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15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
(2)

  

 「乱暴な言い方すりゃぁハルと俺が一番典型的な組み合わせ、ってのは、ちっとばかし乱暴過ぎやしねぇか?」

「逆に、ガン大隊長とエスト小隊長が正反対の性質というのも、判ったようで判らない説明だとは思うが? ドレイク」

 電脳班執務室に取り残されたヘイゼンとドレイクが応接用のテーブルを挟んでしきりに唸っているのを、ハルヴァイトが自分のデスクにやる気なく頬杖を突いて笑っている。それが、当然、気に食わなかったのだろうヘイゼンが冷えた視線で鉄色を睨み、無言でこっちに来いと手招きした。

 無意味に、「悩むヘイゼン小隊長というのもなかなか新鮮で」などと余計な事を言って大いに元上官の機嫌を損ねたハルヴァイトは、狭いソファを避けて手近な椅子を引き寄せ、雑多に散らかった誰かのデスクに片肘を預けて腰を据えた。

「それで、何か?」

 穏やかな笑顔で問われたヘイゼンが、わざと身震いする。

「これは天変地異か? ドレイク。私の部下はこんなに愛想のいい男ではなかったはずだが」

「……まぁ、ある意味、異常気象程度の変異ではあるかもな…」

 自分の膝に頬杖を突いたドレイクが、にやにやしながらそっぽを向く。何か言いたそうなヘイゼンの横顔と、我関せずというドレイクの態度に突っ込んでやろうとしたものの、ハルヴァイトにそういった機能が付加されている訳もなく、結局彼は肩を竦めて苦笑しただけだった。

 ヘイゼンに話す事は幾らでもある。

 だが。しかし。

「とりあえず面倒なので、仕事しませんか?」

 所詮、ハルヴァイトなどというものは、そんな程度か…。

 本来ならば、この「とりあえず」という一言だけで延々と三十分は説教をくれるだろうヘイゼンも、今回ばかりは黙って頷き一枚の臨界式ディスクをテーブルの上に置いた。ハルヴァイトの様変わりも気にはなるが、それ以上に気になる事があるのだ、ヘイゼンには。

「先日、ジョイ・エリア、サーカス・ブロックにおいて私の施した措置内容は、全てこのディスクに収めた。一旦停止した都市機能を臨界式で回復した際の回路系譜等の報告も、漏らさず書き込んである」

 差し出されたディスクをドレイクの手元に滑らせたハルヴァイトが、偉そうに腕を組んで頷く。

「ところでよ、なんであの日小隊長はジョイ・エリアに?」

 あまりにもタイミングのいいヘイゼンの登場に、その時は「助かった」としか思わなかったドレイクも今更ながら疑問を抱いたのか、受け取ったディスクを解析陣で読み込みながら小首を傾げる。

「そこで偉そうにしてるのがズルしたのだと、あの日私は言わなかったか? ドレイク。ハルヴァイトがひとり歩きし始めた途端に、お前、バカになったな」

 にべもなくばっさり斬り捨てられて唖然とするドレイクの間抜けヅラを、ハルヴァイトが笑っていた。

「つうこたぁよ…」

「そうです。最初から、ヘイゼン小隊長は呼んであったんですよ。どう考えても、即刻使える魔導師が足りないだろうというのは判ってましたからね。ガン大隊長には城の方を任せてましたし、エスト卿が「何か」行動を起こすだろうというのは予想してましたから」

 などとハルヴァイトは暢気なものだが、ドレイクはそうも行かない。なぜそこでローエンスの突飛な行動が予想出来ていたのか、と重ねて問いただそうとした、瞬間、ドレイクもはっと気付く。

「………タマリか?」

 半ば苦々しい呟きを、ヘイゼンとハルヴァイトは同じ速さで首肯した。

「イルシュがブルースくんの同行を断った直後に、タマリはその旨をエスト小隊長とわたしに極秘通信で知らせて来た。時置かず、エスト小隊長は「どうにかする」とわたしに伝えた。だから、全員が地下通路に集合した頃にはエスト小隊長の一時不在は確定していて、わたしには、その短い時間にヘイゼン小隊長に協力を要請する事が出来た」

「となれば当然、お前たちが城を出るのと同時に、私は第七エリアを出られるという寸法だな。判ったか?」

 内緒でやってんだ、判るかンなモン。と内心愚痴を零すも、ドレイクは渋い表情で頷くしかない。

「ここで先ほどの話に戻るんですが? ドレイク。どうしてあなたが制御系なのか、タマリが制御系なのか、エスト卿が制御系なのか、判りました?」

 含み笑いのハルヴァイトの、探るような視線がドレイクを見つめる。

「………………つまり、アレですか? もしかして」

 ついつい口元に浮かんだ苦笑い。

 ドレイクは、肯定する。

「判り易く言っちまえば、お節介つう事かね」

 それこそ乱暴な言い方に、かのヘイゼンも珍しく明らかな苦笑いを漏らした。

「そういう素質が大いにある、という事でしょうね」

 苦笑を交わすドレイクとハルヴァイトを見つめるヘイゼンの脳裏をよぎる、小柄な青年の横顔。金色の髪と緑の瞳の、クリス・ケラー。彼もそうだった、と懐かしい相棒の色褪せない若々しい姿に心からの笑みを向け、ヘイゼンはゆっくりと頷いた。

「だがしかし、だ、ハルヴァイト、ドレイク。そのタマリにお節介を焼くのは、では、誰の役目なのかな?」

 ジョイ・エリアでの任務以降、官舎から出て来ない、タマリ・タマリ。

 刹那で室内に降りた、重い空気。

 しかしハルヴァイトはそれも朗らかな笑みで否定し、穏やかな声で、恋人の名前を呼ぶ。

「それはミナミの役目ですよ、ヘイゼン小隊長。彼は全てを見ている、観察している。魔導師だけでなく、魔導機だけでなく、この都市の全てをね」

 ヘイゼンはその時、ハルヴァイトは本当に「変わった」と思った。

 クリスに、こころから、以上に感謝した。

          

          

 一般官舎三号棟のエントランスに彼らが現れたとき、非番でなんとなくだべっていた兵士たちは慌てて敬礼し、それから訝しそうな顔を見合わせた。

「いーーーやーーーーーだーーーーーー!」

「聞えない」

「つか思いっきり聞えてんじゃねぇかよ! みーちゃんの意地悪!」

 最後尾でぎゃぁぎゃぁ喚くタマリを恐々振り返ったイルシュが、周囲の視線に気付いておどおど傍らのブルースを見上げると、当惑する視線を受け取った赤銅色が冷たく緑の塊を射竦める。

「いい大人なんですから公共の場所で喚かないで下さい、タマリ「魔導師」」

「うるせーくそガキ! てめー最近のさばり過ぎじゃねーのか! つうか、急に打ち解け過ぎ? ねぇ、どう思う?」

 ねぇねぇ、と、すっかり短くカットした真白い髪を滅茶苦茶に掻き回されたジュメール・ハウナスが弱った表情でミナミに助けを求め、青年はしかし、涼しい顔でエントランスを突っ切ろうとしていて、その歩みが淀む事もない。

「…もうちょっとだけ我慢な…、今、最終兵器スタンバイ中だから」

 イルシュとブルース、おまけにジュメールまで従えて官舎に現れたミナミは、問答無用でタマリを部屋から連れ出し、どこかへ行こうというのだが…。

 唖然とする兵士たちを完全に無視して、エントランスを渡り切ろうとする。喚くタマリはなぜかジュメールの背中に張り付いて離れず、背の高い青年は非常に歩き難そうだった。

 彼らはどこへ行ってもとにかく目立った。衛視の制服を着たミナミは否応なく王城いちの有名人だったし、少年魔導師のイルシュもブルースも一般兵士よりずっと若い上に、腕章にはあの「F」の刺繍で、おまけに……。

 色素遺伝子の欠損という致命的に特異な外観のジュメールも、魔導師隊の制服を着せられているのだ、目立たない方がおかしい。

「いやだ、いやです、行きたくない。行かないったら。絶対ヤだ! もう帰る!」

「どこに?」

「……………」

 ようやくエントランスのお終いが見えて、開け放たれたドアの向こうで天蓋からの陽光が踊っているのに目を細めたミナミが、相変わらずの無表情、しかも冷たい口調で鋭く言い返す。ここで出たのが突っ込みでなく完全に咎めるような台詞だったのに、正直、イルシュもブルースも、言われたタマリも驚いた。

「なんで?」

「………」

「帰ってどうすんの?」

「…………」

「まさかタマリさ、二度と小隊に戻らねぇつもり?」

 冷え切った声で呟いたミナミが不意に足を止め、ジュメールにしがみついたきりのタマリを振り返った。

 深海のダークブルーが、色褪せた緑の瞳を射竦める。

「スゥさんは許さねぇよ。そんな我侭」

 言ってミナミは、どこかへ軽く手を挙げて見せた。

 瞬間、エントランスに吹き込んできた黒い一陣の風。事前に言われていた通り、咄嗟に踵を返して佇むジュメールの背後に回ったブルースとイルシュが、強引に青年からタマリをひっぺがし、そのまま空中に放り出す。

「でぇええええええっ!」

 ミナミの? なのか部下のなのか暴挙に悲鳴を上げたタマリはしかし、床に叩き付けられる事はなかった。

 刹那で滑り込んで来た黒い風が人の形になり、掬い上げるようにタマリを抱き留める。

「はい、無事回収終了。このまま医務室でいいんですか? ミナミさん」

「つうかなんでルードのばかが沸いて出るよ! ぐはっ!」

 助けて貰ったにも関わらずタマリはルードリッヒの腕の中で大暴れし、それがうるさかったのだろうルードリッヒから思い切り頭突きを食らって、…一瞬で落ちた。

「「「……………」」」

 少年たち、唖然。

「うん。あと、スゥさんの病室に放り込んで、逃げねぇよう監視しといて」

 白目を剥いて魂の抜けたタマリを抱え直したルードリッヒは、「了解」と朗らかな笑顔で答えてからミナミに会釈し、くりっと踵で百八十度方向転換し執務棟を出た。部屋から連れ出す所までがミナミの仕事で、その後タマリを説得するのはルードリッヒの仕事だ。

「タマリ?」

 置き去りにして来た無愛想な建物が人工樹木の向こうに見えなくなってから、ルードリッヒが小さくタマリを呼ぶ。

 いい加減、死んだふりはもういいよ」

「……うっせぇ、ルードのばか。つか下ろせ」

「うん、それはダメ」

 歩調を緩めて歩くルードリッヒの腕の中でぱちりと瞼を上げたタマリが、自分の両腕をぎゅっと抱えて俯く。

「行きたくないの」

「判ってるよ。でも、謝らなくちゃ、スーシェさんに」

「……」

「悪い事したって、タマリも思ってるでしょ」

 俯いたまましきりに瞬きを繰り返すタマリの、頼りなさげな表情。ミナミたちの前では絶対に見せなかったその表情を他の誰からも隠すように、ルードリッヒはタマリの小さな身体を折れるほど抱き締めた。

「…あと、ルード嫌い」

「ぼくは好きだよ、タマリのこと」

 人工樹木の作る木漏れ日が、黄緑色のショートボブをちらちらと飾る。

「謝ろうよ、ね、スーシェさんに。ミナミさんが言ってたよ。ちゃんと謝れば、スーシェさんは許してくれるって。大丈夫だってさ」

 心細さと後悔の滲む瞳を隠すように伏せられた長い睫を、そっと流した視線だけで見つめたルードリッヒが、確かめるように呟く。

「タマリが嫌いだから「怒る」んじゃないよ。判って欲しいから怒るんだよ。繰り返して欲しくないから怒らなくちゃいけないんだよ、ねぇ、タマリ」

 枯れ果てて行こうとする笑顔で表層を繕う、タマリ。

         

「三十ニ人も死んだよ!」

「だから何さ」

「三十三人目になりたくないだろう!」

「いいよ、それでも。君がぼくまでの三十ニ人を忘れて一生ぼくだけのために泣いて、後悔して、孤独にさ、二度と君の前に現れないぼくを探し続けてくれるなら、それでもいいよ」

「何言ってんだよ、おかしいよ、お前! もう放っとけよ、ボクの事なんか!」

「嫌」

         

 泣く事をやめ、後悔する事をやめ、そういう風に振る舞って、本当は、ずっと泣き、後悔し続ける、色褪せて行く緑。

「ちゃんと謝ろうよ、スーシェさんとデリさんに。

 ねぇ、タマリ…………」

 こつん、とルードリッヒの顎にタマリが額をぶつける。

「ぼくは好きだよ、タマリのこと」

「……アタシは、ルードなんか嫌いだ…」

 永久に変わらないだろう常套句。

「それでもいいからずっと傍に居るよって言ったよね、ぼく」

 ルードリッヒはいつもそうであるように、仄かに微笑んだ。

  

   
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