ」を暴れさせたのも。

 第七小隊…イルシュを連れて来たのも。

 全て。

「判ってたつうのかな…。アンタが最初から、見えない相手ちょっと脅かしてやろうって、中途半端な考えじゃなかったってのくらいさ」

 必要なのは、データ。情報。形状のはっきりしたもの。

「輪郭」

 呟いてハルヴァイトは、「ディアボロ」と同じ冷たい笑いを唇に載せ直した。

  

   
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