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15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
(9)

  

 その日。

 彼がその日に思ったのは、なんだったのか。

 これは何度目かの、裏切り。

 最初で最後の、裏切り。

 臨時議会という名の法廷に立った青年の蒼褪めた顔。

 青年はその日、裏切りで幕を引くつもりだった。

 しかし。

 本当はどうだったのか。

 確かめたかっただけなのではないか。

 相反する思惑。

 青年の内にあった葛藤は、なんだったのか。

 自己の否定か。肯定か。

 消えない過去は強固に踏み固められた事実であり、絶対になくなってはくれない。

 それを否定したならば、青年は現在を見失う。

 それを肯定しなければ、この先に望む未来に差し伸べる手は、何にも触れられない。

 だから青年は。

 恐怖を振り切り。

 現在を振り切り。

 未来を望んだ。

 例えばそれで、汚れた自らを白日の元に曝そうとも。

 では、彼は。

 彼にとっての「今日」は、どんな意味を持つのか。

 彼の真相を知り得る栄誉、栄光、または不運に恵まれた「彼」は笑う。

 これは裏切り。

 これは自己満足。

 これは我侭。

 これはプライド。

 これは契約。

 これは不文律。

 これは。

 彼の中に巣食うたったひとつの感情に起因する、純粋過ぎる想い。

 判っている。

 彼にとっての「今日」は。

 永遠に無くすかもしれない。

 永遠を得るのかもしれない。

 どちらでもいい。

 どうなっても、「青年」は空を漂う牢獄の中、無限地獄に、堕ちるのだ。

 優しく微笑み。

 掠めるようなくちづけだけで。

 繊細な硝子細工を抱き締めるように。

 甘やかに囁き。

 彼は「青年」の胸を抉るだろう。

          

 それが望み。

           

 わたしは多分、と彼は思った。

 わたしは多分、今まで「青年」を虐げて来た「人間」や「運命」よりも残酷で冷たい。しかしわたしは「わたし」も「彼」も否定せず、だからこそ、まるで明日が今日の続きであるように振舞い、「青年」を追い詰めて苦しめるのだ。

 例外はない。

 わたしの予測は、絶対。

 準備は整った。

 後は。

「青年」が正常な意識を持って着実にゆっくりと「わたし」へ狂って行くのを、眺めるだけ。

           

 それが望み。

         

 許せないものが在る。と彼は呟いた。

 許してはいけないものが、まだ在る。と。

 彼は。

 天蓋越しの陽光では絶対に照らせない不透明な鋼色の瞳で世界を睥睨し、冷ややかな、刃物のような輝きを内に収めて、その日、を迎える。

 いっときの裏切りを許して欲しいとは思わない。

 そんな消極的な懇願など、彼には必要ないのだから。

 許されるのではない。

 求められるのだ。

 絶対に。

 間違いなく。

 全てを覆し。

 この腕に。

           

 彼は、笑った。

  

   
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